エアリス編 第四章 友達 ― 幼なじみとの出会い ―① エアリス・ゼフィラ
第四章 友達 ― 幼なじみとの出会い ―
ルゼリアの学校に通い始めてから、数ヶ月が経過した。
五歳の僕にとって、家庭という「個」の世界から、同年代や年上の子供たちがひしめき合う「公」の世界への変化は、当初想像していたよりも遥かに刺激的で、同時に神経を摩耗させるものだった。
父ランダル直伝の剣術修行で全身を泥にまみれさせ、リリィ先生の熱烈な指導の下で魔術の深淵を覗き込む日々。その傍らには、常に緋色の髪をなびかせ、僕の手を引いてくれる姉セリナの存在があった。
だが、そんな慌ただしい日常の中でも、僕には家族以外の「特別な繋がり」ができ始めていた。
近所に住んでいる、エアリス・ゼフィラ。
彼女こそが、この世界ルシアークで僕が初めて得た、同年代の「親友」と呼べる存在になる。
初めて彼女を意識したのは、ある晴れた日の昼休みだった。
彼女は、僕と同じように茶色の髪を持つ村の子らとは一線を画す、赤紫色の長い髪をしていた。その色は、夕暮れ時の空が夜を飲み込もうとする瞬間の、美しくもどこか切ない色彩を宿しているように見えた。
学校でのエアリスは、いつも影に溶け込むように静かで、大人しい少女だった。あまりに存在感が希薄なため、賑やかな上級生たちに紛れて見失ってしまいそうなほど。けれど、僕の視線はなぜか彼女を追っていた。
(……綺麗な髪の子だな。もし、前世でこんな子に出会っていたら、恋に落ちていたかもしれない)
そんな青臭い感想を抱くほど、彼女の美しさは五歳の幼い身体には不釣り合いなほど完成されていたのだ。だが、その時の僕はまだ知らなかった。彼女のその長い髪が、後にどれほどの涙を隠すことになるのかを。
その日の午後は、剣術と魔術の入れ替え時間で、生徒たちの移動によって校舎周辺が騒がしくなっていた。僕は忘れ物を取りに一旦校舎の裏手へ回ったのだが、そこで見てはいけないものを見てしまった。
学校の庭の、古い樫の木が作る深い影の中。
そこに、赤紫色の長い髪を肩に震わせ、しゃがみ込んで泣いている女の子がいた。エアリスだった。
「……う、……ううっ……」
掠れた、小さな嗚咽。
それは、周囲の喧騒にかき消されてしまいそうなほど弱々しく、けれど僕の耳には、かつて自分が経験した「絶望」と同じ周波数で響いてきた。
僕は思わず足を止め、彼女の元へ歩み寄った。
「……どうしたの? 大丈夫?」
声をかけても、彼女は顔を上げようとはしなかった。ただ、細い肩を激しく上下させ、膝を抱えて泣き続けるばかりだった。
僕はどうしたものかと途方に暮れ、立ち尽くした。五歳のルーメンとしての語彙を尽くしても、この深い悲しみの底にいる少女を救い出せる自信がなかったのだ。
だが、ふと彼女の背中を見つめた時、ある「異変」に気づいた。
彼女が着ている、慎ましくも清潔だったはずのブラウス。
その背中の部分が、無理やり力任せに引っ張られたかのように、大きく裂けかけていたのだ。布地が悲鳴を上げたような、無惨な引き裂き跡。
「……エアリス、その服……どうしたの? どこかに引っ掛けちゃったの?」
僕の問いに、彼女は微かに首を横に振った。
「……ううん……」
蚊の鳴くような、掠れた声。その一言だけで、僕はすべてを悟った。
彼女が泣いている理由は、不注意による怪我などではない。人為的な、明白な悪意による傷跡なのだ。
コツン、と。
乾いた音を立てて、僕の足元に小さな石ころが転がってきた。
それは偶然飛んできたものではない。明確な殺気……あるいは「玩具を狙う」ような歪んだ意図を持って投げられたものだ。
「ヒヒッ、なんだよ。プラム・ブロッサム家の坊ちゃんが、泣き虫エアリスの仲間か?」
嘲笑う声。
見上げると、そこには三人の男子生徒が立っていた。
僕より二、三歳は年上だろうか。体格は五歳の僕より一回り大きく、その目は自分たちより弱い存在を虐げることでしか満たされない、卑劣な快楽に濁っていた。
(……いじめか)
その言葉が頭をよぎった瞬間、僕の背筋に氷を押し当てられたような戦慄が走った。
かつての僕を追い詰め、命の灯火さえも消し去ろうとした、あの「外の世界の悪意」。
理不尽な暴力、逃げ場のない包囲、集団による人格の否定。
三対一。
その絶望的な構図は、僕の魂の深奥に眠る古傷を激しく疼かせた。
(……僕も、またいじめられるのかな。……ここで逃げ出せば、僕は安全だ。彼らの仲間になって、一緒になって笑えば、僕はターゲットにはならない)
臆病な思考が頭をもたげる。手が震え、足が竦む。
だが、僕の後ろでいまだに嗚咽を漏らしているエアリスの、あの小さな背中を放っておくことなんて、到底できなかった。
彼女は一人で耐えてきたのだ。この冷たい石が投げられる中、服を引き裂かれ、尊厳を傷つけられても、誰にも言えずに、この庭の片隅で。
また一つ、石が飛んできた。
それはエアリスの赤紫色の髪を掠め、地面に落ちる。
いじめっ子たちの笑い声が、さらに高くなる。
「おい、ルーメン! お前も石投げるか? こいつ、泣き顔が面白いんだぜ」
その瞬間、僕の中で何かが弾けた。
それは怒りであり、かつての自分への弔いであり、そして、今世で父ランダルから授かった「剣術」と、リリィ先生から授かった「魔術」という二つの翼が、僕の背中を力強く押し上げた結果だった。
「……やめるんだ」
僕は一歩、エアリスの前に立ちふさがった。
三人の年上を前に、五歳の小さな身体で。
「弱いものいじめは良くないぞ。そんな男が三人もよってたかって、女の子をいじめるんじゃない。恥ずかしくないのか!」
僕の、震えを押し殺した一喝。
三人のいじめっ子たちは、一瞬だけ意外そうに顔を見合わせたが、すぐにその表情は凶暴なものへと変わった。
「あぁん? 生意気なんだよ、お前。ランダル先生の息子だからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「やっちまえ! こいつも一緒に泣かせてやる!」
三人の少年たちが、野獣のような唸り声を上げ、僕に向かって突進してきた。
暴力の嵐が吹き荒れようとするその時。
僕は、自分の身体を流れる膨大な魔力の奔流を、かつてないほどの鋭さで「イメージ」へと変えた。
(――来るなら来い。僕は、もう二度と、悪意に屈したりはしない!)
僕の右手に、白銀の雷光が宿り始める。
それは、五歳にして上位魔法にまで手を伸ばそうとしている僕が放つ、怒りの証明だった。
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