閑話2 自由研究 (再掲)
下書き原稿でUPしてしまったので削除・再掲しました。
夏休みも半ばを過ぎた、ある日のことだった。
「先輩、あの子、迷子ですかね?」
同僚の言葉に目を向けると、小学生くらいの男の子が一人、改札の近くできょろきょろと周りを見回している。肩から水筒を提げ、背中にリュック。片手にはノート、もう片方には鉛筆。どう見ても電車に乗りに来た格好ではない。
「確認するか」
俺たちは駅員室を出て、その少年に声をかけた。
「君、どうしたの? 迷子? お父さんたちとはぐれちゃった?」
「あ、違います! あの、駅の人に聞きたいことがあるんですけど、どこに聞けばいいですか?」
なるほど。いきなり駅員室に飛び込むのは勇気が要るだろう。よし、これでも駅員の端くれだ。困った子供を助けるくらいの度量は――
「俺でよければ聞くけど、どうした?」
「あのっ! 夏休みの自由研究でこの町のこと調べてるんですけど、この駅がある場所って、昔は何があったんですか?」
……いきなり変化球が飛んできた。
駅の歴史なら多少は分かる。開業した年も、どういう経緯でこの路線が造られたのかも一応知っている。だが、駅ができる前となると話は別だ。
「ここ、昔は何だったっけ」
「病院じゃなかったですか?」
「ああ、そうだ。病院だ」
そうだった。言われて思い出した。駅ができる以前、この辺りには大きな病院があったのだ。高度経済成長期の路線開発に合わせて病院が移転し、その跡地を含む一帯が区画整理されて現在の新汐野駅が造られた――はずだ。
「昔は病院だったんだよ。今、山の方にある総合病院、知ってる?」
「知ってる!」
「あれが昔はここにあったんだ」
「へえー!」
男の子がノートを開き、早速書き込んでいく。よし、解決。いいことした。
「じゃあ、病院ができる前は何があったんですか?」
「……その前?」
解決してなかった。
そこまでは知らない。同僚を見るが、彼女も首をかしげている。
「さあ……ずっと病院だったんじゃないんですか?」
「いや、いつ建ったんだよそれ」
「私の生まれる前の話ですね」
「んなことわかってるよ」
二人で首をひねっていると、事務室から出てきた駅長がひょっこり顔を覗かせた。
「どうした?」
「駅長、この子が自由研究で、この辺の歴史を調べてるそうで」
「ほう、自由研究か」
途端に駅長の顔がほころぶ。なぜか分からないが、やけに嬉しそうだ。
「で、駅ができる前は病院だったってところまでは知ってるんですけど、その前は何だったのかなって」
「ふむ……俺も知らんな」
「駅長もですか」
「開業当時の資料なら残ってるだろうが、駅ができる前のさらに前だからなあ。まあ、図書館でも行けば分かるんじゃないか?」
そこで終わるかと思いきや、駅長はしばらく何かを考え、ぽんと手を打った。
「よし。お前たち、こっちは回しとくから、この子と一緒に図書館へ行って調べてきてくれ」
「「なんでですか!?」」
俺と同僚のツッコミがハモる。
「せっかくだろ。駅が建つ前の歴史なんて俺も知らんしな。それに、ひょっとしたら駅のウリにできるかもしれん」
「ウリって……」
「ほら、いまはなんだ、『映え』とか『バズる』とか、そういうのが重要なんだろ?」
「微妙に古いですよ、駅長」
同僚が容赦なく正論を叩き込む。
「細かいことはいいんだよ。地域の歴史を知るのも大事な仕事だ。ほら、行ってこい!」
「でも、仕事が……」
同僚が言いよどむ。うん、現在就業時間中だ。渋い顔の俺たちに、駅長はけろっとした顔で言い放った。
「業務にしとくから」
「わかりました! 先輩、行きましょう!」
「切り替え早いなお前!」
「だって業務で堂々と図書館行ける機会なんて、そうそうないですよ!」
駅長もそれを見て、何か思い出したように言った。
「そういやお前、司書の資格持ってなかったか?」
「持ってますよ。大学のときに取りました」
「おっ、初めて役に立つな」
「『初めて』は余計です!」
――こうして、俺と同僚、そして自由研究中の小学生という謎のパーティが結成され、俺たちは市立図書館へと向かうことになった。
このときの俺は、せいぜい古い地図を見つけて「昔は田んぼでした」とか、そんなほのぼのした事実を持ち帰るものだとばかり思っていた。
◇
市立図書館に着くと、同僚は迷うことなく案内カウンターへ向かった。
「郷土資料を調べたいんですけど、グループ学習室って使えますか?」
「はい、空いていますよ」
手続きを済ませ、彼女は郷土資料の棚から市史、旧町史、地域の写真集、都市計画史、そして古地図をまとめた資料を次々と抜き出していく。
「迷わないんだな」
「これでも司書資格持ちですからっ」
見直せほら! と言わんばかりのドヤ顔で胸を張る同僚。
「結局言いたいだけだろ」
「言わせてくださいよ、めったに誇れないんですから」
「凄い凄い。資格持ってると棚の配置までわかるんだ」
「……あ、それは案内板見ました」
「関係ないじゃん」
「細かいことはいいんです」
「駅長みたいになってるぞ」
「それはちょっと嫌です」
駅長に聞かせてやりたい。
軽口を叩きながら、俺たちはグループ学習室に陣取った。
「まずは新しいところから順番に遡りましょうか」
同僚が広げた市史には、昭和四十年代の区画整理の記録が載っていた。今の駅前とはまるで違う、低い建物が点在する景色。そしてその中に写る、ひときわ大きな建物。
「これが病院か」
「そうみたいですね」
「すごーい!」
男の子が熱心にメモを取る。ここまでは順調だった。
だが、同僚が都市計画史の別のページをめくったあたりから、本筋とは別の方向へ話が転がり始めた。
「あ、新汐野っていう名前、この頃にできたんですね」
「そうなの?」
男の子が資料を覗き込む。
「この辺りの町や村が合併したときに、新しく付けられた地名みたいです。ちょうど病院が移転して、区画整理が始まった頃ですね」
「汐野っていうところもあるよね」
「隣にあるな。あっちは昔からだ」
「じゃあ、汐野の隣に新しくできたから、新汐野?」
「そういうことだろ」
男の子がしばらく考えた。
「そんな安易なの?」
「新が付く地名なんて、だいたいそんなもんだろ」
「先輩、いい加減すぎます!」
「じゃあお前、ほかに『新』が付く地名の理屈を説明してやってくれ」
「任せてください」
同僚が自信満々に胸を張る。
「ない胸を張るな」
「先輩、それセクハラですよ、セクハラ!」
「悪かった悪かった」
「先輩だって無駄にデカいくせに!」
「何がデカいの?」
男の子が不思議そうに聞いた。
「えっ」
同僚が固まった。そして、なぜか見る見るうちに顔が赤くなっていく。
「ほら。変なところ拾われた」
「か、体です! 体! 先輩、背も高いし、無駄に体が大きいって意味です!」
「何慌ててるんだろうな」
「ねー」
男の子と顔を見合わせる。
「むきーっ!」
「で?」
「なんですか!」
「『新』が付く地名の理屈」
「あっ」
同僚が咳払いする。
「えーとですね。新汐野の場合は、合併後に新しく整備された地域なので――」
「つまり?」
「……新しいからです」
「一緒だ一緒」
「むきーっ!!」
コンコン。
勢いよく振り返った同僚が、その姿勢のまま固まった。扉が少し開き、図書館の職員さんが顔を覗かせている。
「あの、グループ学習室でも、もう少し声を抑えていただけますか……」
「…………はい」
さっきとは別の意味で、同僚の顔が真っ赤になった。
「すみませんでした……」
ぺこぺこと頭を下げる同僚を残し、職員さんは扉を閉めていった。しばしの沈黙。
「…………なんで私が」
「一番でかい声出したからだろ」
「ねー」
「二人が原因でしょうが!」
「しーっ」
「また怒られるぞ」
「むぐぐぐぐ……!」
声を出せなくなった同僚が、悔しそうに拳をぷるぷる震わせる。
「何怒ってるんだろうな」
「ねー」
「…………っ!」
震えが増した。よく分からんが、これ以上やると三回目が来そうなのでやめておこう。
「じゃあ、病院はいつできたの?」
男の子が何事もなかったように資料へ戻る。
「切り替え早いな」
「自由研究だから」
「お前が一番真面目だな」
「誰のせいで脱線したと思ってるんですか……」
同僚が恨めしそうにこっちを見る。知らん。たぶん全員だ。
気を取り直して、少年の純粋な問いに従い、病院の開院年を調べる。
「あ、ありました」
同僚が資料の一点を指差した。
「昭和二十一年。終戦の翌年ですね」
「思ったより新しいな」
「あれ?」
「どうした?」
「病院の名前、違いますよ」
「名前?」
「『矢ケ崎病院』って書いてあります」
「やがさき?」
男の子が首をかしげる。俺も資料を覗き込んだ。確かにそこには、現在の病院名とは違う名前が記されている。
「今、山の方にあるのは新汐野総合病院だよな?」
「はい。さっきの資料だと、移転した頃に今の名前へ変わったみたいですね」
「ああ、新汐野って地名ができたのもその頃か」
「そういうことですね。ここにあった頃は、矢ケ崎病院」
「じゃあ、さっき駅で言ったの、ちょっと違ったな」
「同じ病院ではありますけどね」
男の子がノートを直す。
「矢ケ崎病院……っと」
「で、しかもこれ、新しく土地を買って一から建てたわけじゃないみたいです」
「何?」
「『旧軍用地および施設の払い下げを受けて開院』」
「軍の基地!?」
男の子の目がキラリと輝いた。病院より明らかに食いつきがいい。子供はこういうのが大好きだ。
「待て待て。病院はもういいのか」
「だって基地だよ!」
「分かりやすいなあ」
「病院だって調べましょうよ。移転するまで二十年近くここにあったんですから」
「移転の理由は?」
「敷地が狭くなったのと、町の合併や周辺の開発計画に合わせて、みたいですね」
「普通だな」
「普通の病院に何を期待してるんですか」
同僚に呆れられた。
そこで男の子が、何か思いついたように立ち上がった。
「病院の怖い話とかないの?」
「自由研究から離れてきてない?」
「病院だってこの場所の話だよ!」
「強いな、その理屈」
しばらくして、男の子が一冊の古びた本を抱えて戻ってきた。
「あった!」
「本当にあったのかよ」
表紙には、いかにも昭和の本らしい字体で、『県内病院 怪談・奇談集』とある。
「それ郷土資料なのか?」
「一応この県の本みたいですね」
同僚が受け取って目次を確認する。
「あ。矢ケ崎病院、載ってますよ」
「さっきの病院?」
「そうですね。現在の新汐野総合病院が、まだここにあった頃の話です」
「やった!」
「何を喜んでるんだ」
ページを開く。
「ええと……昭和三十年代の終わり頃。病院が現在地へ移転する少し前の話だそうです」
「何があったの?」
「ある日、一人の男性が怪我をして病院を訪れた」
「うん」
「保険証も出して、普通に診察と治療を受けた」
「普通じゃん」
「普通ですね」
同僚が読み進める。
「治療が終わったら、窓口で支払う分もちゃんと払って、そのまま帰ったそうです」
「終わり?」
「だったら怪談集には載らないだろ」
「ですよね」
同僚がページを指で追う。
「その後、病院が保険の請求をしようとしたところ――」
「うん」
「その保険証の番号に該当するものがなかった」
「偽物だったの?」
「病院の人もそう思ったみたいですね。それで、保険証に書かれていた住所を確認した」
「どこだったの?」
「○○郡○○村――」
同僚の指が止まる。
「……そんな村はなかったそうです」
「え?」
「その頃は町村合併が多かった時代ですから、古い村名じゃないかとも調べたみたいです。でも、合併前にも、それより前にも、そんな地名は見つからなかったと」
「じゃあ住所も偽物?」
「そういうことになるんですかねえ」
「名前は?」
「それも確認できなかった、と」
男の子が首をかしげる。
「じゃあ、その人、どこの人だったの?」
「分かりません」
「病院に戻ってこなかったの?」
「それっきりだったそうです」
「でも、お金は払ったんだよね?」
「窓口で払う分はちゃんと払ってます」
「じゃあいいじゃん」
「病院はよくないですよ。残りの分を請求できてませんから」
「あ」
「そこは現実的だな」
俺も本を覗き込む。
「本当にあった話なの?」
「さあ」
同僚が巻末を確認する。
「出典は『矢ケ崎病院に勤務していた職員の証言』としか書いてませんね」
「じゃあ本当?」
「それだけじゃ何とも言えませんよ。怪談や不思議な話を集めた本ですし、何十年も前の話でしょう?」
「そっかあ」
「保険証の番号を転記するときに間違えたとか、住所を読み違えたとか、そういう可能性だってありますし」
「でも保険証を見たんでしょ?」
「この本では、そうなってますね」
「変なの」
「だから載ったんでしょうね」
同僚はそれ以上気にする様子もなく、本を閉じた。
「自由研究に書くなら、これは病院の正式な記録じゃなくて、『こういう話も残っている』くらいにしてくださいね」
「はーい!」
返事だけはいい。
「じゃあ、その病院ができる前!」
やっぱり病院そのものへの興味はもう終わったらしい。
「軍の基地!」
「基地っていうより、陸軍の物資集積所みたいですね」
「戦車もあった?」
「そこまでは分かりませんね」
「大砲は?」
「それも書いてません」
「秘密兵器は?」
「物資集積所に何を期待してるんだ」
「でも戦争してたんでしょ?」
「戦争中だからな」
「空襲とかあった?」
その一言に、同僚が資料から顔を上げた。
「軍の施設なら、ありそうですね」
「分かるの?」
「戦災記録を見れば載ってるかもしれません」
「さすが司書」
「もっと言ってください」
「調子に乗るな」
地域の戦災記録と戦史を探して照らし合わせる。ほどなくして、同僚の指が止まった。
「あ。ありました」
「空襲?」
「はい。昭和二十年夏。軍の物資集積所一帯が空襲を受けています。倉庫などが焼失。施設内で二十七名が死亡。周辺住民にも死傷者が出た、と」
「二十七人!」
「そこだけテンション上げて喜ぶな!」
「だって戦争だよ!」
「だからって死者数で盛り上がるな!」
ツッコミを入れる俺を無視して、男の子はノートにペンを走らせる。
「空襲、死者二十七人……っと」
「数字は大事ですからね」
「お前まで乗るなよ」
「自由研究ですから」
便利だな、その言葉も。
「ほかにも何か載ってないの?」
「施設についてですか?」
「うん!」
すっかり軍事施設に食いついてしまったらしい。
「じゃあ、もう少し見てみますか」
同僚が別の資料をめくっていく。
「規模はそんなに大きくないですね。倉庫が何棟かと、管理棟……常駐人員二十四名」
「二十四人?」
「はい」
「さっき二十七人死んだって言ってなかった?」
男の子の手が止まった。
「……言ってたな」
俺もさっきの戦災記録を引き寄せる。
「二十七名だ」
「でも、こっちは二十四人だよ」
三人で資料を見比べる。
「三人多くない?」
「多いな」
「三人どこから来たんだよ」
俺が言うと、同僚はしばらく資料を見比べてから首を傾げた。
「別におかしくないですよ」
「そうなの?」
「こっちは常駐人員ですから。当日ここにいた人数とは限りません」
「ああ、そうか」
「物資集積所なら人の出入りもあったでしょうし。荷物を運んできた人とか、別の部隊の人とか、臨時で誰かいた可能性はいくらでもあります」
「じゃあ、その三人は誰?」
「そこまでは分かりませんね」
同僚が戦災記録をめくり直す。
「こっちは地域全体の被害をまとめた資料ですし、個人名までは載ってません。もっと専門的な軍事資料とか、当時の部隊記録まで探せば分かるかもしれませんけど」
「ここにはない?」
「少なくとも、この棚にある資料だけじゃ無理ですね」
「そっかあ」
男の子は少し残念そうだった。
「まあ、常駐二十四人の施設に、その瞬間二十四人しかいちゃいけないって決まりはないからな」
「そういうことです」
「じゃあ、二十七人でいいんだ」
「いいというか、そう記録されてるんだからそうなんでしょう」
「分かった!」
男の子が再びノートへ書き込む。
「常駐二十四人、空襲で二十七人死亡……」
「そこだけ並べると妙な書き方になりますね」
「でも本当でしょ?」
「本当ですけど、『当日は臨時の人がいた可能性がある』も書いておきましょうね」
「はーい」
まあ、そういうこともあるだろう。物資の集積所だ。人の出入りがなかったと考えるほうがおかしい。
「じゃあ、その前!」
「もう次行くのか?」
「行きましょう!」
「お前もか」
「ここまで来たら気になるじゃないですか」
同僚の目が完全に調査する人間のそれになっている。俺もちょっと気になってきた。
軍施設が造られる以前へ遡る。明治、大正と地図を追っていくと、この辺りには長い間、まとまった空き地が残っていたらしい。
「何もないね」
「本当に何もないな」
「道はありますけどね」
同僚が古地図を指差す。何本かの街道が近くを通っている。だが、人家は少ない。
「じゃあ、もっと前!」
「江戸時代まで行くの?」
「せっかくだからです」
「お前、最初からここまでやるつもりだったろ」
「まさか」
「目を逸らすな」
旧町史をさらに遡る。
「あ」
同僚の指が止まった。
「今度はなんだ」
「刑場です」
「……刑場?」
「はい。この辺りに藩の刑場が置かれていたみたいです」
「けいじょうって何?」
男の子が聞いてくる。
「昔、罪を犯した人を罰する場所だな」
「牢屋?」
「いや……」
どう説明したものか。同僚がさらっと引き取った。
「重い罪を犯した人を処刑する場所です」
「処刑?」
「死刑にすることです」
「へえー!」
そこに感心するのか。男の子は早速ノートに書き込んでいる。
「刑場……っと」
「おいおい」
病院の前が軍の物資集積所で、その前が刑場。ウチの駅の足元はどうなっているんだ。
「名前は矢ケ崎刑場……」
同僚が読んでいた手を止めた。
「ん?」
「どうした?」
「矢ケ崎って、さっきの病院と同じですね」
「あ」
言われて俺も気づいた。
「本当だ。矢ケ崎病院だったな」
「ねーねー、矢ケ崎って何?」
男の子が顔を上げる。
「そういや、今はそんな地名ないな」
「ちょっと待ってくださいね」
同僚が古地図を引き寄せる。現在の地図と見比べながら、しばらく指で追っていく。
「ああ、やっぱり。この辺り一帯が、当時は矢ケ崎と呼ばれていたみたいです」
「じゃあ病院も、それで矢ケ崎病院だったのか」
「そういうことですね」
「あ」
そこで俺も思い出した。
「駅の裏にあるだろ。矢ケ崎湧水」
「ああ、ありますね」
同僚も思い出したらしい。
「やがさきゆうすい?」
「駅の裏手にある湧き水だよ。小さい池みたいになってるだろ」
「あれ?」
「そう、それ」
「水が出てるの?」
「今でも出てるぞ」
「飲める?」
「一応、飲めるらしいぞ」
「一応って何?」
「俺は飲んだことない」
「私もないです」
「じゃあ飲みに行こうよ!」
「自由研究の範囲が広がり続けてるぞ」
「この場所の歴史だよ!」
「その理屈、今日何回目だ」
「でも、矢ケ崎って名前が今も残ってるなら、見に行くのはいいかもしれませんね」
「煽るなよ」
「自由研究ですから」
「便利だな、その言葉」
男の子は嬉しそうに、「昔は矢ケ崎。病院も矢ケ崎病院。矢ケ崎刑場もあった。今は湧き水に名前が残ってる……っと」と書き込んでいる。
「で、その刑場なんですけど」
同僚が資料へ目を戻した。
「別のところに、お触れが載ってますね」
「お触れ?」
「藩から出された命令ですね」
同僚が文章を目で追う。
「『矢ケ崎刑場の使用を禁ずる』」
「……使用を禁ずる?」
「はい」
「刑場なのに?」
「刑場なのに」
「わざわざ刑場にしておいて、使うなって言ったのか?」
「そういうことになりますね」
「なんで?」
「なんででしょうね?」
三人で顔を見合わせる。
「理由は?」
「ここには書いてません。使用を禁じるという命令だけです」
「何かあったんじゃないの?」
「普通はそう考えますよね」
同僚が前後も確認する。
「でも、少なくともこの資料には理由までは載ってません」
「変なの」
「変ですねえ」
「じゃあ、使わなくなったの?」
「そこまでは分かりません。この資料だけで分かるのは、刑場がここに置かれたことと、後に使用を禁じるお触れが出されたことだけです」
「なんで禁止したの?」
「だから分かりませんって」
「分かんないこと多いね」
「昔のこと調べてると、そんなものですよ」
「よくあることですよ」
同僚が言った。
「昔の行政文書なんて、全部残ってるわけじゃありませんから。禁止した理由を書いた別の文書が失われただけかもしれません」
「まあ、そうだよな」
「何百年前の話ですしね」
理由が分からないからといって、不思議な出来事だったとは限らない。ただ、理由が分からない。それだけだ。
「その前は?」
男の子が聞く。
「まだ行くの?」
「行きましょう」
「お前まで即答するな」
「ここまで来たら気持ち悪いじゃないですか」
「何が」
「どこまで遡れるのか」
分からなくもない。
「……じゃあ、もう一つ前までな」
「やった!」
この時点では、本当にもう一つくらいだと思っていた。
◇
「これより前になると、ちょっと面倒ですね」
同僚が古地図と旧町史を何冊も机に広げた。
「何が?」
「地名です。江戸時代は矢ケ崎でしたけど、もっと昔に遡ると、この辺りの呼び方がころころ変わるんですよ」
「同じ場所なのに?」
「同じ村が何度も名前を変えた、ってわけじゃないみたいです。その時代ごとに、周りの村とか領地から違う名前で呼ばれているんですよ」
男の子が古地図を覗き込む。
「じゃあ、戦国時代は矢ケ崎じゃないの?」
「みたいですね」
「なんてところだったの?」
「それを今から探します」
同僚が現在の地図を横に置いた。
「今の駅がここ。矢ケ崎湧水がここですから……」
「昔の道も使えるんじゃないか?」
「そうですね。この街道が今の県道につながってるはずだから……」
古地図と現在の地図を見比べる。川の流れ、山の位置、昔の街道、今も残っている寺や神社。一つずつ目印を拾っていくと、ようやく現在の駅がある辺りを特定できた。
「ここですね」
「なんていうところ?」
「長瀬原」
「ながせはら?」
「今は残ってない地名みたいですね。この辺りの原野をそう呼んでいたようです」
男の子が早速ノートに書き込む。
「江戸時代は矢ケ崎で、戦国時代は長瀬原……っと」
「で、長瀬原には何があったの?」
「何があったかというと……」
同僚が郷土史の索引を調べる。
「あ」
「何?」
「《長瀬原の戦い》」
「合戦!?」
男の子の目が輝いた。
「そこだけ食いつくな」
「だって合戦だよ!」
「さっきまで刑場だっただろ」
「合戦のほうがかっこいい!」
「分かりやすいなあ」
俺も資料を覗き込む。
「聞いたことないぞ」
「私もです。ちょっと待ってくださいね」
同僚が市史と旧町史を行ったり来たりする。
「……ああ。これ、そんな大きな戦いじゃないみたいです」
「どのくらい?」
「郷土史には、両勢力合わせて百余名が衝突したとありますね」
「百人くらいか」
「小規模な戦いだったみたいですね」
「教科書に載ってる?」
「絶対載ってない」
「市史だと……二行です」
「地元ですら二行かよ」
「詳しいのはこっちですね。郷土史研究会の紀要」
「よく残ってたな」
「こういう小さな記録を調べるのが郷土史ですから」
「おお。今のは司書っぽい」
「でしょう?」
「ない胸を――」
「二回目は許しませんよ」
「はい」
学習した。
「何人死んだの?」
「死者数までは分かりませんね。双方に死傷者あり、としか」
「残念」
「残念がるな」
まあ、戦国時代だ。こういう小さな戦いなら、各地でいくらでもあったのだろう。
「ねえ、これ面白いよ!」
男の子が突然立ち上がった。
「今度は何だ?」
いつの間に持ってきたのか、一冊の本を抱えている。市史や郷土史とは違う。表紙には昔の村の風景と、妙に愛嬌のある狐の絵。
『汐野のむかしばなし』
「昔話?」
「うん! これ、長瀬原って書いてある!」
男の子が開いたページを差し出してくる。
「どれどれ」
同僚が受け取った。
「『長瀬原の二人武者』……あ、本当ですね」
「合戦の話?」
「みたいです。でも、こっちは歴史資料じゃないですよ。地域に伝わる昔話を集めた本です」
「分かってるよ」
「自由研究に書くなら、史実と昔話はちゃんと分けないとダメですからね」
「はーい!」
男の子の返事だけはいい。
「で、どんな話なんだ?」
同僚がページを読む。
「長瀬原の戦が終わったあと、近くの村の人たちが戦場へ入ったそうです」
「何しに?」
「残された刀とか鎧とか、使えそうな物を拾いに」
「持って帰っていいの?」
「昔の話ですからねえ」
「戦場泥棒じゃないのか?」
「まあ……そうとも言いますね」
男の子はまったく気にせず続きを待っている。
「それで?」
「戦場を回っていた村人が、二人の武者が倒れているのを見つけた」
「死んでた?」
「はい。お互いの刀で刺し合ったような格好で、二人とも死んでいたそうです」
「相討ち?」
「みたいですね。ただ、その二人が変なんです」
「何が?」
「顔がまったく同じだった」
「え?」
「顔だけじゃなくて、背格好も同じ。着ていた鎧も同じだったそうです」
「双子?」
「そう思いますよね」
同僚が続きを読む。
「それで村人たちが二人の刀を調べてみたら――刀に刻まれていた銘まで同じだった、と」
「同じ刀が二本あったの?」
「同じ銘の刀が二本、ですね」
「なんで?」
「さあ。だから昔話として残ったんじゃないですか?」
俺も本を覗き込む。
「それで、その刀と鎧は拾ったの?」
「いえ。気味悪がって、二人の武具には誰も手をつけなかったそうです」
「せっかく拾いに行ったのに?」
「それでも持って帰りたくなかったんでしょうね」
「もったいない」
「お前なら持って帰るのかよ」
「だって刀でしょ?」
「そういう問題じゃない」
同僚が少し笑いながら続きを読んだ。
「結局、どちらがどこの武者なのかも分からなかったので、二人は武具ごと一緒に埋められたそうです」
「同じお墓?」
「そうみたいですね」
「へえー!」
男の子は早速ノートへ書き込んでいる。
「同じ顔の人が二人、同じ鎧、同じ刀……っと」
「刀そのものが同じって書くと変ですよ。同じ銘の刀です」
「同じ名前?」
「まあ、そんな感じです」
「じゃあ同じ名前の刀!」
「……小学生の自由研究なら、それでいいですかね」
「いいのかよ」
「意味はだいたい合ってます」
俺はもう一度昔話集を見る。
「双子だったんじゃないの?」
「かもしれませんね」
「鎧も揃えてたとか」
「刀も同じ刀工に作ってもらったとか」
「だったら説明つくな」
「つきますね」
「じゃあ普通じゃん」
「昔話ですから」
男の子が不満そうな顔をする。
「……待て待て。普通じゃないぞ」
「なんで?」
「同じ鎧を揃えてたなら、味方同士だろ。なんでそいつらが斬り合って死んでるんだよ」
「……あ」
同僚が止まった。
「そうだ! なんで!?」
「分かりませんよ!?」
「これ面白い!」
「それはそうだな」
◇
「じゃあ、その前は?」
長瀬原について一通り調べ終えたところで、男の子が当然のように言った。
「もう一つ前までって言ったよな?」
「言いましたね」
「お前は止める側だろ」
「でも、ここまで来たら南北朝時代も見たいじゃないですか」
「増えてるじゃねえか」
結局、また古地図を広げる。
「戦国時代が長瀬原で……その前は……」
同僚が地名を追っていく。
「この時代になると、長瀬原じゃないですね」
「また名前違うの?」
「はい。小柴野と呼ばれていたみたいです」
「こしばの?」
「今の駅がある辺りは、この小柴という領地の端に入っていたみたいですね」
「じゃあ南北朝時代は小柴野!」
男の子が書き込む。
「小柴野には何があったの?」
「えーと……」
同僚が索引を調べる。その手が止まった。
「……《小柴野合戦》」
「また合戦!?」
俺と同僚も顔を見合わせる。
「まただな」
「またですね」
「すごい!」
「いや、何百年も離れてるからな?」
「それでも二回目だよ!」
「まあ、それはそうなんですけど」
調べてみると、これも大規模な戦ではなかった。小柴を領有していた側と、その隣の領地との小規模な衝突。
市史には名前すらなく、旧町史の脚注から郷土史研究会の資料をたどって、ようやく詳しい記述が見つかった。
「両方に兵を出した記録が残ってますね」
「じゃあ、ちゃんと戦ったんだ」
「そうみたいですね。大規模な合戦ではありませんけど」
「あ!」
男の子が例の昔話集を引っ張り出した。
「こっちにも小柴野ある!」
「もう先に昔話を探してるだろ、お前」
「だって面白いんだもん」
題は『小柴野の消えた兵』。
「また合戦の話か」
「みたいですね」
同僚が本を受け取る。
「小柴野で戦があった日、近くの村の人たちが、武者たちが戦っているところを遠くから見ていたそうです」
「さっき調べた合戦?」
「でしょうね。小柴側と隣の領地、双方に兵を出した記録がありますから」
「じゃあ本当に戦ったんだ!」
「合戦そのものは、そうみたいですね」
男の子が身を乗り出す。
「それで?」
「危ないので村人たちは近づかず、戦いが終わるまで待った。それから小柴野へ行ってみたそうです」
「死んでた?」
「それが――誰もいなかった」
「逃げたの?」
「生き残った人が引き揚げるのは普通でしょうけど……死体もなかったそうです」
「みんな生きてたんじゃない?」
「でも、村人たちは人が斬られたり、矢が当たったりするところも見ていた、とありますね」
「じゃあ連れて帰ったとか」
「それなら別におかしくないんですが」
同僚がページを指でなぞる。
「死体だけじゃないんです。折れた武具も、落とし物も、それどころか、さっきまで飛び交っていたはずの矢が一本も残っていなかったそうです」
「一本も?」
「一本も」
「全部持って帰ったの?」
「さあ」
「戦が終わったあとに?」
「昔の武具は貴重ですから、回収したのかもしれませんね」
「矢も全部?」
「……几帳面な人たちだったんじゃないですか?」
「おかしくない?」
「おかしくないですよ。昔話ですから」
「そういう意味じゃないよ!」
男の子がむっとする。
「でも、本当に戦ったんだよね?」
「そっちは記録があります。双方が兵を出した、と」
「なのに何もなかった?」
「昔話では、そうなってますね」
「変なの」
「だから残ったんでしょうね」
◇
「……もう鎌倉まで行きます?」
「お前から言うなよ」
「ここでやめたら気持ち悪くないですか?」
「全然」
「僕は気になる!」
「ほら」
「何が『ほら』だ」
多数決なら負けである。また地名を遡る。
「南北朝時代が小柴野。その前の鎌倉時代は……」
同僚が地図を指で追う。
「上津野ですね」
「また変わった」
「領地の区切りも変わってますからね。この時代だと、ここは二つの領地の境になってます」
「上津野には何があったの?」
「どうでしょうね」
索引を引く。
「あ」
「まさか」
「《上津野の戦い》」
「また!?」
これで三回目。
ただし、これも後世の郷土史家が便宜上そう呼んでいるだけで、当時の記録には「上津野にて争う」程度しか残っていなかった。
「また小さいの?」
「みたいですね」
「なんで毎回ここで戦うんだよ」
「偶然じゃないですか?」
「三回だぞ」
「何百年も離れてますよ」
「それはそうだけど」
「人気スポットだったんですよ」
「戦場の人気スポットってなんだよ」
「じゃあ定番スポット」
「言い換えてもダメだ」
「これもあるよ!」
男の子が、もう当然のように昔話集を差し出してくる。
「『境の合戦』……上津野の話ですね」
上津野は二つの領地の境だった。ある日、その境で大勢の武者が戦い始めた。
騒ぎに気づいた近くの農民たちは、巻き込まれないよう遠くから様子を見ていたという。
「どっちとどっちが戦ってたの?」
「それが分からない、という話ですね」
「なんで?」
「上津野は二つの領地の境ですから、最初はどちらかの領主の兵だと思ったそうです。でも――」
同僚がページをめくる。
「片方の領地の村人が見ても、どちらも自分たちの兵ではなかった」
「じゃあ隣の?」
「隣の領地の人たちも見たそうです。でも、やっぱりどちらも自分たちのところの兵ではなかった」
「じゃあ誰?」
「分かりません」
「両方とも?」
「両方とも」
男の子が目を丸くする。
「よそから来た人同士?」
「普通に考えれば、そうでしょうね」
俺が言うと、同僚も頷いた。
「街道が近いですし、武装した集団が通ることもあったでしょうから。それがたまたま境で争った話なのかもしれません」
「でも、どこの人か最後まで分からなかったの?」
「昔話ではそうなってますね」
「戦いが終わったら?」
「双方ともどこかへ去っていった、と」
「死んだ人は?」
「そこまでは書いてません」
「じゃあ本当に誰だったの?」
「だから分からないんですって」
「変なの」
「昔話ですから」
「またそれ!」
◇
「次は?」
「平安時代末期ですね」
「もうお前が止まらなくなってるじゃねえか」
「ここまで来て四回目があるか確認しないなんて無理ですよ」
「ある前提で言うな」
男の子も期待に満ちた目で地図を見ている。
「今度はなんて名前?」
「ちょっと待ってくださいね」
上津野からさらに古い記録を追う。領地の区切りがまた変わる。
同じ街道も、資料によって呼び方が違う。それでも川や山、古くからある寺社を手掛かりに現在の位置と重ねていく。
「……鷺原ですね」
「さぎはら?」
「この時代は、今の駅周辺をそう呼んでいたみたいです」
「鷺原には?」
「まだ何も言ってませんよ」
「でも調べるんでしょ?」
「まあ……」
同僚が郷土史の索引を開く。しばらくページを追う。止まった。
「…………」
「どうした?」
「ありました」
「何が?」
「《鷺原合戦》」
「また合戦じゃん!」
四回目。
「本当に?」
「はい」
「四回!?」
「でも、これも名前ほど大層なものじゃないですよ」
市史には載っていない。旧町史に一文。詳しく扱っているのは郷土史研究会の資料だけで、小さな武装集団同士の衝突だったらしい。
「なんで毎回ここなんだよ」
「だから何百年も離れてますって」
「でも四回ですよ、先輩」
「お前はどっちなんだよ」
「四回目になると、さすがにちょっと面白いです」
「ほら!」
「お前は喜ぶな」
「あった!」
もう何が、とは聞かない。
「鷺原?」
「うん!」
男の子が例の昔話集を持ってくる。
「今度はどんな話だ?」
「えーっと……『鷺原の死人』!」
「嫌な題だな」
同僚が本を受け取り、ページを開く。
「ある朝、村人が鷺原へ行ってみると、大勢の武者が倒れていたそうです」
「死んでたの?」
「はい。刀傷や矢傷があって、辺りにも戦った跡が残っていた、と」
「じゃあ、ここで合戦したんだ」
「そう考えられたみたいですね」
ここまでは別におかしくない。問題は、その次だった。
「でも、誰も戦っているところを見ていないそうです」
「え?」
「前の日まで、そんな武者たちはいなかった。夜に騒ぎを聞いた者もいない。朝になって原へ行ったら、死体と戦った跡だけがあった」
「誰だったの?」
「分からなかったそうです」
「どこの人?」
「それも分からなかった、と」
男の子が不思議そうに首をかしげる。
「じゃあ、いつ戦ったの?」
「それも分かりません」
「誰と誰が戦ったの?」
「分かりません」
「なんにも分かんないじゃん」
「だから昔話として残ったんでしょうね」
俺は、さっき読んだ話を思い出した。
「……小柴野のときと逆だな」
「あ」
同僚も気づいたらしい。
「本当ですね」
「こしばの?」
男の子がノートをめくる。
「ほら。小柴野は、戦ってるところは村人がちゃんと見てたんだろ?」
「うん」
「小柴側と隣の領地が兵を出したって記録も残ってる」
「うん」
「なのに、終わったあとには何もなかった」
「死体もなかった!」
「武具も」
「矢も一本も!」
よく覚えている。
「で、こっちは逆だ」
「戦ってるところは誰も見てないのに……」
「死体も武具も、戦った跡も残ってた」
三人で本を見る。
「…………」
「…………」
男の子の顔がぱっと明るくなった。
「反対だ!」
「そういうことだな」
「面白い!」
「面白がるところなのか?」
「昔話ですからねえ」
同僚は気にした様子もなくページを閉じる。
「でも、これも本当にこういうことがあったって記録じゃないですからね」
「分かってるよ。昔話でしょ?」
「そうです」
「でも鷺原で合戦があったのは本当?」
「少なくとも、そういう記録は残ってますね」
「じゃあ書く!」
「ちゃんと分けて書いてくださいよ」
「はーい!」
◇
こうして並べてみると、妙なものだった。
戦国時代。この場所は、長瀬原と呼ばれていた。そこで《長瀬原の戦い》。
南北朝時代。同じ場所は、小柴野と呼ばれていた。そこで《小柴野合戦》。
鎌倉時代。今度は上津野。そこで《上津野の戦い》。
平安時代末期。鷺原。そこで《鷺原合戦》。
「……本当に全部ここなんだよな?」
「はい」
同僚が四つの時代の地図を並べる。
「地名は全部違いますけど、現在の地図に重ねれば、どれも新汐野駅を含むこの一帯です」
「四回……」
「四回ですね」
「すごい!」
「お前はずっと楽しそうだな」
一つ一つは、全国史はもちろん、地元の歴史ですら大きく取り上げるほどのものではない。
市史に数行。旧町史の脚注。郷土史研究会でもなければ、わざわざ調べることもないような小さな戦いだ。
だから、今まで知らなかったこと自体は不思議でもなんでもない。
そして、それぞれに妙な昔話が残っている。
長瀬原では、同じ顔、同じ背格好、同じ鎧、同じ銘の刀を持った二人の武者が、互いに斬り合って死んでいた。
小柴野では、両領地が兵を出した記録もあり、村人も戦っているところを見ていた。それなのに、戦が終わったあとには死体も武具も、矢一本すら残っていなかった。
上津野では、二つの領地の境で、どちらの領地の者でもない二つの集団が勝手に戦っていた。
鷺原では、誰も戦っているところを見ていない。それどころか騒ぎを聞いた者すらいないのに、朝になったら大勢の武者の死体と戦闘の跡だけが残っていた。
「変な話ばっかりだな」
「昔話なんてそんなものですよ」
「狐とか大蛇とかないの?」
「ありますよ。ほら、『汐野沼の大蛇』『狐に化かされた庄屋』『山姥の石臼』」
「普通のもあるじゃん」
「普通の昔話って何ですか」
「少なくともこっちより普通だろ」
「確かに」
男の子が、ノートに書き込んだ話を見返す。
「全部、戦いの話だね」
「実際にそこで戦があったから、それに引っ張られて昔話ができたんだろ」
「そういうことはありそうですね」
同僚も頷く。
「後の時代の人が、昔ここで戦があったと聞いて話を作ったり、もともとあった別の話と混ざったり。だから、昔話の内容まで史実だと思っちゃダメですよ」
「はーい」
そのときは、それで話が終わる――はずだった。
同僚が、机に並べた四枚の地図を片づけようとして、手を止めた。
「……あれ?」
「今度は何だ?」
「いえ……」
戦国時代の長瀬原。南北朝時代の小柴野。鎌倉時代の上津野。平安時代末期の鷺原。同僚が、それぞれの地図をもう一度見比べる。
「地名が違うのは分かるんですけど……」
「うん」
「これ、どの時代も――」
指が、地図の上を順番に動いていく。
「この場所、端なんですよ」
「端?」
「長瀬原は、この時代の支配地域の端」
「うん」
「小柴野も、小柴側の領地の端」
「うん」
「上津野は、はっきり二つの領地の境」
「……うん」
「鷺原も、こっちの集落とこっちの勢力圏の間です」
三人で地図を見る。
「全部、境目?」
「みたいですね」
だから戦が起きた。そう考えれば、四回の合戦も別に不思議ではない。
道が集まる。広い平地がある。軍勢を動かしやすい。そのうえ、どちらか一方の本拠地というわけでもない。
「……戦いやすいな」
「ですね」
同僚が大きく頷く。
「絶好の戦場だったんです!」
「戦場の人気スポットにするな!」
「でも、そういうことでしょ?」
「言い方!」
男の子が地図を見比べる。
「だから何回もここで戦ったの?」
「たぶんな。別にこの土地そのものを奪うために大戦争したわけじゃなくて、勢力同士がぶつかると、この辺が戦場になりやすかったんだろ」
「へえー」
「だから一個一個は、地元でもほとんど知られてないくらい小さな戦いなんでしょうね」
「なるほど」
これなら、今まで俺が知らなかったのも当然だ。駅の歴史を覚えるのに、平安時代の小競り合いまで研修で習わされたらたまったものではない。
ここまで分かると、江戸時代に刑場が置かれた理由も何となく見えてくる。
町からは離れている。それでいて道が集まっているから、人の行き来には困らない。刑場を置く場所として選ばれた理由なら、なんとなく分かる。
分からないのは、なぜ藩がわざわざ、『矢ケ崎刑場の使用を禁ずる』などというお触れを出したのか。もっとも、理由を記した資料が残っていないだけかもしれない。
近代になると、その広い土地と交通の便の良さに目を付けた軍が物資集積所を置いた。戦後は、まとまった旧軍用地と残された施設を利用して矢ケ崎病院が開院。その後、周辺の町や村が合併し、新汐野という新しい地名が生まれた。
病院は山の方へ移転し、新汐野総合病院へと名前を変える。そして市街地が広がり、かつてはどこから見ても端だったこの場所が、いつの間にかいくつもの地区をつなぐ場所になった。そこへ新しい路線が通り、新汐野駅ができたわけだ。
「ずっと同じ土地なのにな」
「使い方だけ変わっていったんですね」
「昔は戦場で、今は駅!」
「途中を飛ばしすぎだ」
「刑場!」
「挟むところがそこなの?」
「軍の基地!」
「だから順番に言わなくていいんだよ」
男の子は楽しそうである。
「じゃあ次!」
「まだ行くの?」
「もっと昔!」
勢いが止まらない。
「もう文字の記録は厳しいんじゃないか?」
「そうですねえ。平安より前となると……」
さすがにこの辺が限界だろう、と思っていたら、
「これ!」
男の子が一冊の資料を持ってきた。
「何それ」
「遺跡の本!」
「考古学まで行くのかよ」
「この場所の歴史でしょ?」
「まあ、そうだけど」
「いいところに気づきましたね」
「褒めない。加速するから」
同僚が受け取って索引を開く。
「新汐野……新汐野……あ」
「あるの?」
「ありますね」
「あるのかよ」
三人でページを覗き込む。高度経済成長期、路線建設と区画整理に先立って行われた発掘調査の記録だった。
「何があった?」
「ええと……」
同僚が読み進める。止まった。
「墓域です」
「墓?」
「はい」
「いつの?」
「古墳時代」
「古墳!」
男の子は今日一番の勢いでノートに書き込んだ。
「古墳があったの?」
「いわゆる大きな古墳じゃなくて、お墓が集まっていた場所みたいですね」
「へえー!」
俺も資料を覗く。人骨そのものはほとんど残っていなかったものの、副葬品などから墓域だったと判断されたらしい。
「つまり……」
指を折って数えてみる。
「病院」
「はい」
「軍の物資集積所」
「はい」
「空襲」
「はい」
「刑場」
「はい」
「戦国時代の小さな合戦」
「はい」
「南北朝時代の小さな合戦」
「はい」
「鎌倉時代の小さな争い」
「はい」
「平安時代末期の武装集団同士の戦闘」
「はい」
「古墳時代の墓」
「はい」
三人で資料を見る。
「…………」
「…………」
「すごい!」
一人だけ感想が違った。
「すごいか?」
「だって、いっぱい調べられた!」
「まあ、それはそうだな」
自由研究としては大収穫である。駅長が期待していた方向とは、かなり違う気がするが。
「これより前は?」
「もうないです」
同僚が即答した。
「ほんと?」
「少なくとも、今ここで確認できる資料ではここまでです」
「そっかあ」
心底残念そうである。
「十分だろ。千年以上遡ったぞ」
「もっとあると思ったのに」
「何を期待してるんだよ」
「石器時代とか」
「駅の下から石器まで出てきたら俺も驚くわ」
「探せばあるかもしれませんよ」
「煽るな」
「冗談です」
たぶん。
必要なページを複写し、資料名と出典を同僚が確認する。
「出典はちゃんと書いておいたほうがいいですよ」
「しゅってん?」
「どの本や資料で調べたかってことです。自由研究の最後に、この本と、この本と――」
「全部書くの?」
「全部です。それから、昔話と病院の怪談集は歴史資料とは別にしておきましょうね」
「なんで?」
「『本当に起きたこととして記録されているもの』と『こういう話が伝わっています』は違うからです」
「じゃあ、昔話って書けばいい?」
「そう。病院の話も『怪談集に載っていた話』って書く。それなら大丈夫です」
男の子がノートを見直す。
「矢ケ崎病院には、ない村から来た人がいた」
「怪談集では、ね」
「ちゃんと保険証も出した」
「そう書いてありますね」
「お金も払った」
「窓口分はね」
「軍の基地には二十四人いたのに、二十七人死んだ」
「物資集積所です。それから、二十四人は常駐人員。当日別の人がいた可能性があります」
「刑場は作ったのに、あとで使うなって言われた」
「ことは記録にあるみたいですね」
「なんで?」
「分かりません」
「長瀬原では、同じ顔の二人が同じ鎧着て死んでた」
「昔話では、ね」
「小柴野では、戦ってるところを見たのに何も残ってなかった」
「昔話では、ね」
「上津野では、知らない人と知らない人が勝手に戦ってた」
「言い方はともかく、昔話ではそうですね」
「鷺原では、誰も戦ってるところを見てないのに死体だけあった」
「全部、昔話です」
「分かってるよ!」
男の子がむっとする。
「ちゃんと書くもん!」
「ならよろしい」
同僚が満足そうに頷く。
「あと、調べたことをそのまま並べるだけじゃなくて、どうして同じ場所が何度も使われたのか、自分で考えたことも書くといいですよ」
「道が集まってて、どこの町からも端っこだったから?」
「そうそう。いいですね」
おお。ちゃんと司書っぽい。
「昔は町と町の端っこだったのに、今は駅があるんだね」
男の子が何気なく言った。
「そうだな」
昔は、どこから見ても端だった。それが町村合併と市街地の拡大で一つにつながり、今では人が集まる駅前になっている。考えてみれば、なかなか面白い変化である。
「自由研究のまとめ、それでもいいんじゃないか?」
「書く!」
「いいですね。『昔は境目、今は町をつなぐ場所』とか」
「お前、そういうの考えるの上手いな」
「司書資格持ちですから」
「それは絶対関係ない」
「むう」
◇
夕方。すっかり満足した様子で駅へ戻ると、駅長が待ち構えていた。
「おう、お帰り! どうだった?」
「いっぱい分かった!」
男の子が真っ先に答える。
「そうかそうか」
駅長はご満悦である。
「何か駅のウリになりそうなのはあったか?」
「ありました!」
「おお!」
「おい」
その報告はちょっと待て。止める間もなく、男の子がノートを開いた。
「まず駅ができる前は病院!」
「ほうほう」
「矢ケ崎病院!」
「矢ケ崎?」
「今の新汐野総合病院の昔の名前です」
同僚が補足する。
「ここにあった頃は、まだ新汐野って地名じゃなかったみたいですよ」
「ほう」
「それで、ない村から来た人がいた!」
「ん?」
「ちゃんと保険証出してお金も払って帰った!」
「じゃあ何が問題なんだよ」
「保険証の番号も村もなかった!」
「なんだそれ」
「怪談集に載ってた話です」
同僚がすぐに補足する。
「正式な病院記録じゃありませんからね」
「そうなのか」
「はい。で、その前が陸軍の物資集積所です」
「ほう」
「そこには二十四人いたんだけど、空襲で二十七人死んでる!」
「待て」
「その前は刑場!」
「ちょっと待て」
「矢ケ崎刑場!」
「また矢ケ崎?」
「当時のこの辺の地名だったみたいです」
「ああ、だから矢ケ崎湧水か」
「そうみたいです」
「駅の裏の?」
「はい」
「一応飲めるやつだな」
「誰も飲んだことないんですけどね」
「俺もないな」
「じゃあなんでみんな一応飲めるって知ってるんですか」
「看板に書いてあるからだろ」
「ああ」
「明日飲みに行く!」
男の子が宣言する。
「腹壊しても知らんぞ」
「飲めるんでしょ!?」
「一応な」
「だからその一応は何!?」
駅長が苦笑してから、話を戻す。
「で、その刑場がどうしたって?」
「後に『矢ケ崎刑場の使用を禁ずる』ってお触れが出てるみたいです」
「刑場なのに?」
「はい」
「なんで?」
「分かりません」
「またか」
「理由が書かれた資料が残ってないだけかもしれませんけどね」
「そんなもんか」
「そんなもんですよ」
何百年も前の行政文書が、理由まで何もかも残っているほうが珍しいだろう。
「その前は長瀬原の戦い!」
「まだあるのか」
「その前は小柴野合戦!」
「待て待て」
「その前は上津野の戦い!」
「まだ遡るのか?」
「その前は鷺原合戦!」
「おい」
「一番古いのは古墳時代のお墓!」
「…………」
駅長が俺を見る。さっきまでのご満悦はどこへ行った。
「本当か?」
「歴史資料で確認できた部分は本当です」
同僚が答えた。
「病院の変な患者は?」
「怪談集です」
「じゃあ分からんのか」
「分かりません」
「軍の二十四人と二十七人は?」
「それは資料にあります。でも別におかしくないですよ。二十四人は常駐人員ですから、空襲当日に別の人が来てた可能性があります」
「その三人は誰だ?」
「そこまでは分かりません。もっと専門的な軍事資料を調べないと」
「なんだ、そういうことか」
「刑場は?」
「それも資料にあります。矢ケ崎刑場」
「矢ケ崎病院と同じ名前なのは?」
「昔の地名です。江戸時代には、この辺りを矢ケ崎って呼んでたみたいです」
「それが湧水の名前にだけ残ったのか」
「そうみたいですね」
「なるほどな」
「で、その刑場は後に『矢ケ崎刑場の使用を禁ずる』ってお触れが出てます」
「刑場なのに?」
「はい」
「なんで?」
「分かりません」
「またか」
「理由が書かれた資料が残ってないだけかもしれませんけどね」
「そんなもんか」
「そんなもんですよ」
「合戦のほうは全部この駅の場所なのか?」
「正確には駅を含む周辺一帯ですけど」
「名前、全部違うじゃないか」
「地名が変わってるんですよ。江戸時代は矢ケ崎。その前は長瀬原、小柴野、上津野、鷺原。古地図で追ったら、全部ほぼ同じ場所でした」
「そんなに変わるもんなのか?」
「同じ村が改名を繰り返したわけじゃないみたいです。その時代ごとに周りの村や領地が変わって、この辺りを指す呼び方も変わってるんですよ」
「なるほどな」
「名前も付いてるような合戦が四回もあったのか?」
「いや、それが全部小さいんですよ」
俺が答える。
「一番大きい戦国時代ので、両方合わせて百人ちょっとです。あとは数十人とか、詳しい人数すら分からないくらいの小さな争いで」
「じゃあ、なんで名前が付いてるんだ?」
「後世の郷土史家が、場所を区別するために便宜上そう呼んでいるものもあるみたいです」
同僚が補足する。
「市史にまともに載ってるのは一つくらいですよ。ほかは旧町史の脚注とか、郷土史研究会の紀要とか」
「よく見つけたな」
「司書資格持ちですから!」
「おお。今日初めて役に立ったな」
「駅長まで!?」
やっぱそういう感想になるよな。
「あとね、昔話もあったよ!」
男の子が嬉しそうに例の本を持ち上げる。
「昔話?」
「うん! 同じ顔で同じ鎧の人が二人死んでたり、戦ったのに何も残ってなかったり、知らない人同士が勝手に合戦したり、戦ってないのに死体だけあったり!」
「待て待て待て」
駅長が慌てて止めた。
「なんだそれ。さっきの合戦の話か?」
「はい。でも、そっちは史実じゃないです」
同僚が即座に訂正する。
「地域に伝わってる昔話です。実際の合戦記録とは別ですね」
「そうなのか」
「はい。自由研究でもちゃんと分けて書くように言ってあります」
「小柴野の合戦自体は本当にあったんだよ!」
「それは記録がありますね」
「戦ってるところも見たんだよ!」
「昔話ではね」
「でも終わったら何もなかった!」
「昔話ではね」
「矢も一本も!」
「昔話ではね!」
「何回言うの!?」
「何回でも言いますよ!」
駅長が昔話集を覗き込む。
「しかしまあ……妙な話ばっかり残ってるな」
「戦があった場所だからでしょう。後からそういう話がくっついたんじゃないですか?」
「そんなもんか」
「そんなもんじゃないですか」
俺が答える。昔話まで真に受けていたらきりがない。
「で、なんで同じ場所で四回も戦ったんだ?」
「それもだいたい分かりました」
同僚が地図を取り出した。
「昔から道が集まる広い平地だったみたいなんです。でも、どこの町や村、領地から見ても中心から外れた境目だったんですよ」
「ほう」
「人も軍勢も集まりやすい。でも、どちらの本拠地でもない」
「だから、時代が変わっても何度かここが戦場になったのか?」
「たぶんな」
「絶好の戦場だったんです!」
「その言い方やめろ」
駅長にも怒られた。
「で、江戸時代には町から離れているけど交通の便はいいから刑場に」
「その後、なぜか使用禁止」
「そこは理由不明です」
「近代になると、広い土地があって物資を運びやすいから軍が集積所を置いて」
「うん」
「戦後は旧軍用地と施設を使って矢ケ崎病院ができて」
「うん」
「その後、町村合併で新汐野って地名ができて、病院は移転して新汐野総合病院になった」
「うん」
「それから市街地が広がったら、今度はここが地区同士をつなぐ場所になって、路線が通って駅になりました」
「…………」
駅長がゆっくり駅舎を見回した。
「ずっと立地がいいんだな、ここ」
「そういうことですね」
「使われ方が物騒だった時期が長いだけで」
「余計な一言を足すな」
「でも駅長」
「なんだ」
「千年以上、人から選ばれ続けた土地ですよ」
「おお」
駅長の顔が少し明るくなった。
「そう言われると、なんかいいな」
「でしょう?」
「お前、売り込む気になってない?」
「業務ですから」
「そこまで業務にした覚えはないぞ」
男の子がノートを抱えて笑っている。
「すごい自由研究になりそう!」
「そうだなあ」
駅長が何とも言えない顔で頷いた。
「駅長」
「なんだ」
「ウリにします?」
「……しない」
「今ちょっと乗り気だったじゃないですか」
「合戦四回と刑場と空襲、どれも駅の宣伝には使えんだろ!」
「病院の怪談もありますよ」
「なおさら使えん!」
「歴女とかにバズるかもしれませんよ」
「そういうバズり方は求めてない」
「映えは?」
「何を映えさせるんだよ!」
「矢ケ崎湧水とか」
「それは普通に使えるな」
「あ」
「あ」
三人で顔を見合わせる。
「湧水ならいいじゃないですか」
「駅裏すぐですしね」
「昔の地名も残ってる」
「飲めますって」
「一応な」
「だから一応は何!?」
男の子のツッコミが今日一番鋭かった。
「でも、『昔は境目、今は人をつなぐ駅』っていうのは使えそうですよね」
同僚が言った。
「お、それいいな」
「駅長」
「なんだ」
「また乗せられてますよ」
「……ポスターくらいなら」
「作るんですか」
「いや、検討だ。検討」
「バズらせるんです?」
「もうその話はいい!」
どうやら完全に諦めたわけではないらしい。
男の子はノートを鞄へしまい、俺たちに頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「おう。自由研究、頑張れよ」
「はい!」
元気よく走り出す。
「走るなよー」
「はーい!」
今度は歩き出した。素直でよろしい。
その背中を見送ってから、駅長が改めて駅舎を見回した。
「……しかし、よくまあこれだけ重なったな」
「千年以上遡りましたからね。何かしらありますよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんじゃないですか」
「でも四回も戦場になってますよ?」
同僚が横から口を挟む。
「小競り合いだろ」
「四回です」
「交通の便がよかった」
「矢ケ崎刑場」
「町外れだった」
「使用禁止のお触れ」
「何か事情があったんだろ」
「理由は残ってませんけどね」
「昔のことだろ」
「空襲」
「軍施設だった」
「二十四人しか常駐してないのに二十七人」
「誰か来てたんだろ」
「誰か分かりませんけどね」
「そこまで調べてないだけだ」
「矢ケ崎病院には存在しない住所の患者」
「怪談本だろ」
「保険証まであったそうですよ」
「怪談本だろ」
「ちゃんとお金も払ってます」
「じゃあ普通の患者だろ」
「保険請求は通ってませんけど」
「細かいな!」
「古墳時代には墓地です」
「それは知らん」
「あと、変な昔話が四つ」
「それは昔話だろ」
「そうですけど」
「何でもかんでも昔の話と結びつけてたら、町なんか造れん」
「先輩らしいですねえ」
「何がだ」
「いえ、別に」
何だ、その含みのある言い方は。
駅長はしばらく考えていたが、やがてぽんと手を打った。
「よし。駅のウリは『千年以上選ばれ続けた好立地』でどうだ」
「復活した」
「何がだ」
「駅を売り込む話です」
「いいだろ別に」
「だいぶ言い換えましたね」
「嘘は言ってないだろ」
「合戦四回と刑場と空襲と怪談を全部載せなければ」
「載せる必要ないだろ!」
「自由研究には載りますけどね」
「それは仕方ない」
さっきまで捨てたはずの欲が、もう戻ってきたらしい。
「ポスター作るなら、昔の地図と今の駅の写真並べましょうよ」
「お、それいいな」
「本当に作る気かよ」
「だから検討だって言ってるだろ」
「矢ケ崎湧水も載せましょう」
「それはいいな」
「飲めますって」
「一応な」
「もう『一応』を売り文句にしたらどうです?」
「誰が飲むんだよ!」
まったく。
しかし、千年以上ずっと境目か。そりゃ長い歴史の中で、戦の一つや二つくらいあるわな。四つは予想外だったが。
「駅長、ポスター作るならタイトルはどうします?」
「『新汐野――千年の交差点』とか」
「おお、ちょっとそれっぽい」
「お前ら本当に作る気だろ」
千年の交差点。よくまあそれっぽい言葉を思いつくもんだ。
「…………ん?」
「どうしました、先輩?」
「いや」
戦国時代にも。南北朝時代にも。鎌倉時代にも。平安時代にも。道が集まり、人が行き交う場所だった。
そのたびに呼び名は違う。長瀬原。小柴野。上津野。鷺原。江戸時代には矢ケ崎。
同じ村が何度も名前を変えたわけじゃない。周囲の村や領地が変わり、その時々で、この原っぱの呼ばれ方が変わっただけだ。
つまり――ずっと、どこかの外側だった。
江戸時代には矢ケ崎刑場が置かれた。その後、理由は分からないが、藩から名指しで使用を禁じるお触れまで出された。
近代には軍が物資集積所を置くくらい交通の便がよかった。戦後には、その旧軍用地を使って矢ケ崎病院が建った。そして周辺の町村が合併したことで、ようやくこの場所にも「新汐野」という一つの名前が付いた。
病院は移転して、新汐野総合病院になった。その後、市街地が広がり、現代なら駅を造るのにも向いている。
昔話なんて、ただの昔話だ。
同じ顔をした二人の武者が、同じ鎧を着て、同じ銘の刀で斬り合って死んでいたとか。
双方が兵を出し、村人も戦っているところを見ていたのに、戦が終わったあとには矢一本残っていなかったとか。
どこの領地の者でもない連中が、境で勝手に合戦していたとか。
誰も戦を見ても聞いてもいないのに、朝になったら死体と戦闘の跡だけが残っていたとか。
病院の話だって怪談本だ。存在しない番号の保険証を出して、存在しない村の住所を書いた患者が、普通に治療を受けて金を払って帰った。そんな話が本当にあったかどうかなんて分からない。
軍の記録だってそうだ。常駐二十四人の施設で二十七人死んでいたからって、別におかしくはない。空襲の日に三人くらい余計にいたって不思議じゃない。誰だったのか分からないのは、そこまで詳しい資料を調べていないだけだ。
刑場だって同じだ。設置された後に、使用を禁じるお触れが出された。何か理由があったのだろう。その理由を書いた紙が、今ここに残っていないだけだ。
だから、それはいい。
でも――
人が集まりやすくて。
湧き水も湧いてて。
交通の便がよくて。
広くて使いやすい土地が。
なんで千年以上も、どこの町にも取り込まれず、ずっと境目だったんだ?




