59・☆前進
その日の夜、疲れて眠ってしまった主人を見守っていたアルファは、カイルと扉前の護衛を交代して建物を出た。
瓦礫の残る夜の街路を歩き、細い裏路地に入ったところで止まる。
「このあたりでいいか?」
アルファは振り向かないまま背後の闇に向けて語りかけた。
返事はなかったが、代わりに墨の中から清浄な水が染み出したように、蒼い髪の青年が音もなく現れる。
「何が知りたい」
「すべてだ」
アルファは振り返り、闇色の瞳でじっとフォウルを見つめた。
「ツヴァイとかいう魔人の言っていた事は本当なのだな?」
「……」
「お前はあいつの傍で何をしていた」
「……」
答えないフォウルに、しかしアルファはイラついたりはしなかった。
蒼竜が何をしていたのかはわからないが、シリウスのために行動していたことは疑いようがなかったからだ。
「俺に教えたことで我が君に危険が及ぶというのであればそのまま沈黙していろ」
アルファの言葉を受け、フォウルは深い青の眼を伏せた。
「そうじゃない……。けれど、何を話していいのか、何を話したらいけないのか、ボクにもわからないんだ」
どういう意味なのかと問う前に、フォウルは道端に転がる瓦礫のひとつに腰掛ける。
「……ツヴァイの言っていた事は本当だ。はるかな過去に、あいつらとボクたちは戦って、ボクたちは何よりも大事なものを失った」
己の胸を押さえ、苦しみに耐えるようにシャツの襟を握り締めた。
「――君たちは覚えていない。――ボクは覚えている。それだけのこと」
アルファの瞳をじっと見つめ、それから再び視線を落とした。
「――覚えている……」
細い顎を伝った涙が、パタパタと暗い石畳をぬらした。
嗚咽する蒼竜をアルファは慰めることも責める事もしなかった。
自分にはどちらの資格もないと思っていたからだ。
代わりにフォウルの隣に腰掛け、彼が再び話し始めるのを待つ。
「……それなのにボクたち竜人は、魔人たちとの世界をかけた戦いで、一人も死ぬことがなかった」
アルファは事態を察して息を呑む。
「我が君が……」
「……ボクたちの命よりも大事な人が、自分のもつ力をすべて使って魔人を封印したから」
「そのため命を落とした……」
フォウルは頷き、顔を上げた。
「他に方法がなかったのは事実だ。そうしなければ、世界は彼らとボクたちとの永遠に続く戦いに巻き込まれ、修復不可能なまでに破壊しつくされてしまっただろうから」
アルファは今日実際に破壊された街を見渡す。
ほんの一時間に満たない戦闘だった。
それでもこの有様なのだから、世界各地で同じ規模の戦いが頻発し、それが延々と続くとなれば、確かに人は暮らしていけないだろう。
「――それでも……」
建物が崩壊し、街路のレンガは粉砕されている。
人間たちにはまったく抵抗できない圧倒的な暴力。
「……それでも、ボクたちはあの人に生きていて欲しかったんだ……」
アルファは何も言わなかった。
その日の事を何も知らないし、もちろん覚えてなどいないけれど、今の自分に置き換えてみればフォウルの気持ちが痛いほどわかったからだ。
「でも封印が永遠に続かないということもわかっていた。封じ込められた魔人も、あの人の力も、消滅したわけではなかったから、どれだけ時間がかかってもいつか外に放たれる」
蒼い瞳が一瞬喜びに輝いたように見えた。
「そのときに、封印から開放されたボクたちの主人も、生まれ変わることができる」
「それが、我が君か」
フォウルは頷くと立ち上がった。
「ボクはその日のために、死んで生まれ変わっても記憶を引き継ぐ呪いを自分にかけた」
「魔人を倒すすべを探っていたんだな。過去には他に方法がなかったと言っていたが、今はあるのか?
」
「ある」
きっぱりと言うと、強く拳を握った。
「でもまだ確実じゃない。だから言いたくない」
「……それでかまわない」
魔物に襲われ、粉々になった破片の片付け作業で、疲れ果てた人々が寝入った街は静まり返り、破壊された家々からは明かりも漏れない。
廃墟のように見えた。
その街角で、二人の竜人が立ち尽くしている。
「なぜ聞かない?」
不思議そうに見返してくる蒼髪の青年に、アルファはかすかに口の端をあげて答えた。
「お前が何を知っているのかはわからないが、我が君のためだけを考えて行動していることはわかっている。言えないと言うのならば聞かないほうがいいのだろう」
頷くフォウルにアルファも頷きを返した。
「もうひとつ、魔人と竜人はそれぞれ四人ずつ。だが、魔人たちに主はいないのか」
そう問うと、フォウルはハッと顔をあげ、深刻な表情でアルファを見た。
「いる。けれど今はいない」
「どういう意味だ」
フォウルは胸を押さえ、きつく目を閉じ、
「光の君がおられる限り、魔人たちに主はいない。……魔人たちが光の君を殺そうとする理由もここにある。――詳しいことはウェスタリアに戻ってから話したい。白竜と赤竜もいたほうがいい」
苦しげにそれだけを答え、口を閉ざした。
暗闇の中、二人はしばし無言だったが、やがてアルファは立ち上がった。
「戻ろう、目を覚ましたとき我々がいないと我が君が心配なされる」
歩き始めようとフォウルが一歩踏み出したとき、
「フォウル、ひとつ頼みがある」
闇の中に立つ人物の、闇よりも黒い瞳が暗く輝いた。
「……お前のもつ過去の記憶、俺も共有できないか」
自分の言葉を畏れるように、アルファの黒髪がかすかに揺れた。
どんな相手であろうと決して怯えることのない黒竜が、自分も知ることになるかもしれない、過去の想像を絶する悲しみに怯え、ためらっている。
立ち尽くすアルファに、フォウルは静かに答えた。
「……思い出さないほうがいい」
どういう意味かと瞳で問い返してくる黒竜に、フォウルは悲しげな視線を投げかけた。
「正気でいられなくなる」
「しかし、はるか昔に終わった過去の事だろう」
「過去でも、現実だ。――ボクたちには耐えられない。ボクも君も、みんな耐えられなかった」
耐えられず、どうなったのか、とアルファは聞けなかった。
フォウルが噛み締めた口の端から鮮血がこぼれていたからだ。
「もう君は知ったのだからそれ以上は必要ないよ。――さあ、帰ろう」
先を歩く蒼竜の背に数歩送れてアルファは黙ったまま歩いた。
様々な想いが去来していたが、フォウルの背負ってきたものの重さに打ちのめされてもいた。
「フォウル……」
青い髪が流れるように広がって、フォウルが振り返る。
「俺たちが守れなかったというその方は、我が君と似ていらしたのか?」
フォウルは初めてアルファに笑顔を向けた。
「ああ、あの人を一目見てボクは……」
シリウスの宿泊している部屋を万感の想いが篭った視線で見上げ、フォウルが言葉の続きを音にすることはなかった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「シリウス!!」
早朝、扉の開く音と同時に大きな声で名前を呼ばれ、シリウスはベッドの中で目を覚ました。
「……父上?」
目をこすりながら起き上がり首をかしげて、ベッドの脇に歩み寄ってきた父を見上げる。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃない、お前、やったな?」
「……」
「アルファ殿が建物を直してくださったと騒ぎになっているぞ! アルファ殿とカイル殿がロビーでアレスタの官に説明してくださっている。だが建物を一瞬で直すなど、お前の仕業としか思えない」
ライオネルは深々とため息をつき、椅子に腰掛けようとしたのだが、そのとたん狼のままだったフォウルに袖をひっぱられた。
シリウスのベッドの下で、主人を守っていたのだった。
「座らずに今すぐ出て行って」
「?!」
「フォウルったら、いいんだよ、もう起きるんだから。……ごめんなさい父上」
しかしフォウルはまったく譲らなかった。
「いいえ、まだ眠るべきです。大きく力を使った後は消耗する。睡眠が足りない」
フォウルはそう言うと、たちまち人の姿に戻った。
それから再びライオネルをするどく睨み、
「出て行かないのなら放り出す」
と、冗談のかけらもない本気の表情できっぱり告げた。
「フォウル!」
困ってしまったシリウスが叫んだが、今度はライオネルが片手を挙げる。
「いや、シリウス、確かにまだ早朝だ。それに、フォウル殿に言われて気づいたが、お前はあまり顔色が良くないな」
「そんなことないよ」
少し唇を尖らせた次男の額に触れ、ライオネルは息をつく。
大事な次男は確かにいつもより体温が低い。
触れた肌が冷たく感じた。
「話はあとでじっくり聞かせてもらう。もう少し眠りなさい。――フォウル殿」
無言のまま蒼い視線を向けたフォウルに、ライオネルは苦笑する。
「シリウスが充分に休んだら、私の元に連れてきて欲しい。それならかまわないかな」
「……わかった」
かくして、半身を起こしたベッドに、シリウスはしぶしぶもう一度身を沈めた。
あとでフォウルに他の人との接し方など色々と教えないと、と少しの間考えたが、それも一瞬で、シリウスは再び深い眠りへとたちまち戻っていった。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
シリウスがもう一度目を覚ましたのは、日がすっかり昇りきり、そろそろ昼食の時間も迫るころだった。
足元の狼が身を起こし、ふさふさのしっぽを満足げに揺らしている。
どうやらシリウスが沢山眠ったことが嬉しいらしい。
用意してあった空の桶に蒼竜の魔法でたちまち澄んだ水が満たされ、シリウスは礼を言って顔を洗った。
準備をして部屋を出ると、扉の外にはアルファとカイルが並んで立っていた。
「おはよう二人とも。……もうおはようって時間じゃないけど……。父上たちは?」
「おはようございますシリウス様、ライオネル殿とルーク殿は復興の支援会議にお出かけになりましたよ」
にこやかにカイルが答える。
「今朝きてた人たちは?」
この問いにはアルファが答えた。
「とりあえず俺が直したという事で納得したようです」
「そっか……。嘘をつかせてごめんね……。これから広場に行こうと思うんだけど、みんなはどうする?」
昨晩、闇の中で修復した建物が、ちゃんと機能しているかシリウスは確かめたかった。
外観は絵葉書を元に、内装はいま泊まっている宿屋を参考にして作ったけれど、もしも店のオーナーたちが不満を表明しているようだったら、塔の時のように修復を考えないといけなかったからだ。
もし修復する場合は、また夜中にこっそり実行するしかないけれど。
広場の建物が消失したのは、自分がアルファに街の人を助けるようにお願いした結果の出来事だったので、一番責任のある自分が元に戻さなければと思っての行動だったけれど、もしも迷惑がられているようなら更地に戻すことも考えないといけない。
「俺はお供しないほうが無難かもしれません……」
アルファは深く、深く息をつき、彼にしては珍しく、誰が見ても落ち込んでいる様子を隠していなかった。
宿屋付近は今、結構な人数の見物人があふれていて、噂の中心人物がそこに現れでもしたら、大騒ぎになってしまうだろう。
シリウスに随伴できない事が残念でならないのだった。
「ご、ごめんねアルファ。広場でお店の人の様子を確認したら、昼食になるものを買ってすぐ帰ってくるから。戻ったら一緒に食べようね」
長身の青年に抱きついて謝罪すると、アルファはしゃがんでシリウスの髪を撫でてくれた。
「謝罪には及びませぬ。俺はここで我が君のお帰りをお待ちしております」
やさしく微笑んでそう言うと、立ち上がって、
「カイル、フォウル、我が君を頼んだぞ。人が多いであろうから、油断するな」
さっきまでのやさしい笑みとはまるで別人のような厳しい表情で同僚たちに忠告したのだった。
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カイルとシリウスは念のため、先日屋台村を歩いた時のローブを着込んだ。
完全に顔が見えなくなるわけではないが、昼とはいえ多少は目立たなくなる。
フォウルが二人の少し前を歩き、昨晩建物を直した現場に向かった。
近づくにつれ人は増えたが、そんなことよりもシリウスは建物を遠くから見て目を丸くしてしまった。
宿屋の方は「黒竜の寝所庵」 食堂の方は「黒竜公の食料庫」 という看板に、今まさに書き換えている最中だったからだ。
昨晩までは、絶対にそんな名前ではなかった。
二つの建物の上部に掲げられた店名を記す看板に作業員が数名ずつのぼり、大胆な動きで躊躇なく塗料を振るって塗り替えていく。
人々がやんやと喝采しながら作業の様子を楽しんでいた。
さらに店の前では、二つの店が競い合うように、木造の竜の形の看板を作っていて、完成したらどうやらそれも店の上部に設置するつもりのようだ。
店の下から、そこは赤にして、だの、もっと黒をくっきり塗って、だの、声をかけているのは、昨日シリウスが話をした宿屋の娘だった。
「あの、お姉さん」
「あ、ごめんなさい、いま忙しいの。お食事なら席は整理券順に案内して……って、あれ?!」
最初シリウスがわからなかった女性だが、ローブの下から覗き込む紫の瞳にすぐ気づいた。
「シリウスくんじゃない!?」
キャー! と声を上げて抱きつこうとしたところを、今日もカイルに抱きとめられる。
「あの、お姉さん、宿屋と食堂、大丈夫でした?」
「大丈夫ってなにが?!」
カイルに腰をつかまれたまま、女性は首をかしげた。
「迷惑じゃなかったか確認しに来たんです」
「黒竜公様に言われて来たの?」
シリウスは女性の質問には答えず、もう一度聞いた。
「もしも迷惑だったら、更地に戻します」
「えっ!? やだ!」
女性はあからさまに動揺すると、カイルの腕をふりほどき、しゃがんで目線を合わせシリウスの手を握った。
「黒竜公様に伝えて、本当に感謝していますって。今日からはテント村に避難している人たちをうちの宿屋と向かいの食堂とで受け入れることになったの。費用は政府が支援してくれるのよ。集まってた募金は他の崩れた建物に譲ることになったし」
それから、看板を書き換えている建物を見上げて、
「お店の名前も変えたの! こちらこそ、名前を勝手に使わせていただいてご迷惑じゃなかったかしら」
アルファは迷惑がるだろうけれど、店名を元に戻して看板を撤去しろとは言わないはずだ。
だからシリウスは首をふった。
「大丈夫だと思います。それよりお姉さん、本当に迷惑じゃなかった? その、部屋の中身とか……」
外観は絵葉書を見本にしたから大体問題ないとしても、内装には自信がなかったのだった。
なにしろ塔のときの失敗がある。
同じく宿屋である自分が宿泊している旅館を参考にしているとは言え、不安だったのだ。
けれど女性は目を輝かせて笑った。
「それが聞いてよシリウスくん! 内装は元のと結構違ってたけど、そんなことはどうでもいいのよ!」
立ち上がって、こぶしを握る。
「うちも、向かいの食堂も、2階建てだったのが、3階建てになってたの!」
「ええっ!? あれっ?! で、でも絵葉書では3階建てで……」
うろたえるシリウスを見て、女性は恥ずかしそうに片手を振り頬を染めた。
「やだー! 良く気がついたわね! 絵葉書は記念品だから、ちょっとだけ豪華にしてあったの! ちょっとだけ!」
ウィンクして、ニコニコ笑顔。
「超増築されてたの! 黒竜公様はさすがにふとっぱらだわ。部屋が増えたし、向かいの食堂も増築されていた分は宿泊のお客さん用にするんですって。とりあえず今は避難してる人を泊まらせてあげなきゃ。復興に協力して、絶対名前に恥じないお店にするって、お伝えしてね!」
「は、はい……」
シリウスはなんとなく困ってしまってカイルを見上げた。
カイルは苦笑していたが、予想外の展開を楽しんでいるようだった。




