28話 グレイソン技術の一端
飛行艇と銃の早期量産化の目処という僥倖に、葎は気持ちの昂りを感じる。思わずあれこれと行動したい衝動に駆られるが、踏みとどまり冷静さを取り戻そうとする。
「急いてはダメだな。一旦落ち着こう。…まずできることといえば…これだな」
そう言って広げるのは梻から渡された絵図。何を行動するにしても食料の調達を先んじて行わねばならない。葎は描かれた村との位置関係と距離、そして飛行艇の速度を考慮して運べる量とその時間を考える。
すると、その様子を見ていたドールが覗いてきた。
『なんだ?何か気になることがあるのか?』
『いえ、その…なんていい加減な地図だろうと思いまして』
『何?』
この絵図には下鉄保から見た近隣の村の方角、距離が書かれており精度が高い代物だ。決していい加減に作られたものではない。それにもかかわらず、いい加減だと言い切るドールに葎は理解できないといった表情を向ける。するとドールは懐から一つの紙を取り出し広げた。絵図の横に並べられたそれを覗くと、一瞬硬直してしまった。
「っ、なんだこれは…」
ドールの取り出した絵図を見て、葎は言葉に表すことが難しいほどの衝撃を喰らった。それは横で話していた梻や樫野も例外ではない。そこには無数の線が渦巻く情報量の暴力が詰め込まれていた。それは主要な情報のみを記載し、それ以外の情報を切り捨て、主観的に描かれた絵図とはまったく異なる“地図”がそこにはあった。
普通、絵図には重要な城や街などの建物や行く手を遮る川、そして山などの大雑把な位置関係が描かれているだけで、途中にある小さな村や平原などは省略されるのが主流だ。そして主観的に描かれていることが多い。それを基準にすると梻が持ってきた絵図は精度の高い絵図だと言える。
しかし横に並べられた地図と比べると梻の絵図のなんたる粗雑なことか。一蹴するまでもなく格の違いを見せつけられるほどの精緻な地図だ。絵図では省略されるような細かい情報でも逐一記載され、気にもしない山の起伏の数さえも読み取れてしまうのだから。
「こんなにも山の形が手に取るようにわかるとは…飛行艇に乗っていないのにまるで空から直接見ているかのようだ」
この地においても山の存在は重要視されている。それは平原が少ないこの地において何処にでもある坂によって体力の消耗を強いられる為に、どういった経路ならば体力を温存できるかのおおまかな指標となるのだ。そして最も大きな要因として破砕衆の存在がある。使う矢の種類や射手の熟練度にもよるが、ほとんどの場合、山を一つ飛び越えさせるほどの射程距離を誇っている。それは観測手さえいれば全く視認できない敵を山の向こうから一方的にいたぶる、間接射撃が可能になるのだ。山の位置関係を把握することは破砕衆の攻撃力の最大化を図るとともに、敵の破砕衆が何処に潜伏しているかさえも予測できてしまう、軍の最高機密となるのだ。
そうした理由から位置関係が精密に描かれた絵図を見てきた葎でさえも、グレイソンの技術によって作られた地図は驚愕に値した。傍から説明するドールによると、びっしりと敷き詰められた線は等高線と言い山の高さを表しているらしい。高さが同じ地点を結んだ線のことで、この模様によって山の高さから谷の深さまで知ることができる。これがあれば土地勘のない状態でも破砕衆の位置取りから観測手の配置の選定がすぐにできること間違いなしだ。
極め付けはグリッドと呼ばれる座標を示すのに便利な機能的すぎる能力を持っていた。主観的な情報が一切ない客観的な描写は、地図上の何処にいてもどんな人が指示しても正確に把握することができてしまう。コンパスという一定の距離を刻むと合わせれば、距離の測定なんかも簡易的に行える。破砕衆へわざわざ方角や距離を伝えることなく、目標の座標さえ指示すれば自主的に、そして正確無比な攻撃が可能となるのだ。
「村を管理している身からすれば喉から手が出るほど欲しいもんじゃな。効率的な建設計画が立てられるからのう」
「森や川の位置がわかるから道案内としても有用だな」
葎の呟きに同意するように梻と樫野がこぼす。絵図を持っていた梻はともかく、絵図との関わりが少なかったであろう樫野でさえも、この地図の使い道とその有用性を認識できた。ズブの素人でさえも愕然とするものだった。
この地図一枚を持ってして、今までの戦略を根本から覆してしまうほどの技術力が詰め込まれていた。眼にみえて異常だとわかる飛行艇だけでなく、こうした手の中で収まってしまうほど小さなもの一つ取っても隔絶とした技術力に打ちのめされた葎はドールに詰め寄る。
「今身につけているものを全部出せ。どんな些細なものでも良い。なんならその服でさえ脱いでくれないか」
葎か認識していたグレイソンの技術は飛行艇・銃大砲・透明な瓶だ。それらは確かに埋まらない技術の格差である。ただ通信石や破砕矢などのグレイソン人たちも知らない技術がある事から、お互いの総合的な技術力の差はなく、違う分野が同じだけ発展しているものだと思っていた。しかし、目の前にある地図は明らかに異常だ。それ一つだけでグレイソン人が積み上げてきた技術力の高さと深さが底知れないのだ。
いずれ乗り越える障壁のその一端でさえもつかめていない現状、隔絶した技術の認識と吸収は急務だ。
『えと、服は流石に勘弁してください。特に特別なものではないと思うので。…これが今持っているもの全てです』
『どれどれ?』
そうして並べられたものは多種多様。全てがポケットに収まる程度の大きさであるが、特に目を惹くのは二つ。おそらく機械仕掛けの何かと、取り出されたものの中では大きい無骨過ぎる金属の塊。ますは機械仕掛けの何かについて見ていく。
『この音が鳴っているのはなんだ?』
『それは時計という時間を知るためのものです。特にそれはポケットに入れられる懐中時計ですね』
「時間を知る…だと」
「時間を知るための機械か。何のために使うのかわからんが、葎殿の様子から凄まじいことらしいの」
梻はあまりピンときていないようだが、葎はその重大さを正確に把握していた。時間とはおおまかな区間は太陽に委ねられ、細かな区間は人の感覚に委ねられる曖昧なもの。それゆえ指揮官として部隊を束ね、他の部隊との連携に必須なのは狂いのない時間感覚。部隊移動、作戦行動開始の合図、遅滞戦闘の継続期間など、時間が戦場を支配する要素は極めて高い。たとえ強力無比な猛者であろうと、時間を見誤ればあっさりと死んでしまうのが世の常。それほどまでに時間というのは重要なのであるが、指標となるものがゆったりとした太陽くらいなものであるため、曖昧になってしまうものだ。
カチッカチッ
それが今、葎の手の中で可視化され、数値化され、正確な間隔で時を刻んでいる。葎の手のひらで包めてしまうほど小さな懐中時計が絶えず音を立てて時間の流れを示している。
「恐ろしく一定の間隔で動いていやがる。…動力が見当たらないが、これ、本当に作れるのか?」
その小ささは金工であり細かな作業を得意としている樫野が手を挙げて降参するほどだ。グレイソン人がいくら小さな体を持っているとはいえ、これほど小さな機械にこれほどの性能を詰め込める技術力には感服する思いだ。立て続けの衝撃に、愕然とする暇もない。
「凄まじいものがあるもんだな…もしかしてこれも?」
気を取り直して視線を向けるのは目をつけていたもう一つの物。一見ただの金属の塊にしか見えない円柱の形をした物体。それを梻が先に手に取った。叩くとくぐもった音が聞こえ、金属ではない何かで満たされていることがわかる。
『あっ、それは缶というものでして。この缶切りを使って…』
ブシュウ
軽く力を入れてみただけのようだが、あっさりと貫通してその中身を少しだけ溢れさせてしまった。葎を手玉に取ったような感覚で機嫌がすこぶる良くなっていたドールであるが、説明しようと手に缶切りを持ったまま立ち尽くしているドールが可哀想になってくる。
一瞬、手についた未知の液体に対して不快な表情をしていたが、やがてやってくる香りは甘く芳醇だ。思わずそれがついた手を嗅ぎ、そして舐めた途端、目をかっぴらいて驚く梻。
「あ、甘い!」
「おい、食べ物かもわからんものを舐めるんじゃない!」
「じゃって甘いんじゃもん!」
夢中になって指についた甘い液体、シロップをなめとる。そしてすかさずに開いた穴をズズズと飲み干そうとし…
「勝手に検証物を無くそうとするな」
「あっもっとおくれよ!」
「ダメだ。何の為に開けたと思っている。後でやるから少し待ってろ」
「約束じゃぞ!」
危うく全てを飲み干す前に取り上げることができた葎は、中途半端に開いた缶を開く。そしてそこにあったのはシロップに浮いた黄色く丸い果実。
『ふむ、これは黄桃か?』
『え?』
『ん?違うのか』
『い、いいえ。そうなんですけど、そういうわけではなくて…』
何だか歯切れの悪いドールを不思議に思いつつも、中身の確認ができた葎は約束通り梻へと渡す。
『あの…何かの手違いがあったようで…それを返して欲しい…』
「ほら、もう食っていいぞ」
「うおおお。もう辛抱たまらん!」
『あああああ!』
勢いよく缶をひっくり返して口の放り込む梻。缶の大きさが小さい為に一口で収まり、それを大事に大事に噛み締めながらよく味わうのだった。そしてその横で絶望に伏したドールが目に涙を浮かべながら四つん這いになってしまう。
『こっそり仕舞っておいた甘味が…』
『ん?どうしたドール。何か体調でも悪いのか?』
口の中で籠る言葉を葎は聞き取れず、何故か軽く悶絶しているドールへ問いかける。
『い、いいえ。何でもありません。缶の説明ですね…』
『?』
何だかドールの元気がなくなったように感じる葎であるが、説明をしてくれるというのなら言及しないことにした。曰く、缶は食物を長期間保存するための特殊な容器だそうだ。腐りやすい魚であっても年単位で保存することができるらしい。
『これは我々にとっても目新しい技術ですね。この発明により、とある帝国なんかは版図を広げる要因となったとか』
物持ちの良い兵糧だけでは栄養が足りずに十全な結果を出せないことが多々ある。それをこの缶で運ぶとなるとその問題は解決できると、葎はすぐに考えついた。それによって帝国とやらは版図を広げられたのだろうと予想できた。
『この分だと、医療に関することも上回られていそうだな』
『ええ、そうですね。ウイルスどころか細菌さえも知らないでしょう?』
『ああ、知らない言葉だな。医療に関することは氷川が…』
「葎さまー!」
噂をすれば影。ちょうど村の方から氷川がこちらへ駆け寄ってくる。
「ちょうどいい時に来たな。今ドールと医療技術について聞こうとしていたんだ。一緒に聞いとけ」
「はい、それにはとても興味がありますが、先に耳に入れて欲しいことが」
「なんだ?何か問題があったのか?」
「いいえ、そういうわけではなく…葎さまから頂いたグレイソンの死体について不可解な事があって」
それは飛行艇を掌握しようと見せしめに首をもいだ一人のグレイソン人のことだ。ドールよりも高位だったらしい最期まで反抗していた人物だった。
「わざわざ流血樹から逃げる時に持ち出したのか」
「ええ、そうなんです。それで調査した結果…高位であるはずなのに肉体改造した痕跡が見当たりませんでした」
「何?」
氷川からの報告に、葎は驚愕する。それは葎、そしてこの地の人々にとっては当たり前のことで、聞けば誰でも驚く物だった。
『ドール…前に死んだグレイソン人は地位の高い者だったんだよな?』
『え?…ああ、大佐のことですね。はい、そうですけど…今更それがどうしたんですか?』
『じゃあ、なんであいつは肉体改造の一つ二つされていないらしいんだ?』
『え何その非人道的な文言は』
今度はドールが驚く番だった。




