63・☆シリウス、ちょっとあわてる
ほんの一瞬前までは、非常になごやかに買い物をしていたはずなのに、なぜか不穏な空気がシリウスから発せられているのを察し、竜人たちは理由がわからないまま、慌てて彼らの主人の言葉に従った。
「ぼくは今日、みんなに服を買った」
「はい」
三人がおとなしく唱和する。
「みんなが喜んでくれるかなと思ったからだし、実際みんな喜んでくれたみたいだったけど、三人ともぼくの選んだ服はずっと着ないでしまっておくって言う」
そこでシリウスは、少し離れた場所にたつ年配の女性店員に声をかけた。
「お姉さんは、心をこめてプレゼントした服を、贈られた人がずっとしまったまま一回も着てくれなかったら、どう思いますか?」
突然質問を受けたベテランの女性店員は慌てなかった。
にこやかに微笑んで、
「そうですね、その方とは縁がなかったと、お別れするかもしれませんね」
と、キッパリ答えた。
「?!」
三人の竜人がそろって目を見開く。
店員の女性は続けて言った。
「お別れするところまではいかなくとも、とてもガッカリすると思います。似合うと思って贈ったけれど、もしかして嫌だったのかしらって」
「わ、私は、もちろん喜んでおります! 心から! けれど、着てしまったら少しずつ、でも確実に、痛んでくるではありませんか!」
カイルの訴えに、アルファもフォウルも頷いている。
けれど女性店員は笑顔のままそっと首を振った。
「恐れながらみなさま、服は着るためにあるのです。年月がたち、いつか着る事がかなわなくなる日が来ても、その服を着て過ごした日々の思い出は消えません。しまったままにしておいては、服の思い出は貰った瞬間のことと箪笥にしまったことだけではないですか」
シリウスは、反論できずに戸惑っている様子の竜人たち、特にどうしていいかわからない、という様子のフォウルの前に立ち、彼の手を握った。
「みんなが服を大事にしてくれるのは嬉しいけど、着てくれなかったら寂しいよ。みんなきっと、言わなくても大事に着てくれると思うから、古くなって着られなくなっちゃったら、また選んであげる。――だから着ないでしまっておく、なんて言わないで、どんどん着てほしいんだ」
「はい……」
「カイルもアルファも、いい?」
「はっ」
「はい」
三人とも、なんとなく残念そうに、けれど「縁がなかったとお別れ」する恐怖を考えてか、きっちりと返事をした。
「もし、本当にずっとしまっておいたら、服は全部返してもらうからね。仕立て直して兄上とロンに着てもらうよ」
追い討ちをかけられた三名はますますうろたえていたが、そのころにはシリウスの怒りも収まって、大げさすぎる三人に冗談を言っているだけのようだった。
もちろん竜人たちは本気の言葉として受け取ったけれど。
そもそもシリウスは竜人たちに気持ちを伝えたかっただけで、別にお説教をしたつもりはなかったのだった。
そんなわけで、三人がわかってくれたと感じたシリウスは、すっかり元通りの穏やかな雰囲気に戻っていた。
見ていたバナードもほっとする。
本当なら竜人たちだって、相手がシリウスでなければ、貰ったものを一度も使わずしまいっぱなしにしては相手が寂しがる、などという程度のことは自分で気づくのだ。
けれどことシリウスの件になると、たちまち常識を失ってしまう。
とにかくこのかわいらしい主人のすべてが大事で、関わった何もかもを壊れないよう閉じ込めておきたいのだろう。
「バナードの服はどうしようか」
なりゆきを見守っていたバナードに、シリウスが話題をふったときだ。
通りのほうで騒ぎが起きた。
小さな悲鳴と、人々が駆け回る音。怒声。
アルファはすかさずシリウスを腕の中に収め、カイルとフォウルも周囲を固めた。
外の喧騒はすぐにさざめきに変わり、店内の人々が顔を見合わせると同時に扉が勢い良く開いて、シリウスの馬車の御者が駆け込んできた。
「殿下! 殿下!!」
ただならぬ形相で、まろびながら近づいてくる御者を、竜人たちはシリウスに近寄らせない。
「ちょっとみんな、邪魔だよ!」
シリウスにしかられて、しぶしぶ御者を通す。
「殿下大変です!」
「落ち着いて。どうしたの?」
本当は水の一杯も渡したかったシリウスだが、店内ではそれもない。
動揺しきっている御者は、目に涙をためて訴えた。
「みなさまのお荷物が……!」
御者が最後まで伝える前に、フォウルとカイルが通りに飛び出した。
腕の中にシリウスを抱いているアルファだけが動かない。
バナードも二人に続いて外に出た。
馬車は一見なんの変わりもなかった。
だが扉が開け放たれており、中をのぞけば、買った服が乗っていたはずの高級な革張り椅子の上には何もなくなっている。
「犯人は西に逃げました! 若い男です。武器を持っています。申し訳ありません、抵抗したのですがどうしても守りきれず……」
「いいんだよ、怪我はない?」
シリウスが聞くと、御者の男はその場にひざをついて泣き出した。
彼は普段から馬の世話をしながら城内で生活し、竜人たちがどれだけシリウスに尽くしているか良く知っていた。
竜人たちが服を買ってもらった事を、自分のことのように喜んでいたのだ。
だから大切な荷物を守りきれなかったことに大変な責任を感じていた。
「……追いかけたのですが、人ごみにまぎれてしまって」
この状況で、バナードは犯人の男に心底同情していた。
シリウスの馬車から荷物を奪った男は、きっと永遠に後悔するハメになる。
そもそも、王族の家紋の入った馬車から荷物を盗むなど、よほどの無知か無謀か、何を考えているのかわからないけれど、普通だったらありえない。
ありえないからこそ、シリウスだって御者一人に留守を任せていたのだ。
それまで一言も発さず、何も乗っていない馬車の椅子をじっと見つめていたフォウルが御者を振り返った。
「……犯人は若い男、西に向かって逃げたんだね」
「はい! 黒いパーカーを着ていました!」
バナードには、蒼い髪の青年が霧のように霞んで見えた。
青年だった影が一瞬でゆがみ、巨大な生き物へと姿を変える。
「フォウル!」
隣にいたカイルの叫びを無視して、晴れ渡った空よりも蒼い、サファイアのように輝くうろこの竜が上空に舞った。
「取り戻してくる。光の君を守っていて」
地上に残る面々に告げ、蒼い巨体を太陽に反射させると、フォウルは西へ向けて飛び立った。
抑揚の少ない静かな声が、いっそう恐ろしい。
「私も行く! アルファ、シリウス様を頼む!」
言うなりカイルは空を行くフォウルに続いて駆け出した。
バナードは、赤竜公が人の姿のまま駆け出したのでホッとしたのだが、それもつかの間だった。
駆け出したカイルは路地に輝く赤い火球に変じて見えた。
火球は光り輝く赤の軌跡をそのままに、たちまち巨大な竜へと姿を変えて空を羽ばたいていく。
「二人とも! 行っちゃだめだよ!」
事態を察したシリウスが慌てて叫んだが、赤と蒼の二頭の竜は一瞬でかなり遠くまで飛び去ってしまっていて、到底声など届かない。
バナードはシリウスがとても焦っているようだったので意外だった。
この美しい少年は、見た目と違って案外図太く、大抵の出来事に対してのんびり悠々と構え、あまり動揺を見せない。
けれど今のシリウスは明らかに焦っていた。
「シリウス、どうしたんだ? 二人が盗まれた服を取り戻してくれるって言うんだから、別にいいじゃん」
「服を取り戻すだけならぼくだって嬉しいけど……」
竜たちは路地を覗き込むように西に向かって飛びながら、徐々にシリウスの視界から遠ざかっていく。
上空をホバリングしながら、きわめてゆっくり進む二頭の竜に気づいた市民たちが空を指差しながら騒ぎ始めた。
ウェスタリアの国民は、ほかの国の人々に比べて竜に慣れていたけれど、それでもめったに見られない光景には違いない。
それに、赤竜公はともかく、蒼い方の竜は初お目見えだ。
シリウスはアルファを振り返った。
「ぼくたちも追わないと……!」
「いいえ、我が君、犯人は武器を持っていたとのことです。俺が城までお送りしますゆえ、お戻りになって我らの帰りをお待ちになっていてください」
「我らの帰りって、アルファも探しにいくつもりなの!?」
「御意」
きっぱりと言うと、アルファの闇色の瞳に炎が灯った。
「我が君より賜った品、必ず見つけ出し、取り戻してまいります」
「また買ってあげるから、今日の服はあきらめようよ……!」
いつもなら主人の言葉に一も二もなく従うアルファだったが、今回は首をふった。
「絶対にあきらめません。我が君を城までお送りしてから追います」
「アルファが行くならぼくも犯人を捜しに行く。二人を止めないと……!」
「ですが、犯人は武器を……」
「みんながいるならぼくは大丈夫! 早く行かないと、フォウルが犯人に大怪我させちゃったら大変だよ……! 下手すると死なせちゃう……。 フォウルだけじゃない、カイルだって犯人を攻撃するかも」
シリウスの話を横で聞いてるバナードは、友人の言葉をあまり本気で受け取っていなかった。
さすがに大げさだろうと思ったのだ。
フォウル、――蒼竜公は、確かにシリウスの贈った服に極端な執着を見せていたけれど、だからといって服盗人に襲い掛かったりするような人物には見えなかった。
青く透き通る瞳は優しげで、ヘタをするとシリウスよりも儚げだった。
それに赤竜公もそうだ。
騎士そのものと言った風情の赤竜公は、シリウスに甘く過保護ではあったけれど、誰に対しても紳士な好青年だ。
「大げさだなシリウス。死なせちゃうかも、なんてさ」
「大げさじゃないよ! 犯人がすぐに盗んだものを返してくれるなら大丈夫かもしれないけど、そうじゃなかったら……」
訴えてから、背後に控えているアルファを、すがるような表情で見上げた。
シリウスは竜人男性陣の中で、アルファが一番人間に対して親切だと思っていた。
一見するとカイルが最も紳士的で誰にでも優しいのだけれど、それは礼儀上そうしているだけで、実際にはあまり他人に関心がない。
フォウルにいたっては、誰の目からも見てもシリウス以外に一切興味を示していないことは明白だった。
それになにより、フォウルは見た目の穏やかさに反して非常に過激なのだ。
以前もシリウスを殴った犯人の血液を、意識が明瞭なまま沸騰させるという、恐ろしく残虐な方法で殺しかけている。
いや、実質殺してしまっていたのだが、心臓が停止する直前にシリウスが犯人を助けたため未遂に終わったというだけだ。
シリウスがとめなければ、関わった犯人全員の命を奪っていただろう。
アルファもフォウルのように、一見誰に対しても無関心に見えたが、実は一番人間に関心を払っていることをシリウスは知っていた。
本当に必要な時にはさりげなく、だが決定的な助けの手を差し伸べる。
もちろん、シリウスの護衛という任務に支障をきたさない範囲で、だったが。
三人の違いをシリウスはきっちり見抜いていた。
「アルファ。カイルとフォウルより先に犯人を見つけて」
「ですが、犯人はわれ等に復讐されるに足る罪を犯しています」
「……何するつもりか知らないけど、アルファたちに復讐されたら、犯人は絶対無事じゃすまないよね」
バナードはシリウスの心配が大げさではなかったことにようやく気づいた。
見たところ、黒竜公は内心で、犯人を許すつもりのない事が明白だったからだ。
主人であるシリウスが望んでいないのでそう答えないだけで。
「お願いアルファ。犯人を無傷で捕まえてくれるなら、アルファの言うとおり、ぼくは城に戻って大人しく待っているから」
その言葉に黒衣の青年の瞳が輝いた。
主人が安全な場所に大人しくしていてくれることが、この青年にはなによりも重要なのだ。
普段のシリウスは自ら危険な場所に飛び込みがちなので、本人がきっちり約束してくれるなら、こんなに安心なことはない。
いとしい主人はなかなかに無茶をする人であったけれど、約束を破るようなことは決してしなかったからだ。
「本当に、城にいてくださいますか?」
必死の様相でうなずいたシリウスは、バナードの手を引いて馬車の前に立つ。
「ぼくはバナードと一緒に馬車で戻るから、アルファは二人を追って。お願い……」
シリウスはアルファの返事を待たずバナードをひっぱって馬車に乗り込むと、御者に声をかけた。
「出発して!」
「は、はい」
一人残されたアルファは少しのあいだ思案した。
本当はシリウスを城まで送るつもりだったからだ。
さほど遠出をしたわけではなかったので、馬車はすぐ城につくだろうが、いまからでも竜になり、馬ごと馬車を抱いて、城に戻るべきだろうかと悩む。
すぐに到着するとはいえ、護衛が御者一人では頼りない。
けれど自分に望まれている行動が主人の送迎ではないことも十分承知していた。
それによく考えれば護衛は御者だけではない。
「我が君をまかせたぞバナード」
騎士を目指している少年に主人を託し、アルファは人の姿のままで駆け出した。




