33・☆ゆっくりと
「ところで白竜公どの、さきほど、魔人がシリウスと接触したとおっしゃっておられましたが、それは本当なのですか?」
ルークは信じられず問い返した。
魔人という存在は、竜人以上に伝説の中の生き物だ。
目撃情報は極めて少なく、実存するかどうかすらはっきりしない。
確かに前回の東西広場襲撃が、魔人によるものらしいとは、カイルとアルファから報告を受けていた。
けれどウェスタリアの研究家や政治家たちが、散々会議を繰り返した結果、魔人の存在はやはり確認できない、という結論に至ったのだ。
青年二人の緊迫した表情に気づいたシャオは微笑む。
「すまんが、わしはこれ以上の詳細をあまり話しとうない。主自身が知られたくないであろうからのう」
「うん……」
自分の前世なる人物が、魔人に殺されたのかもしれない、などと、真偽が不明であっても、とても兄や家族には報告できないので、シリウスは誰にも話していなかった。
カイルとアルファにも、ツヴァイと会ったことは誰にも言わないように、お願いしてあったのだ。
沈んだ表情のシリウスを慰めるように、シャオは目を細めた。
「ツヴァイの述べたことはすべて遠い過去の事。お気にめされるな。蒼竜の事もじゃ。あれは色々と覚えておるので仕方がない。あやつの中では過去が過去ではないのですからのう。いましばらくは好きにさせておいたほうが、あやつも心が落ち着くじゃろう」
「でも、心配なんだ。フォウルの事……」
シリウスは紫の瞳を伏せ、受け入れかねる様子だったが、そんな主人をなぐさめるように、シャオが明るい声を出す。
「そこで、じゃ。わしがここに残るのは現時点であまり賢い選択ではないことじゃし、わしは引き続きあちこち探ってまいろうと思う。ついでに蒼竜の事もちゃあんと見守っておくゆえ、主はのんびりといつもどおりにしていてもらえるかのう」
「シャオがフォウルを見ててくれるの?」
「はい」
やさしく頷き、シャオは立ち上がった。
「できれば週に一度は報告にまいろうと思う。わしも主のお顔が見たい」
切実な声でしみじみと言う。
「ルーク殿、ロン殿、そなたらには言わずとも良いのはわかっておるが、我が主を頼みます」
深く頭を下げ、
「それからついでに、黒竜と赤竜のことも。あやつらは自分たちの主人大事なあまり、時に逆に主を傷つけることもあるやもしれぬ」
「それはどういう……」
ルークは問いかけたが、ロンにはなんとなくわかっていた。
竜人たちはシリウスを重要視するあまり、それ以外の人間を軽んじているように見えるのだ。
実際にはそうではなく、彼らは彼ら自身の流儀で他の大勢に対し普通に振舞っているだけなのだが、すでにそのせいでシリウスが他国から嫉妬の対象になっている。
カイルもアルファも、他の国々がどんなに切実に懇願したところで、たとえ数日であっても、絶対にシリウスの側を離れないだろう。
「あやつらも、逐一注意してやれば気づくじゃろうが、気づいたところで態度が改まるとも思えんし、わしもこと主の件に関しては人の事がいえぬ」
苦笑して続ける。
「難しいじゃろうが、竜人たちを諌める事を恐れず、存分に叱ってやっておくれ」
「は、はあ。努力はします……」
実際ルークは、それなりに竜人たちとやりあってはいたが、改めて言われると自信がなかった。
「さて、では、黒竜と赤竜が戻ってくる前にお暇するとしよう」
「もういっちゃうの?」
シリウスがすかさずシャオの手を握る。
「ああ、主よ、そんな目でわしを見てくださるな。出て行けなくなってしまう」
シャオは膝をついて主人の手を包み込むように握り返した。
「主よ、ときに、わしの竜身を見てみたくはござらぬか?」
「見てみたい。でも、ここにいてくれたほうがうれしいよ」
シャオは寂しげに笑みを浮かべ、けれど決意したように立ち上がると、窓に向かって軽やかに駆けた。
窓枠に足をかけ、
「たびたび戻ってくるゆえ、寂しくお思いになられますな。ルーク殿、ロン殿、主をよろしくたのむ」
そう言って、シャオにとっての玄関となりつつある、いつもの窓から飛び出した。
シリウスの居室の窓から少女が飛び出した瞬間を、中庭で竜人たちの厳しい指導を受けていた騎士の一人が目撃して叫び声をあげた。
その場にいた全員が一斉に注目する。
少女は地面に激突する寸前で、白く輝く光の球と化した。
「白竜公どの!」
カイルが思わず叫ぶ。
まぶしい白の光にやかれ、その場にいた全員が目を閉じた。
まぶたをあけるより早く、強烈な風が彼らの髪を乱す。
長大な竜身は黒竜よりもずっと細く小柄であったが、それでも城を一巻きするぐらいの長さがあった。
白銀に輝く鱗は真珠を溶かしたように淡く虹色に輝いている。
アクアマリンの瞳が穏やかに細められ、窓から身を乗り出しているシリウスに向けられた。
「いかがですかな、主よ。わしもなかなか強そうであろう?」
「うん。それに、すっごく綺麗だ」
主の賛美を受け、うれしげにのどを鳴らす。
「またお会いするまで、どうかご壮健で」
一週間で戻ると言ったくせに、今生の別れを告げるように深刻な声音で言うと、シャオは主の手のひらに鼻先を押し付けた。
つかの間の別離が本気でつらかったのだ。
「シャオも、気をつけてね」
返事の代わりに、シャオは思い切ったように身を翻すと高々と咆哮を上げた。
以前、人々を勇気付けた黒竜の雄たけびに似ていたが、あの時とは違い、その声には母の子守唄ようなやさしさが含まれていた。
白く輝く竜身は優雅にくねりながらあっという間に雲間の白に溶け込んで消え、あとには季節を無視した純白の雪がヒラヒラと舞い降りていた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
シャオが城を訪ねてきた日の夜、ルークはいつものようにシリウスに本を読んでやっていた。
本当は、この数ヶ月のうちに、シリウスはもうすっかり文字を覚えていたし、ずっと難しい内容の本を読んでいることはルークも知っている。
けれどシリウスは兄に本を読んでもらいたがったし、ルークもそうしてやりたかった。
いつものように一冊の本を読み終えて、ルークがベッドから抜け出そうとしたときだ。
「兄上」
「うん?」
シリウスが兄の腕を掴んで引き止めた。
「ぼくが空を飛べるようになったら乗せてあげるっていったの、兄上は覚えてる?」
「ん? ああ、もちろん覚えているよ」
ふふふ、と笑って、ルークはシリウスの頭を撫でた。
「なんだ、飛べるようになったのか?」
ルークが冗談交じりに聞くと、聞かれた弟のほうは思いがけず真剣な顔をした。
「……カイルもアルファも、なるべく誰にも見せないようにって言うんだ」
兄に抱きついて、胸に顔を押し付けた。
「人によっては怖がったり、ぼくをいじめたり、利用しようとしたりすることもあるかもしれないって」
シリウスが紫の瞳をうるませて見つめてくる。
「兄上は怖がったりしないよね」
「あたりまえだ」
ルークはぎゅっとしがみついてくる弟のサラサラな髪を撫でた。
ルークは不安と期待で鼓動が早くなってきた。
何を見せられるのかはわからない。
けれどこの会話の内容からすると、もしかして弟は竜に変わることができるようになったのではないだろうか。
いつかはそんな日が来るかもと予想していたが、こんなに早いとは思っていなかった。
「今日、シャオが竜になってくれたでしょう?」
弟の言葉を受けて、ルークの脳裏に白銀に輝く美しい竜の姿がよみがえる。
まさしく竜神であり、人では到底及ばない恐るべき力を感じた。
「……ぼく、変なんだ」
「変?」
シリウスはベッドから上半身を起こして、上着を脱いだ。
「シリウス?」
ルークの大事な弟は金色の睫を伏せる。
細身の少年の体に、きらきらと輝く光がまとわりつき、その背に集まっていく。
光そのものが形になったのは、そのほんの数瞬あと。
金の翼はルークが今までに目にしたいかなる芸術品よりも美しかった。
黄金と白金がいりまじったようなやわらかな光。
なめらかで、同時にシャープな曲線は、大型の水鳥の翼を思わせた。
豊かな羽毛が背を覆い、大きく広がった後、再び折りたたまれる。
「シリウス……」
あまりの美しさにルークは二の句が告げなかった。
呆然と手を伸ばしたが、あまりにも繊細で優雅な翼に触れてはいけない気がして思いとどまる。
「兄上……」
なぜかシリウスは紫の瞳に涙をたたえていた。
ルークは思わず弟を抱きしめた。
きれいすぎて翼にさわれない、などと悠長なことは言っていられない。
大事な大事な弟が泣いているのだから。
「どうした」
「ぼく、変?」
「変なものか、素晴らしいじゃないか。とっても綺麗だし、シリウスに似合っているよ」
心からそう言った。
「どうして変だなんて思うんだ、カイルやアルファがそう言ったのか?」
もしそうならあいつらは即刻クビだ。
誰がなんと言おうと追い出してやると心に誓う。
けれど愛しい弟は慌てて首をふった。
「ち、違うよ、カイルにしかまだ見せてないけど、すごくきれいですって言ってくれた……」
後ろを振り返り、自分の翼を確認するようにすこしばかり広げた。
「でも、二人ともこんな風に羽がはえたりしないんだって。かわりに竜になれるんだ。だから……」
「それで気にしてたのか?」
聞くと、コクンと頼りなさげに頷くのだ。
「今日、シャオが竜になってくれて、それで、ぼくも竜になれるかもって思い出したんだけど」
「なれなかった?」
「ぼくだけみんなと違う……」
兄に抱きついたまま、シリウスは肩を震わせた。
「羽が生える人って、世界で一人だけ? ぼくやっぱり変なのかな」
ルークは答えることができなかった。
代わりにもう一度弟を強く抱きしめる。
「羽があったってなくなって、シリウスは私の弟だ。世界に一人だけの」
「……」
じっと見つめてくる弟の濡れた瞳は、湖に沈んだ宝石のようだった。
「カイルやアルファだって、そう思っているはずだよ」
それから、低い声で、
「我が君は世界でただ一人の、俺の大事なご主君です」
と、アルファの声音をまねて見せた。
「ふふっ」
シリウスが思わず笑う。
「兄上、似てないよ」
「そうか? 似てたと思うけど」
兄弟で笑いあうと、シリウスはようやく明るい顔を取り戻した。
ルークは弟の髪をくしゃくしゃとかき混ぜてやった。
「シリウス、お前は少し急ぎすぎてるな」
「いそぎすぎ……?」
「もっとゆっくりでいいんだ」
ルークの鳶色の瞳がやさしく弟を見つめる。
「お前はまだ産まれてから一年経っていないんだぞ、本当ならまだ言葉もしゃべれない赤ん坊だ。カイルやアルファに聞いてごらん、何歳で竜になれたのか」
「でも卵の中に5年いたんだよ」
「それだって5歳だ。兄上が5歳のときなんか、難しいことは、なんにも考えてなかったけどなあ。1歳のときはきっと、ミルクのことしか考えてなかった」
おかしそうに笑う弟に、ルークはやさしく微笑んだ。
「このままずっと竜になれなくったって、兄上はお前が大好きだし、ちっとも変なんかじゃない」
「……うん」
アメジストのような瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれて、シーツにしみを作った。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
――ウェスタリアからはるかな東、洋上に浮かぶ島々のひとつに、海風にさらされ朽ち果てた王城があった。
外観は植物に覆われ、屋根も壁も崩れ落ち、誰も住めそうにないほど崩れた廃墟であったけれど、門扉をくぐることのできる限られた者たちにとって、外から見える建物など、張替え可能な壁紙のようなものだった。
シンと静まり返った古城の内部は、外からは想像もつかないほど美しい。
磨かれた黒大理石の床、壁面に並ぶ、鋼の甲冑。
もちろん、壁も天井もヒビひとつなく健在だ。
その古城、広間中央にポツンと置かれたテーブルとソファに、四人の人物が集まっていた。
一人は深緑の髪を首の後ろで長い三つ編みにしている、貴族のような風貌の、メガネをかけた細身の青年。
その隣にはウェーブした葡萄色の髪を頭の左右で結い上げた少女。
少女の向かいには、先日ウェスタリアに現れた、碧の瞳の青年ツヴァイ。
彼らとはやや離れた位置に、銀に輝く鋼色の髪の青年が、一人用のソファに腰掛けていた。
左の頬に、一筋、まっすぐに伸びる傷がある。
その青年が、ツヴァイを軽くにらんだ。
「それでお前は、光の君を脅すだけ脅して帰ってきたのか」
「だって、他に挨拶のしようがないじゃないか。別に怖がったりしてなかったよ。竜人たちは青くなってたけど」
その言葉に反応したのは、この場で唯一の女性だ。
「グレンはなんでツヴァイなんかに任せるの? あたしが行きたいって、最初から言ってるのに!」
「お前はまだほとんどの力が戻っていないからだ、アイシャ」
グレンと呼ばれた青年が一括し、少女は不満そうに頬を膨らませたが、反論はしなかった。
「グレン、ツヴァイが手を出してしまいましたが、時期が来るまで、もう当面は彼らを放置しておいたほうがいいんじゃないですか? 竜人たちを刺激しても面倒になるだけ。どうも他国の人間たちともめているようだし、うまくすれば馬鹿な人間が勝手に竜人と光の君とを引き離してくれるかもしれません」
メガネをかけた青年が提案し、グレンはうなずいた。
「ジオの言うとおりだが……」
目を閉じると、銀鋼の長髪がサラサラと肩を滑った。
「私は光の君がまだ何も知らない今のうちに、一度会っておきたい。お前たちも同じ想いだろうが、完全に魔の気配を絶てるのは私だけだ。――近日中に様子を見に行ってくる」
ジオと呼ばれた青年は頷くと外に向かってあごをしゃくった。
「蒼竜はどうします? まだ飼っておくのですか?」
「始末する気ならいつでもできる。だが私が光の君に会いに行くと悟られたくない。そのときはツヴァイ、あいつをどこかに連れ出しておけ」
「いいけど、そろそろめんどくさいね」
文句を言いながら、ツヴァイはその場から動かないまま、紫の霧に変じてソファの上から掻き消えた。
「あたしはこれから卵を見に行ってくる。準備が整うまでずっと見張り番をするわ。光の君に会いにいけないなら、せめてそれぐらいはいいでしょ」
「かまわないが、アレはまだ空っぽの器にすぎないんだぞ」
「そんなことわかってる」
立ち上がって部屋を出て行くアイシャに続いて、ジオも腰を上げた。
「オレもアイシャと行きます。卵に万一の事があっては意味がない」
一人広間に残ったグレンは、指を組み、目を閉じた。
グレンの知る『光の君』の姿を脳裏に思い浮かべる。
「二度としくじらない」
自らに言い聞かせるようにつぶやいて、深く息を吐き出す。
「必ず……」
決意をこめて目を見開くと、立ち上がり、腰に下げた銀の長剣の柄をきつく握り締めた。




