34・☆湖畔にて
シリウスはその日、兄のルークとその友人のロン、それから自分の護衛であるアルファとカイルを伴い、早朝から馬に乗って付近の散策に出かけていた。
乗馬にもかなりなれて、騎士を軍の主体に置いた国、ウェスタリアの王子として、なかなかさまになっている。
街の中では目立ちすぎる一行なので、なるべく人目につかないよう、裏手の城門から出発し、畑の中に細く伸びる田舎道をのんびり進む。
シリウスの乗馬の訓練兼、ピクニックだ。
馬に乗ることに関して、最初、竜人二人はあまり良い顔をしなかった。
騎馬は背も高く危険だからまだ早い、ポニーにお乗せして親しまれるぐらいで十分だ、と言うのだ。
だがルークもロンも、歩き始めるより早く馬に乗り、幼いころから当たり前のように馬に親しんできたので、乗れない方がかわいそうだと言って譲らなかった。
シリウスも乗りたがったし、父王であるライオネルがすんなりと乗馬訓練を許可したこともあり、カイルとアルファもそれ以上は反対せず、代わりに乗馬訓練の間、つきっきりでシリウスを守るようになった。
もし万が一落馬でもしたら、即座に魔力を使い主人を救い上げるつもりだったのだろう。
最初は馬に乗るシリウスの両脇にぴったりと付き離れなかった竜人たちだったが、馬に乗って楽しげに髪をなびかせている主人を見ているうち、徐々に態度も軟化してきた。
何かと我慢させられることの多いシリウスが、のびのびと、とても解放された表情をしていたせいだ。
そんな風に少しずつ乗馬に慣れてきたシリウスが、馬に乗って出かけてみたいと言うので、今回の遠征ピクニックは実現する運びとなった。
目的地は城から15キロほど離れた場所にある湖だ。
荷物が多いのはロンとカイルで、ロンは一行の昼食の入ったバスケットを、カイルは絶対に持って行くと主張したティーセットを、それぞれ馬にくくっている。
ティーセットなど持って行っても、湯を沸かすためには竈を組むなど手間がかかるので、水筒だけにしたほうが、というロンの意見はカイルによって即座に却下された。
「豊かな食事は紅茶からだ」
そうきっぱりと言って、
「湯なら私がいくらでも沸かせる」
と、熱をあやつる竜人らしい主張をした。
ロンとしては、正直なところ、神の御技のごとき竜人の魔法を、ピクニックの茶を沸かすためなどには使って欲しくなかったのだが、本人がやるというのでは止めようがない。
先頭がロン、次にルーク、真ん中にシリウスを挟んで、アルファとカイル、という順番で進み、一行は順調に目的地である湖に向かっていた。
「少し速度をあげようか」
ルークが提案し、馬を励まし常歩から速歩へと歩調を変える。
シリウスとしては、一番最速の襲歩に挑戦してみたかったのだけれど、誰一人許可をくれないので我慢するしかない。
もしかしたら、どれだけ乗馬技術が上達しても、どれだけ年齢を重ねても、いつまでたっても誰も襲歩で走っていいとは言ってくれないのではないかと内心心配していたのだけれど、自分がまだまだ乗馬に関して未熟なことも承知していたので、今のところ無理は言わなかった。
速歩での行進も順調で、ほとんど城の外に出たことのないシリウスは、初めての景色に胸をはずませていた。
まぶしすぎる陽光も生い茂る木々にやわらげられ、心地よい木漏れ日に変わっている。
斜め後ろを走っているアルファを振り向くと、ずっとシリウスを見ていた彼とすぐさま視線が合った。
「お疲れになってはおられませんか?」
相変わらず心配性なので、シリウスは笑ってしまった。
「平気だよ。アルファも、ぼくばっかりじゃなくて、景色をみたらいいのに」
湖畔付近は風もおだやかでとても涼しい。
自分を乗せてくれている栗毛の雌馬の首筋をなでてやると、馬は心地よさそうに筋肉をふるわせた。
「お前も気持ちいい?」
馬の名前は「アリス」と言って、初老だが、落ち着いた優しい良馬だ。
今までに、何人もの乗馬初心者を育て上げた、名教師でもある。
小道は細く、右手には茂みが続き、普段から騎馬の行き来のある道なので、大きな石などもなく快適だ。
木々の隙間から、青く輝く湖がちらちらと見え始め、シリウスが思わずその湖面に目を奪われたとき――
なんの前触れもなく、突如シリウスの乗っていた馬が高くいななき前足を振り上げた。
「わっ!?」
棹立ちになった馬から振り落とされないよう必死に捕まりながら、馬の足元に飛び出した一匹のウサギが走り去って行くのを確認する。
「アリス!」
なだめようと手綱を握るが、ウサギに驚いて興奮している馬は今にも背をそらしてひっくりかえりそうだった。
「シリウス様!」
後ろにいたカイルとアルファがアリスの手綱を掴もうと同時に手を伸ばしたが間に合わず、栗毛の馬は突如前足を地面につくと、後ろ足を蹴り上げ、ものすごい勢いで走り出した。
全力で走る馬にたちまち追い抜かれ、ルークは顔色を変えた。
全員ですかさず追いかけるが、乗っている人間の重さに差がありすぎ、なおかつ、我を失って走っている馬に、制御されている馬はなかなか追いつけない。
シリウスを追いかけながら、アルファはこのまま馬から飛び降り、竜身になって追いつくべきだろうかと本気で迷っていた。
しかし竜を見た馬がどんな反応をするかわからない。
かえって動揺し、背に乗った人間を振り落とすような事になったら……。
頭を振って恐ろしい想像を追い払い、引き続き疾走する馬を追いかける。
カイルを見ると、赤い髪の竜人は馬上で手のひらに火球を生じさせていた。
「おい、カイル、それをどうするつもりだ!」
まさかと思い慌てて問うと、カイルの方も自信なさげな様子で返答してくる。
「馬の鼻先で火球を炸裂できれば止まるかもしれない!」
「お前、それをうっかり我が君に当てたりしないだろうな!」
「だからためらっているのではないか!」
こんな場合"のみ"頼りにしている竜人たちの、まったく頼りにならない怒鳴りあいが聞こえてきて、ルークは王太子にあるまじき悪態をつきそうになった。
竜人たちは比類なき能力を持っているくせに、戦闘以外の非常時にはどうもあまり役に立たない。
シリウスが病気になったときもそうだったが、普段は王者のごとく堂々としているくせに、動揺の度合いがルークと同じかそれ以上だ。
「シリウス! 手綱を引け! 絶対に離すなよ!!」
全力で叫ぶが、馬上を流れる疾風の中、その声が届いているとは思えない。
仮に届いていたとしても、ルークにだってあんなふうに興奮しきっている馬を制御するのは簡単ではない。
ましてや乗馬初心者のシリウスには到底不可能だろう。
あせってもシリウスを乗せた馬は遠ざかるばかりだ。
一方、暴走するアリスに乗ったシリウスの方も、なんとか馬を落ち着かせようと努力していたが、普段温厚な雌馬はひどく興奮しきっていて、シリウスの技術では止まる気配がない。
手綱を握り、馬の首に抱きついて、なんとか振り落とされないようにするのが精一杯だ。
後ろからみんなが追いかけてきてくれているのはわかるけれど、振り返ることもできない。
「アリス、もうウサギはいないよ、大丈夫だから止まって……!」
なんとか声をかけ、顔をあげたときだ、道の先に灰色の馬に乗った一人の青年が歩いている姿が見えた。
「あぶない!」
シリウスは叫んだが、青年は振り返ると、乗っていた馬から下りて小道の中央に立ち止まってしまった。
「お兄さん逃げて!」
たちまち目の前に迫った青年は、突進してくる馬に向けて片手をのばし手のひらを広げ動かない。
ぶつかると確信し、シリウスは衝撃を覚悟して目を閉じた。
青年に激突する寸前、アリスは前足を跳ね上げ立ち上がり、激しくいななく。
「どう、どう」
激突する衝撃のかわりに、シリウスの耳に静かな落ち着いた声が届いた。
アリスはあっけなく前足を降ろし、青年が手綱を握る。
「落ち着け、もう大丈夫だ」
馬に向けてそう言うと、青年は銀灰色の瞳を細め穏やかな笑みを浮かべる。
「怪我はないか?」
シリウスに手を差し伸べ、馬から下りるのを手伝った。
「あ、ありがとう……」
馬から降りたシリウスは、あらためて助けてくれた青年を見上げる。
銀色に輝く髪、彫りの深い精悍な表情。
左の頬に一筋の傷があったが、青年の美しさを損なうものではまったくなかった。
隙のない美しさのせいか、どことなく、アルファやカイルに雰囲気が似ている。
「お兄さんは……」
青年に声をかけようとした時、馬を駆ったルークたちが追いついてきた。
「大丈夫か、シリウス!」
「シリウス様!」
「このお兄さんに助けてもらったんだ」
「馬を鎮めてくれたのか……!」
ルークはすかさず馬から下りると青年に手を差し出した。
「私はこの国の王太子、ルーク・グラン・ウェスタリアだ。この子は弟のシリウス。――弟を助けてくれて感謝する」
「ウェスタリアの王太子殿下……?」
青年はその場にひざをつくと、うやうやしく頭を下げる。
「私は旅の騎士にすぎません。たまたま通りかかった所に暴走する馬を見つけて鎮めたまでのこと。感謝には及びません」
深く頭を垂れると、鋼色の髪が首筋を流れた。
「お兄さん、名前はなんていうの?」
シリウスの問いに、青年は顔を上げ、まぶしいものを見るように目を細めると、短く名乗った。
「――グレン」
いつもご訪問、ありがとうございます。
自分の書いた作品を、読んでくれる人がこんなにいる、というだけで、かなりの幸せを噛み締めながら毎回文字を打っています。
グレンが出てきましたが、次回もぜんぜんシリアスじゃないです。
そして、今回の「湖畔にて」と、次回の「湖畔にて2」をもちまして、幼少編は最後になります。
その後は幕間に何話か挟み、2年後の首脳会議へと進む予定です。
とはいえ、雰囲気はまったく変わらないし、二年しか経過していないので、登場人物もほとんど成長していないかと思われます。
章の間も休んだりせず、同じペースで進む予定ですので、よろしくおねがいします。
そんなわけで、以下次回予告。
アルファに威嚇されるグレン。




