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【01】日常

 

「疲れた……」


 任務の報告を済ませ、アパートへと帰宅した。


 玄関で適当に靴を脱ぎ捨てる。

 軍帽を脱げは、詰め込まれていた髪が散って、鉄の臭いが鼻についた。

 髪を触ればガビガビに固まっていて、そういえば任務中に軍帽を飛ばしたなと思い出した。



 ……シャワー浴びよ。



 制服、シャツ、下着と脱ぎ、ポイポイと脱衣籠に投げ入れる。ユニットバスへ足を踏み入れると、換気扇の音が響いていた。

 捻った蛇口から飛び出した冷たい水は、すぐにお湯へと変わる。

 染み付いた死のにおいを落とすように、頭からシャワーを浴びていく。

 

 赤く染まったお湯が、排水溝で渦を巻いていた。





「はぁ……」


 さっぱりした。

 ユニットバスのドアを開ければ、


 ビーーーー、


 とチャイムが来客を伝えた。


 時刻は早朝五時過ぎ。新しい任務の伝達かな?

 嬉しいような、勘弁して欲しいような。


 ささっと体を拭きあげ、適当に掴んだTシャツに袖を通すも、ショートパンツが見当たらない。まじか。


「うぇぇ……」


 面倒くさいな。

 Tシャツの丈を確認する。太ももは見えるけど、下着は見えなさそうだ。たぶん。


 うーん……。


 どうせ相手は軍関係者。そして今は初夏。


 ――なら別にいいか。

 意味不明な理由で結論付けた。下着に足を通し玄関へ向かう。


「はぁい」


 返事をしてドアスコープを覗くと、いつの間にか一緒にいるようになった先輩が立っていた。

 ドアを押し開ける。

 落としたはずの血のにおいが、ふわりと香り立った。


「おはようございます」

「おはようリク。ごめん、シャワー中だった?」

「ちょうど出た所でした。先輩は任務終わりですか?」

「うん。僕もさっき仕事終えてきたんだ。一緒だね」


 先輩は嬉しそうに笑った。


「お疲れ様です。シャワー、使います?」

「ありがと」


 部屋に上がった先輩は、綺麗に靴を並べ、慣れた様子で脱衣室へ入って行った。しばらくして、シャワーの水が床を打つ音がユニットバスの中で響いた。


 前に置いていった服があったはず。


 クローゼットから着替えを取り出し、洗濯機の上に着替えを置く。歯を磨いてリビングのソファへ座った。


「はぁ……。明日までお休み……何しよう……」


 なにやら戦争は休戦になったらしい。

 いい事なんだろうけど、感慨なんてものはどこにもなかった。

 ふと、ローテーブルに先輩から借りていた本を見つけた。やばい。すっかり忘れてた。

 手に取り開けば、ずらりと並んだ活字が眠気を助長させる。あー、今じゃなかった。本を閉じ、ソファに背中を預けてダラダラする。

 

 なんか冷たいな……。


 水気を帯びた髪が、Tシャツやソファを濡らしてた。手首にあったゴムで適当な団子にして括り上げてどうにか被害を最小限に抑える。


 髪、乾かさないと……、うぅ、面倒だ。もう動きたくない。とりあえず寝て、それから何するか考えよう。


「ん? ……なんか違う……?」


 はて? そもそもなんで生きてるんだっけ?

 なんて思うも、その疑問の出発点だけはすぐに思い出せる。


『皆を助けて下さい! 死にたくないんです!』


 死の淵に立たされたあの日。

 そう願ったことは間違いじゃない。


 それなのに――


 今はただ言われた事を遂行して、誰かの大切を奪うだけの日々を、機械のように繰り返している。

 その隙間にやりたい事や楽しい事が入ることはない。


 昔は何が楽しかったんだっけ? 


 たった数年前の事なのに、上手く思い出せないな。

 そもそも、私はいつ食べ頃になるんだろう?

 こんな事なら、「死にたくない」なんて願わなきゃ良かった……。


「はやく喰べてくれないかなぁ……、イザナミ様」

 

 ぎゅっと両膝を抱き抱えて、膝に頭を乗せる。自然と瞼が降りて、体の力が抜けていった。









 音がする。

 風の音と、モーター音。

 煩いな。窓開けてたっけ?


 ――あれ? なんか、あったかい?


「……ん」


 髪を触られてる感覚がする。

 モーター音が消えた。


「起こしちゃった?」

 首をもたげそうな程に後ろに曲げれば、

「……先輩……?」

 ドライヤーと私の髪を手にした先輩がいた。

「もう終わるよ。まだ寝る?」

「んぅ、寝ます」

「了解だよ」


 ドライヤーの音が消えた。

 それから、髪を触られる感覚がして、パチンとゴムの弾ける音がした。


「完成。さ、ベッドで寝よ」


 滑り込んだ腕が体を包み込んで、浮上した。

 まとまって髪が垂れた。三つ編みにしてくれたんだろうか。いつも私が編むから、やってくれたのかもしれない。地味にありがたい。

 鍛えられた先輩の胸から、体温と心音が伝わって来る。なんか、安心する……。ほぼ無意識に頬をすり寄せていた。


 ドアの開く音がして、今度は体がゆっくりと降ろされていく。

 柔らかいマットレスの感覚が体を包み込んだかと思えば、――先輩の筋肉質な腕が、ぎゅっと腰を引き寄せた。



「おやすみ」



 頭上で声がした。

 あったかい。なんだか少し早いような心音が心地いい。私にはない、生きてる音。

 先輩の心音を聞きながら、私の意識は溶けて消えた。




 この優しい先輩と出会ったのは、三ヶ月前。

 春雨の降る、珍しく暖かい日のことだった――




 *




「虚無だ……」


 薄暗い部屋の中。

 少しだけ開けた掃き出し窓から、しとしとと降る雨の音が絶えず滑り込んでくる。

 呟いた言葉に応える相手はいない。リビングのソファで膝を抱えて項垂れた。


 はぁー。まだ昼だけど、もう寝ようかな……。


 なんて考えていたら、

 ビーーーーと鳴ったチャイム音に、

「仕事?!」飛び跳ねた。


 家族はおろか友人すらいない。この家を訪れるのは、私を仕事に連れ出すお迎え役だけ。

 眠気は綺麗さっぱりに吹き飛んで、玄関へ走ってドアを開けたら、


「っ?!」


 短い悲鳴が降ってきた。

 あれ? いつもの人じゃ、ない……?


 玄関の外、私の視界を埋め尽くしていたのは、

 ――軍服越しでも分かる厚い胸板だった。


「?」


 そろりと視線を上げれば、そこには二十代半ばくらいの端正な顔つきの男性がいて、目を大きく見開いてこちらを見下ろしていた。

 その背後では、しとしとと雨が降っていた。

 

 視線がかち合うと、彼の目がすぅっと据わって、

「突然の訪問失礼する」

 冷たい声でそう言った。


 軍帽の下。宵闇のような黒髪は少し長めで、群青の瞳は切れ長だった。腕の腕章には『特一』の文字。それは、噂で聞き及んでいた『閃光の処刑人』の特徴に一致しているようにも思えた。


「……いえ」


 気まずさにぺこりと会釈すれば、


「俺は特務隊第一班の水無瀬。君がリクか?」


 なんて返された。


 へぇ、水無瀬っていうんだ。

 ちゃんと名前あるんだぁ。って、当たり前か。

 処刑人さんは第一班の隊長だった気がするけど、そんな人が私になんの用だろ?


「そうですけど……?」

三厨(みくりや)部長からは君を頼れと指示を受けた」


 そう言って差し出された白い封筒。


「協力を願いたい……、のだが。――もう少し服を着てくれないか?」


 伸ばした手は、封筒を掴む前に静止した。



「へ?」 

 


 どういう意味?

 そう思うも、Tシャツ一枚しか着ていない事に気がついた。


「あー。すみません。あとで着替えますね」

「……非番にすまない」


 気を取り直し、封筒を受け取る。

 中の手紙には、『水無瀬マナトってやつが尋ねてくるから、手を貸してやって』とだけ書かれていた。

 このなんとも言えない達筆は部長の字で間違いないけど、訪ねてくる人間に持たせる内容ではないのでは? まぁ、処刑人さんに言った所で無意味だけど。


「確認しました。ダイニングでお待ち下さい」

「すまない。……失礼する」

 処刑人さんは、淡々とした様子で部屋に上がった。


 玄関を閉めて寝室へ向かう。外行きの格好に手早く着替える。ダイニングへ向かえば、彼は椅子に腰掛け待っていた。

 ゆったりとした二人掛けのダイニングテーブルに人がいる。なんだか不思議な光景だった。


「コーヒーと紅茶、あと、……お茶もありますけど。水がいいです?」

 聞けば、

「気遣いは結構だ。本題に入りたい」 

 即答で断られた。


 素直にダイニングの椅子に腰を下ろす。


「どうぞ」

「人を探している。行き先は不明だ」

「その探し人の顔が分かるものはありますか?」

 そう聞けば、こちらに向けられる訝しげな瞳はそのままに、処刑人さんは持っていた封筒から一枚の写真を取り出した。


 テーブルに出された写真。映っているのは、一人の中年男性。カメラ目線のその人は、特徴のない顔をしていた。


「この方とお話しされたことは?」

「何度か」

「それは、いつ頃でしょうか?」

 彼は少し思案し、

「先月初旬だ」そう言った。

「ありがとうございます。早速探してみましょう」

「……どうやって?」

 群青色の瞳がこちらに向いた。眉間には深い皺が刻まれている。

「すぐに終わります。そのままお待ち下さい」


 まっすぐにこちらを射抜く、鋭い視線に目を合わせる。意識を集中させれば、処刑人さんの見てきた世界が脳裏に浮かぶ。


 グローブをした指先が、この部屋のインターフォンを押そうと指を伸ばしてる。その記憶から、どんどん過去へと遡る。


 三厨部長との面会、彼の同期との会話、任務先での戦闘戦。


 ――見つけた。


 記憶の中、ターゲットの男と目が合った。

 そこから意識を男へと繋げ、同様に記憶を探る。


 この記憶かな? 


 男は誰かと通話していた。その記憶を覗く。

 耳に当てられた端末から、男の声が聞こえた。


「明後日、国境の吊り橋、日の出の時間だな」

「追っ手に注意しろ」

「わかってる。問題ない」


 通話は終了した。

 腕時計に表示されていたのは昨日の日付。手には地図。男の手で、地図に丸がつけられた――


 これくらいでいいかな……。

 繋げていた意識を切断すれば、バチッと映像が切れて遮断された。


「お待たせしました。お探しの人物を見つけました」

「……異能?」

 処刑人さんが、独り言のような声音でこぼした。

 この様子だと、部長から聞いてなかったのかもしれない。何も言わずに笑っておいた。

「地図をお出ししますので、少しお待ち下さい」

 席を立ち、ダイニングの片隅に置かれたチェストの引き出しを開ける。


 どこにしまったっけか? 


 中を探れば、――あった。目当ての地図はすぐに見つかった。目当てのページを探し、ダイニングテーブルに広げる。ターゲットが丸を付けた辺りを指さす。


「明日の日の出。この辺りにある吊り橋で、彼はオステリア(敵国)と落ち合うようです」


 言えば、彼は何度か目を瞬かせた。

 もしや、驚いてる? いや、困惑……かな?


 うーん。なら、


「お探しの相手は五百雀ダイスケ。所属は外事課の第二係で勤務。ですが、実際はオステリアの諜報員で、コードネームはDUO(デュオ)。この国の諜報員の情報を持って逃走中。――家族構成や他の情報もお伝えできますが、聞かれます?」


 先程覗いた記憶の中から、頭に残ってる情報を引っ張り出し口にすれば、


「……いや、十分だ。助かったよ、ありがとう」

 なぜか嬉しそうに口の端を吊り上げた。

 あ、笑うんだ。

「仕事ですので」

 彼は写真をしまい立ち上がり、地図帳を指し示す。

「借りても?」

「勿論です」

「助かるよ」

 地図帳が彼の持っていた封筒へと入れられた。

 玄関先までお見送りすれば、

「ありがとう。助かったよ」

 と言った処刑人さんの声はどこか柔らい。

 伸ばされた手に思わず頭をすくめると、処刑人さんがくしゃりと髪を撫で付けた。


「またね」


 彼はそう言い残して姿を消した。

 音を立てて玄関ドアが閉まって、自然と触られた頭頂部を触ってた。


 またね?

 それに、……なんで頭?


 また仕事で来るってこと?

 疑問をそのままに、鍵を閉めようと手を伸ばせば、ズキリと頭を鈍い痛みが走って、鼻の中から何かが垂れ出した。


「?」


 唇を伝い、顎先からぱたたっと足元が濡れた。

 指の腹で鼻を拭う。


 ――鼻血だ。


 そう認識するも、ぐわんと脳が揺れて、視界がブラックアウトした。






 その訪問から一週間後。

 処刑人さんは、()()やって来た。


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