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ソアラ編 第四十八章 ブライトヒーリングの繰り返し⑤ 変わらない焦り

結論に辿り着いたはずなのに、世界は、何も変わらなかった。

翌朝。目を開けた瞬間、ルーメンは「まただ」と思った。

扉の向こうから、聞こえてくる声。


「ルーメン, そろそろ起きてきなさい」

もはや、驚きはない。だが、慣れたくはなかった。

(……何度目だ)

階段を下り、食卓に着く。

ピゲトンのソーセージは、やはり三本。

数えなくても分かる。

視線を向けた瞬間に、もう理解してしまう。

セリナの足音。少し焦った気配。

「ルーメン、私の髪どめ見てない?」

昨日も、その前も、同じ問いだった。

今回は、答えを変えた。

「……椅子の下にあるよ」

セリナは一瞬きょとんとして、すぐに首を傾げる。

「え? どこ?」

ルーメンは立ち上がり、言った通り、椅子の下に手を伸ばす。

あった。指先に触れる、馴染みのある感触。

「はい、セリナ姉。髪どめ」

差し出すと、セリナは少し驚いた顔で受け取った。

「あ、ありがとう。よく分かったわね」

その反応だけは、ほんの少しだけ“新しかった”。

だが、それ以上の変化は、起きない。


時間は進み、結局、ルーメンは家を出る。

川辺へ向かう道。何度も変えたはずの道順。意味を持たなくなった試行。

そして、川辺。

そこには、変わらずソアラだけが立っていた。

同じ場所。同じ立ち方。同じ距離。

「今日はどの魔術を教えてもらえるんですか?」

また、同じ台詞。

胸の奥で、焦りが、はっきりとした形を持ち始める。

(……どこまでやっても、駄目か)

魔術を変えても。距離を変えても。言葉を変えても。

一日の終わりは、必ず同じ場所に辿り着く。

練習。魔力切れ。


「二人で魔術の練習するのも、いいですね」

その声は穏やかで、どこか満足そうでもあった。

「明日も、ルーメン君と魔術の練習するのを、待っておくわ」

結局、同じだ。

すべてが、“正しい配置”へ引き戻される。

(……閉じてる)

この世界は、外から壊せない。

どれだけ動いても、どれだけ抗っても、枠の内側でしか、許されていない。

それが分かった瞬間、ルーメンの中に、初めてはっきりとした感情が生まれた。

焦り。時間があるはずなのに、時間が進まない。

同じ一日を繰り返すたび、“考える余地”だけが、削られていく。

(……このままだと)

(俺は、ここに留まる)

理由は分からない。原因も、まだ掴めない。

だが、一つだけ確かなことがあった。

(この反復は――)

(誰かの意思に、触れている)

そうでなければ、ここまで“綺麗”に、同じ結末にはならない。

ルーメンは、川の流れを見つめながら、静かに拳を握った。

次は、逃げ道を探すのではない。

(……向き合うしかない)

この日を繰り返している“中心”に。

そう決めた瞬間、胸の奥で、何かが音を立てて軋んだ。



そのあとの日の終わりも、やはり、同じだった。

川辺での練習は、結局いつもと同じ流れに収束する。

魔術の種類を変えても、指導の順番を崩しても、細かな言葉遣いを意識して変えても。

ソアラは、きちんと集中し、きちんと魔力を使い切り、そして。

「……はぁ……」

最後の詠唱を終えた瞬間、ソアラは大きく息を吐き、その場に力を抜く。

魔力切れ。それが、誰の目にも分かる仕草だった。

「今日は……ここまで、ですね」

小さく笑いながらそう言う姿も、何度も見たはずの光景。

疲れているはずなのに、無理をした様子はない。

“やり切ったあとの疲労”だけが、静かに残っている。

ルーメンは頷く。

「うん。今日は十分だよ」

その言葉さえ、もう新鮮さを失っていた。

ソアラは一度、川の流れに視線を向ける。

水面がきらりと光り、風が髪を揺らす。

それから、ゆっくりとこちらを振り返った。


「二人で魔術の練習するのも、いいですね」

穏やかで、どこか満ち足りた声。

その表情には、疑いも、不安も、影もない。

そして、必ず、続く言葉。

「明日も、ルーメン君と魔術の練習するのを、待っておくわ」

その瞬間、ルーメンの胸の奥で、何かが確かに“引っかかった”。

(……明日も)

それは、別れの挨拶としては、あまりに自然だ。

だが、繰り返される世界の中で聞くと、

その言葉は、意味を変えて響く。

偶然ではない。癖でもない。無意識の口癖とも、思えない。


(……この言葉だ)

これまで、何度も同じ日をやり直してきた。

朝の始まり。家の中。道。川辺。どれも変わらなかった。

だが、一日の終わりに必ず置かれる、この言葉だけは、いつも、同じ位置で、同じ強さで、同じ温度で、そこにあった。

「明日も、ルーメン君と魔術の練習するのを、待っておくわ」

それは、“約束”のようでもあり、“確認”のようでもあり、

そして“固定”するための言葉のようにも聞こえた。

ソアラは軽く頭を下げ、そのまま川辺を後にする。

その背中を見送りながら、ルーメンは、はっきりと理解する。

(……この反復は)

(この言葉を中心に、回っている)

原因は、まだ見えない。だが、“影”は見えた。

同じ日を閉じているものは、場所でも、時間でもない。

一日の終わりに、必ず置かれるソアラの、あの一言。

ルーメンは、深く息を吐いた。

次に取るべき行動は、もう、ほとんど決まっていた。

“明日”を繰り返させないために。

必要なのは、同じ言葉をなぞることではない。

その言葉が生まれる前に、世界の流れそのものを、変えることだった。



翌朝も、世界は同じ顔をして始まった。

母の声。差し込む光。身体の軽さ。

すべてが、もう驚くに値しない。

(……今日も、戻ってきた)

ルーメンは、布団の中で天井を見つめたまま、しばらく動かなかった。

起きるタイミングさえ、これまでと同じにしてはいけない気がした。


だが、どれだけ考えても、“朝そのもの”を変えることはできない。

(変えるべきなのは、始まりじゃない)

(……終わりだ)

いや、正確には、その途中。

いつも通り川辺へ行き、いつも通り魔術を教え、いつも通り一日を閉じてしまう。

その流れを、自分の手で断ち切らなければならない。

食卓に並ぶ、ソーセージ三本。セリナの気配。すべてを横目に見ながら、ルーメンは静かに決めていた。

(今日は、練習をしない)

それは、これまでの試行錯誤の中で、一度も真正面から選ばなかった選択だった。

魔術を変えたことはある。道を変えたこともある。言葉を変えたこともある。

だが「練習そのものをやめる」という発想だけは、どこか無意識に避けていた。

(……逃げてたのかもしれない)

教えること。導くこと。役割を果たすこと。

それらを手放すのは、怖かった。

だが、今は違う。


(ここで変えなきゃ、何も変わらない)

家を出る足取りは、これまでよりも遅い。だが、迷いはなかった。

川辺へ向かう道。何度も歩いたはずの景色が、今日は少しだけ、違って見えた。

いや。違って見えているのは、自分のほうだ。

川辺に着くと、そこには、いつも通りのソアラが立っていた。

同じ場所。同じ距離。同じ、待つ姿。

「今日はどの魔術を教えてもらえるんですか?」


その問いが、投げかけられる前から、ルーメンは答えを決めていた。

深く息を吸い、いつもの流れを断ち切るように、言う。

「今日は、魔術の練習は、休もう」

「えっ……」

言葉は、はっきりと空気を切った。

川の音だけが、その場に残る。

これまで何度も繰り返された一日で、

初めて発せられた言葉。

“決められた流れ”から外れた、完全に新しい選択。

ソアラは、すぐには答えなかった。

その沈黙が、これまでとは違う重さを持っていることを、ルーメンははっきりと感じ取っていた。

(……ここからだ)

この選択が、反復を壊すのか。それとも、さらに深く絡め取るのか。

ルーメンは、逃げずに立っていた。

“練習をしない”という、たったそれだけの行動が、この世界に何をもたらすのか。

それを確かめるために。


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