第6話 マウクトの手
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王都には、歴史ある古き貴族家が邸宅を構える地区とは別に、比較的新興の貴族らが多く住まう地区がある。
もともとは、一代貴族や商売で成功した平民などが住まう場所だった。
だが――今では、少々事情が違う。
以前には見られなかった、出自の怪しい者らが、平気な顔をして大通りを闊歩している。
さる貴族家名義にて、かなりの金額の取引があるものの、商家の者は、誰もその貴族家の当主を見たことがない。
いつの間にか、禁制の魔導具が密かに流通しており、出処の怪しい薬も見つかる。
また、正規の流通から外れた酒や煙草が摘発されることも増えていた。
そこはかとなく漂う退廃的な香り。
すでに一部の官憲らも取り込まれているのか、多くが見て見ぬ振り。酒や煙草の摘発にしても、他を隠すための目くらましではないか……などと囁かれるほど。
そんな地区の一画に、小さな劇場があった。
かつては賑わいもあっただろうが、パトロンが去った今は閉鎖され、怪しい者らの溜まり場と化してしまっている。
そんな場所にて――
「――レイナス殿下。どうしてこのような場所に?」
その美貌を覆うかのように、片目に大仰な眼帯をした少女が声を掛けている。
自身の婚約者に。デイル王国の第一王子に。
「…………あぁ、誰かと思えばアリア殿か。どうしてこのような場所に……というのは、むしろこちらのセリフだな。ふっ。ここは貴殿のような、将来を有望視された才媛が来る場所ではありませんよ? ――ははは」
光源は魔導灯の儚い灯りだけ。その薄暗い劇場ホールは、妖しい紫煙に覆われていた。
点々と置かれたテーブルには酒瓶やグラスが並び、その周囲には、同年代と思われる者らの姿。
そんな中、奥まった場所にある大きめのソファに、埋もれるようにもたれ掛かっているのが――レイナス王子だった。
世を拗ねたような瞳。灰色の気怠さを引き摺ったままに、現れた婚約者と相対している。
「殿下。私とともに魔導院へ……いえ、いっそ離宮に戻りませんか?」
アリアはそう口にしながら、胸には鈍い痛みを覚えている。
テーブルには、禁制と見られる粉末が無造作に置かれている。酒や紙巻煙草もだ。
分かり易く堕落しているレイナス。必死に踏み止まっていた彼が、とうとう押し流されてしまった結果。
そして、そのきっかけ――最後の一押しとなったのが、他ならぬアリアだった。
自覚があるからこそ、彼女はレイナスに手を差し伸べる。
――それが、彼をさらに追い詰めるとも知らずに。
「ははは。魔導院にも離宮にも、もはや俺の居場所なんてないさ。――いや、違うな。そうだ、もともと俺の居場所などどこにもなかった――はは。ようやくそれに気付いたよ」
どろりとした、光を失った瞳。麻薬混じりの紫煙と酒の匂いに包まれながらも、レイナスの思考はどこか明瞭だった。
心がぼきりと折れたことによってか、彼は自身を取り巻く環境を俯瞰して眺めることが……できるようになってしまった。
気付く。気付いてしまう。
『ルークと競う意味などなかった。もともと、誰も俺になど期待していなかった』――と。
「ふふ。そんなことを仰らないでください、レイナス様。居場所がないなら作ればいいだけのこと――」
ソファに沈むレイナスを、さらに深みへ沈めるかのように――その身を寄せる少女の姿。王子様の耳元で、甘い声にて囁き掛ける。
「――殿下は私という婚約者がある御身。そもそも、年頃の婦女子がはしたないとは思わないのですか? ジュディ・フォレスト男爵令嬢……ッ!」
眼帯のアリアが、その翡翠の片目で睨みつける。
夏の木々を思わせる深い緑の髪に、紅い虹彩の瞳。
レイナスらと同年代ながらも、どこか妖艶さを漂わせる整った顔立ち。少女と呼ぶには危ういほどに――すでに女の色香を身に纏う。
「ふふふ。〝婚約者〟ですか。こう言ってはなんですけれど……アリア様には、レイナス様よりも相応しいお相手がいるのでは?」
レイナスとともにソファに沈みながら、ジュディは軽々と言ってのける。当人の前で、その傷を抉るような真似をしてみせる。
「――レイナス殿下と私の婚約に、貴殿が口を挟む余地はない」
それが挑発だと分かっていながらも、アリアの声はどうしても硬くなる。眼光も鋭くなり、まだ制御の甘い身の内の魔力が、僅かに漏れる。
「あらあら、アリア様。体調が優れないのですか? やはり、才媛たるアリア様は、このような場所に来られない方が良いのでは?」
これ見よがしに、レイナスの手に自分の指を絡めるジュディ。安い挑発ではあるが、この場においては、それがとても有効なのを彼女は理解していた。
蠱惑的な笑みを浮かべ、アリアを舐め上げるように見やる。
「……ッ!」
一方のアリア。眼帯の奥に痛みを感じながらも、必死で平静を保とうとする。乱れた魔力を収めようと集中する。
「ははは。ジュディの言う通りだ……〝申し子〟たるアリア殿には、無能な俺なんぞより、同じ〝申し子〟である、ルーク様の隣の方がお似合いだろうさ――」
ジュディにされるがままのレイナスが、自嘲するように言葉を重ねる。
「そ、そのようなことは……くッ!」
自暴自棄になっているとはいえ、当人からも突き放され、乱れた魔力を抑えられないアリア。
「ほらほら、アリア様。レイナス様もこう仰っていることですし……お帰りになられては? ふふふ」
嫋やかに、優しげに、妖しく嗤うジュディ。周囲の取り巻き連中も、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。
そして、なにより当のレイナスが、決してジュディの言動を否定しない。
『お前はお呼びじゃない』という、あからさまな扱い。
「――くッ! ジュ、ジュディ・フォレスト……ッ! 殿下を……!」
暴れる魔力。眼帯を片手で押さえながら、思わずアリアはよろめく。
自身の存在が、レイナスの心を折る決定打となった自覚はあった。
だが、それでも、長らくその隣にいた自分こそが、沈みゆくレイナスを引き上げることができる――と、信じてもいた。
違った。
アリアは現実を突き付けられる。今のレイナスには求められていないのだと。
「ふっ。アリア殿は、どうにも体調が優れないようだ。さ、どうか気を付けて帰られることだな――」
もはやアリアを見てもいない。ソファに沈むままに、レイナスは触れ合うジュディの温もりを感じながら、ただ虚空を見つめるだけ。
「――で、殿下……ッ……!」
縋るように声を振り絞るが……今のレイナスに、アリアの声は届かない。
断絶の一線がすぐ目の前にある。
アリア・ローゼイン侯爵令嬢が立つのは、その線引きの外側。レイナスにとっての挫折の象徴たる、ルーク王子と同じ側だ。
ズキリ、ズキリ。脈を打つ痛みは増していく。眼帯の下と胸の奥で。
レイナスにとっての世界は一変した。
だが、アリアにしてもだ。
彼女もまた、これまで立っていた自らの世界が、その足元からガラガラと音を立てて崩れていくのを――幻視していた。
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「(――ジュディ・フォレスト男爵令嬢。デイル王国に潜入する、マウクト神聖国の精鋭たる尖兵……)」
自らの記憶と、大罪人としての幽閉生活で得た記録。デイル王国が歩む苦難の情勢を反芻しながら、リオンはある人物を思い返す。
堕落したレイナス王子を絡め捕った糸。その糸の片側を握っていた人物。
今なら分かる。
彼女の色香にあっさり籠絡された、レイナスの弱さや愚かさを差し引いたとしても……当時のジュディ・フォレスト嬢は異様だった。その取り巻きたちも。
彼ら彼女らは、同年代でありながらも、デイル王国基準なら一流以上――それも、疑いようのない実力を持つ魔導士だった。
当然に教育は受けていただろうが、単純に、幼い頃から魔導の英才教育を受けていたというだけじゃない。
「(魔導大国――か。はは。よくもまぁそんな看板を背負っていたものだ)」
自嘲気味に苦笑する。前提が違っていたのだと。
「(個々の魔力量や魔導士の数は、確かにマウクトを超えていたかも知れないが――連中は、より少ない魔力で、デイルの魔術を凌駕する。魔導技術の質が違う)」
〝商会〟は金と物量、商取引の多様さでデイルを食い物にしていた。デイルの土台を腐らせていったのは、間違いなくダリジャン〝商会〟の長年の商売による影響だ。
だが、民衆蜂起の煽動、要人の暗殺などの多くは、商会と協働したマウクトの尖兵らの仕業であるのが判明していた。
もっとも、それらが判明したのは、あくまで事後の調査によってだが。
「(騒乱の中で、マウクトの技術もこちらに流れて来たが……すべては手遅れだった)」
デイル王国における、暗部の最高峰たる隠密衆ですら、その全容を掴めなかった者たち。若くして、古老の魔導士を凌駕する異郷の魔導士たち。
「(ジュディたちからすれば、この王立魔導院の未熟な魔導士の技など……まさに児戯に等しかっただろうさ)」
リオンは嗤う。もうそこに自嘲はない。あるのは獲物を狙う狩人のそれだ。
すでに〝かつての世界〟とは細部が違う。
だが、大筋が変わるほどではない。そこまでの変化はまだ視えない。
「(――オーレス・ベリエル。彼はデイル式の魔術を使っていたが……その術式の根底には、マウクト式が敷いてあった。――はは。下手な偽装だ)」
〝かつての世界〟と……同じ流れになり得る痕跡を見つけた。尻尾を掴んだ。
愚かなレイナス王子はもういないが、マウクトの尖兵どもが魔導院に入り込んでいるのは間違いない。リオンは確信する。
「(オーレスとて、俺が異常な魔導士であるのには気付いただろう。デイル式ながら、マウクト式を無効化する技――興味を惹かないはずがない)」
確信を得た怪人は――待っている。待ち焦がれている。
次の獲物を。
その先にある、ジュディ・フォレストとの再会を。
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