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残酷"桃"太郎物語  作者: 尾崎 友美
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一.誕生


  (もも)(かわ)喜八郎がこの村にやって来た時、自分は武家の三男であったが、冷や飯食いに甘んじるわけにはいかんと自分の素養を活かして医者になったのだと周囲に話した。実際は親から勘当されたも同然で、この村に流れ着いたのであった。

 その村で喜八郎は、心を入れ替えたように医者の勤めに勤しんだ。村人の健康を気遣い、時には近隣の町への往診も厭うことなく出掛けた。喜八郎自身の腕も良く、村人から信頼を得るまでにそう時間は掛からなかった。それまで喜八郎に部屋を間借りさせていた村の庄屋から嫁を娶ることを勧められた喜八郎が選んだのは、土地持ち百姓の娘で、齢十八のさとであった。庄屋の仲人によって祝言を挙げ、小さいながらも家を与えられた。二人が仲睦まじく暮らしている様に、村は喜んだ。医者が村に居ついてくれることは何より有難いことだったのだ。

 このさとという女は容姿こそ平凡ではあったが、気立てが優しく働き者であった。だが喜八郎にとって最も都合が良かったのは、さとが夫の言う事に従順なところだった。遠出によって、町の往診先で自分を贔屓にする客ができたところでもあった喜八郎は、これで準備は整ったとほくそ笑んだ。喜八郎が勘当された原因は、あまりにも女遊びが絶えず、その不始末の尻拭いをしてきた親の堪忍袋が爆発したからである。村に来てからの喜八郎の努力は、村では良い医者でありつつ、離れた場所で女遊びをするためであった。人が聞けば呆れ果てることではあるが、喜八郎という男は、己の躰が女への執着を抑えられないのである。加えて絶倫であった。

 幸いにも己の性癖が露見することなく四十年が過ぎ、喜八郎は六十五になっていた。


  それは木々の緑を揺らす風も、山の動物たちの声もどこか柔らかい、実に春らしい日であった。

 年老いてもなお女好きは収まるところを知らず、いつもはさとに往診に行ってくると告げて意気揚々と町へ出掛けては、すっきりした顔で帰ってくる喜八郎の様子が、この日は違った。

 喜八郎は時折足をもつれさせながら懸命に家路を急いでいた。顔面は蒼白でありながら、流れる汗が尋常ではなかった。


  同じ頃、喜八郎の妻さとは、いつものように川に居た。

 町で夫が何をしているかを知らぬまま年は過ぎ、今やすっかり老い、肌の張りは消え、皺も増え、乳房も垂れ下がってしまったが、さとは幸せそうにこの日も洗濯に勤しんでいた。

 本当に麗らかな日であった。額に浮かぶ汗を手の甲で拭いつつ、さとは一息吐いて顔を上げた。すると、遠くから浮いたり沈んだりしながら流れてくるものがさとの視界に入った。さとは立ち上がって見ると、それは桶だった。よく眼を凝らすと、桶の中に何かある。近づいてくるにつれて、どうも桃のような形をしている。桃だと確信できなかったのは、それが明らかに通常より大き過ぎたせいである。さとは首を傾げた。

 眺めていると、桶は岩にぶつかり大きく傾いた。中の物が川に零れ落ち、春の陽に触れてぬらりと光った。さとは眼を剥き、悲鳴を上げようとしたが、若い頃よりも低くなった声は、雄叫びとなって山にこだましたのであった。

 それは人間の尻だったのである。

  さとは洗い上げた洗濯物もそっちのけで後退った。不安定に漂っていた尻が、そんなさとを見つけたかのように不意に安定し、迷わずに近づいてきたものだから、さとは恐怖した。見つかったような気分だった。

 尻はそのまま、さとの洗濯物に引っ掛かって止まり、ぷかぷかした。震えながらあっちへ行けと願ったが、再び川の流れに乗る気配は一向に訪れなかった。

 突然、さとは笑い出した。引き攣った笑い声は先程の雄叫びと同様に山に響き渡り、一瞬、鳥たちの囀りが止まってしまう程であった。さとは尚もけけけと笑いながら、ふと、尻の傍にある洗濯物をどうやって取ろうかしらんと考え始めた頃に、止まっていた鳥の声が、間を置いて恐る恐るというように再び聴こえ出した。春の陽気と洗濯物と人間の尻。奇妙な笑いが治まったさとは、今度は呆然となったが、その弛緩した顔を引き締めて真剣に考えだした。夫はよく働いてくれるけれども暮らしはけして裕福ではない。布一枚も無駄にはできない。無駄にはできない。無駄にはできない……。

 遂には、無駄にはできない無駄にはできない、とまるで念仏のように唱えながら、できるだけ尻を見ないようにと顔を背けつつ、感覚で距離を計りながら少しずつカニ歩きで近づいていった。足に洗濯桶が当たり、さとは手探りで洗濯物を拾い上げようとしたが、運悪く最初に触れたものはぬるりとした感触を持っていた。さとは声も無く尻もちをつき、その拍子に尻の全体を見てしまったのだが、今度は眼が離せなくなった。尻は、正確には首と手足を切り落とされた女の遺骸であった。

 さとは今度は声を上げなかった。遺骸の女の腹は膨れ、薄桃色の膜があることに気付いたのであった。その薄桃色があまりに綺麗で、一瞬、その遺骸自体が作り物のように見えた。さとは、指で軽く突いてみた。その感触はところてんを思わせた。もう少し近づくと、何やら甘い香りがするではないか。

つと、さとは遺骸に触れなかったほうの手で眼を擦った。腹が動いたように見えたのである。じっと観察すると、今度ははっきりと、腹が中から動いた。さとは掌を腹に当ててみた。内側から振動があった。さとは眼を見開いた。

「そこに居るのかえ?」

 するとさとに応えるように腹が振動した。とん、とん。

 腹を蹴っている! 途端に、眼前で横たわっているのが遺骸であるということをさとは完全に忘れた。中の赤子は生きている。直ぐに取り出さねば。けれどどうやって?

 さとは慌てて立ち上がった。誰かを呼んで来なければ。だが、また慌てて遺骸を見た。自分がこの場を離れている間にまた川に流されてしまってはいけない。先程まで、流れ去って欲しいと思っていたことなどすっかり忘れて、さとは周囲を見渡した。誰か通りかからぬだろうか――。

 そこに脚をもつれさせながらもこちらに歩いてくる夫の姿を見たのであった。


「お前様!」

 さとは、通り過ぎようとする喜八郎に大きく手を振って声を張り上げた。喜八郎の躰は大仰と言えるほどびくりとしてさとを見た。顔が引き攣っていた。

「な、なんじゃお前か」さとを認めた喜八郎は、幾分震えた声でそう言うと、大きく息を吐いた。さとは盛んに手招きして、「手伝って下さいませ!」と叫んだ。

 さとの剣幕に、何事かと喜八郎は道を外れて川へ近づいていったが、前につんのめって足を止めた。

「し、死体ではないか」

「けれど赤子がおりまする」

「何? 赤子?」

 辺りを見回す喜八郎に痺れを切らしたさとは、急いで喜八郎の手を取り、遺骸まで連れて行こうとした。「待て、待て!」と喜八郎は声を上げたが、先刻までふらついていた脚はさとの力に逆らえない。

「よく見て下さい」さとが指差したのは、遺骸の膨れた腹であった「動いておりまする。中に赤子が居るのです」

 喜八郎も医者である。心持ち顔を背けつつも、腹を見た。さとの言うように、或いは言われたからなのか、腹が動いているような気がしないでもない。だが、努めて冷静に喜八郎は言った。

「土佐衛門は腹が膨れておるものだ」

 喜八郎は嘗て往診に出た先で、たまたま水死体を見た事があった。全身の肉どころか眼球も舌も膨れ上がり、皮膚が溶け、真っ赤になったそれは、ひどい悪臭を放っていた。瞼の裏に焼き付いて、幾晩も眠れぬ夜を過ごしたのだった。

 記憶に吐き気をもよおしつつ、しかし、と喜八郎は改めて遺骸を見た。確かに腹は膨れているが、鼻腔に届くのはむしろ甘い香りだった。その皮膚は陽の光を淡く反射していた。遺骸は薄桃色の膜に覆われていた。

「とにかく」土左衛門らしからぬ遺骸に困惑しながらも、喜八郎は努めて冷静な声だった。「人を呼ぼう。わしらだけではどうこうできぬ」

 わかりました、とさとが立ち上がりかけた時だった。けたたましい泣き声が上がったのである。驚いた二人は、一体何年ぶりだろうかというほど互いに強く抱き合った。今度こそはっきりと、腹の中から赤子の鳴き声がする。

「お前様!」

 絶え間なく続く声に、先に立ち直ったのはさとだった。

「やはり生きておりまする。取り出してやらねば!」

 こうして二人は、おっかなびっくり洗濯桶に遺骸を入れ、洗ったばかりの着物やら褌やらをその上に掛けて隠し、家に持ち帰ったのであった。


 家に持ち込むと泣き声は更にけたたましくなり、喜八郎は慌てて家中の戸を閉め切った。さとは急いで産湯の湯を沸かしにかかると、包丁を持ってきて喜八郎に渡した。日頃食事の支度に使う包丁で人の腹を割らねばならんのか。そもそも漢方医であり、触診をして薬を処方するだけが仕事の喜八郎は震えた。なかなか取り掛かれぬ喜八郎に業を煮やしたさとは、「私がやります」と包丁をぶん取り、まずは躰を覆っている膜に刃を入れ丁寧に取り除いた。斯様な時に女子とは胆が据わっているものだ、と未だに震える手を擦り合せながら、喜八郎は場違いにも感心した。

 だが、さとがいざ腹を割ろうとしたその時、膨れていた腹が急にへこんだ。

「あら!」

「ぎゃあ!」

 喜八郎は見苦しく後ずさった。喜八郎のすぐ傍に、腹の中からへその緒で繋がれた赤子がころりと出てきて、それは元気に泣いている。喜八郎は更に怯えた、仰向けに転がった赤子の眼は既に開いており、喜八郎を見据えていた。よほど出たかったのか、赤子は遺骸の産道を自力で出てきたのである。

 さとはへその緒を丁寧に切ると、桶に産湯を張り、赤子を浸けて優しく拭ってやった。赤子の鳴き声は次第に落ち着き、大人しくなった。これがあんな大声で泣いていたのかと思うほど、小さな赤子だった。

 さとが事の異常さなどすっかり忘れてしまったように、優しく言葉を掛けながら赤子を産湯に入れている一方で、喜八郎は遺骸の腹がへこんだことで露わになった脚の付け根に釘付けになったまま固まった。

 黒子が三つ並んでいる。つい二日前にも、というよりも、ここ数カ月、かなりの頻度で見てきたものである。喜八郎は思った。自分はこの女を知っている。

 喜八郎は己が今日慌てふためいて村に帰ってきたことを今更のように思い出した。


 喜八郎の町の往診先の一つに〈みの屋〉という若い夫婦が営む和菓子屋があった。初めて訪れた時は、ここの女房が風邪を拗らせたと言うので薬を処方した。

 和菓子屋の女房は、わかと言った。これがすこぶる魅惑的で、男好きのする女であった。無類の女好きであり、老いてもなお己の性欲を持て余すほどの性豪であった喜八郎は女を見抜いた。わかの予後を診るために再び訪れた時、わかの欲を刺激し、二人は関係を持ったのである。喜八郎はそうした手管に長けた、とんだ助平であった。

 まぐわってみると躰の相性が抜群な上に、互いに背徳感という刺激の虜となり、それからは幾度となく何かと理由を付けては往診に訪れ、互いの躰を貪りあっていった。その時喜八郎が腰を打ちつけていたわかの股座と同じ場所に、同じ並びの黒子がある――。

 さらにこの遺骸の身元を推測させる出来事があった。今日もわかの躰を楽しみにみの屋へ赴いてみると、店は見事に焼け落ちていた。驚いて近隣の者に尋ねると、昨日店が火事になり全焼したが、焼け跡からは夫婦の死体が出てこず、行方不明なのだという。ひょっとしたら夜逃げかもしれぬが、しかしわざわざ家を燃やすなど目立つようなことして夜逃げなどするだろうか、何かに巻き込まれたのではないかと奉行所が今調べているらしいという話だった。出入りしていた自分が疑われるかもしれないと、喜八郎は村に逃げ帰ってきたのである。


「本当に可愛らしいこと」

 さとは産着の代わりの布で赤子を包んで嬉しそうに眼を細めた。切断された部分と股の間から流れた血の匂いと、恐らくは薄桃色の膜から発せられる甘い香りが混ざり合った奇妙な匂いの中、すぐ傍に切断された遺骸が横たわっていることも、赤子がそこから出てきたことも、恐ろしく残酷な光景であるにもかかわらず、さとの眼には映っていないようだった。喜八郎はさとの微笑みに気味悪さを覚えたが、さらにさとが「私たちで育てましょう」と言った時には、冷たい汗が背中を伝った。

「それは忌み子だ」喜八郎の声は震えた。

「この土左衛門から出てきたのだぞ、死人から生まれたのだ。忌み子に違いない。それを我らが育てるなど、とんでもないぞ」

 しかし、さとは喜八郎がかつて見た事もないほど厳しい視線を向けた。

「たとえ死人から産まれてきたとしても、この子は生きています。取り出した私たちが見捨ててどうするのです」

「取り出したのではない。己で出てきたのだ!」喜八郎の声は自然大きくなった。「尋常ではない」

「ではこの子はどうするというのです?」

「……捨て子を拾うたというて寺にでも預ければよい」

「まあ!」さとは心底から非難の声を上げた。

「なんと薄情な! それでもお前様はお医者様なのですか」

「それとこれとは関わりない」

 喜八郎は赤子を抱いたさとから視線を逸らしつつ、あくまでも冷然と言った。

 女の遺骸を挟んで、二人は沈黙した。家の中は、さとに抱かれて安堵したのか、赤子のあうぅと言う穏やかな声だけがするばかりだった。暫くすると遠慮がちに鼻をすする音が混じった。さとは泣いていた。

「……私は、お前様の子を産むことが叶いませんでした」そうして俯くさとから涙が粒となり、ぽろぽろと赤子の顔に落ちた。

「死人の躰から産まれるなど、確かにお前様が言うとおり、この子は忌み子なのやもしれませぬ。けれどその女子は私に向かって流れてまいりました。私は思うのです。きっと私にこの子を助けて欲しかったのではないかと」

 そして、赤子を抱えたまま喜八郎に詰め寄り「お願いします」と涙声で言った。

「この子は、子の無い私たちに仏が育てよと授けて下さったものであるに違いありません。ちゃんと大事に立派に育てますから、この子を見捨てないでやって下さいませ」

 喜八郎は寒気を覚えた。遺骸がさとに向かって流れてきたという話も、赤子が自力で出てきた事実も、子に対する女の強い情を見越したわかの呪いなのではないか。

 だが、子を成せなかったと泣くさとの気持ちも解らないではなかった。性豪の喜八郎がどれだけさとと励んでも、こればかりはどうしようもなかったのである。落胆するさとに、快楽が先に立つばかりの喜八郎ですら、さすがに心苦しい思いをしたものだった。日頃は自分の事など後回しで、常に穏やかなさとが、涙ながらに何度も頭を下げてくることにも、喜八郎は心打たれた。次第に、自分たちに子が出来なかったのは、女遊びが過ぎる自分に与えられた仏の罰だったのではないかとすら思え、そう思うと、さとの腕に抱えられた小さな赤子が、そうした罰のとばっちりを受けたさとに対する仏の慈悲なのやもしれぬと思い始め、瞑目した。喜八郎の思考は完全に迷走していた。

「……わかった」

 喜八郎は声を絞り出した。はっと顔を上げたさとの涙に溺れた瞳を真っ直ぐに見つめ、喜八郎は頷いてみせた。

「この赤子は、わしらに対する仏からの授かりものとして育てることにする」

 さとの顔は見る間に喜びに溢れた。

「名は? 名は何としましょう」

「……お前の許にやって来たのだ。お前が名付けるとよい」

 これにもさとは大層喜び、「それでは……」と暫し赤子を見つめ、呟いた。

「……桃」

「何?」

「桃太郎といたしまする」

 喜八郎は思わず遺骸を見た。わかの尻は桃のように張りがあり、むしゃぶりついた情事を思い出した。

「お前は今日から桃太郎よ」

「待て、待て」優しく微笑むさとを見ながら、喜八郎は慌てて制した。

「何でしょう」

「その……桃太郎では百川桃太郎になってしまう」

 いけないのかというように、さとは首を傾げた。喜八郎は言い募った。

「周囲の者が呼び辛いではないか。それに桃太郎など、おとぎ話と比べられてこの子が傷付くやもしれぬ。せめて桃は除けて太郎とせぬか。わしらにとっては長男になる訳だし」

 これにはさとも納得したようで、そうですね、と頷いた。

 何故さとの頭に桃という字が浮かんだのか、喜八郎は勘繰ったが、さとは善良な女なのだ、他意などあろうはずがない、と疑心暗鬼に陥りそうな自分を戒めるように首を振った。そこで遺骸が視界に入った。喜八郎は内心で頭を抱えた。遺骸の始末も考えねばならないことに今更ながら気付いたのだった。

 こうして、結局は後に〈桃太郎〉と渾名されることになる百川太郎は誕生したのであった。








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