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東方星蓮船 ⑦ 「のべつ幕なし、是非もなし」






「――商談、ねえ」


 昼時前の薄暗い香霖堂に、月見の胡乱な声が低く這うように通る。

 商談を始めようか――珍しくやる気に満ちた佇まいで、確かに香霖堂店主・森近霖之助はそう言った。商談とは、お客さんに商品の値段や内容を納得してもらうために行う交渉のことをいう。つまり霖之助は、今から月見たちにひとつの商品を売りつけようと画策しているわけだ。

 それ自体は別にいい。霖之助だって曲がりなりにも商人なのだから、商売に意欲を見せたくなるときだってあるだろう。

 問題は、交渉のテーブルに上げられる『商品』にある。


「あ、あのっ」


 星が意を決して口を切った。まさか自分の嫌な予感が当たっているはずはあるまい、と笑顔を引きつらせながらも精一杯明るく、


「は、はじめまして! ええと、毘沙門天様の代理を務めさせていただいております、寅丸星と申します!」

「ああ、はじめまして。香霖堂の店主、森近霖之助と申します」


 毘沙門天様の代理と聞いてか、霖之助があからさまに人のいい態度へ切り替えた。口調も敬語である。ナズーリンが小声で「猿芝居め」と毒づくも、今の霖之助の前では糠に釘であり、


「毘沙門天の代理……ということは、貴女がこの宝塔の落とし主でしょうか」

「は、はい。実は、そうでしてっ。……あ、あの、それでですね」


 星は両手の人差し指を心細く突き合わせながら、恐る恐ると上目遣いで尋ねた。


「毘沙門天様の宝塔を、商品として並べていると伺ったんですけど……さ、さすがにご冗談で」

「ええ、これは立派な店の商品ですよ」


 星は笑顔のまま氷結、


「そういうわけですので、必要ならば買取をお願いできますか」

「ふざけるんじゃないよッ!!」


 ナズーリンが一発でキレた。


「無縁塚の、外から流れ着いた道具やガラクタを商品として並べるのはまだわかるさ! だがこの宝塔は毘沙門天様の、霊験あらたかな宝物とも呼ぶべき重大な道具なんだぞ!?」


 猿芝居を早々に打ち切って、霖之助はぶっきらぼうに手首を振った。


「はいはい、知ってるよそんなの。僕の能力がなんだったか、まさか忘れたわけじゃないだろう?」

「ぬすっとめがね!!」

「ナズーリン、落ち着け」

「ふしゃーっ!!」


 ああ、いつも冷静沈着だったナズーリンが壊れた。

 しかし、気持ちはわからないでもない。いくら霖之助が商人といっても、人の道具を勝手に商品として並べた挙句落とし主に金を要求するのは非常識だし、そもそも仏様のありがたい持ち物を金儲けに使うなど言語道断である。この話がもし毘沙門天本人の耳に入れば、その瞬間に霖之助は天罰で消し飛ばされたって文句は言えない。

 とは、いえ。香霖堂ともそれなりの付き合いである月見は、霖之助が幻想郷でも常識人の部類であり、かつ金儲けにさほど頓着していないことを知っている。

 つまりは、然るべき事情故に宝塔を商品として扱っている、と考える方が自然であり。


「それで? 一体どういう訳で、宝塔がここの商品になったんだい」


 よくぞ訊いてくれたとばかりに霖之助は笑みを浮かべ、また人のいい猿芝居を始めた。


「この宝塔は、僕が正当な物々交換で手に入れたものです。この宝塔を買い取ってくれと、店に持ってきた妖怪がいたんですよ。もちろん、これが拾い物、盗品であるとの説明は一切なく、余計な詮索はしないことが条件でした」

「な、」


 全身の毛を逆立てて威嚇していたナズーリンが、口をあんぐりと開けて硬直する。

 概ね、月見が予想した通りの事情であった。要するに、


「僕もこの道に入ってそれなりに長いですから、すぐにわかりました――言う通りにした方がいい客だと。妖怪相手にも商売をやっていると、そういうのは少なくないのです。まあさすがに、仏様が直接落とされた物を盗んできていたとは思いませんでしたけどね」


 黙って買い取るか、なにも見なかったことにするか。その二択を突きつけられ、霖之助はしばし考えた結果、


「そういうわけで、物々交換という形で買い取ったんです」

「なぜそこで買い取るかな!?」

「僕は、妖怪にも人間にも分け隔てない商人でありたいと思ってるからね。あとは、仏様の道具を触れる機会なんて滅多にないから、知識人の血が騒いだとでも言おうか」


 前半が建前で後半が本音だな、と月見は思う。ナズーリンが宝塔を捜し求めてやってくるまでの間は、きっと少年のような目をして戦利品を弄くり倒していたのだろう。

 まあ、なんにせよ。


「よって、宝塔がここに並んでいるのは僕が正当な商売を行った結果。盗っ人呼ばわりは心外ですよ」

「むむ……そ、そうですね。店主さんは事情を知らなかったわけですし、さすがにナズが言い過ぎで」

「丸め込まれちゃダメだご主人ッ!!」

「ひいっ!?」


 しかし、だからといってナズーリンの烈火が如き怒りは微塵も治まらない。早くも丸め込まれそうになる星をぴしゃりと黙らせ、地団駄を踏んでいるのと大差ない苛烈な貧乏揺すりで、


「なるほど確かに、確かにはじめは事情なんてわからなかったのだろうね。けれど事情を知ったこの期に及んでも、こいつが宝塔を商品として扱い続け、あまつさえ落とし主に金を要求している非常識は揺るがないよ!」

「僕は妖怪にも人間にも、仏様にも分け隔てない商人でありたいと思ってるからね」


 立場的には宝塔の今の持ち主である自分が優位と踏んでいるらしく、霖之助は欠片も動じず言い返す。


「一応言っておくけどね。宝塔を拾ったのがはじめから僕だったなら、もちろん素直にお返ししていたよ。当然だ、それくらいの常識と礼儀は弁えてるさ」

「だったら!」

「でも言ったろう、僕はこれを物々交換で買い取った(・・・・・)んだ。大切な『非売品』をひとつ、断腸の思いで手放したんだよ。これで君たちに無償で返したりしたら、僕だけが大損じゃないか。それとも天下に名高き毘沙門天殿は、人々が仏のために犠牲を払うのは当然だと仰るのかな?」

「ぐっ……ぐ、ぬ、ぬ……!」


 霖之助は商人であると同時に筋金入りの蒐集家でもあり、気に入った道具を見つけると『非売品』の名目で店の奥へしまいこんでしまう。なまじっか、「道具の名前と用途がわかる程度の能力」のお陰で宝塔の価値が理解できてしまったからこそ、『非売品』を引っ張り出さなければ釣り合わないと判断したのだろう。

 これで宝塔をタダで持ち主に返そうものなら、確かに霖之助一人だけが大損で、まさしく「正直者が馬鹿を見る」である。


「僕は商人だ。買い取った品を相応の値段で売るのは当然のこと。君が盗っ人と糾弾すべきなのは僕ではなく、宝塔をここに持ってきた妖怪であるはずだよ」


 霖之助はただ、商人としてどこまでも正直だったのだ。

 ぐうの音も出ない正論である。まったくもって正論である以上、いくらナズーリンといえども戦闘続行は不可能であり。


「……その妖怪はどこのどいつだ! ぎったんぎったんに叩きのめしてやる!」

「それが、用意周到に顔も特徴も隠していてね。余計な詮索はなしが条件だったものだから、はてさて一体誰だったのやら」

「ぐむぅーっ!!」

「ナズ落ち着いてーっ!?」


 遂に感情のやり場を失ったナズーリンが、星から羽交い締めにされながら両腕を振り回してジタバタ暴れた。大事な宝塔を売り物にされた怒りも当然ながら、霖之助相手に正論を叩きつけられ言い負かされた屈辱で、もはや普段の怜悧で大人びた佇まいは見る影もない。一方で霖之助は、ナズーリンには日頃からイヤミばかり言われているせいか、この結果にはご満悦で顎を撫でた様子だった。

 ひとしきり事の経緯を理解した月見は腕を組み、細くやるせないため息をついた。これはお手上げだな、と思った。せっかく高い対価を払って買い取った品なのに、「私が落とした物だから返せ」と言われたらどんなお人好しだって面白い顔はしない。それは本当か、嘘をついてタダで手に入れようとしてるんじゃないだろうな、お前の落とした物だという証拠はあるのか、と当然疑うに決まっている。となれば結局は、今の状況のように相応の対価を払って買い戻すという話に行き着くのだ。

 責めるべくは盗品を売り払ったどこぞの妖怪であり、買い取った商人ではない。


「……ナズーリン、こればかりは仕方ないよ。霖之助に限らず、誰が買い取っていたとしても話は同じだっただろう」


 月見たちの選択肢は二つしかない。潔く金を出して買い取るか、宝塔を売り払ったどこぞの悪い妖怪を捜し出し、霖之助の『非売品』を取り返して、宝塔ともう一度交換してもらうか。要するに、「金を払って楽な方を取るか、金を惜しんで面倒な方に甘んじるか」である。

 星も眉をハの字にして頷く。


「そうですよ、ナズ。仕方ないですけど……これは私の落ち度でもありますので、私がお金を出します」

「……ご主人」


 怒り続ける気力ももはや尽きたのか、ゆるゆると脱力したナズーリンは、けれど霖之助への恨みがましい視線だけは最後まで忘れることなく、


「それは、値段を聞いてから言った方がいいと思うね」


 そのときにはすでに、霖之助が弾き終えた算盤を帳場の上に置いていた。


「こんなものでどうかな」

「あ、はい。えーと、」


 星は算盤を数え、三秒後に「ふえっ」という顔をした。ぶんぶん首を振り、もう一度慎重に、指差し確認をしながら数え直して、


「……、」


 五秒後、ぷるぷる震える星はぷるぷる涙声で、


「…………あ、あのっ。もう少し、いえ、もうだいぶ、その。十分の一くらいに……まけていただけるとっ……」

「だろう!? そう思うだろう!? 非常識だろうこんなの!?」


 ナズーリンがまたキレた。

 確かに、算盤の上で堂々と仁王立ちしているのは随分とご大層な金額だった。「給料三ヶ月分」という有名な外の言葉は、まさに今のような状況のためにあるのだと思える。この金額をいきなり出されて「買います」と即決できる者は、余程の金持ちか、金への執着が薄い人間だけに違いない。

 月見も苦笑いせざるを得ない。


「これはまた、随分と大きく出たね」

「そうかい? この宝塔は正真正銘仏様の宝具。これでも安い方だと思うけどね」


 うんまあそれはそうなんだけど。

 しかし、そんなことをいけしゃあしゃあと言ったらナズーリンが、


「人がっ、人が下手に出ていれば足元を見やがってえっ!! この悪徳商人!! 箪笥の角に足の小指をぶつけてくたばれッ!!」

「ナズ、暴力はダーメーでーすーっ!!」

「お前の本をぜんぶ鼠たちが喰い破ってやるんだからなああああああああっ」


 ナズーリンはいよいよ涙目だった。元々外見が童女なので、こうなると完全にヒステリーを起こした子どもにしか見えない。普段が英明闊達(えいめいかったつ)である分、一度プッツリ行ってしまうと手がつけられなくなるタイプらしい。恐らく酒癖も相当悪い。


「……霖之助。さすがにちょっとはまけた方がいいんじゃないかい」

「生憎ながら、僕は君ほど優しくはないんだ」

「あれは負け惜しみじゃない。ほんとに根こそぎ喰い破られるぞ」

「……まあ、なにか対策を考えるさ」


 はて、と月見は疑問に思った。商人であると同時に筋金入りの蒐集家でもある森近霖之助は、月見とは比べ物にならないほどの本の虫でもある。大切な古書を根こそぎ喰い破られるかもしれないリスクを負ってまで、がめつく商品を売ろうとする男ではないように思うが。

 そも金儲けに疎いはずの霖之助が、なぜ今回はこうもやる気満々で商談なぞ持ちかけてくるのか。今までなにかとイヤミを言われ続けてきた仕返しで、ナズーリンに嫌がらせでもしているつもりなのか。それとも今回だけはもっと特別な事情があって、取り急ぎまとまったお金を必要としているのか。しかし、だったら霖之助自身の貯えは――


「…………」


 ――ああ、なるほど。

 月見は、なんとなく察した。


「そういうことか。わかったよ、霖之助」

「……なにがだい?」

「金が尽きたんだな?」


 霖之助がさっと顔を背けた。


「だから、そうまでして宝塔を売ろうとしてるんだろう」

「……」


 霖之助はなにも言わない。

 外の経済社会ほどではないにせよ、幻想郷だって、もちろん生きるためにはなにかと金が先立つ世界である。金がなくとも自給自足で逞しく生きている者だっているが、少なくとも霖之助は違う。金がなければ、食べ物も道具も本も買えない。そして香霖堂は、こういっちゃあなんだがだいたいいつでも閑古鳥が鳴いている。閑古鳥が鳴いているということは、収入がないということである。収入がないということは、生きていればそのうち金が尽きるということである。

 そして、今がまさしく「そのとき」なのだった。

 すっかり冷静を取り戻したナズーリンが斜めに目を伏せ、場の空気を取り繕おうといかにも努力した感じで、


「そ、そうだったんだな……。すまなかった、店主。そうとも知らずに私は」

「君、その本気で気の毒そうな顔はやめてくれないかな」


 星も、とてつもなく真剣な顔で胸を押さえている。


「そ、そうですよね……こんな店構えじゃお客さんなんて来ないでしょうし、お金もなくなっちゃいますよね……」

「ナズーリン、君のご主人様がトドメを刺しに来るんだが」

「いや、うん。事情も知らずに好き勝手言って、本当にすまなかった……」


 右手で顔を覆って項垂れる霖之助は、きっと心の中で泣いていたのだと思う。そうとも知らずに星とナズーリンは話を加速させ、


「ナズ、やっぱり買いましょうっ。このままでは店主さんが飢えに苦しんで、仏を信じる心を失ってしまいます……!」

「……そうだね。わかった」


 むしろたったいま失ったばかりな気もするが。


「しかしご主人、持ち合わせはあるかい? 正直、私ははした金程度しか……」

「うっ……わ、私も、今はちょっと……」

「ムラサと一輪にも頼んでみるか……? いや、さすがの二人もここまでのお金は持ってないか……」

「ど、どうしましょう……このままじゃ、店主さんが飢えに苦しんで明日にでもっ……!」


 霖之助が声なき声で呻き、


「……月見、助けてくれ」

「はっはっは」


 計画性のない霖之助が悪い。大方、金がなくなってきているのには前々からちゃんと気づいており、その上でまだ大丈夫だと高を括って趣味ばかりにうつつを抜かしていたのだろう。なまじっか妖怪の性質を併せ持っているせいで、食事は抜くわ睡眠は削るわ、この男は日頃から不養生な生活をしてばかりなのだ。


「……二人とも、僕が悪かった。お金は要らないから、もうやめてくれ」

「ダメですっ! 私たちがここで宝塔を買わなかったら、店主さんの生活は一体どうなるんですか!?」

「ご主人の言う通りだ。幻想郷とて、半妖が無一文で生きていけるほど甘い世界じゃない。いくら君でも、知らないうちに野垂れ死んでいたら目覚めが悪いじゃないか」


 なぜか星とナズーリンの中で、霖之助が早くも野垂れ死ぬ一歩手前ということになっている。

 当然、面白いので月見はまだなにも言わない。霖之助は段々焦り始め、


「い、いや、しかしね」


 そう言って手を伸ばしかけるのだが、二人はまったく聞いちゃいない。その瞳は、白蓮の復活を望むのと同じほどの使命感で燃えていた。


「一度戻りましょう、ナズ……! ムラサと一輪に協力を頼むんです!」

「そうだね。もしかしたら、事情を話せば他にも手を貸してくれる誰かがいるかもしれない」


 霖之助がとうとう本気で助けを求める形相になった。いま月見と霖之助の脳裏では、寸分も違わず同じ未来が広がっているはずである。すなわちこの一件を天狗あたりに聞きつけられ、清々しく脚色された不名誉な噂話が幻想郷中を駆け巡り、最終的に霊夢と魔理沙からとても不憫な眼差しを向けられている未来が。

 これくらいで勘弁してやるとしよう。「どれ」と一声、月見は霖之助と星たちの間に割って入った。


「じゃあ、お金は私が出すよ。一度屋敷に戻れば準備できる」

「えっ……よ、よろしいんですか?」


 目を丸くする星に頷き、


「白蓮に早く会いたい気持ちは私も同じさ」

「つ、月見さんっ……」


 星が感動でうるっと震える。霖之助は背もたれに体重を預け脱力し、微苦笑とともに吐息する。


「君は、あいかわらずだね……」

「さて、なんのことかな。私はただ、欲しい物を買おうとしているだけだよ」

「……そうか」


 商人としてではなく、月見の友人としての顔だった。


「――毎度あり。どうもありがとう」

「ああ。これを機に、ちょっとは生活習慣を改めるんだよ」

「……霊夢がちゃんとツケを払ってくれたり、魔理沙が茶菓子を勝手に食べたりしなければ、もう少しマシになるはずなんだよ」


 霖之助がせめてもの悪あがきで呻くが、生憎となんの説得力もない。だって、本気で迷惑しているのならキチンと叱ってやめさせればいいのだから。霊夢と魔理沙だって嫌がらせをしているわけではないのだ、冗談抜きで怒られれば素直にやめるだろう。

 にもかかわらず彼女らが香霖堂で好き勝手やっているのは、霖之助への一種の信頼であり、まあ要するに甘えているのであり、霖之助も心の中ではそれをどこか満更でもなく思っているのだ。

 あの紅黒コンビがいる限り、香霖堂の現実が改善される日は未来永劫来ないであろう。


「あ、あのっ!」


 わたわたと月見の隣に並んだ星が、突然ぶっ倒れたかと見紛う勢いで頭を下げてきた。


「ありがとうございます! その、お金を出していただきまして……」

「いいんだよ。それより、もう落とさないようにね」

「は、はいっ。それはもう!」


 決して安い出費ではないが、白蓮のため、ひいては友人の明日のご飯のためとなれば迷う道理もない。さてこれで宝塔は一件落着だと、月見がまさに一息ついたその直後、


「なに調子のいいことを言ってるんだい、ご主人。この場合、宝塔は月見の物だろう」

「へ?」


 ナズーリンがひっくり返した。頭を上げる途中の体勢で時が止まった主人へ、彼女は至って真顔のまま、


「当たり前だろう、月見がお金を出して買ったんだから。違うかい?」

「……え、あ、はい、それはそうだと……思います、けど。え? あ、あれ?」


 星の心に灯っていた安堵と希望の光が、見る見るうちに困惑と疑惑の闇ですげ替えられていく。疑いの対象には月見も含まれている。


「いや待て、私はそんなつもりじゃ」

「月見、ご主人を甘やかさないでくれ。如何な事情があったとはいえ、ご主人には今回の事の重大さを身を以て知ってもらう必要がある」


 更には脇から霖之助まで、


「そうだね。僕は月見に宝塔を売るわけだから、所有者は彼になると考えるべきだろうね」

「あ、あれー?」

「ご主人……まさか君、月見にお金を出させておきながら自分の物にするつもりだったのかい? 毘沙門天様の名を背負う君が? そんな無責任なことを?」

「そそそっそんなことないですよ!? もちろん宝塔は月見さんの物ですともっ!」


 ナズーリンの石ころを見るような目に星は全身全霊で掌を返し、それからしょんぼりと項垂れた。


「うう……ほ、ほうとう……」

「なんだか不満そうだね。自分で責任を取るのが嫌なら、毘沙門天様にぜんぶ包み隠さず打ち明けて助けを求めるという手もあるよ?」

「わかりましたっ、私がぜんぶ責任を取ります!!」


 ナズーリンは毘沙門天の部下であるから、代理とはいえ毘沙門天の名を背負う星に対しても、同じように部下であるといえる。しかし同時に星の働きを監視するという毘沙門天直々の命を受けたお目付け役でもあるから、ある意味では星の上司だともいえる。現に今、立場が上なのは明らかにナズーリンの方だ。時と場合によって上下が容易く逆転する、なかなか複雑な主従関係であった。

 というか、星がナズーリンより上の立場となる瞬間などあるのだろうか。


「よろしい。ならば宝塔の今の持ち主である月見に、一体なにを言わなければならないか。わかっているね?」

「ふええん……」


 もしも床が畳であれば、星は土下座をしていたのかもしれない。


「月見さん、お願いします……! 今回月見さんが払ってくださった代金は、いつか必ず、必ず私が全額お返しします……! ですから今だけ、聖を助けるまでの間だけ、どうか宝塔を私に貸してくださいませんかっ……!」


 いやだから、元よりそういうつもりで宝塔を買ったわけじゃないんだけど。

 しかしナズーリンの「甘やかすな」オーラがビシビシ飛んでくる状況では、敢えて強く言えるはずもなく。


「……うん。まあ、なんだ。お前たちの気が済むようにやってくれ」

「はいっ……! ありがとうございます!」


 ああ、良心が痛い。


「とはいえ、その……私、今はちょっと、大した持ち合わせがなくてですねっ。お時間が掛かってしまうと思うんですけど……」

「いや、別に利子を取ったりはしないから、ゆっくり返してくれればいいよ」

「ああ……月見さんがお優しい方で、本当によかったです!」


 良心が痛いってば。月見はなにも悪いことなどしていないはずなのに、なぜだか星を騙しているような気分になってきた。

 今度は月見が声なき声で呻く番である。霖之助が、意味深な笑みをいやらしく口元に貼りつけている。


「……なにかな」

「いや。君の周りは、いつもそうなんだろうと思ってね」

「『そう』とは?」

「『そう』は、『そう』だよ」


 あまり褒められている気はしないなあと月見は思う。

 吐息、


「……とりあえず、屋敷に戻って金を取ってくるよ。霖之助、宝塔はキープで」

「ああ。わかっているよ」


 ともかく今は与太話に精を出す暇などなく、宝塔をさっさと買い戻してしまうのが先決だ。幻想郷では、いつどこでなにが起こるか誰にも予測ができない。お金を準備して戻ってきたとき、香霖堂の棚に宝塔が変わらず鎮座している保証はない。

 香霖堂を一旦あとにし、水月苑まで戻ることとする。その空の道を行く間も、星はずっと縮こまってばかりであった。


「あの、月見さん……本当にありがとうございます。なんとお礼を申し上げればよいか」

「言ったろう、私だって白蓮に早く会いたいんだ。本当は、お金も返さなくたっていいんだけどね」

「月見、甘やかすなと何度言えばわかるのかな」


 まあナズーリンがこの調子なので、もうとやかく言うのはやめるのだ。ナズーリンは月見のついでに星まで半目で睨み、


「ご主人も、甘えるんじゃないよ」

「あはは……でも月見さんって、不思議と頼りたくなる雰囲気があるというか」

「やっぱり毘沙門天様に報告か……」

「あーっ違います違いますっ、あくまで月見さんのお人柄というか、決して頼ろうとしているわけではなくってですね!? もちろんお金はお返ししますともっ、だから毘沙門天様には言わないでくださいいいいいっ!」

「星。私はナズーリンから、お前は仕事をさせれば優秀だって聞いてるんだけど……本当なのか?」

「つ、月見さんが不信の眼差しにっ」


 いや、不信を抱かない方が無理というか、今のところダメな姿しか見せてもらっていない気がするのだけれど。

 ナズーリンが、凝り固まったこめかみを指で揉みほぐしている。


「……まあ、これでも本当に、寺の仕事だけは一人前にこなすのさ。こと信仰集めに関しては見事の一言だよ。ご主人の人柄というか、君とはまた違う意味で、人からよく好かれるんだな」

「ああ……それは、なんとなくわかるね」


 底抜けに人がよさそうなところ、とでも言おうか。悪人でないのは一目瞭然で、誰が相手でも決して心の壁を作らず、困っている人がいればどんな些細な悩みにだって快く耳を傾けようとする――そんな少女なのだろうと思う。言うことやることはどこか抜けていて危なっかしいが、そのあからさまな欠点が反って親しみやすさを生み、ないしは庇護欲を刺激し、結果として彼女の周りには自然と人が集まるのだろう。

 一言で言ってしまえば寅丸星は、「なんだか信じたくなる子」なのだ。それは間違いなく、人間の信仰を集める上で極めて秀逸な能力に違いない。


「え、えーと、これって褒められてるんでしょうか?」

「ああ、褒めているさ。ある意味では貶してるけど」

「ふえええん!」


 そして敢えて裏を返せば、「仕事以外はてんでダメな女」ということでもあるのだった。


「ともかく今回の件については、ご主人がキッチリ埋め合わせをするよ。なんだったら、ご主人を君の屋敷に派遣したっていい。ご主人は『財宝が集まる程度の能力』を持っているからね、傍に置いておくだけで儲かるよ」

「へえ……それはまた、すごい能力だね」


 しかし、よくよく考えてみれば驚くことでもない。毘沙門天は今でこそ武神として広く崇敬されているものの、古来より福の神としての側面も併せ持っており、別名「多聞天」の名で七福神の一柱として数えられているのだ。神奈子や諏訪子の場合と同じで、神としての特性が具現化した能力だといえるだろう。

 金銀財宝、一攫千金億万長者――いつの世だってあらゆる人間たちを虜にする、永久不変の夢物語である。信仰集めが上手いという彼女の長所は、その能力で拍車を掛けられている部分もあるのかもしれない。


「しかし生憎、人手なら充分間に合ってるよ」

「もちろん、ご主人が労働で役に立てるとは思わないさ。言ったろう、『傍に置いておくだけで儲かる』って。珍妙な置物だと思って飾っておけば」

「ナーズー!?」

「招き猫ってことか」

「元々寅の妖怪だしね」

「つーくーみーさーん!?」


 もぉー! と頬を膨らませてぷんぷん怒る星に寅らしい野性的な凄みなど欠片もなく、どこからどう見ても可愛らしい小動物にしか見えなかった。

 さて、宝塔の話もいい加減に終わりにして。


「ところで二人とも。よければ、今日の夕飯は私の屋敷で食べていかないか?」

「うん? ありがたい話ではあるけど……いいのかい?」

「ああ。早苗が、食べ切れないくらいたくさん買い出しをしてくれてね」


 主に油揚げを。今宵は藍渾身の油揚げフルコースが食卓を埋め尽くすはずなので、せっかくだから食べるのを手伝ってくれると助かる。

 とはいえ、それは単なる建前だ。本当は、食事の席でも使って話をしたいことがあるのだ。全員を集めて、ゆっくりと腰を据えて。

 慧音が教えてくれたこと。

 月見が知る『神古』と、ナズーリンたちが知る『神古』と、いま幻想郷にいる『神古』のこと。

 ――そして、月見は白蓮を知っているかもしれないのだということを。


「そうか。誘ってもらえるなら、ありがたくご馳走になるよ。……ちなみに藍の料理かい?」

「もちろん」

「ならなおのこと、遠慮しては損というものだね」


 ナズーリンの口元に、ほんのかすかではあるが期待の笑みが浮かんだのを月見は見逃さなかった。藍の料理の腕前は、料理上手が多い幻想郷でもとりわけ一、二を争う。和洋中他あらゆる国のレシピと技術を網羅し、店を開けば大繁盛間違いなし、人里では料理教室を請われることも少なくないとか。彼女の料理がタダで食べられると聞いて喜ばない人はいないし、遠慮するなどはっきり言ってただの愚行に他ならないのだ。


「藍さんって、お料理がお上手なんですか?」

「上手なんてもんじゃない。幻想郷でも最高レベルの絶品だよ」

「……、」

「ご主人、よだれ」

「垂らしてません!?」


 垂らしそうな顔ではあった。

 ナズーリンが肩を竦め、


「月見、すまないがご主人は大食いだ。それだけ覚悟しておいてくれないか」

「べ、別に普通ですもん!」

「私の倍以上食べるくせしてなにが普通だい」

「それはナズが小食なんですーっ!」


 とりあえず星がよく食べる子なのはわかったので、藍に思いっきり作らせようと思う。きっと、「こんなにいっぱいの油揚げを一度に料理できるなんて……!」と尻尾を震わせながら感動してくれるだろう。

 森の隙間に、水月苑の屋根が見えてきた。






 ○



「あた――――――――っく!!」

「ごふ」


 そして玄関の戸を開けた瞬間、月見は鳩尾に砲弾を叩き込まれて吹っ飛んだ。

 もちろん、フランであった。

 危うく庇の外まで吹っ飛ぶところだったが根性で耐え、尻尾をクッション代わりにして尻餅の衝撃を和らげる。けほけほ咳き込みながら見下ろせば、月見のお腹に顔を埋めてだらしなく伸びたフランが、バタ足をしながらご機嫌に音符を踊らせている。


「ひゃっ!? なななっなんですか、敵襲!?」

「大丈夫だご主人、これはよくある光景だ」

「よくあるんですか!?」


 まあ割と。

 フランをお腹にくっつけながら、月見は年寄りみたいに立ち上がった。手元の帽子を柔らかく叩き、


「ほらフラン、離れてくれ」

「やだーっ」


 ぴこぴこと楽しげに揺れるフランの翼が、鈴のように小気味のよい音色を奏でる。月見は仕方なく、甘えん坊な吸血鬼をぶら下げたままよっこらせと玄関に上がる。後ろの方で星とナズーリンが、「もしかしてお子さんとか……?」「当たらずしも遠からず」とひそひそ話をしている。

 広い玄関の先では、姉が腕組みをしながら待っていた。


「おや、レミリア」

「おかえり。やっとこっちに戻ってきたのね」


 ほう、と月見は意外に思う。ぞんざいな口振りとはいえ、意地っ張りにも近いプライドの高さで定評のある彼女が、自ら足を動かしてお出迎えしてくれるとは珍しい。

 顔に出ていたらしく、半目で睨まれた。


「なによ。私が玄関まで迎えに出たらおかしいのかしら」

「そんなことはないさ。ただいま」

「……ふん」


 ぷいと素気なくそっぽを向くも、横顔はあながち満更でもなさそうだ。かつて月見をグングニルで脅したこともある傍若無人な吸血鬼は、元気で人懐こい妹をはじめとする様々な人たちの影響を受け、最近は見違えるように灰汁が抜けてきている。後ろの方で星とナズーリンが、「双子のお子さん……?」「当たらずしも遠からず」と以下略。

 フランがようやく離れてくれた。八重歯をお茶目に見せる満面の笑顔は、今回も減点のしようがない眩しさで光り輝いていた。


「月見、おかえりなさーいっ!」

「ああ、ただいま」

「月見が帰ってくる日、ずっと待ってたんだよー! お姉様なんか、毎日そわそわしてまだかまだかって」

「わひゃい!?」


 レミリアが全身で飛び跳ね、


「なななっなに言ってんのよフラン!? んなわけないでしょうが!!」

「えー? お部屋でこっそり日めくりカレンダーめくりながら『いつになったら戻ってくるのよ、もう今年が終わっちゃうじゃない!』って」

「うわああああああああああっ!?」


 また始まった。

 本当にこの仲良し姉妹は、隙があればすぐバタバタと追いかけっこを始める。まったくもうと思わずため息が出てくるも、そこに嫌な感情は一切なく、むしろ地上に戻ってきた実感に改めて包まれている自分がいた。

 そして、この二人がいるということは。月見が屋敷の中を見回すと、案の定、壁の向こうから顔を半分だけ出しているメイドな少女がいた。


「じー……」

「やあ、咲夜」

「!」


 メイドな少女、十六夜咲夜は待ってましたとばかりにそそくさ出てきて、


「お久し振りです、月見様」

「ああ」


 一週間以上振りに見る彼女は、なにかいいことでもあったのだろうか、なんだか普段にも増して元気そうだった。いつもなら慎みのある瀟洒な微笑みも、今日は少しばかり無邪気で幼らしく見える。彼女自身意識していないほんのわずかな重心の移動で、皺ひとつないスカートがふわふわと踊るようになびいている。


「元気そうだね」

「はい、お陰様で」

「……お陰様で?」


 咲夜が「しまった」という顔をした。

 飛びかかってくる姉を華麗に躱すフランが、素早く己の出番を察した。


「月見がいなくなっちゃって、はじめは元気なかったんだけどねー。でも、月見のお返事もらってからはもうめちゃくちゃ」

「わー!! うわーっ!!」


 ドタバタ走り回る三人分の喧騒を聞きながら、月見はああと思い出す。


「そういえば、この前はお菓子をありがとう。やっぱり咲夜はなにを作っても上手だね」

「ふえっ……い、いえいえ、私なんて、本当にまだまだで」

「宝物みたいに箱に入れて鍵まで掛」

「わーわーっ!!」


 ドタバタバタ。

 本当に賑やかなことだ。傍若無人だったレミリアは丸くなり、精神が不安定だったフランは元気いっぱいになり、そして理知的で上品だった咲夜はなかなかのお茶目さんになった。月見が出会った当時とあとで、ここまで印象が様変わりした勢力も他にはない。もちろんどの変化も、月見にとってはとても喜ばしいものばかりだ。

 星が呆然としながら、走り回るスカーレット姉妹を目で追っている。


「吸血鬼……ですよね。排他的な種族で有名な」


 ナズーリンが呆れながら補足する。


「ここの近くに、やたら赤くて目に悪い洋館があっただろう。あそこに住んでる吸血鬼だよ」

「ちょっとそこにネズミ、いま私の館が悪趣味だって言った!?」

「いやそこまでは言ってないけど」

「つまりちょっとは言ったのね!?」

「実際アクシュミだよねー」

「フラアアアン!!」


 また一段と喧騒がやかましくなるが、しかしなにやらそれに混じって、遠くから疾走してくる別の足音が、


「「つうううううくみいいいいいいいいいいむぎゅ!!」」


 雷鳴みたいに突進してきた萃香と操を、月見はすかさず二尾で跳ね返した。

 着地した二人は揃って頬を膨らませ、


「前々から思ってたけど異議あり! フランのはいつもちゃんと受け止めるのに、なんで儂らは雑なんじゃよ!」

「そうだよ! 私たちも受け止めてよぅ!」

「日頃の行いだ」

「「こんにゃろーっ!!」」


 近づいてくる足音と気配はそれだけではない。


「月見さーん、お帰りなさーい!」

「ようやく戻ってきたのね! まったく、随分とのんびりしてきたじゃないの」

「おやおや」


 幽々子と幽香を筆頭として、妖夢、椛、パチュリー、小悪魔、妹紅、橙、ルーミア、更には藍も早苗も諏訪子も神奈子まで、みんな集まって出迎えに来てくれたようだった。中にはすでに、今年最後の温泉を堪能し終えたと見える少女もいた。

 後ろで星とナズーリンがまた、


「わわっ……妖怪に人間、神に悪魔、それに幽霊?」

「亡霊と半人半霊だね。ちなみにあの白い髪の人間は、不老不死だよ」

「ふろっ……!? す、すごいです。本当にいろんな種族の方が」


 そのとき玄関の戸がいきなり、


「――月見さあんっ!!」「月見いっ!!」

「ふゅい!?」


 蹴飛ばすような勢いで開いて星が跳びあがる。のっしのっしと強盗みたいに踏み込んできたのは、大変見慣れた紅白と白黒、すなわち霊夢と魔理沙であり、


「おはよう! 月見さん、あれって宝船でしょ!?」

「は?」

「ここの屋根ンとこに止まってるだろ! 宝船だろあれ! あとおはよう!」

「ああ、おはよう。ええと、あの船はだね」

「「お宝ちょうだい!!」」


 彼女たちともそこそこの付き合いになる月見はすべてを察した――これ話聞いてもらえないやつだ、と。魔理沙の両目が燃え上がる探究心でギラギラに輝き、霊夢に至ってはもはや小判になっている。

 二人のことを知らない星が、大変迂闊にも口を挟んでしまった。


「ちょ、ちょっと待ってください。あの船は私たちの」

「なによあんた邪魔するの!? よーしいいわ、そこまで言うなら相手になってやろうじゃない」

「まだなにも言ってませんしなんの話ですか!?」

「今から言うんだから同じようなもんだ。んじゃあこのネズミも入れて二対二だな、ちょうどいいぜ」

「あーもーご主人君ってやつはほんっとにもう」

「私のせいなんですかー!?」

「ど――――――――――――んっ!!」

「ごふ」


 気を取られていた月見の背中に萃香のタックルが突き刺さる。


「えへへー隙ありー! よーし、月見も帰ってきたし今日はこのまま宴会だ!」

「「「いえーいっ!!」」」

「駄目だよ暇じゃないんだからみんな帰れ」

「「「え――――――――――――ッ!!」」」


 そして、そこから先はもう、


「ほら離れろ萃香邪魔だよ」

「ひどぉい!? べーだっそんなこと言うんだったら明日までずっと離れてやんな――あーっ待って待って尻尾だめ! 首絞め反対っ反対っぎゃーすごくモフいけどすごく絞まるうううぅぅっ!?」

「そこどけ萃香あああああああああ!! 月見の尻尾は私のだあああああああああああっ!!」

「諏訪子様ー!?」

「月見を独り占めするのダメ――――――――ッ!! 咲夜にもお話させてあげてっ、ずっと寂しがってて毎晩月見の手紙を読み返」

「わー!! わーっ!! ぅわあーっ!!」


 もう、


「月見さーん、さとりはこっちに来てないんですかー? 早く妖夢の心を読んでほしいんですけどー」

「そうじゃよ! お前さんだって、文から本当はどう思われてるのか知りたいじゃろ!?」

「あとで文さんに報告しよっと……」

「待って椛儂ころころされちゃう」

「お、おおおっ思い出したっ! 月見さん、その覚妖怪さんを地上に呼ぶときは必ず私に教えてください! 必ず! 必ずですよ!? じゃないと魂魄妖夢は世を儚んで失踪するんですからね!?」

「あーもーうるさいのよあんたらそんないっぺんに話しかけるな! 親しき仲にも礼儀ありって言葉を知らないのかしら!」

「「おーたーかーら!! おーたーかーらっ!!」」

「ご主人、私は助けないけど……負けたらどうなるかわかっているね?」

「月見さん助けてえええええ!?」


 ああもう。

 もはや誰がなにを言っているのかもロクにわからぬ。この喧騒を遠巻きから眺めている少女たちとふと目が合う。パチュリーはため息、小悪魔は微笑み、妹紅はニヤニヤと笑い、神奈子は肩を竦め、藍は苦笑、橙はにこにこ、ルーミアの唇が「みんな元気だねー」と能天気に動く。

 元気すぎである。人間も妖怪も、神もその他もお構いなしなのはあいかわらずだ。月見が地底にいる間も、ここはきっと来る日も来る日も賑やか極まる毎日が続いていたのだろう。

 もう少し、この心地よい喧騒に身を浸しているのも悪くはなかったが。


「――つ、月見さぁん!!」


 再び玄関の戸を開け放ち、和気藹々とした空気まで蹴破って、切迫しながら飛び込んでくる小さな人影がひとつ。息つく暇もなく今度は誰がやってきたのかと思えば、


「おや、ふみう」

「こんな大勢の前でふみうって呼ばないでくださいッ!!」

「「「……ふみう?」」」

「なんでもないです気にしないでください!!」


 大妖精ことふみう、いや、ふみうこと大妖精だった。見る限りあの猪突猛進な相方の姿はなく、霊夢と魔理沙の間を押し通って月見のすぐ傍まで駆け寄ってくると、同時にフランも嬉々とした小走りで、


「大ちゃーん! おはよー!」

「あ、フランちゃん。おはよう」

「温泉に入りに来たの? 一緒に入ろうよ! あれーチルノちゃんはー?」


 一瞬でそっちのけにされたレミリアが、妹の成長を喜びつつもちょっぴり寂しそうな顔をしている。大妖精はチルノの名を聞くなりハッとして、大慌てで月見の袖を引っ張った。


「月見さん、あのっ、た、助けてください!!」

「なんだなんだ、どうした?」

「チルノちゃんが、こうなったら戦争してやるって!」


 なにをやっているのかあのおばかは。


「と、突然天狗さんと河童さんがやってきて、チルノちゃんの宝物を持って行こうとしてて! チルノちゃんもうカンカンに怒って、戦争だーって!」

「……」


 月見の胸に突如として去来する、話がとんでもなく面倒なこじれ方をしている予感。

 当然、ナズーリンも察した。大変言いづらそうに、


「……月見。天狗と河童って、まさか」

「……」


 そのまさかだろうなあ、と月見は早くも諦めている。


「なあ、ふみう。そのチルノの宝物って、一体どんなものかな」

「ふみうって呼ばないでくださいっ。ええと、お空に浮いてる不思議な木の欠片なんです。チルノちゃん最近、みんなと一緒に一生懸命集めて回ってて」


 ふう、と月見とナズーリンは同時に吐息した。ささやかな現実逃避というべきか、どうしてこう上手く事が進んでくれないのかなあもう、というやるせない思いを吐き出さずにはいられなかった。

 どうやら幻想郷中に飛び散った飛倉の破片は、すでに好奇心旺盛な妖精たちが目をつけて集めていたらしい。恐らくはかなりの数が揃っていたのだろう、それを知った天狗と河童が、是非自分たちの手柄にすべく我先にとチルノへ譲渡を迫る。一生懸命集めた宝物を根こそぎ奪われそうなチルノは当然怒る。そうして事態は妖精・天狗・河童三つ巴の闘争に陥り、我慢の限界を迎えたチルノがとうとう戦争を宣言した。

 そんなところであろう。

 そんなところなのであろう。


「ナズーリン、すまない……。あいつらに手伝いを頼んだのが間違いだったかなあ……」

「いやその、私だって彼女たちを変に焚きつけてしまったし……申し訳ない……」


 はあ……と、月見のナズーリンの重いため息は見事にハミングしてしまうのだった。


「……月見さん?」

「いや、なんでもない。それで、喧嘩をやめさせればいいのかな」

「は、はいっ。チルノちゃんだけなら私でも大丈夫なんですけど、天狗さんや河童さんはさすがに……」

「わかったよ」


 次から次へと慌ただしいが仕方がない。先刻の聖輦船での暴動然り、根本的な責任は天狗との協力を提案してしまった月見にあると言わざるを得ないのだから。


「ナズーリン。お金は預けるから、宝塔の方を任せていいかな」

「……ああ、わかったよ」


 飛倉の破片だけでこうも話がこじれるのだ、宝塔の方だってなにも起こらないとは限らない。それはナズーリンも漠然と不安を覚えたようで、やや迷いながらも首肯が返ってくる。


「つ、月見さぁん!! わ、私! 私を連れて行ってくださいっ! 是非私をっ!」


 履物を脱ごうとする月見の背に、星が見捨てられる小動物と化して情けなくしがみついた。その後ろでは霊夢と魔理沙が、口をにんまりと三日月にして妖怪の如く、


「なに逃げようとしてんのよあんた。逃がさないわよ」

「そうだぜ。お宝を懸けて正々堂々勝負だ」

「ひいいい!?」


 ああもう、と月見は段々投げやりになってきて、


「誰か、この子の代わりに二人と闘ってやってくれ」

「「はいはーいっ!! やるやる!!」

「じゃあ萃香と操、頼んだ」

「「はーい!」」

「「ちょっと待ってぇ!?」」


 今度は霊夢と魔理沙がしがみついてきた。私はいつになったら屋敷に上がれるんだろう、と月見はぼんやり疑問に思う。


「おかしいでしょ!? なんでそういうことになるの!?」

「萃香はまだいいとして天魔様はおかしいだろ! 天狗のトップだろ!? さらっと出てきちゃダメなやつだろうがっ!」

「あーもー放せってば」


 血相を変えて慌てふためく二人をよそに、萃香と操はやる気満々で腕まくりをしている。


「よーし霊夢、魔理沙、正々堂々勝負だよ!」

「冗談じゃないわよ!? こちとらこないだの異変でも、鬼子母神サマと闘わされたばっかなのよ!? なにが楽しくて天魔サマとまで闘わなきゃなんないのよ!」

「へー、千代と闘ったんか。で、どうだったんじゃ? 勝ったんか?」

「ま、まあ、めちゃくちゃハンデもらったけど……一応勝ったんだぜ。へへ、当然だろ」

「「じゃあ全力で行って大丈夫だね!!」」

「魔理沙アアアアアァァァ!!」

「失言でしたああああああああ!?」


 霊夢が魔理沙の胸ぐらを締め上げている隙に、月見はようやく履物を脱いで屋敷に上がった。玄関の戸を開けてからここに至るまでが、なんだかとてつもなく長い道のりだったように感じるのは気のせいか。

 妹紅が早速、さとり顔負けの愉悦の表情で迎えてくれた。


「いやー、戻ってきて早々大変だねー先生」

「……まあ、元気なのはいいことだよ」


 願わくは、みんなもう少し空気を読んでくれるようになればもっと嬉しい。

 すかさず尻尾に飛びつこうとしてきた諏訪子を、もふんと弾き飛ばしておく。


「うあー! なにするのさーっ!」

「だから空気を読んでくれってば。すぐ行かなきゃならないんだ」

「ぶー!」

「はいはい諏訪子様ー、月見さんはまだお忙しいので邪魔しちゃダメですよー」


 蛙よろしく膨らむ諏訪子を、早苗が抱き寄せてよしよしと慰める。そこで月見はふと思い出す。

 あの、当たって玉砕なノンストップ少女が見当たらない。


「そういえば早苗、小傘はどうなったんだ」

「……あー、」


 問われた早苗はふっと遠い目つきになって、


「いやー、結構大変でした。倒しても倒しても、もう一回だもう一回だってしつこくって。五回くらい倒したところでやっと諦めて、もっと修行するって叫びながらどっか行っちゃいました」

「……そうか」


 また、滝に打たれに行ったのだろうか。こんな身も凍える真冬のさなか。

 悪い妖怪ではないのだ。ただちょっと、いやかなり人の話を聞かなくて、かつ熱意を注ぐ方向を致命的に間違えてしまっているだけであり、むしろ全面的に善良な妖怪といって差し支えない。月見にしつこくつきまとうのだって、とにかく人をおどかす極意を知り、いっぱしの付喪神としてひもじい思いをせず生きたいがためなのだ。ただ教わる相手がいないばかりに真冬の山で滝修行だのなんだの、いくらなんでも不憫が過ぎるのではないかと月見は唐突な罪悪感に駆られる。

 今度からはもう少しちゃんと相手をしようかなあと反省する月見の後ろでは、フランが大妖精を慰めている。


「大ちゃんも大変だねー」

「つよくなりたいです……」


 藍と妖夢と椛と小悪魔の四名も、同情、もとい大変親近感に満ちた眼差しを大妖精へ向けている。大妖精もすぐに気づいて、感じる暖かな気遣いに頬をほころばせて応える。幻想郷苦労人同盟は、どんなときだって決して独りではないのだ。

 そのとき、フランの顔つきに閃きが走った。


「よーし! 咲夜っ、手伝ってあげて!」

「へ?」


 思わぬ指名に咲夜が目を丸くする。フランはもう一度、


「だから、お手伝いだよ! 月見と一緒に行って(・・・・・・・・・)、助けになってあげて!」

「い、いきなりなに言ってるのよフラン」


 レミリアが驚きと戸惑いを以て口を挟むが、フランはまったく聞いちゃいない。とてとてと月見の前に回り込み、


「ねえ月見、いいでしょっ?」


 フランの考えがいまひとつ読めないが、月見はひとまず答える。


「咲夜が手伝ってくれるなら、むしろこっちから頼みたいくらいだねえ」

「え、えっ……」


 最近茶目っ気が増しつつあるものの彼女が大変優秀な従者であるのは変わりなく、その括りの中では月見も、藍に勝るとも劣らぬ全幅の信頼を置いている。日々の仕事で鍛えられた能力はもちろんのこと、なにより早まった行動を慎みしっかりと空気を読んでくれる――それだけで幻想郷では貴重な人材なのだ。

 月見と目が合った咲夜はうわわっと狼狽えて、


「で、ですけど、それではお嬢様と妹様が」

「咲夜ぁ! ちょっとこっちに来なさいっ!」

「は、はいっ!?」

「あ、ちょっとフラン!?」


 突如裂帛したフランが咲夜の手首をむんずと掴み、そのまま廊下の奥へ引っ張って行ってしまう。これ以上ほったらかしにされたくないレミリアが慌ててくっついていく。それから数秒後、かすかながら「咲夜はぜんぜんわかってないっ」とか「ここで行かなくてどーするの!」とフランの激しい叱咤激励の声が聞こえてくる。

 咲夜が叱られるとは珍しい。その理由について月見が思案を巡らせようとしたのも束の間、


「あ、あの、月見さん。早くしないとチルノちゃんが……」

「おっと、そうだったね。もうちょっと待っててくれ」


 まあ戦争といっても結局はチルノたち妖精のやること、荒事とは程遠い小競り合いの類だ。無理に付き合わせるような真似も忍びないので、本人にその意志があったときは、ありがたく助けてもらうくらいに考えておこう。

 背中から大妖精に急かされ、月見は早歩きでお金の支度に向かう。床板を細かなリズムで静かに鳴らす、その道すがらでふっと思い至る。

 そういえば今の霖之助の状況は、あながち月見がたしなめられるほど他人事でもないかもしれない。幸い今までいろいろあった分貯え自体は潤沢だが、当然ながらそれで死ぬまで遊んで暮らせるわけはない。日帰り温泉宿を経営する名目で入浴料を取ってはいるものの、無銭利用者がいないかどうかいちいち細かにチェックしているわけでもないし、週二日の営業程度では収入も微々たるもの。この調子で今の生活を続ければ、まだ何十年も先の話だとはいえ、いつかは必ずお金が尽きてみんなから呆れられる側に回るだろう。

 ぼちぼち、温泉宿以外の内職も探そうかなと。一足早い新年の抱負を、ほのかに胸に秘める月見であった。






 ○



「――というわけで、咲夜はもっとガンガン行くべきだと思いますっ。輝夜みたいにとは言わないけどさー、でもあれでちょうどいいくらいなんだよ!」

「あ、あの、妹様」

「おだまりっ」

「は、はいっ」

「あそこで『ですけど』なんて言っちゃダメだよ! 私とお姉様なんてどうだっていいの! 月見が戻ってくる日、ずっとずっと楽しみにしてたんでしょ?」

「う、うう……」

「ね、ねえフラン」

「お姉様もおだまり!」

「は、はいっ」

「だいたいお姉様もさあ、ずっと前から思ってたんだけど――」


 一方その頃レミリアは、遂に自分や咲夜を説教するまでになった妹の成長を前にして、そのうち当主の座を奪われるのではないかと大いなる危機感で戦慄いていたとか。











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