ソアラ編 第四十九章 夢と救い⑤ 選択
身体を起こすと、あの不可解な疲労感は、まだ残っている。
魔力は、完全には戻っていない。けれど、枯渇していた昨日とは違う。
(……エアリスのおかげだ)
その事実を胸に刻み、ルーメンはベッドを降りた。
階段を下りる。台所の匂いが、鼻をくすぐる。
パン。スープ。卵。そして、ピゲトンのソーセージ、三本。
(ここも、同じ)
だが、もう驚かない。むしろ、確信が深まるだけだった。
セリナが、少し慌てた様子で現れる。
「ルーメン、私の髪どめ見てない?」
ルーメンは、一瞬だけ視線を椅子の下に向けた。
(……ある)
分かっている。分かってしまう。
「そこの椅子の下にあるよ」
「え? どこ?」
ルーメンは立ち上がり、椅子の下に手を伸ばす。
「はい、セリナ姉。髪どめ」
差し出すと、セリナは少し目を見開いた。
「あ、ありがとう。よく分かったわね」
その反応は、前回と、寸分違わない。
(……世界は、完全に固定されてる)
だが、それでもいい。
なぜなら、今日は、ここから先が違う。
家を出る前、ルーメンは一度だけ、立ち止まった。
(同じ一日でも)
(選ぶ言葉は、変えられる)
川辺へ向かう足取りは、昨日よりも、はっきりしていた。
逃げない。探らない。向き合う。
今日こそ、この反復の“中心”に、手を伸ばす。
次に待っているのは、変わらない告白。
川の音は、いつも通りだった。
水が石に当たる音。草を揺らす風。陽の光を反射する水面。
すべてが、昨日と、完全に同じ配置でそこにある。
(……やっぱり、ここまでは変えられない)
ルーメンは足を止め、川辺に立つ人影を見つめた。
ソアラだ。
同じ場所。同じ立ち方。同じ、少しだけ緊張を含んだ姿勢。
彼女は、ルーメンに気づくと、安心したように小さく微笑んだ。
その笑顔に、かつて感じていた温もりと、今でははっきり分かる“危うさ”が、同時に重なって見える。
「おはようございます、ルーメン君」
声も同じ。距離感も同じ。
(……でも)
(ここからは、俺が選ぶ)
ソアラが、ほんの少しだけ間を置いて、口を開く。
「今日は、どの魔術を教えてもらえるんですか?」
完全に一致。イントネーションも、視線の動きも、期待を含んだ声の震えも。
(……これが、“固定された始まり”)
胸の奥が、静かに痛んだ。
ルーメンは、これまでと同じように、けれど“考えたうえで”答える。
「……今日は、魔術の練習はしない」
その一言に、ソアラの表情が、わずかに揺れた。
「え……?」
驚き。戸惑い。それでも、不安にはまだ至らない。
「今日は、少し話をしよう」
ルーメンは、川の方へ視線を向けながら続ける。
「二人で。落ち着いて」
ソアラは一瞬、言葉を失ったように見えた。だが、すぐに小さく頷く。
「……分かりました」
声は穏やかだ。拒絶も、警戒もない。
(……ここも、前と同じ反応)
それが分かっていても、ルーメンは歩みを止めなかった。
木の根元まで進み、自然に、そこへ腰を下ろす。
昨日と、同じ場所。
けれど、次に来るものは、同じであってはならない。
川の音が、わずかに遠くなった気がした。
ソアラは、膝の上で手を重ね、一度、深く息を吸う。
そして、ルーメンが、何度も何度も聞いた、あの言葉を語り出す前触れが、確かに、そこにあった。
(来る……)
(同じ告白が)
(でも……)
時間は、まだ進んでいない。
けれど、選択の瞬間は、もう始まっている。
ソアラは、しばらく俯いたまま、指先を絡めるようにして立っていた。
その沈黙さえも、ルーメンには“見覚えがある”。
やがて、彼女は顔を上げる。
その目は、迷いと決意が同時に宿った、あまりにも真っ直ぐな視線だった。
そして、まったく同じ言葉を、同じ順序で、同じ温度で、語り始める。
「ルーメン君って本当に優しいですよね、こんな貧しいわたしを救ってくれて、私が魔術を教えて欲しいって言っておきながら、私は家事に弟たちの面倒に全然時間さえ作ることが出来ませんでした。」
その一言一言が、ルーメンの胸に、重く、しかし優しく落ちてくる。
(……知ってる)
(全部、知ってる言葉だ)
けれど、何度聞いても、その背景にある日々の重さは変わらない。
「それでもルーメン君は諦めずに私の辛い環境から救い出してくれました。」
ソアラの声は、少しだけ強くなる。
誇りでも、演技でもない。
ただ、救われたという事実だけが、そこにある。
(……俺は、手を差し伸べただけだ)
(でも、この人にとっては……)
「本当にルーメン君は優しいんだなって、私の心には1つの明るい希望の光がてらされたんですよ」
その言葉に、ルーメンの喉が、わずかに詰まる。
希望。
それは、人を前に進ませる言葉であり、同時に、人を縛る言葉にもなり得る。
「そして、だめな私をこんなに魔術ができるようにしてくれて、本当に惚れ惚れです。」
彼女は、照れるように、それでも逃げずに言い切る。
(……それでも、だめじゃない)
(最初から、そうだった)
「私、今、人生の中で一番幸せな時間を過ごせています。」
その一文が、この反復の“中心”に、はっきりと触れた。
(……ここだ)
(ここで、世界が止まってる)
「ルーメン君とのこんな幸せな日々がずっと終わらなければいいのにって、」
ソアラの声は、ほとんど祈りに近かった。
未来を望む言葉なのに、その実、時間を止める願いになっている。
「ルーメン君が私の傍にいてくれたら、私、きっともっと幸せになれると思うんです。」
逃げも、含みもない。ただの、真実。
ソアラは、ルーメンの答えを待っている。
何度も何度も、同じ場所で、同じ言葉を言い、同じ結末へ辿り着いてきた。
けれど、今回は、俺が、選ぶ




