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1話 始まりと遭遇

 最初に目に入ったのは、きちんと並べられた木の板。雨を一滴も通さないだろうと思える程ぴっちりと作られた天井を見るのは何年ぶりだろうか。男はそんなことを考えながら目を覚ます。聞こえるのは体に掛けられてる布が擦れる音のみ。


「…どこだ、ここは」


 身体中の痛みを気にせずに起き上がり、首を回す。部屋は見るのに不自由しない程度の日光が窓の隙間から差し込んでいた。部屋にあるものは少なく、自分が寝ている敷布団と簡素な椅子、身につけていたはずの武具のみが並べてある。最後の記憶は、吹き飛ばされて川に落ちたこと。なぜ、ここにいるかを考えようとすると、誰かが部屋に入ってきた。


「え!もう起きてる!?」


 顔を見せた男はそのまま部屋に入ることなく、慌てて走り去っていった。足音が遠ざかっていき、何かを聞く余地もなく取り残された男は、気にすることなく武具の点検に勤しんだ。あったはずの装飾の類は無くなり返り血によって真っ黒になっているものの、幸いにも大きな破損は無く使えそうだった。最後に兜の点検が終わったと同時に、部屋に4人男たちが入ってきた。


 前に出てくるのは老人。媚びるような表情を浮かべている顔に刻まれた皺の深さと数から、長く生きていることが窺える。そんな年にもかかわらず、背筋は鉄棒を入れているかのように真っ直ぐだ。その後ろには、瓜二つの二人の男が護衛のように控えている。


「これはこれは、随分とお早いお目覚めで。武士とお見受けしますが、お身体はいかがでしょうか?」


 すりすりと両手を揉みながら猫撫で声で老人は言う。


「ああ、問題ない。塗っている薬はお前たちがしてくれたのか。感謝する」


 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、立ち上がった男は頭を下げながら礼を言う。その様子に老人は、何か腑に落ちないかのように怪訝な雰囲気を漂わせる。


「いえいえ、問題ないのであれば良かったです。医者の話ではあと3日は起きないだろうと聞かされていたので、何も用意がないのを謝罪いたします。まさか武士がこんな僻地にまで流れてくるとは」

「そうか、僻地か。随分と長く流されたようだ。ここはどこだ?」

「ここは海に面する集落、流血樹です」

「海に面する…だいぶ遠いところだな。さて、どうしたものか…とりあえず、しばらくはここに居させてくれ。礼はする」


 返答を聞くと、老人の目線は訝しむように少し鋭くなった。


「承知いたしました。……ところで、鎧が随分と壊れていたようで…兜の装飾は探されますかな?」

「いや、回収してくれただけでも重畳だ。これ以上はいい」


 老人の口の端が僅かに引き攣る。


「…左様でございますか。それでは、宿泊のための品を用意するのでこれにて失礼します。ごゆっくりお過ごしください」


取り繕うように表情が硬く焦った様子の老人は、そそくさと出ていってしまう。そんな老人に何が何だかわからない様子の二人の連れもついていくが、若そうな男が一人だけは残った。よく見るとその男は、一番最初に部屋に入ってきて引き返してしまった男である。


「貴方を手当てした氷川と申します。先程は失礼しました。手当の続きをしても?」

「よろしく頼む」


 氷川は男を椅子に座らせると、手に持っていた鞄から酒、薬草、漢方などを取り出し治療を始める。


「武士さま、お名前をお聞きしても?」

(むぐら)、遠雷の葎だ」


「葎さまですね。失礼のないように頑張ります。手当の間は、机にある果物を食べててください」


 机の上には小ぶりな梨が積み上げられていた。葎はそれを一つ手に取る。片手で包み隠せてしまうような梨を飴玉でも扱うように口に放り込んだ。咀嚼すると、甘い果汁とさっぱりとした爽やかな香りが口の中で広がる。


「甘いな」

「ありがとうございます」


 それから二人はしばらく無言になる。氷川は手当に集中して、葎は話す気がないようだ。しばらくの間、部屋には葎が梨をシャクシャクと食べる音が響き、梨と薬草とアルコールの匂いで満たされる。氷川が手当てしている葎の傷は様々な場所に、様々な種類のものがあった。切り傷、打撲、火傷。新しいものから古いものまで。それらを酒で消毒し薬草を張ったり、塗り薬を使う。山盛りだった籠の中身がなくなる頃、氷川による治療が終わった。


「傷口、沁みないんですか?」

「いや、沁みている」


 そういう葎は治療中、気難しい顔で梨を咀嚼するばかりで沁みているような素振りを見せなかった。


「やっぱり武士というのは強いんですね。最後にこれを飲んでください」

 氷川は漢方を葎に渡す。三角の紙の中にあるのは茶色粒状の漢方。葎はそれを一気に飲み干す。おが屑のような木の香りと、強い苦味を感じる。


「武士は舌も強いんです?」


顔色ひとつも変えない葎に氷川は不思議なものを見る目を向ける。そんな氷川の様子を意に介さず葎は話しかける。


「さっき爺さんは海に面する集落と言っていたな。ここから海は見えるか?」

「ええ、そこの窓を開ければ見えますよ」


 それを聞くと葎は立ち上がり窓に向かって歩く。


「その様子だと海産物も食べたことがないでしょう?鯨の干し肉なんかは聞いたことは?」

「いや、ないな」


 葎が窓を開けると、先ほどまでの木漏れ日程度の日光が強くなり、目を細める。同時に、今まで嗅いだことのない、潮の香りを感じる。目が慣れてくると、何百棟もあるそこそこ大きな集落と、その向こう側に海が見える。どうやらこの建物は山の中腹にあり、集落を一望できるようだ。


「美味しいですよ。鯨というのは、とっても大きな海の獣です。一頭で村が2ヶ月も食っていけるほどですよ。もうすぐ狩猟の時期なので在庫は少ないですが、土産程度ならあると思います」

「大きな獣…それはあそこにいる黒い塊のことか?」


 海の向こうには薄い霧が掛かっている。そこから段々と姿を現した楕円形の黒い塊が海面近くに浮かんでいるのが見える。それは魚の鱗ような光沢を帯びていた。遠くて小さく見えるが、双方の距離から、それは宙に浮かぶには大きすぎるものだ。鳥のような翼や風車のような羽は無く、どうして浮いているのかはわからない。時々、呼吸のように黒い煙を吐いている。


「鯨というのは空を飛ぶのか。珍妙だ」

「いえ、鯨は飛びませんが?空を飛ぶ鯨なんて神話にしかありませんよ」

 おかしなことを言っていると思った氷川も窓の縁に手を掛けて外を見る。しかし、氷川の目にもその浮遊する黒い塊が見える。


「…なんです?あれ」

「ここに住んでいるお前が分からないなら、俺にもわからん」

 二人は黒い塊を注視する。よく見ると、それには横に並んだ二つの穴があることに気づく。目のようなものだろうか。だったら生き物なのか。そう思い一層注意深く見つめていると、二つの穴がいきなり強い光を放った。眩しいと思った瞬間、地面を穿つ轟音と共に目の前に土が舞い上がる。そして立て続けに、二人の真横に衝撃波が走る。足元の強い揺れと手を置いていた窓の縁が壁ごとなくなったことにより氷川は尻を地に着いてしまう。


 飛び散る木片に怯む氷川を横目に、葎は素早く自分の武器である弓を手に取る。そして矢筒も手に取るが、記憶よりも軽い。矢筒を急いでひっくり返し、木製の床に食い込んだ矢を素早く確認する。


「おい、矢はここにあるもので全部か?」

「か、回収できたのはそれで全部です。」


氷川は部屋の隅で頭を抱えて縮こまりながら、震えた声で返答する。鉛筆のように先端の鋭い矢が3本だけ。葎の欲する矢が無い。


「…仕方ない」


 葎は直ぐに矢を番えて引く。その時、金属同士を擦り合わせたような甲高い音が鳴る。弓を溜めたまま狙いを定める。一瞬で潮の香りが土の匂いに書き換えられた空間で、凄まじい集中力を発揮する。それを示すように構えは一切の震えはなく時間が止まったようであった。葎の構えを見た氷川は縮こんだまま視線だけそれに釘付けになる。


パシッッッッ!!


 矢を放つと、全力で鞭を打ち込んだような鋭い音鳴り響く。その勢いで宙に舞っていた土埃が空気に押されて晴れる。放たれた矢は目にも止まらない速さで目標に向かっていった。矢は二つの穴の間、塊のド真ん中に命中したようだ。


 葎は損害状況の確認もせず、素早く2射目を撃とうとまた弓を構える。しかし、2射目は必要なかった。塊は徐々に降下していく。段々と速度を速めていくと、そのまま丘の向こう側の海面に激突して高い水柱を作るのだった。遅れて、粘り気のある大きな水の音が響く。


 氷川は空いた穴からそれを見届ける。視線を葎に戻すと、すでに構えを解いていた。そして、先ほどまでは無かった大きな変化に驚く。


「葎さま…笑えたのですか?」


葎は視線を海に向けたまま何も言わない。ただその表情は、初めて見るカブトムシを獲った時のような、楽しげな表情を浮かべていた。

初めての投稿なので、生暖かい目で見ていただけると幸いです。

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