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第111話 「いつか陽のあたる場所で ①」






「つまんなあああああ――――――――いっ!!」

「!?」


 フランが突然裂帛の叫び声をあげ、レミリアは椅子から転げ落ちた。

 今年最後の月を飾る十二月も終盤に差し掛かり、間もなくクリスマスがやってこようかという、とある一日。レミリアの部屋で二人きり、姉妹水入らずで楽しむ夜のティータイムにおける珍事であった。

 紅茶をこぼさなかったのは奇跡に近い。レミリアは痛めた腰でゆるゆると立ち上がり、


「い、いきなりどうしたの? びっくりするじゃない」

「つまんないの!」


 フランは頬を膨らませてぷんすか怒っている。それもそのはず、このところの彼女にはどうもご機嫌ナナメな日ばかりが続いているのだ。昨日まではまだかわいい方だったものの、今日になってあからさまに態度が悪化し、そのうち館中を暴れ回るんじゃないかと危惧されるほどだった。なのでガス抜きとご機嫌取りの意味を込めて、咲夜特製の紅茶とお菓子でお茶会をしていたのだが――。


「つまんないって、なにが」

「ぜんぶ!」


 レミリアの全身に、椅子から転げ落ちた以上の衝撃が走った。


「フ、フラン……! 私とのティータイムがつまんないなんて……や、やっぱり反抗期だというの!?」

「がおーっ!!」

「ひいいい!?」


 レミリアは戦慄した。恐れていた悪夢がいよいよ現実となってしまった。フランが、フランが遂に、


「さ、咲夜ーっ! さくやーっ! フランがグレちゃったよおおおおお!?」


 本で読んだことがある――年頃の少年少女には、得てして家族に反発したがるようになる時期があると。急に言葉遣いが悪くなったり、事あるたびに舌打ちしたり、意味もなく非行を繰り返したり、「私の服、お姉様のと一緒に洗濯しないで!」とか言い出したりするのだ。もうダメだ、紅魔館もおしまいだ。

 助けを求めると、紅魔館のメイド長はいつも通り、どこからともなく一瞬でやってきてくれた。


「はいはい、紅茶のおかわりですね?」

「ぜんぜん違う! 大変なのよ、フランが」

「ぎゃおーっ!!」

「いやあああああ!?」


 フランはテーブルにバンバン手を叩きつけ、


「咲夜! 咲夜にも大事なお話がありますっ」


 すっかりご乱心なフランの勢いに、咲夜もくるりと目を丸くした。


「どうしたんですか、妹様?」

「どうしたもこうしたもありませんっ」


 フランは力を漲らせて言う、


「咲夜も、月見に会えなくてつまんないでしょ!? ユーウツでしょ!?」

「はぇ、」

「この前だって、月見がいないって知らないでいつもみたいに作りすぎてたよね! せっかく頑張って作りすぎたのにお料理渡せなくて、結構本気で凹んでたよね!?」

「わ、わあわあ!?」

「ちょ、ちょっと待ちなさい! そういう話!? そういう話なの!?」

「それ以外になにがあるの!?」


 レミリアは心の底から安堵した。どうやら反抗期ではなく、最近月見に会えない日が続いているせいで不機嫌だっただけらしい。戦慄して損した。

 月見が幻想郷から姿を消して、早いもので五日が経った。

 と書くとやたら深刻な話に聞こえるが、なんてことはない、月見はいま地底にいるのだ。地底で大規模な異変が発生し、博麗の巫女を始め月見らが解決に尽力した。しかしその中で月見が少々(・・)怪我を負ってしまったため、当面の間は事後処理も含めて地底で静養を取るそうだ――と天狗たちの新聞が一斉に報じたのは、なるほどフランの機嫌が悪くなり始めたタイミングとほぼ一致しているかもしれない。

 どうして教えてくれなかったのか、とレミリアはちょっぴり歯痒く思っている。異変を解決しなければならないのなら、言ってくれれば、力を貸してやらないこともなかったのに。一応――まあ本当に、一応だけれど――月見には、いろいろと借りもあるのだし。

 関係のない人を巻き込むまいとするあたりは月見らしいが、もっと頼ってくれたっていいのだと――口に出して直接伝えるつもりは、絶対にないけれど。

 そんなレミリア個人の話はいいのだ。問題は、異変を解決する中で月見が少し(・・)怪我をしてしまい、しばらく地上に戻ってこないということである。

 その話を聞いて誰もが訝んだのは、それって本当に『少し』なのか、というものだった。強い肉体を持つ妖怪にとって、静養が必要になるほどの怪我となればまず軽傷ではない。軽傷ならば放っておいてもその日のうちに完治するため、体を休める必要なんてないからだ。

 まさか『少々』というのは事を荒立たせないための強がりで、本当は動けなくなるほどの大怪我をしたのではないか――。

 当然、その日のうちに咲夜が出撃した。当事者である霊夢、魔理沙、天子、アリスの四名を紅魔館に拉致して根掘り葉掘り吐かせた結果、「確かに怪我自体は軽くなかったけれど、妖怪だから本当に大丈夫で、一日で目を覚ましてピンピンしていた」ということがわかった。

 考えてみれば、その通りだった。もし月見が危険な状態にあるのなら事態は深刻になっているはずで、八雲藍が普段通り水月苑の掃除に勤しみ、天魔が椛に追い回されて絶叫している以上は、慌てる必要などなにもないということだ。「怪我自体は軽くなかった」の部分が少し気掛かりだったが、レミリアと咲夜はそれで一応納得し、月見が戻ってくる日を地上で大人しく待ち続けている。

 しかしフランに限っては、同じ真似ができるほど一人前なレディではない。ほっぺたぷっくりで不満をアピールする幼子同然の姿は、とても五百年を生きた吸血鬼とは思えないほどだった。


「まったく……フラン、あなたはあいかわらずお子ちゃまね」

「むか! お姉様だって、早く月見に帰ってきてほしいって思ってるくせに!」

「おおおっ思ってないわよっ!?」


 レミリアはぎくりとしながら否定した。いや、違うのだ。早く帰ってきてほしいと思っているわけではなく、無事ならさっさと戻ってきて周りを安心させてやるのが常識というもので、いや決してレミリアが月見を心配しているわけではなくフランはこの調子だし咲夜もちょっぴり元気がないしで本当に早く帰ってきてくれないと迷惑極まりないのであり、

 とにかくレミリアは咳払いをして、


「一人前のレディたるもの、殿方の帰りは信じて待つものよ。そう……この私みたいにね」

「でもお嬢様、この前私に『地底ってどうやったら行けるの?』って訊いてきましたよね」

「ぬわ――――――――っ!?」

「……へー。さすが、一人前のレディはやることが違うねー」


 フランの生暖かい半目で、レミリアは胸部に瀕死の大ダメージを負った。


「ち、違っ……あっあれはその……要するに、知的好奇心ってやつで! 地底世界への浪漫ってやつで!」

「トノガタの前でいつまで経っても素直になれないレディって、一人前なのかなあー?」

「く、くううっ」


 それに関しては言い返せない。レミリアだって、未だ月見に「ありがとう」すら言えていない現状をそこそこ問題視しているのだ。最高の雰囲気とタイミングが巡ってきたと思われたあの秋のひと時も、結局フランの乱入で有耶無耶になってしまって、以来はもうまったくダメダメな日々ばかりが続いている。

 いや、今はそんな話はどうだっていいはずだ。我が身の危険を察したレミリアは即座に軌道修正する。


「と、ともかくっ。こればかりは、騒いでどうこうできる問題じゃないわよ。今は待ちましょう」

「むー……」


 一応、地上と地底は原則不可侵という決まりがあるわけだし、勝手なことをしてなにかトラブルが起こったり、八雲の連中から目をつけられたりしてもつまらない。これがレミリア一人だけの話なら別にどうなったって構わないのだが、フランもいる以上、取るべき行動は安全策の一択なのだ。


「はーあー。月見、早く戻ってこないかなー」

「そうですねー……」


 揃ってため息をつくフランと咲夜に、レミリアもまた憂える吐息をそっとひとつだけ落とす。

 本当にあの狐は、レミリアたちをおこがましくも放っておいて、いつまでもなにをしているのやら。


 もちろん、レミリアはそこまで気が回っていない。月見の帰りを待ち侘びているのはなにも紅魔館の面々だけではなく、そのせいで明日はちょっとした騒ぎが起きる運命にあるのだ。

 原因は言わずもがな、紅魔館からそこそこ離れた迷いの竹林の奥の奥。

 永遠亭でぐーたらと暮らしている、例のお転婆お姫様である。






 ○


 というわけで奇しくも同時刻、永遠亭では蓬莱山輝夜が裂帛していた。


「つまんな――――――――いっ!!」

「師匠、また姫様の発作が!」

「一発芸でもしときなさい。ほらあなた、耳をプロペラみたいに回して空を」

「飛べませんからね!?」

「そんな一発芸程度で、私の退屈を紛らわせられると思うなー!」

「飛べませんってば!」


 座敷をゴロゴロ転げ回って全身で不満を露わにする、なんとも子どもったらしい主人の姿に、鈴仙は頭痛を覚えながら重く深いため息をついた。

 実はこれ、本日はもう十三度目になる光景である。ほぼ一時間に一度発症するといっても過言ではない、輝夜の極めて深刻な発作である。

 永琳がとっくの昔に匙を投げた、といえばそれがどれほどの重症かわかってもらえると思う。今だって永琳は、特に輝夜の相手をすることもなくさっさと座敷を出て行ってしまった。幻想郷には、月最高の頭脳を以てしても手の施しようがない、人知を超えた計り知れない恐怖の病が存在するのだ。

 鈴仙は、適当に『月見さん欠乏症』と呼んでいる。

 月見に会えない日が数日続いただけで禁断症状に陥り、座敷を転げ回る輝夜のように奇行を繰り返してしまうという、まさに悪魔が生み出したかの如き病である。

 もちろん永琳が匙を投げたのは、ただ単にアホらしかったからである。


「ギンに会いた――――――――い!!」

「もー姫様ぁ、着物が傷んじゃいますからやめてくださいってばー」

「会いたいぞー!」

「言われなくてもわかってますって」

「じゃあなんとかしろー!」

「無茶言わないでくださいよぉ……」


 駄々をこねる子どもの相手をさせられる大人の気持ちが、今の鈴仙には空しいほどよく理解できた。


「仕方ないじゃないですか。月見さんは怪我をしてしまって、今は地底でお休みになってるんです。帰ってくるまで待つしかないですよ」


 鈴仙だって、先日地底を襲ったという大規模な異変について、大雑把な事の経緯くらいは聞き及んでいる。今の幻想郷の一大ニュースだ。幻想郷の中心人物の一人である月見が帰ってこず、しかもその理由が『怪我をしたから』では致し方もなかろう。


「そう、それよ!」


 しかしその程度で納得できるなら、輝夜ははじめから座敷をゴロゴロ転げ回っちゃいないのだ。彼女はむくりと起き上がり、畳にバンバン両手を叩きつけて、


「怪我をしたんだったら、どうしてウチに来てくれないの!? 私が付きっきりで看病してあげるのに!」

「だからじゃないかなあ……」


 一応この少女、大昔に月見の看病をしたことがあるのだが、ご飯を食べさせてあげようとしたところ勢い余って彼の喉を箸で突いたという、なかなか言い逃れのできない前科持ちである。


「うぐっ……あ、あのときはぁっ! ちょっと緊張してて、それで……つい……」

「『つい』で二回も突かれたんじゃあ、誰だって入院は遠慮すると思いますよー」

「ふぐぐ」


 遺伝子レベルで不器用なんだよなー、と鈴仙は思う。長年なにひとつ不自由のない箱入り生活をしていた影響で、料理をすれば爆発させるし掃除をすれば破壊するし、人付き合いだって猪突猛進ごーいんぐまいうぇい。月見が好きだと公言している影響で、八雲紫とはいつも出会うたびに犬も食わないケンカをしている。紫が冬眠してからはそれも落ち着いたが、なにか物足りないものを感じているのか、代わりに妹紅とケンカする頻度が増えたように思う。

 ともかく長年引きこもりのお姫様だった少女が、今ではすっかり傍迷惑なお転婆娘なのだった。まったくもって収まりを知らない不満と怒りに、輝夜は畳をペチペチと叩き続けている。


「なんでよ、なんでよりにもよって地底なのよっ……どうして地上と地底の間に、不可侵の約定なんてものが結ばれてるのよ! あのスキマはいっつもいっつも私の邪魔をしてばっかり!」

「しょうがないですよ……いい機会ですから、ちょっとは月見さん離れして」

「や!」


 鈴仙は曖昧に笑った。そこまで強く月見を想う輝夜の姿が微笑ましくもあったし、同時に寂しくもあった。だって、今はまだ遠い未来の話かもしれないけれど、月見だって不死でない以上はいつか必ず、今度こそ輝夜の前から消えてしまうのだから。

 月見はきっと、来るべき時が来たらすんなりと己の運命を受け入れるだろう。もう充分生きたよ、とか笑いながら言って。蓬莱の薬なんて、輝夜がどんなに望んだって絶対に飲んでくれなくて。

 果たしてそのとき、輝夜の心は耐えられるのだろうか。そして、耐えられようが耐えられまいが、ともに逝くこともできず未来永劫生き続けなければならない運命とは、一体どのような地獄なのだろうか。

 やっぱり私は、不老不死なんてならなくていい――鈴仙は、そう強く思う。


「じゃあ、頑張ってあの式神を口説き落とすしかないわね」


 座敷に戻ってきた永琳のお陰で、鈴仙はほの暗い思考の海から浮かび上がった。


「それは……もうやってるけど! でもあいつ、頭でっかちの超絶生真面目で、ぜんぜん許してくれないの!」


 当然だと思う。輝夜を一人で地底に行かせでもしたら最後、間違いなくあちこちで騒動を巻き起こして大変なことになる。


「安心なさい、そうやってるうちに戻ってくるわよ。私たちほどじゃないけど、妖怪の怪我の治りは充分早いもの」

「むー……」


 輝夜が頬を膨らませて黙り込んだ。かつては近づいてくる男を如何に近づけないかで苦悩していた彼女が、今ではなかなか近づいてきてくれない男へ如何に近づくかで苦悩しているのだから、肉体が変わらない不老不死といえど、心は変わるものなのだ。永琳も輝夜を見習って、鈴仙の味噌汁に薬を混ぜたりしない優しい女になってくれればいいのだけれど――それはまあ、置いておいて。


「でも、ほんとに早く帰ってくるといいですね。会いたがってるのは、なにも姫様だけじゃないでしょうし」


 例えば紅魔館のフランドール・スカーレットは、もはや娘と呼んでも差し支えないほど月見に懐いているから、今頃は輝夜と同じく欠乏症を起こして暴れ回っていそうだ。そしてそんなフランを「わがままはダメですよ」とでも宥めながら、咲夜だって内心ではめちゃくちゃ会いたがっているに違いない。また、妖夢から聞いた話によれば西行寺幽々子も、月見がいない日常の退屈さに機嫌を損ね、日夜やけ食いを繰り返しているという。早く月見さんが帰ってきてくれないとウチの家計が、と妖夢は買い物袋を両手に泣いていた。

 というかそもそも、かたくなに地底行きを認めない八雲藍だって、本当は行きたくて行きたくて仕方ないはずだろうに。

 なので鈴仙は、ほんの冗談のつもりで、


「いっそ、行きたい人を集めて数で勝負してみたらどうです? まあ、大勢でぞろぞろ行く方がアレですから無理だと思」

「それだわ」

「え?」

「そうよ、どうして気がつかなかったのかしら」


 輝夜がいきなり静かになった。この永遠亭でそこそこ長い間こき使われてきた鈴仙の勘が、条件反射で己の失言を感じ取るがもはや遅い。音もなく不穏に立ち上がった輝夜は、赤く燃える熱意の瞳と堅く握った決意の拳だった。


「そうよ、戦いは数だわ……! みんなで寄ってたかって押し倒せば、さすがの藍も断れないはず……!」

「……あー、」

「ありがとう鈴仙、お陰で道が開けたわっ」


 いやごめんなさい姫様、私はほんの冗談のつもりで、というかその道の開け方は普通にダメなやつで


「そうと決まれば、明日に備えて早く寝なきゃっ。明日は勝つぞー!」

「……」


 バタバタとお風呂場の方向に消えていった輝夜を見送りつつ、斜め後ろから突き刺さる永琳の半目で縮こまる鈴仙である。

 ため息の音、


「……私、知ーらないっと」

「や、やっぱり師匠もそう思います!? やっちまったと思います!?」

「とりあえず、あとで月見と藍には謝っておきなさいね」

「ですよねー!?」


 鈴仙は頭を抱えた。そりゃあそうだ。輝夜が珍しくやる気満々でなにかを決意したとき、その陰では大抵割に合わない目を見る不運な誰かが生まれるのだ。普段であればそれは鈴仙かその他のイナバたちなのだが、今回ばかりは藍であろう。


「まあ、いいんじゃない? いつもの感じに戻った気がして」

「自分が関係ないからってーっ!!」


 明日、輝夜は鈴仙が言った通りの方法で藍を強襲し、連れてけー連れてけーっとやかましく駄々をこねるに違いない。ああごめんなさい藍さん、今度みすちーの屋台で油揚げ料理をご馳走します。

 そういえばそろそろ冬もたけなわ、鰻が美味い季節である。

 幻想郷苦労人同盟・冬の陣、そろそろ開催かなーと。涎も滴る鰻の蒲焼きを想像しながら、鈴仙は明後日の空へ現実逃避をした。






 ○



「――というわけで、ギンのお見舞いに行きます!!」

「行くーっ!」

「行きましょー!」

「「いえーっ!」」

「待て待て待て」


 一瞬で意気投合してクルクル踊り出した輝夜とフランを、藍は努めて冷静に落ち着かせた。私の聞き間違いだよなそうに決まってる、と自分に言い聞かせながら、


「お前たち、今なんて?」

「ギンのお見舞いに行くのよ!」

「行きたーい!」


 同じ内容を二度聞き間違えるほど藍は間抜けではない。さて面倒なことになったようだ、と幻想郷の管理者代理はずぶずぶ思考の沼に沈む。

 地底の異変が収束してから幾日かが過ぎ、本日も家主が不在のままの水月苑。その、本来であれば人影ひとつないはずの茶の間が、このところはすっかり少女たちの溜まり場と化していた。

 なぜ月見がいない水月苑に堂々と居座るのか、理由は少女によって様々である。今この場にいる面子で例を挙げれば、藍なら水月苑の掃除をし、月見の不在を狙って妙な行為を働く輩がいないか監視するため。輝夜とフランなら、月見に会えない寂しさを少しでも紛らわすため。幽香なら庭の手入れをするためで、天魔なら仕事のストレスを温泉で癒すため。はたまたレミリアならフランの付き添いのため、椛なら天魔の監視のため、といった具合だ。もちろん事前に月見へ式を飛ばして、好きに出入りしていいと一応の許可はもらっている。

 さてそんな少女たちの集会所と化した水月苑で、遂に藍の危惧していた事態が勃発してしまった。

 もちろん、輝夜とフランに関しては前々から似たような訴えをされてはいた。今回もそれと同じ、であったなら、またいつものようにダメだと言って聞かせればいいだけの話だった。

 今回は状況が違った。具体的に言えば、今この場には彼女ら以外にも厄介な少女が集まっているのであり、


「あら、なんだか面白そうな話をしてるわね。私も是非ご一緒させてほしいわ」


 庭の手入れから戻ってきた幽香が早速食いついたのみならず、襖がずぱーんと勢いよく開いて、


「話は聞かせてもらったのじゃっ! 儂も交ぜてほしいんじゃよ!」

「あーもー天魔様、髪がまだ濡れてるんですから動き回らないでくださいよぉ……」


 更に操と椛まで集まってきた。椛は物の道理がちゃんとわかる妖怪だから問題ないとして、


「操に聞かれたのは面倒だなあ……」

「おい藍、なんか口に出とるんじゃけど!」

「出たんじゃない。出したんだよ」

「むきー!」


 本当に、集まっている面子が悪かったとしか言い様がない。なかなか地底から戻ってこない月見に会いたがっている者は数いるものの、この輝夜、フラン、幽香、操の四名はその中でもとりわけ人の話を聞かない。咲夜や天子のように、会いたがってはいるものの、不可侵の約定を理解してなにも言わないでいてくれる常識人ではないのだ。

 女三人寄ればかしましい。ならば志を同じくした幻想郷の少女たちが、仲良く四人も集まってしまったとき――。


「……運がなかったわね」

「まったくだよ……しかし、そう言う割に満更でもなさそうだね」

「そそそっそんなことないわよ!?」


 などとレミリアと言い合っているうちに、件の四名はやる気満々で円陣を組み始めていた。


「どうしよっか、いつ行く?」

「そういえば、もうすぐクリスマスだよね! クリスマスパーティーも一緒にやったら楽しそう!」

「この前異変があったらしいし、解決記念の宴会も必要ね」

「つまり……異変解決記念お見舞い宴会クリスマスパーティーじゃな!? よし儂が許すっ、早速準備に取り掛かおぼふっ!?」


 藍は操の頭を尻尾でぶっ叩いた。


「なにすんじゃ!?」

「操。紫様がお休みになられている今、お前の発言には普段より一層大きな責任が伴うはずだ。適当なことを言わないでくれ」

「あん? 儂は至って大真面目じゃよ!」


 椛が、せっかく温泉あがりでつやつやだった眉間に深い皺を寄せた。


「天魔様……地上と地底で不可侵の約定が結ばれてるのはどうしてですか? そんなに軽々しく許可を出していいものでもないでしょう……」

「異変のときはよかったのに、どうして今回はダメなんじゃよ!」

「あの、公私混同って言葉知ってます?」

「型にはまらない自由な天狗に、儂はなりたい」


 ダメだこの駄天魔、早くなんとかしないと。


「藍……あなたの言いたいことはわかるわ」


 円陣を解いた輝夜が、珍しく真面目ぶった顔つきで藍を見据えた。ついさっきまでクルクル踊っていたとは思えないほど静かな足取りで、藍の肩にそっと両手を置いて、


「でもね……私、今からとっても大事な話をするわ。よく聞いて」

「な、なんだ?」

「ばか!!」

「!?」


 輝夜は着物の裾を激しく振り乱し、


「がっかりよ……! あなたは私たちと同じ側だと思ってたのに!」

「ま、待て、一体なんの話だ?」

「この世界に、ギンより優先されるものなんかありませんっ!」


 ダメだこの駄姫様、早くなんとかしないと。


「私たちはギンに会いたい。でも、目の前に規則という名の大きな壁が立ちはだかってる。……なら、壁を打ち砕くしかないでしょ!?」

「叫んでる内容自体は恰好いいんだけどなあ……」

「ふふふ、そうでしょー」


 この少女はきっと毎日が幸せなのだと思う。

 更に、幽香までこっちにやってきた。輝夜の横に並んでにっこり微笑むと、


「ねえ。あなたまさか、友達に会いに行っちゃいけないなんて言わないわよね?」

「……月見様のお怪我が大事ないのは、私が式を飛ばして確認」

「そんなのどうだっていいのよ! 友達が怪我をしたのなら、お見舞いに行くのが当然でしょう!?」


 あいかわらずこのフラワーマスター、友情が重い。

 そして最後にトドメを刺しに来たのは、フランドール・スカーレットだった。


「お願いっ……! 私、月見に会いたいよぉ……」

「ぐっ……!?」


 ――バカな。この上目遣い……橙と同等の威力、だと……!?

 藍は戦慄した。まさかフランドール・スカーレットが、橙にも比肩するほどの驚異的な甘やかされスキルを持っていようとは。隅々まで計算し尽くされた完璧な上目遣い。目線の角度、瞳の潤み、頬の色づき、愛くるしい猫撫で声、すべてが創造的であり破壊的。日頃から橙で鍛えられていなかったら、藍は生きていなかったかもしれない。ああレミリア、お前がシスター・コンプレックス気味なのにも納得が行ったよ。


「……し、しかしね、この場ですぐ決められるようなことでは」

「お姉様も、澄まし顔してるけど心の中では月見をすっごく心配してるの! だから」

「フラアアアアアァァァンッ!?」


 全身に赤い妖気をまとって飛翔したレミリアが、両手でフランの口を塞いだ。


「むぐっ」

「ちょっとフランッ、その話は誰にも内緒――じゃなくって、なに意味のわからないこと言ってるのよ! 心配なんてしてないしっ!」

「むぐー!」


 バタバタ暴れる吸血鬼姉妹を微笑ましく思いながら、藍はいよいよ本格的に思考を開始する。

 正直なところ、こうなってしまったからにはもう遅い、と半ば諦める自分が過半数を占めている。今更藍がなにを言ったところで、みんなの中で月見のお見舞いはすでに確定事項と化しており、不可侵の約定なぞ道端の石コロ程度の存在でしかないはずだ。それを考えれば、今この場で「行きたい」と相談してもらえた分だけ、よしと前向きに捉えるべきなのだろう。


「まさか、行きたくないなんて言わないでしょ?」

「そんなわけないだろう」


 輝夜の問いに、少し鼻白みながら即答する。当然藍だって、許されるのならば今すぐにでも地底へ馳せ参じたいと思っている。同時に今の自分は紫から幻想郷を任されている立場なので、個人的な事情で問題を起こすわけにはいかない、とも。特に今は異変が終わってまだ間もない時期だから、迂闊な行動が思わぬ問題の引鉄となる可能性だってある。

 また凝り固まった顔をしてしまっていたのか、幽香に読まれた。


「あなたって、ほんと真面目」

「……そういうお前たちは気楽すぎるよ」


 日頃から悩みなんてないんだろうなあ、と藍はちょっぴり羨ましく思った。

 とはいえ、許されるのならば藍だって行きたいのは立派な事実である。では具体的に誰の許しがあればいいかといえば、この場合はやはり紫と藤千代であろう。

 紫の方はなんとかなるが、藤千代はこの場にいないことにはどうしようもない。さてどうしようか、あいつのことだからこうやって念じていればそのうちやってきてくれるんじゃ


「――呼ばれた気がしてこーんにーちはーっ!!」


 ああ藤千代、あいかわらずぶっ飛んでくれていて私は嬉しいよ。

 しぱーん! と襖を撥ね飛ばして現れた藤千代に、水月苑の茶の間がわっと沸き立った。


「千代ぉっ! いーところに来てくれたんじゃよお前さんはあっ!」

「わーい!」


 操と藤千代がハイタッチをする。そしてぴょんぴょんと一緒に飛び跳ねながら、


「ねえねえ千代千代っ、月見のお見舞いに行きたいんじゃけど!」

「いいですよ! みんなで行きましょうっ!」

「「「わーい!」」」


 軽いなー、と藍は遠い目つきになった。なんだか、紫様や月見様にご迷惑が、とか考えている自分がバカらしくなってきた。

 うきうきする輝夜の姿は、完全に遠足前の子どものそれだった。


「さあ藍、これで文句ないわよねっ」

「……わかった、わかったよ」


 もう悩むのも馬鹿馬鹿しいので、藍は流れに身を任せることにした。いいのだ。藍だって、月見のお見舞いに行きたいのは立派な事実だし。


「ただ、一応、紫様からの許可も取らせてくれるかい。冬眠明けにあれこれ言われても面倒だしね」

「? でもあいつ、寝てるんじゃないの?」

「そうだけど……まあ、任せておいてくれ。必ず許可は取るから」

「……まあ、許可が取れるならなんだっていいわ」


 よぉし! と、輝夜が右腕を意気揚々と掲げ、


「決まりね! ギンのお見舞いクリスマスパーティー、決」

「あ、ちょっと待ってください」

「こらーっ!!」


 華麗に出鼻を挫かれた輝夜がぷんすか怒る。ごめんなさいー、と藤千代は苦笑で詫びて、


「大事なことを忘れていました。月見くんのお見舞いに当たって、ひとつ、避けては通れない試練があるのです」

「……なんですって?」


 試練、という大仰な物言いに、輝夜たちの体がかすかに強張る。生唾を呑み込むそこはかとない緊張感。身構える輝夜たちの視線の先で、藤千代はゆっくりと唇を動かした。


「――月見くんが今お休みしている場所は、地霊殿というお屋敷です。そこには、古明地さとりさんという『覚妖怪』が住んでいます」

「……!」


 輝夜たちが瞠目する。ああそういえばそうだったな、と藍は霊夢や魔理沙から聞かされた話を思い出す。つまり、藤千代が言う試練とは、


「月見くんのお見舞いをすれば、当然、さとりさんとお会いすることになります。さとりさんとお会いすれば、必然、心を読まれます」

「……なるほど、そういうことね」


 幽香が薄く口端を曲げ、先を引き継いだ。


「心を読まれても構わない覚悟と意志がなければ、月見には会えない。そう言いたいんでしょう?」

「……そういうことになります」


 沈黙は、それほど長い間ではなかった。輝夜が静かな眼差しで少女たちを見回す。幽香、フラン、操が順に頷き、最後に藍が続く。それを確認して、輝夜もまたひとつの首肯を置いて、


「――じゃ、なんの問題もないので決行しまーす」

「「「はーい」」」

「皆さんならそう言ってくれると思ってましたっ」


 輝夜はふふんと胸を張った。


「藤千代、私たちを甘く見ないで頂戴。私とギンの間に、読まれて恥ずかしいような後ろめたい心なんて存在しないわっ」


 幽香が腕を組んで深く頷く。


「まったくね。むしろ、私と月見がれっきとした友達だって思い知らせてやるわよ」


 フランがレミリアに飛びついて、


「お姉様っ、私すごいこと閃いちゃった! 月見の前で素直になれないなら、覚妖怪にぜんぶバラしてもらえばいいんだよ!」

「バカじゃないの!?」

「なんでーっ!? お姉様、私このままじゃダメだと思うっ」

「ぜぜぜっ絶対イヤよお断りよ! ってかフランこそイヤじゃないの!? 昔のこととか、いろいろ知られちゃうかもしれないのよ!?」

「んー……月見のお友達ならきっといい妖怪だよ! だいじょーぶだいじょーぶ! というわけで、お姉様も行こーね!」

「ひいいい!!」


 更に操と椛が、


「椛は行くんか?」

「あ、いえ、私は恥ずかしいので……」

「ほほーう? つまりお前さんは、普段からハズカシイことを考えてるということじゃな?」

「ええ、実はそうなんですよ。今度天魔様に試そうと思ってる新しいオシオキ方法とか、バラされちゃうと面白くないじゃないですか」

「椛さんその話ちょっと詳しく!?」

「ふふふ、冗談です」

「ひいいい!!」

「というか、天魔様は参加しちゃダメですよ。私言ってましたよね、もうすぐ年末の大仕事があるって」

「え――――――――――――っ!!」


 改めて言うが、あれこれ悩んでいた自分が本当にバカらしくて、藍はそっと笑みの息をついていた。かつて誰からも忌み嫌われた覚妖怪と会わなければならないというのに、なんて気楽な連中なのだろう。ひょっとすると、藍の心配はまったくの杞憂なのかもしれない。この面子ならなにか問題が起こるどころか、案外月見のように、地底の妖怪たちとコロッと仲良くなって帰ってきてしまうのかもしれない。

 古明地さとりを受け入れてくれそうなみんなの雰囲気に、藤千代も笑顔だった。


「はいっ! おやつはいくらまで大丈夫ですか!」


 まるで遠足感覚なフランの質問に、輝夜が答える。


「パーティーだもの、いくらだって大丈夫よ! 食べきれないくらい持って行きましょう!」

「わーい! 咲夜にいっぱい作ってもらお!」

「ねえ、友達を誘ってもいいかしら?」


 幽香の質問には藤千代が、


「いいですよー。でも、今回ははじめてですから、ひとまずあまり多くなりすぎないようにしましょうか。ここの面子も含めて、十人くらいにしておきましょう」


 操がギャーギャー騒いでいる。


「椛、お願いっ! 今回だけ、今回だけでいいから大目に見て! 後生じゃからぁっ!」

「そんなこと言われても……天魔様が真面目に仕事をしてくれないから、あちこちでいろいろ滞っちゃってるんです。毎日ちょっとずつでもやっていれば、こうはなってなかったと思いますけど」

「わかってないのう、毎日真面目に仕事なんかしたらつまんな――待って、爪はダメ、ダメ」

「とにかく、ダメったらダメです。当日までにぜんぶキッチリ終わらせてくれるなら話は別ですけど、まあ天魔様には無理で」

「――無理だと、誰が決めた?」

「え?」

「終わらせれば、行っていいんだな?」

「え、ええ、それはもちろん――って待ってください天魔様まさか」

「戻るぞ椛。今すぐ取り掛かれば間に合うだろう」

「そ、そこまで!? そっち(・・・)出すほどのことですか!? どんだけ行きたいんですか!」

「久し振りに本気出す」

「……やる気になってくれたのは嬉しいけど、なんか素直に喜べないなあ……」


 そんなこんなで、輝夜が話をまとめた。


「というわけで、来るクリスマスイブの夕方、ここに集合よ! 藤千代、案内よろしくね!」

「承知しました!」

「それじゃあ、ギンと一緒に楽しいイブにするわよーっ!」

「「「おーっ!」」」


 やれやれ、と藍は肩を竦める。

 月見がいなくても――いや、或いは、今が月見のいないときだからこそ。

 幻想郷の少女たちは、本日も元気いっぱいなのだった。











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