85・☆月下黒竜3
持っていた武器が小さな花に変わってしまい、男たちはうろたえながら警戒を強めた。
殺傷力の高いナイフや剣はもちろん、めくらまし程度の些細な魔法道具や、腰に下げた細い棍棒まで、すべてが無力になってしまったのだ。
「なんだこれは!?」
「このガキ幻術使いか?!」
旅芸人一家の方は、自分達を襲撃したチンピラたちの動揺する姿を声もなく見守っていた。
怪力兄弟を演じながら用心棒も勤めている二人が握っていたウォーハンマーはそのままだ。
筋骨隆々の肩をすくめながら、禿頭をなでて顔を見合わせる。
少女の母親も、舞台で使う腰に下げたナイフを見下ろしたが、こちらも変化していない。
他の団員達の武器も健在のようだ。
なんらかの魔術によって武器が花に変わっているのだとしても、それはどうやらチンピラたちにだけ作用しているらしい。
花道一家で魔術を担当している老魔法使いは、突然現れた金髪の少年の使ったらしい魔法をなんとか解明しようと必死に観察したが、いったいどうやっているのか見当もつかなかった。
もしもチンピラどものいうように幻術ならば、魔法にかかっていない花道一家のメンバーには、いまも彼らの武器が健在に見えるはずだったが、そうではないので幻術である可能性はない。
変化の魔法を使ったのなら、質量は変えられないので、見た目は花でもかなりの重量の物質になる。
だが小さく可憐なヒナギクはチンピラどもの手からヒラヒラと舞い落ち、地面にふんわりと着地している。
それに変化の魔法は詠唱もせずに使用できるような簡単な魔法ではなかった。
仮に無詠唱で成功したとしても、一瞬で効果が消え、すぐに元の武器の形へ戻ってしまうだろう。
周囲の困惑と混乱をまったく気にした様子のない少年は、最初に現れたときとまったく同じ調子でチンピラどもにも優しくおだやかに話しかけていた。
泰然とした雰囲気だけでも、この美しい金の髪の少年が、ただものではないことを十分以上にうかがわせる。
「その花はあげる。二度とここに来ないって約束すれば、いまならまだ無事に帰れるから……」
「うるせえぞガキ!」
武器を失った男の一人が手の中の花を放り投げ拳を振り上げた、その時だ。
少年の背後の闇が低い音をたてた。
猛獣が身を伏せ殺意をこめて呻ったような、低く冷たい音だった。
地響きのように、その音は大地を揺らす。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
シリウスはそっと右手を持ち上げた。
その右手が、闇に沈む硬い鱗を、なだめるように触れる。
このときになって初めて、男たちは闇の中に身を潜めていた生き物に気づいた。
巨大な顎を地表近くにまで下ろし、細く小さな手に身をゆだねている闇色の竜。
自身の属性である闇の中に長大な体を溶け込ませ、完璧に隠遁していた。
上空をうねりながら続く巨体がわずかに身じろぎし、黒曜石のような鱗が男達の持っていたカンテラに照らされ幾万もの鈍い光を放った。
なぜ今の今までこんな恐ろしい存在に気づかなかったのか。
先頭の男が腰を抜かしてしりもちをつく。
つばを飲み込もうとしたが、歯の根が噛み合わずそれすらかなわない。
「帰りたい気持ちになったかな?」
誰も声に出して返事はできなかったが、チンピラどもは震える膝を叱咤してその場からジタバタと必死に逃げ出そうとした。
「動くな。まだ我が君が話しておられる」
怒りに満ちた低い呻りが静かに命じ、同時に男達は金縛りにあったように動けなくなる。
恐怖のあまり思考が空回りして悲鳴も出せなかった。
死に直面しているのだという実感が魂と肉体を同時に凍りつかせてしまったようだ。
そんな中、最初とまったくかわらない調子の少年の声が、穏やかに響く。
「お兄さん達、二度と誰かを脅したり襲ったりしないって誓う? そしたらぼくたちも何もしないって約束する」
チンピラ集団は全員が命がけで必死に頷き、魂にかけて誓った。
誓いを破ればあの闇に飲み込まれるのは確実だ。
何度も転びながらほうほうのていでその場から逃げ去った。
去っていく男達を、アルファは憎しみの篭った目で惜しそうに睨む。
奴らはシリウスをかどわかそうとした。
そのまま逃がしてしまうのが無念だったのだ。
「怖い顔になってるよアルファ。眉間にしわができてる」
「あの者らは我が君に狼藉を働こうとしておりました」
「アルファがいるんだからそんな事にならないよ。むしろちょっとやりすぎだったかも……。――もう大丈夫みたいだし、ぼくたちも帰ろう」
まだ少し不満そうな黒竜に微笑んで、シリウスが歩み去ろうとしたときだ。
「天使さま」
さきほど震えていた女の子が、手に小さな白い花を持ってシリウスのすぐ前に立っていた。
「天使さまでしょ?」
彼女の後ろでは、黒竜を恐れてか、もどってくるようにと必死にジェスチャーする旅芸人の仲間達の姿が見える。
母親は仲間の一人に腕をつかまれ、引き止められていた。
シリウスは女の子の視線にあわせてしゃがむと、やわらかな栗色の髪をなでてあげた。
天使じゃないよ、と言いたかったのだけれど、女の子のキラキラした目を見たら夢を壊すようで言えなくなってしまった。
「きみはここで働いているの?」
「うん。お手玉のジャグリングと輪投げができるの。柔軟も」
「ちいさいのにそんな事ができるなんてすごいね。今度見にきていい?」
女の子は顔いっぱいに笑みを浮かべ頷くと、シリウスに白い花を差し出した。
「これ、いつも天使さまの絵に飾っているお花」
「くれるの?」
受け取った花は特殊な魔法によって長時間美しさを保つよう加工されていた。
旅の間、花を仕入れられる機会は稀なので、鮮度を保つためにそうしたのだろう。
花を受け取ったシリウスは、女の子を心配する旅芸人達にペコリと頭を下げた。
「怖がらせてしまってごめんなさい。お花をありがとう」
そう言って、見守っていた黒竜と視線を交わしその手に乗ると、音もなく浮き上がった竜と共にぐんぐん上昇し、たちまち人々の視界から消え去ってしまった。




