↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そのとき君は、僕の名を呼ぶ  作者: 久賀ラトル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/35

ノイズ

「秋川。お前いま、俺のこと無視したろ」


 講義棟の入口で、遠山隆二が肩を並べてきた。片手にコンビニの袋、片手にスマホ。額に汗が浮いている。


「無視してない」


「したね。生協の前ですれ違っただろ。俺、手ぇ振ったぞ」


 隆二とは、大学に入って最初の講義で隣になってから、なんとなく一緒にいる。講義も昼飯も、気づけばだいたい隣にいた。向こうは友達が多いくせに、なぜか僕のところにも毎日のように寄ってくる。

 だから、今みたいに肩を並べて文句を言われるのも、もういつものことだった。


「気づかなかった」


 僕はそれだけ言って、鞄を肩に掛け直した。これ以上この話を続けるつもりはない、という意味も込めて、そのまま講義棟へ向かう。

 けれど隆二は引き下がらなかった。

 僕の半歩前へ回りこむと、後ろ向きのまま歩きながら、顔の横で三本の指を立ててみせる。


「三メートルだぞ」


「三メートル先の人間の顔を、いちいち確認しないだろ普通」


「するが?」


 隆二が本気で不思議そうな顔をするので、僕は黙って自動ドアをくぐった。


 冷房の効いた空気が、汗ばんだ首筋に刺さる。六月の半ばにしては暑すぎる朝だった。


「お前さ、昔から人の顔見ねえよな」


 エレベーターを待ちながら、隆二が言う。悪気はない。この男に悪気があったことは、たぶん一度もない。


「……そうかな」


「そうだよ。俺と喋ってるときも、だいたい俺の鎖骨あたり見てる」


 僕は反射的に、隆二の鎖骨から目を逸らした。


 人の顔を、長く見ないようにしている。いつからそうなったのかは、自分でもよく覚えていない。たぶん中学のどこかだ。


 別に、人と目を合わせるのが苦手なわけじゃない。ただ、顔を見るということ自体を、いつの間にか避けるようになっていた。


 意味があるのかと訊かれれば、たぶんない。


 それでも、何年も続けた癖というのは、そう簡単には消えてくれない。


 理由は、この一年半、隆二にも一度も話していない。


 三階でエレベーターを降りると、廊下が学生で詰まっていた。一限の必修は文学部の二年生が全員同じ教室に押しこまれるので、この時間だけは毎週こうなる。


 隆二が急に立ち止まって、僕の肘を掴んだ。


「おい、いたぞ」


「なにが」


「桃井さん」


 隆二が顎で廊下の先を示す。僕はそちらを見なかった。人の背中の高さのあたりに視線を置いたまま、前へ進む。


 桃井怜奈。同じ学科の、同じ学年。名前は知っている。顔も、たぶん知っている。でも僕は、この一年と少しのあいだに彼女と一言も交わしたことがなかった。


 同じ教室に毎週いて、それでも一度も口をきかない人間というのは、大学にはいくらでもいる。


「俺、去年一回だけ話しかけたことあるんだよ」


「へえ」


「語学が一緒でさ。ほら、桃井さんっていつも本を読んでるじゃん。だから、『桃井さんって何読んでるの』って訊いたんだよ」


「うん」


「『人の本を覗かないで』」


 僕は思わず笑ってしまった。


「笑うなよ。けっこう傷ついたんだからな」


「いや、ごめん。その人らしいのかもしれない」


「らしいって、お前知らないだろ」


「知らない」


 知らない。本当に、何も知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。