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21 倉本

 田淵や轍の感情がいつもより大きく振れているのも、本物の野瀬がもういないことをわかっているからだ。わかっていて、口にできない。

 轍と男は向かい合って一触即発な空気を醸し出しているが、至って冷静だった。

 沖島も冷静だ。


「さて、君の答えは?」


 仕方がないので、間に割って入る。

 二人は沖島の方を、同じような顔で見た。

 怜悧な目。誰かに仕えている覚悟と自尊心を持っている目。

 男は覚悟を決めている。


「行きます」

「そうこなくっちゃあな」


 轍はふわりと地に足を着けて、沖島にそっと肩を寄せた。


「二十四時間ある。筒木を今夜出す」

「助かるよ」

「悪い」


 轍の泣き黒子が、さっと前髪に隠れる。

 責任感が強すぎるのも、なんとも気苦労しそうだ。

 沖島は小さな頭に手を添えて、ぐしゃぐしゃとなで回した。一気に不機嫌な目が向けられる。


「行くぞ」


 轍は振り返って、両手の拳を握って突っ立っている男を見た。じっと彼を見ているので、沖島は、ああ、と軽く手をさしのべた。


「彼、倉本(くらもと)くん。倉本昌伸だよ」


 野瀬ではなく、倉本はぎょっとした顔で沖島を睨んだ。

 その表情で嘘ではないとわかったのか、轍がはいはいと頷く。


「ほいじゃあ倉本、行くぞ」

「轍、外でそれはまずいかもしれないよ」

「臨機応変」

「良い言葉だ」

「だろ。じゃあな」


 轍はシロにも挨拶をすませ、先に引き戸に手をかけた。

 倉本はちらりと沖島の方を気にしていたが、沖島はにっこり笑って渋々出て行く倉本の緊張した背中を見送り、戻ってきた田淵に煮魚定食を頼んで一息ついた。











「あの人は、なんなんです」


 倉本はそう口にしていた。

 目の前を歩く小柄な少年――轍は、ちっともこちらを振り返らない。

 年の頃は十二くらいだと思うが、倉本の知っている少年というものとはあまりにもかけ離れた振る舞いだった。


 そしてもっと異様なのは、轍が町の人間に話しかけると、彼らは皆子供のような顔で無邪気に返事をするのだ。


 誰にとっても兄。


 沖島はそう言っていたが、聞いてしまった今、そんな光景を前にして納得できてしまったことが、不安でしょうがなかった。

 宙に浮くことも、子供らしからぬ目で虫けらのように見下ろされたことも、田淵と似たように蔑んで見られていることもわかっている。七十五年以上前からこのまま生きているらしいのも、事実としては脳の一部で認識した。が、あくまで実感は伴っていなかった。


 しかし、前を歩く轍に、身体のどこかが、おかしな振る舞いを決してするなと警鐘を鳴らしている。彼の一歩でも前を歩くことを、全身が恐れをなして拒否している。今まで感じたことのない「畏怖」を、倉本は初めて感じ、そのことに驚いていた。


 緊張している。


 上官の佐藤に呼び出された席に、さらにその上の名前しか知らぬ者たちに囲まれて、瓦町行きを打診されたときでさえ、背筋の伸びる思いはしたが、こんなにも緊張してはいなかった。もっとも、そういう性質を見抜かれて送り込まれたのだが。


 倉本は、足元を見ながら轍との距離を測ってついていっていた。


 瓦町に来て五年になる。

 一年目は、朝起きることに大変苦労をした。一日中夜なんぞ想像できなかったが、足を踏み入れた途端に、鬱蒼とした空気に浮かぶ目映い提灯の行列を見て、自分の常識を捨てなければ、と密かに気合いを入れ直した。


 野瀬の店を継いだと挨拶周りをし、そこに無事に収まって一ヶ月。朝か夜かわからない生活が続いて身体は慣れず、目の下に隈を拵え続ける日々だった。それを悟られまいと毎朝目の下にコンシーラーを塗りたくり、気づかれぬように店からもなるべく出ず、生きていくための買い出しには、愛想のいい挨拶はそこそこにして食材を買いだめし、毎日コーヒーの豆を挽くことに徹していた。どうしてかそれが、周りに受け入れられることになるとは思っても見なかった。


 どうやら、外で育ったのに、淡々と瓦町で過ごしているように見え、そこが評価されたらしかった。

 なるほど、この町の住人は陽気で和気藹々などという言葉からは一番遠くにいるらしく、馴れ馴れしくすると一気に警戒されたのかもしれない。


 幸か不幸か、入り込んで必死に夜に身体を馴染ませている間に「野瀬の孫」という看板を疑問を持たせずに定着することができた。


 二年目、三年目、と、報告の義務はなく、とにかく慎重に五年は連絡をしてくれるなと念を押されていたので、すっかり忘れそうになる瞬間もあった。

 そのたびに、倉本は他人の家の仏壇の前に座って懺悔を繰り返した。

 勝手に上がり込んですみません、名前を借りて申し訳ありません。孝を、あんなところで眠らせたままにしてすみません――


 繰り返すことで、この町に絆されずにすんだ。

 五年という言葉を忘れずにすんだ。


 毎日、送信することないメールに、報告を書き込むことで、自分の本当の名前を忘れずにすんだ。


 しかし、五年経っても、連絡はこない。

 あんなにも上を巻き込んで潜入させたことを忘れているなんてことはないだろうが、ならばまぜ連絡をしてこないのか。それがわかるまではこちらから連絡するべきではないだろうと思って、パソコンの入ったキャリーケースを開いては時計だけを眺めて終えるという日々が続いていた。


 微妙に焦っていたのかもしれない。


 未だによくわからない、沖島という男に、苦し紛れに時計を探してほしいと頼んでしまった。

 彼はいつもふらふらと散歩をしている。

 長髪を結った着流し姿で、この町では珍しいという猫――この界隈では動物が住み着かないので、ケモノと呼ばれるらしい――を連れて、寺の方で居を構えているらしく、そこは猫屋敷と呼ばれていた。


 誰からも先生と呼ばれる割にはなにをしているのかよくわからなかったが、周辺とコミュニケーションをとるようになって、彼が探し物の名人であることを聞いた。人でも物でも必ず探し出してくれるんだそうだ。


 倉本はなんとなく、風変わりな男であると認識していた。

 それがいつからか目に付くようになって、どうしてだろうと思って静かに店の中から観察していると、男は適当に結った髪をばらつかせながら、空を仰いだ。

 ほんの一瞬。

 夜空を見上げて、何かを探した。


 ああ、あの人は太陽を探しているのだ。

 倉本は、直感に何の疑いも持たなかった。

 沖島は外からきた人間だ。


「なんか言ったか?」


 轍が自分に言っているのだと気づいたのは、足を止めたからだった。次いで、ちらりと視線が向けられる。

 倉本はびくりと身体を揺らす手前で、なんとか堪えた。

 しかし気づいたのだろう。轍は薄く笑って再び歩き始めた。


「あの人は」


 倉本がついて行きながら、尋ねる。

 聞き返してきたのだから、答えてくれるのかもしれない。


「あの人は、なんなんです」


 田淵がよくわからない理屈で長く生きていることは、写真という目の逸らしようのない証拠を前にして飲み込むざるを得なかったし、轍という少年の皮をかぶったそうではないものに対しては、イヤと叫び出したくなるほど「未知の生物」だと感じていた。

 しかし沖島だけは説明もされぬまま、むしろ誰よりも穏やかに見送られてしまった。


「あー、あれね」


 轍は世間話のように返してきた。住民の前だからか、さっきまで身を包んでいた気迫は感じない。

 いくつも潜入を繰り返してきたのに、こんなに一挙手一投足に過敏に反応する自分を問いただしたくてたまらなかった。なんでお前はこんなに、小さな子供に怯えているのか。


「あれは、可哀想な男ってところかな」


 轍が小さく笑った気配がした。

 倉本はその後頭部をじっと見つめる。

 今、轍の言葉には蔑んでいるようで、深く悲しみを伴った同情が浮かんでいた。相反するその感情は、どこからくるのだろうか。

 倉本は口を開いていた。


「可哀想、ですか」

「そうそう、可哀想なの。あれはここで初めて愛し愛され捨てられて、さらに烈火のごとく冷めない怒りを受けて、永遠にここから出ることは許されないんだわ。な、可哀想だろ」


 轍は、昨日見聞きした話を暇つぶしに聞かせるように言った。

 あまりにも軽快な口調なので、その内容が頭に入ってこないほどだった。

 しかし、それが嘘ではないのはわかった。

 ぱっと轍が振り返る。


「まあ、あれを理解しようとするのはやめるんだな。今もきっついお仕置きの最中だから」

「はあ」


 そうとしか返事をする事はできず、気づけば両脇に石灯籠の光がぼんやりと光っていた。



 突然、汗がどっと吹き出す。



 背中にシャツが張り付く嫌な感覚がして、自分の足が止まっていることに気づいた。

 顔を上げることもできない。

 どうしてこんなにも、落ち着きのないそわそわした気分になるのか。倉本は手を握りしめることでなんとか耐える。


 この先に出向いたことは五回ほどあった。

 どうやってここに来ていたのか、思い出せない。最初に参加した祭祀は、瓦町に身体も心もようやく慣れた、半年後だった。そのころには顔見知りも増え、祭祀というものがどんなものなのかを伝え聞いていた。


 年に一度社へと赴き、舞殿で今年の巫女とされる少女が、この町伝統の舞を披露して甘酒が振る舞われるという。


 倉本の知っている「祭り」よりもずいぶんと奥ゆかしい小さな催しだったが、住民がいつもよりも顔を晴れやかにして行くのだから、倉本もどこかその気配に当てられたのを覚えている。顔なじみとなった近所の店を仕切る老人や、その子供たちと和気藹々と話しながら、巫女が黒い布を翻し、小さな花を舞い散らせる光景を見て、自分になかった信心がほんのりと灯ったことも、よく覚えている。


 今年もなにも変わらず、いつもと同じように、この日だけはほんの少し内面の熱気を顕わにした住人たちと同じ温度で、社を詣で、甘酒を味わったはずだった。



 そのときに、こんな圧を感じたことはない。



 住人は、祭祀や例外をのぞいて決して近寄らない。

 その意味を、初めてこうして近寄って、倉本は思い知った。

 なんて恐れ多いことか。

 動かない倉本にしびれを切らした轍が前に立つと、それがやわらかに緩和される。


 逃げられない。


 轍が壁となっているが、逃げ出すとなれば、それに背を向けなければならない。そして、彼がこれ以上離れていけば、また頭上から響いてくるような不穏なそれを全身で受けなければならない。 


 轍が足を一歩出せば、倉本も一歩出す。

 そうしてのろのろと引き連れて行かれるように、社へ一歩一歩近づいて行く。

 倉本は、これ以上のプレッシャーが、奥座敷と呼ばれる牢の中で自分の身に降りかかることなど、想像だにしていなかった。



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