第3話 市民的抵抗活動
湾口地区南六番隊の支部は社交クラブのような瀟洒な建物だったが、掃除を全員がサボりがちなのでほこりっぽく、蜘蛛の巣が散見された。
ハイネマン隊長は愚痴っぽくて思い込みが激しく、常に草臥れた表情の、典型的なリンダリア人といった風情の人物だ。特に西側の帝国民はこの傾向が強く、日々最近の若者は、だの、最近の年寄りは、だの、口を開けば誰かを揶揄する。銀縁の眼鏡をかけ鋭い目をした、ともすれば才女めいた外見のハイネマンはこの日、部下の青年シガードに散々最近のお笑い芸人は笑いを分かってない、と一演説ぶち露骨に疎ましがられた。
「まあ隊長のおっしゃることは分かりますよ。ぼくだって最近流行の一発ギャグとかそこまで面白いと思えないし。だけど、結局そいつがウケてるってんなら、何か大衆の心をつかむ要素があるってわけで、結局のところ個人的なセンスの問題ですよね」と一般論に落とし込み話を打ち切ろうとしたシガードだが、
「違う。やつらの笑いにはセンスがない。洗練がない。それで笑っている愚民も同じだと私は言っているのだ」隊長は力強く断ずる。「そんな害悪が我が帝国を腐敗させているのにお前は何も思わないのか? いや、芸能界だけではない。大衆文学、教育、医療と福祉、すべて帝国の文化の腐敗が色濃く出ている。これは人民の自覚のなさが生んだどん詰まり。黄昏だ。なぜこうなったか分かるか?」
「えー、そうですね、やはり不景気のせいですか?」
「違う! これもまた〈浄化機構〉の陰謀なのだ!」
宣言する隊長を見てシガードは、また始まったか、と内心げんなりした。〈浄化機構〉とは、隊長が今日の帝国における諸悪の根源としている架空の団体で、その設定は毎回変わり続けているが、おおむね少数の権力者が、彼らの望む世界と反する人民を粛清するため作り上げた組織、という点は共通していた。隊長はこの日も巨大軍需産業がどうとか、広告に潜むサブリミナルがどうとか熱弁した。
「そういうわけで芸能界は完全に浄化機構の手の者が支配し、国民も無意識に彼らの望むままに行動しているという点は理解したな、シガード」
「はい、しました」
「奴らに対抗するには呪いを制御しなくてはいけない。この大いなる力すら浄化機構の手に落ちれば破滅が待っているのは必然だ。我々解呪師こそが最後の砦、救世主なのだ」
「仰る通りです」何だかんだで仕事上では意識が高いのが、彼女が隊長たる理由だった。
「すいません」入り口から声がした。「こちら南六番隊の支部で間違いないですか」
シガードが見に行くと、不健康そうな黒髪の少女がいた。最年少のジェシカと同じくらいで、猫背、眠そうな目をしている。
「はい、仕事のご依頼ですか?」
「まあそうなんですけどコールセンターにかけたらもう今週で六回目なので直接支部に行って欲しいって言われました。なんか書類作成とかで」
「ああ、ひょっとしてあなたがボマーさんですか」
「はい、エイダ・ボマーさんです」
「かしこまりました、こっちへどうぞ。隊長、ボマーさんが来てます」
「そうか。座ってくれ」
促されるままに椅子に腰掛けたエイダは「汚いですね」と率直に室内の感想を述べる。
「我が怠惰な部下たちにそう言ってやってくれ。ボマーさん、単刀直入に申し上げるがあなたは」隊長は畏まった顔で眼鏡を押さえて言う。「災禍誘発体質の可能性が高い。つまり呪いを引き寄せる体質だ。ときにあなたは学生?」
「いえ、学業にも労働にも従事していません。高等遊民です。親の金で遊んでます」エイダは自信に満ちた声で告げる。
「ああ、そうか……まあなら問題なかろうが、毎度我々への支払いも負担だろうということで、誘発体質と認定されると補助金があてがわれるから安心してくれ。そしてもう一つ、この体質になると、人によっては段階的に呪いへの強い抵抗力を発揮していく場合があって、そうすると解呪師になるという道も開けてくるわけだ。あなたに働く気があればだが」
「ないです。黙っててもお金が入ってくるので労働する必要はありません」
「羨ましいな」苦笑いしながらシガードが呟いた。
「そう。ですが誘発体質認定のために簡単な検査は受けてもらいます。その結果次第だけど、非常な抵抗力があれば大きな戦力として有望なので、週一か二くらいで入ってもらえると嬉しいのだが。まあ、それは追々。さて、あなたの受け持ちである我が隊とはこれから長い付き合いになるだろうから、重要な話をしておく必要がある。ボマーさん、いやエイダ。現代社会には何者かの意思が介入していると思ったことはないか? 人民の意志に指向性が存在すると気づいたことは? これはすべてある機関の働きかけに拠るものなんだ……」
「はあ」
「隊長、ぼくはこの辺で失礼を……」早くも熱弁により汗をかきはじめているハイネマンを尻目に、シガードはそそくさと退散した。