第七章 7.2:雨音はフーリエの調べ
7.2
宇治駅のスクールバスの列は、広場の半ばまで伸びていた。湿ったブレザーの列に加わるのを避け、俺は川沿いの徒歩ルートへと折れた。学校までおよそ十三分ほどの歩きだ。中留めリングを押し上げると、重く鈍い音とともに傘が大きく開いた。黒い強化ナイロンに銀色の紋章があしらわれた、如月家の異様なほど大きな傘。
頭上のナイロンの天蓋には、雨粒が絶え間なく打ちつけていた。表参道の石畳へと曲がると、濡れた川風の中にほうじ茶の豊かな香りが漂ってきた。
「神崎——」
雨にかき消され、わずかにくぐもった声が背後から呼びかけた。足を止めて振り向きかけた瞬間、肩がスポーツバッグの端にぶつかった。
「歩くの、速すぎだよ」彼女はこめかみについた雨粒を拭き取った。
「一気に詰め寄ってきたんだから」
「最初、あなただとは思わなかったもの」彼女は頭上の布地を見上げた。「あれでちょっと意表を突かれたわ」
柄を少し持ち上げ、彼女の頭上を覆う範囲を広げた。「二人分くらいの余裕はあるさ」
内田は小さく頷き、その乾いた空間へと歩み入った。
「バドミントン?」俺は彼女のスポーツバッグに目をやった。
「うん……部活」
「感心だな。数研部とバドミントンを掛け持ちして、時間は足りるのか?」
「どうにかやり繰りしてる……バドミントンがなかったら、私、ここにすら残っていられなかったから」彼女は苦笑いを浮かべた。
「それなら、なぜ数研部になど入った?」
「……」
「すまない、今の質問は忘れてくれ」風にあおられないよう傘の金属グリップを握り直しつつ、俺は言葉を足した。「悪かった、踏み込みすぎた」
「ううん……ただ、うまく答えられないだけ」彼女は視線を落とし、じっと自分の足元を見つめた。
「言い方を変えよう。あの部室は、学園で唯一、誰もトーナメントの勝ち負けで大声を上げない静かな場所だからか?」
彼女の唇からふっと笑い声が漏れた。「うん……大体そんなところかな……それに、あかりの存在や、数学研究部の雰囲気が好きなのも本当だよ」
「俺の存在がその空間を乱していないといいが」
「ううん、全然」彼女はバッグのストラップを強く握りしめた。「神崎くんがいると、むしろ安心するの。私は幽玄学園のストレート組じゃない。去年の転入生だし……」
「冗談さ、内田。そんなに身構えなくていい」
俺の声の調子と表情をうかがうように見上げてから、彼女はほっとした様子で微笑んで頷いた。いつもの内田の顔に戻っていた。
「変な人だな、神崎くん。最初に見かけたときは、もっと冷淡で近寄りがたい優等生タイプだと思ってた」
「期待外れだったか?」
「ぶっちゃけ、部員にもっと男子がいると思ってたから」
「だろうな」
「以前はもっといたさ。桜井みたいなのがな」
「桜井弘樹? 知ってるの?」
「個人的にはね。私たちは完全に違う軌道で動いている。もっとも、女子の間では人気があるようだがな」
「もう嫌いになりそう」
彼女は声を立てて笑った。「そういうこと、気にするんだ?」
「高くつく趣味だな」
彼女はおなかを抱え、冷えた空気の中に笑い声を響かせた。
「部といえば」急な坂道を上りながら、俺は切り出した。「君はこれまでの経緯の全貌を知っているか? 如月のノートを読んだことは?」
内田の顔から笑みが消えた。「一通り目を通した程度。細かいことは知らないわ。大会の失格騒ぎとか、解答用紙の流出に関する噂くらい。もっとも、大して気にも留めなかったけど。あかりは勝つために不正なんてする必要のない人だしね」
彼女はそこで言葉を区切り、少し声を潜めた。「時々、あかりみたいになりたいって思ってしまう……でも、それじゃ駄目なんだよね」
俺もかつて、同じ愚を犯したことがあった。相手の輝かしい部分だけを見て、その裏にある重荷や失敗、犠牲を見落とした過ち。上ばかり見て比べることの危うさは、まさにそこにあった。
「君には君のリズムがある、内田。あの研究室の席に座っているという事実そのものが、他人の答えではなく、君自身の答えを探している証拠だ」
内田は静かに頷いた。「うちの両親にも、その理屈が分かればいいのに」
幽玄学園の重厚な門に近づくにつれ、朝の人混みは色の濃い制服と傘の密集した流れへと変わっていった。周囲からの視線が集まり、普段頼りにしている静かな匿名性が効かなくなっていく。門柱のそばで、スポーツバッグと半透明のビニール傘を持った三人の生徒が俺たちに気づいた。
——美波ちゃんだ。
「おはよ、みんな」内田はそう声をかけ、少し前へと歩み出た。
彼らは足を緩め、内田から俺へと視線を滑らせ、そして俺の傘にある家紋へと目を留めた。
「こちらは数学研究部の神崎くん」
「神崎くん、こっちは部活の仲間で、千尋、美織、そして直樹」
俺は軽く会釈を返した。
「今週、当番を代わってくれてありがとう、神崎くん」内田は黒い天蓋の下から抜け出し、チームメイトの共有する傘へと移動しながら言った。「また午後に」
彼らが歩き去っていく中、千尋が内田の耳元に身を寄せ、何かを囁きかけた。その傍らで、直樹という男子はヒソヒソ話に加わらなかった。両手をジャケットのポケットに深く突っ込んだまま、肩越しに俺を凝視し、特に傘の家紋へ視線を留めてから背中を向けた。
俺は手を伸ばし、中留めリングを引き下ろした。黒い生地が縮み、銀色の紋章を内側へと折りたたんで視界から消し去る。そのまま彼らを追い越して進み、正面玄関のコンクリート階段へ視線を固定した。




