64・☆竜のいる街
フォウルは荷物を盗んだ男を追って、狭い路地を確認しながら上空を進んでいたが、犯人らしき人物は見つからない。
あせるあまりどんどん先へと進んでしまい、全速力で人間が走っても到達できないような場所まで来てしまった。
大切な人にもらった、大切な品を、絶対に失うわけにはいかなかった。
振り返ると赤竜もやや離れた位置を同じように探し回っていて、犯人を見つけられた様子はない。
少し迷ったが、フォウルは意を決していったん大通りまで戻った。
蒼い竜を見てざわめいている人々の前にそっと降り立つ。
逃げてしまうかもと思ったけれど、城下の人々は竜人たちに街を救ってもらった経験があり、誰もが一度は竜の姿を見たことがあった。
竜が恐ろしい見た目と、神のごとき力を持ったやさしい生き物だと、本ではなく、その目で見て知っている。
だから怯えて逃げ出してしまうようなことはなかった。
みな興味と畏怖とで瞳を輝かせ、蒼竜を見上げてくる。
「すまないけれど、こういう荷物を持って走る男をみた人はいない?」
人々の前に降り立った竜神は、街の人が思い描くような神々しく啓示にあふれた言葉は口にしなかった。
なにしろフォウルが聞きたかったのは、神の啓示には程遠い、買ったばかりの服の行方だ。
蒼い竜が手のひらを上向けると、霧がカーテンのように広がり、そこに立体的な映像が浮かぶ。
蜃気楼を使った水魔法だったが、フォウルが使うと色も正確に再現され、幻ではなく本物にしか見えない。
竜の手の中に現れた映像は、丁寧に包装されたいくつかの荷物。
結構な量があったし、男が一人で抱えて走ったのならなかなかに目立つはずだ。
フォウルの予想通り、目撃者はすぐに現れた。
「あ、あの、私、見ました」
赤ん坊を抱いた女性が、おそるおそる手を上げる。
「向こうからすごい勢いで駆けてきて、そこの路地に入って行きましたよ」
女性が指をさすと、近くでフォウルのやることを見ていたカイルがすかさず犯人のあとを追った。
蒼竜も優美な首を持ち上げ再び飛び立とうとして、何かに気づいたように女性を振り返る。
「ありがとう。君と、君の子供に祝福を」
フォウルの言葉と同時に、親子の額が一瞬、ほんのり白く輝いた。
一定期間、幸運の値を上げる祝福の魔法だ。
本来は結婚式など特別な祝いの席で、司祭や神官のような高位の呪術者が使う。
「簡易な礼ですまないけれど、今は急ぐから許してほしい」
「探し物、見つかるようにお祈りしています。あ、あの、祝福をありがとうございました!」
竜の祝福という、めったにない僥倖を得た女性は頬を紅潮させ、周囲の人々はみなうらやましそうな顔になる。
フォウルは女性に頷くと、翼を広げて広場から飛び立った。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「なんだよこれ、服ばっかじゃん、あーあ、せっかくうまく行ったのに」
馬車から竜人たちの荷物を奪った男は、まだ20代になったばかりの若者だった。
細い裏路地に入り込み、人目に付かない暗がりで戦利品を確認していた。
青年は学生時代の不良をこじらせ、深夜に街の中を徘徊して騒いだりはしていたものの、これほどはっきりとした『盗み』を働いたのは初めてだ。
いままではせいぜい、酒屋の店先から店主の目を盗んで麦酒を万引きする程度だったのだ。
それが今日は、見たことのないほど豪華な馬車が、年配の御者だけを残して無防備に放置してあるのを発見してしまった。
すかさず周囲を見渡せば、見える範囲には街角警備の兵も見当たらない。
どきどきしながらさりげなく様子を伺い、チラリと中をのぞくと、大きな包みがいくつも革張りの黒いシートに乗せてある。
青年に少しでもまともな頭があったなら、馬車に施された王族の紋章、金の獅子に気づいただろう。
王の都で、その王家の紋のある馬車を襲うなどという愚か者はめったにいない。
めったにいないからこそ、御者も一人で安穏としていたのだし、城下の街は治安も良く、そこここに警邏の兵もいる。
そんな場所で、まさか王族の荷物を盗もうとする愚か者が現れようとは誰も思わなかった。
油断と、青年のあまりにも無知で無謀な決断とが重なり、おろかな犯罪はたまたま成功してしまった。
丁寧に包装された包みを破いてシャツを一枚ひっぱりだした青年はため息をついた。
高そうな服ではあったが、所詮は服だ。
「俺が着ても違和感ありまくりだな、こりゃ」
ほかの荷物も開けて確認しようとしたときだ。
ただでさえ暗い路地が突如夜になったように真っ暗になった。
「?」
不審に思って眉を寄せると、頭上から身の毛のよだつ唸り声が響く。
犯人の青年を一番最初に見つけたのはカイルだった。
真紅の瞳に火炎を宿し、上空から青年を睥睨する。
ゾロリと並ぶ剥き出された歯の隙間から、白い炎が漏れている。
声も出ない青年は、赤い竜のほかに、路地の先から蒼い瞳が自分を睨んでいる事に気づいた。
輝くブルーの瞳は恐ろしいほどに清浄で美しく、地を這うような低い呼吸音が青年の心臓を震わせた。
頭上から赤竜の声が響く。
「私たちの荷物を盗んだのは君か?」
路地の上から声をかけて来た赤竜は、青年が思い描くよりもずっと若い声をしていた。
「ひ は……」
返事などできるはずもなく、ただ喉から上ずった空気が漏れた。
竜の私物を盗んだつもりなどまったくなかったのだ。
ただ、大金持ちから少々財産をわけてもらったぐらいの気分だった。
巨大な赤い顎が頭上に迫ると、竜の口から漏れる熱に焼かれ、青年の髪がチリチリと音を立てた。
額から汗が噴き出す。
「答えなさい」
「ひ……」
恐怖で顎が噛み合わず、答えたくとも答えられない犯人の背後から、静かな声がかかった。
「どっちでもいい。彼がボクの大切なものを持っているのは事実なんだから。それとカイル、あんまり近づくとボクたちの服が燃えてしまう」
「おっと、そうだな。――さあ、君、その荷物を返しなさい」
青年は頭が真っ白だった。
もちろん、竜たちの言うとおり、すべてに従うつもりだった。
けれど体が動かない。
熱を帯びた赤竜の顎は顔のすぐ前だったし、路地の向こうで自分を見つめている蒼い瞳は、青年をたんなる物質としか見ていないようだった。
その蒼竜が感情の篭らない声で淡々と言った。
「返さないなら君を殺して取り戻す。荷物を汚したくないから、できれば今すぐ返してほしい」
「……殺すのは大げさじゃないか?」
フォウルが躊躇なく物騒なことを本気でいうのでカイルは少々戸惑った。
犯人は憎かったが、さすがに殺してしまうのは躊躇われる。
なにしろ犯人の青年は、まだようやく20代そこそこになったばかりの若者に見えたからだ。
それに自分たちが実力行使に出れば、殺さずとも荷物は簡単に取り戻せるだろう。
困っている様子の赤竜を見て、フォウルは蒼に輝く優美な首を持ち上げた。
「良く考えてみなよ。彼は武器を持って御者を脅し、荷物を盗んだんだよ。もし馬車にボクたちの大事な光の君が乗っていたら、どうなっていたと思う。そのうえ盗んだものを返さないというならボクらへの敵意は明らかだ」
「ふむ……」
言われてみると、確かに青年はたまたま誰も傷つけなかっただけで、もしも万が一、フォウルのいうような事態になっていたら、カイルの命より大事なひとが襲われていた可能性もある。
想像しただけで、カイルの喉から不穏なうなり声が漏れた。
赤と蒼の二頭の竜が物騒な相談をしている間、青年は何も考えられずその場にへたり込んでしまっていた。
大通りの方からは、竜の登場に驚いた市民たちのざわめき声が青年の耳に届く。
街の人たちと自分の置かれている状況との隔たりに涙がこぼれた。
フォウルは蒼の瞳をつめたく輝かせ、初めてうなった。
低く、長く。
うなりは雷鳴に似た地響きとなって、青年を凍りつかせた。
「あの人は人間の死が好きじゃない。だから待っていたけれど、これ以上は待てない」
涼やかな声に似合わない恐るべき宣言だった。
同時に、青年のへたりこんでいる石畳の路地から、澄んだ水があふれてきた。
「っ……?!」
どういう仕組みか、水は見えない金魚蜂にでも入っているかのように、青年をすっぽり覆いながら球状に増水していく。
冷たい水はたちまち高さを増し、青年の腰の辺りに迫った。
「フォウル、俺の賜った衣類をぬらすな」
低いバリトンの美声と共に現れたのは路地の影よりも闇色の人物だった。
犯人がボロボロ涙と鼻水をこぼしながらアルファをすがるような目つきで見上げる。
恐怖のあまり声も出ない。
アルファがため息をつき、今も量を増している水球に手のひらを当てると、水は手のひらに吸い込まれるように消滅していく。
静かに渦を巻き、しぶきを散らす事もなく、最後の一滴まで消え去った。
それを見たフォウルは不満そうだ。
「ぬれてもあとで水分を抜くから大丈夫なのに」
「あとで乾かしたとしても、ぬらせば多少痛むだろう」
アルファはあっさり犯人の腕の中の荷物を取り上げた。
「おぬし、なぜ我らの荷物を盗んだ」
「……」
青年は答えず、白目をむいてその場に昏倒した。
細い路地に蒼い竜の手のひらが入ってきた。
慎重に、きわめて……、きわめて繊細な動きで、アルファの手の中の荷物にそっと触れる。
アルファはフンと鼻を鳴らしたが、蒼竜の手の中に彼の荷物を渡してやった。
竜は荷物を胸の中に抱き寄せると、ようやくほっとしたように目を閉じた。
その場で人の姿に戻ったフォウルとカイル、遅れてきたアルファは気絶してしまった男を見下ろした。
荷物さえ無事取り戻してしまえば、彼ら三人にとって、犯人の男などまったくどうでもいい存在だ。
フォウルなどはこの男を殺そうとしていたくせに、今はもう完全に興味が失せたらしく、大事な荷物を抱いたままさっさと帰宅しようと歩き始めている。
カイルとアルファも、犯人など心底どうでもよくなっていたのだが、このまま放置していくわけにはいかなかった。
そこでカイルが仕方なく、集まってきていた見物人の中から警邏の騎士を見つけて呼び寄せ、犯人の青年を引き渡したのだった。
某映画に出てくる赤い竜、スマウグさんは、坑道をうめつくす金銀財宝のすべてを記憶していて、何億枚もあるコインのうち、一枚でもなくなるとわかってしまうそうです。
記憶力もさることながら、財宝を守ることに関して気合が入っています。
一方我が家の竜たちですが、金銀財宝にはあまり興味がないものの、彼ら独自の理論にもとづいた『財宝』への執着心はハンパじゃありません。
おそらく、あとでじっくり戦利品を眺め、縫い目のほつれとか、ボタンの重さとか、ひとつひとつを記憶して忘れないのだと思います。
同じデザインの違う服を並べても、一瞬でどっちが自分のかわかるんだと思います。
次回は、シャオさん、シリウスを独り占め。
デレデレで幸せそう。




