一
「俺」は先程書いたように亜希の本心のことで、「私」は「俺」の考える愛されるような性格のことです。
誰かに注目されたい、愛されたい。そんなメンヘラ的思考が「私」を創り出したんです。
「私」に身体を渡したのは小学生一年生になって数ヶ月した頃だったはず。でも、「俺」が現れることも知らない間にあります。
「俺」はもっと構ってほしくて、「私」が知らない間に、無意識に何かをしていました。
例えば、小四の時からはリストカット。小五からは薬の過剰摂取――オーバドーズにまで手を出した。リスカをすれば自分が頑張った証が腕に現れてくれるし、オーバードーズをすれば死ねるかも、なんて甘い考えで。
でも、いざ見つかると言い訳をしてしまうもので。
小四の夏から始めていたリスカ。その冬、秋田の田舎の温泉で、母親に見つかりました。母は、
「なにこれ、リストカット?」と声を荒げて言ってきました。
ゾクゾクしました。心の底から恐怖心といえばいいのか、歓喜といえばいいのか、どちらでもあるような、何とも言えないものが湧いてくるような気がしました。
でも「私」は明るい子で、愛されるような子じゃないといけないから、リスカしてちゃいけない、と思って、咄嗟に、
「ちがうよ、転んで怪我したの、心配しないで」
と言った。母は納得してくれた。「私」のドジ、という性格が母に認識されていました。
ドジな性格は一年生の後半から培ってきたものでした。
私は一年生のころ、秋田の田舎の、屋根が目立つ色をした校舎に通っていました。一〜六年生を合わせても、二百人も居ず、二クラスあるところは、特別学級があるところだけの、人が少ないところでした。
一年生のときはよく転んでみました。勉強も、親にも隠れて必死に努力して。夏休み後半になると親の前で勉強して、それほど勉強してなかった、という体を装って(それは中学生になった今でもしています)。
そうやって夏休み明けのテストを受け、良い点数を取ると、親はこぞって、やれ、「うちの子は天才だ」だの「お姉ちゃんより素質がある」だの言ってきました。
此処でも「お姉ちゃん」。良い加減、勘弁してほしかったし、私も俺も、天才でないのです。そもそも天才とは、生まれ持った優れた才能のことで、私達が姉に全部持っていかれたものなのです。
私が、俺が努力したことに気づいてほしい。なら、親の前で勉強しろ、と思うかもしれないけれど、隠れて勉強して、勉強してない体を装っての良い点数、の方が親に構われやすかったので、私はその汚い手を使っていました。
二年生。子どもの数が少なくなったので、その校舎は廃校になりました。私は、小学生と中学生が共学する、小中一貫校に移動しました。何とも味気ない、ありきたりな校舎で、唯一の特徴といえば130mはあるだろうか、そんな廊下がある程度です。
私は、口を少し悪くしてみました。この年から、面談で毎年、口が悪い、と注意されるようになりました。
何故口を悪くしたのか。それはもちろん、構われる為の行為でした。周りのクラスメイトも口が悪く、その人達と仲良くもなることができました。
よく転ぶ性格を作ったおかげで、皆から「大丈夫?」とよく言われるようになりました。何とも言えない、とても愉快な気分でした。
でも、「俺」はそれが人間の偽善の心のマニュアルに過ぎないことを知っていて。その「大丈夫?」に優しさなんかこもってるわけがないのです。
「やらない善よりやる偽善」という言葉を聞いたことがあるけど、やる偽善も心にのしかかってくる事だってあるのです。偽善なんか、この世から消えて無くなればいい。
私達は、そんな捻くれた考えをするようになったころから、心の底から、人を信用できなくなりました。
「君を信用して言ってるんだよ」という言葉も、私達が心の底から信用してなくても言える事を言っているだけで、うちに秘めた思いなんて誰にも言えやしません。
三年生。このころに、「私」と「俺」に、共通の趣味ができました。「ヲタ活」というものです。
フィギュアを集めてみたり、漫画を買ってみたり、アニメを漁ったり、流行りのものには乗らず、ただ好きなものを見ていました。終いには専門店に行ってグッズを買いました。そんな事をしているときは、表面上は偽るけど、心は偽らなくていいから、幾分か楽になった気がしていました。
同時に、陸上部に入りました。うちの学校のではなく、そこら一帯の地区の子が集まってやるもので、知っている人は一学年上の同じ学校の人だけ。友達(と呼んでいいのかは分かりません)は三人できましたが、やはり私より同じ学校の人とばかり話していました。当然なんです。でも、その場には私達の居場所なんかなくて、姉がしていた事だから私に親がやらせた事でしたが、苦痛でしかなかったです。どこにも、私達の居場所が確立していなくて、もう、心なんか捨てちゃった方がいいのでは、と考える程には。
四年生。この時のF先生は優しかったです。そんなに覚えていないけれども。
そのころ、私にはにきびがたくさんできていて、クラスの男子によく笑われていました。顔面クレーター、だの、ニキビマン、だの。私だって、好きでできたわけでもないのに。聞き流せばいいものを、私達は間に受けてしまいました。髪を引っ張って抜いたり、爪や指を噛んだりが増えました。おかげで、指はささくれみたいに皮が剥がれているところが多くなっていました。食欲も増して、太ってきたような気がしました。何でも食べて、食べて、食べて。
運動会(だった筈です)の後、頑張ったね、と言って皆にアイスを差し入れしていました。一口、ひんやりとしたアイスが口に入ると、本当にひんやりと、しか感じませんでした。味を、あまり感じなくなってしまったのです。
何故味を感じなくなってしまったのか?今でもわかっていませんが、それはきっと、気付かないうちにそういう五感も偽っていたのではないか、と思っています。
それに気付いてからは、大好きだった筈の唐揚げも、カレーも何もかも美味しく感じなくなってしまいました。でも、何も食べないと怪しまれるから、愛想よく、これ食べたい、あれ食べたい、美味しい、また作って、辛い、甘い、すっぱい、そんな事を言っていました。吐きそうになりながら一口一口食べていました。
この秋、私は、陸上をやめました。居場所が無かったから、という理由と、父に失望されたからです。
一番最後に行ったのは記録会の日で、しかし、そこで良い結果を出せなかったのです。
失望されないように努力したつもりでしたが、何せ、その記録会の前の何回かの陸上に行けてなかったのが原因の一つでしょうが、父はそんな言葉には耳を傾けず、
「もうお前陸上やめろ」と言ったのでした。
こんなことがあってからは、今になっても、「お前ももっと頑張れば運動できた」と言われます。私はそう言われるのが嫌いで、父が嫌いになってきました。
父が公務員の仕事をして、頑張って働いて生計を立ててくれているのは分かります。けれども、そうだとしても、また、私に姉と同じものを求めているのだ、と思ってしまいました。




