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逆行した王子はこうして死ぬ  作者: なるのるな
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第6話 マウクトの手

 ◆◆◆



 王都には、歴史ある古き貴族家が邸宅を構える地区とは別に、比較的新興の貴族らが多く住まう地区がある。


 もともとは、一代貴族や商売で成功した平民などが住まう場所だった。


 だが――今では、少々事情が違う。


 以前には見られなかった、出自の怪しい者らが、平気な顔をして大通りを闊歩している。


 さる貴族家名義にて、かなりの金額の取引があるものの、商家の者は、誰もその貴族家の当主を見たことがない。


 いつの間にか、禁制の魔導具が密かに流通しており、出処の怪しい薬も見つかる。


 また、正規の流通から外れた酒や煙草が摘発されることも増えていた。


 そこはかとなく漂う退廃的な香り。


 すでに一部の官憲(かんけん)らも取り込まれているのか、多くが見て見ぬ振り。酒や煙草の摘発にしても、他を隠すための目くらましではないか……などと囁かれるほど。


 そんな地区の一画に、小さな劇場があった。


 かつては賑わいもあっただろうが、パトロンが去った今は閉鎖され、怪しい者らの溜まり場(サロン)と化してしまっている。


 そんな場所にて――


「――レイナス殿下。どうしてこのような場所に?」


 その美貌を覆うかのように、片目に大仰な眼帯をした少女が声を掛けている。


 自身の婚約者に。デイル王国の第一王子に。


「…………あぁ、誰かと思えばアリア殿か。どうしてこのような場所に……というのは、むしろこちらのセリフだな。ふっ。ここは貴殿のような、将来を有望視された才媛が来る場所ではありませんよ? ――ははは」


 光源は魔導灯の儚い灯りだけ。その薄暗い劇場ホールは、妖しい紫煙に覆われていた。


 点々と置かれたテーブルには酒瓶やグラスが並び、その周囲には、同年代と思われる者らの姿。


 そんな中、奥まった場所にある大きめのソファに、埋もれるようにもたれ掛かっているのが――レイナス王子だった。


 世を拗ねたような瞳。灰色の気怠さを引き摺ったままに、現れた婚約者と相対している。


「殿下。私とともに魔導院へ……いえ、いっそ離宮に戻りませんか?」


 アリアはそう口にしながら、胸には鈍い痛みを覚えている。


 テーブルには、禁制と見られる粉末が無造作に置かれている。酒や紙巻煙草もだ。


 分かり易く堕落しているレイナス。必死に踏み止まっていた彼が、とうとう押し流されてしまった結果。


 そして、そのきっかけ――最後の一押しとなったのが、他ならぬアリアだった。


 自覚があるからこそ、彼女はレイナスに手を差し伸べる。


 ――それが、彼をさらに追い詰めるとも知らずに。


「ははは。魔導院にも離宮にも、もはや俺の居場所なんてないさ。――いや、違うな。そうだ、もともと俺の居場所などどこにもなかった――はは。ようやくそれに気付いたよ」


 どろりとした、光を失った瞳。麻薬混じりの紫煙と酒の匂いに包まれながらも、レイナスの思考はどこか明瞭だった。


 心がぼきりと折れたことによってか、彼は自身を取り巻く環境を俯瞰して眺めることが……できるようになってしまった。


 気付く。気付いてしまう。


 『ルークと競う意味などなかった。もともと、誰も俺になど期待していなかった』――と。


「ふふ。そんなことを仰らないでください、レイナス様。居場所がないなら作ればいいだけのこと――」


 ソファに沈むレイナスを、さらに深みへ沈めるかのように――その身を寄せる少女の姿。王子様の耳元で、甘い声にて囁き掛ける。


「――殿下は私という婚約者がある御身。そもそも、年頃の婦女子がはしたないとは思わないのですか? ジュディ・フォレスト男爵令嬢……ッ!」


 眼帯のアリアが、その翡翠の片目で睨みつける。


 夏の木々を思わせる深い緑の髪に、紅い虹彩の瞳。


 レイナスらと同年代ながらも、どこか妖艶さを漂わせる整った顔立ち。少女と呼ぶには危ういほどに――すでに女の色香を身に纏う。


「ふふふ。〝婚約者〟ですか。こう言ってはなんですけれど……アリア様には、レイナス様よりも相応しいお相手がいるのでは?」


 レイナスとともにソファに沈みながら、ジュディは軽々と言ってのける。当人の前で、その傷を抉るような真似をしてみせる。


「――レイナス殿下と私の婚約に、貴殿が口を挟む余地はない」


 それが挑発だと分かっていながらも、アリアの声はどうしても硬くなる。眼光も鋭くなり、まだ制御の甘い身の内の魔力が、僅かに漏れる。


「あらあら、アリア様。体調が優れないのですか? やはり、才媛たるアリア様は、このような場所に来られない方が良いのでは?」


 これ見よがしに、レイナスの手に自分の指を絡めるジュディ。安い挑発ではあるが、この場においては、それがとても有効なのを彼女は理解していた。


 蠱惑的な笑みを浮かべ、アリアを舐め上げるように見やる。


「……ッ!」


 一方のアリア。眼帯の奥に痛みを感じながらも、必死で平静を保とうとする。乱れた魔力を収めようと集中する。


「ははは。ジュディの言う通りだ……〝()()()〟たるアリア殿には、無能な俺なんぞより、同じ〝申し子〟である、ルーク様の隣の方がお似合いだろうさ――」


 ジュディにされるがままのレイナスが、自嘲するように言葉を重ねる。


「そ、そのようなことは……くッ!」


 自暴自棄になっているとはいえ、当人からも突き放され、乱れた魔力を抑えられないアリア。


「ほらほら、アリア様。レイナス様もこう仰っていることですし……お帰りになられては? ふふふ」


 嫋やかに、優しげに、妖しく嗤うジュディ。周囲の取り巻き連中も、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。


 そして、なにより当のレイナスが、決してジュディの言動を否定しない。


『お前はお呼びじゃない』という、あからさまな扱い。


「――くッ! ジュ、ジュディ・フォレスト……ッ! 殿下を……!」


 暴れる魔力。眼帯を片手で押さえながら、思わずアリアはよろめく。


 自身の存在が、レイナスの心を折る決定打となった自覚はあった。


 だが、それでも、長らくその隣にいた自分こそが、沈みゆくレイナスを引き上げることができる――と、信じてもいた。


 違った。


 アリアは現実を突き付けられる。今のレイナスには求められていないのだと。


「ふっ。アリア殿は、どうにも体調が優れないようだ。さ、どうか気を付けて帰られることだな――」


 もはやアリアを見てもいない。ソファに沈むままに、レイナスは触れ合うジュディの温もりを感じながら、ただ虚空を見つめるだけ。


「――で、殿下……ッ……!」


 縋るように声を振り絞るが……今のレイナスに、アリアの声は届かない。


 断絶の一線がすぐ目の前にある。


 アリア・ローゼイン侯爵令嬢が立つのは、その線引きの外側。レイナスにとっての挫折の象徴たる、ルーク王子と同じ側だ。


 ズキリ、ズキリ。脈を打つ痛みは増していく。眼帯の下と胸の奥で。


 レイナスにとっての世界は一変した。


 だが、アリアにしてもだ。


 彼女もまた、これまで立っていた自らの世界が、その足元からガラガラと音を立てて崩れていくのを――幻視していた。






 ◆◆◆






「(――ジュディ・フォレスト男爵令嬢。デイル王国に潜入する、マウクト神聖国の精鋭たる尖兵……)」


 自らの記憶と、大罪人としての幽閉生活で得た記録。デイル王国が歩む苦難の情勢を反芻しながら、リオンはある人物を思い返す。


 堕落したレイナス王子を絡め捕った糸。その糸の片側を握っていた人物。


 今なら分かる。


 彼女の色香にあっさり籠絡された、レイナスの弱さや愚かさを差し引いたとしても……当時のジュディ・フォレスト嬢は異様だった。その取り巻きたちも。


 彼ら彼女らは、同年代でありながらも、デイル王国基準なら一流以上――それも、疑いようのない実力を持つ魔導士だった。


 当然に教育は受けていただろうが、単純に、幼い頃から魔導の英才教育を受けていたというだけじゃない。


「(魔導大国――か。はは。よくもまぁそんな看板を背負っていたものだ)」


 自嘲気味に苦笑する。前提が違っていたのだと。


「(個々の魔力量や魔導士の数は、確かにマウクトを超えていたかも知れないが――連中は、より少ない魔力で、デイルの魔術を凌駕する。魔導技術の質が違う)」


〝商会〟は金と物量、商取引の多様さでデイルを食い物にしていた。デイルの土台を腐らせていったのは、間違いなくダリジャン〝商会〟の長年の商売による影響だ。


 だが、民衆蜂起の煽動、要人の暗殺などの多くは、商会と協働したマウクトの尖兵らの仕業であるのが判明していた。


 もっとも、それらが判明したのは、あくまで事後の調査によってだが。


「(騒乱の中で、マウクトの技術もこちらに流れて来たが……すべては手遅れだった)」


 デイル王国における、暗部の最高峰たる隠密衆ですら、その全容を掴めなかった者たち。若くして、古老の魔導士を凌駕する異郷の魔導士たち。


「(ジュディたちからすれば、この王立魔導院の未熟な魔導士の技など……まさに児戯に等しかっただろうさ)」


 リオンは嗤う。もうそこに自嘲はない。あるのは獲物を狙う狩人のそれだ。


 すでに〝かつての世界〟とは細部が違う。

 

 だが、大筋が変わるほどではない。そこまでの変化はまだ視えない。


「(――オーレス・ベリエル。彼はデイル式の魔術を使っていたが……その術式の根底には、マウクト式が敷いてあった。――はは。下手な偽装だ)」


〝かつての世界〟と……同じ流れになり得る痕跡を見つけた。尻尾を掴んだ。


 愚かなレイナス王子はもういないが、マウクトの尖兵どもが魔導院に入り込んでいるのは間違いない。リオンは確信する。


「(オーレスとて、俺が異常な魔導士であるのには気付いただろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――興味を惹かないはずがない)」


 確信を得た怪人は――待っている。待ち焦がれている。




 次の獲物を。




 その先にある、ジュディ・フォレストとの再会を。




 ◆◆◆

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