第一章 社畜ホームセンターの勇者
理不尽な死と、コンクリートの城の顕現
「……あ、これ、死ぬな」
自覚は、とても静かなものだった。
大手ホームセンター『タローマン』の店長を任されている神城春太、25歳。
彼が自らの死を悟ったのは、連続勤務時間がちょうど72時間を突破し、事務所のパソコンで在庫管理表の数字がゲシュタルト崩壊を起こし始めた時のことだった。
原因は明白だ。本社からの無茶なノルマ、アルバイトの突然のバックレ、そして明日オープン予定の特設園芸コーナーの棚作り。
全てを一人で抱え込み、栄養ドリンクとタバコ『セブンスター』だけで命を繋いでいた肉体は、とっくに限界を迎えていたのだ。
ドクン、と心臓がひときわ大きく跳ねた。
それを最後に、春太の視界は唐突にブラックアウトし、パソコンのキーボードに突っ伏すようにして彼の意識は途絶えた。
――次に目を覚ますまで、それが「過労死」というやつだと気づくことすらできなかった。
*
「……んあー、終わった終わった。お疲れさーん。あ、そこにあるみたらし団子勝手に食っていいからね」
目を覚ますと、そこは謎の四畳半だった。
なぜか部屋の真ん中には季節外れのコタツが置かれ、その上にはビールの空き缶と、山積みの書類、そして灰皿が散乱している。
春太が状況を飲み込めず呆然としていると、コタツに入って寝転がっている女と目が合った。
芋くさいピンク色のジャージの上下に、足元は健康サンダル。年齢は17歳くらいに見えるが、どこか世をすねたような疲労感が漂う絶世の美女だった。彼女は片手に『エンジェルすまーとふぉん』なる光る板を持ち、アイドルらしきイケメンの動画を見ながら、ピアニッシモ・メンソールをふかしている。
「……あの、ここは? 俺はたしか、事務所で棚割りの作成をしていて……」
「死んだのよ。過労死。ご愁傷様。私は女神ルチアナ。永遠の17歳にして、第3種惑星創造神格公務員。まあ、あんたたち風に言えば『世界神』ってやつね」
ルチアナと名乗ったジャージの女神は、面倒くさそうに頭を掻きながらビールを煽った。
「で、だ。私の管理してる『アナスタシア』って世界が今、色々あってゴッドチューブ(神々の動画配信サイト)のPV数が伸び悩んでてねー。予算削られそうでマジでヤバいのよ。月人君のライブの遠征費も稼がなきゃいけないし。というわけで、あんたには転生して異世界を盛り上げてもらうわ」
「……は? 転生? 異世界? いや、ちょっと待ってください」
春太は眉間を揉んだ。
「俺は72時間働いて死んだんですよ? つまり、ようやく『永遠の休息』を手に入れたわけです。それをまた別の世界で働けと?」
「うるさいわね! こっちだってノルマがキツいのよ! ほら、適当にユニークスキルあげるから! えーと、これでいいや。スキル『マンション』! じゃ、さっさと行ってPV稼いできなさい!」
ルチアナはコタツからガバッと起き上がると、健康サンダルを履いた足で、春太の顔面に向けて見事な飛び蹴りを放った。
「ぐふっ!?」
「あ、クレームは受け付けないから! 頑張ってねー!」
顔面にクリティカルヒットした衝撃と共に、春太の身体は四畳半の空間から弾き出され、無限の空間へと真っ逆さまに落ちていった。
*
「痛ぇっ……!」
次に目を開けた時、春太は土の匂いがする荒野に叩きつけられていた。
背中は痛むし、顔面には女神の健康サンダルの跡がくっきりと残っている。スーツは泥だらけで、ポケットに入っていたセブンスターの箱はひしゃげていた。
「最悪だ……。ブラック企業から解放されたと思ったら、今度はブラック女神の無茶振りかよ……」
よろよろと立ち上がり、周囲を見渡す。
そこは、見渡す限りの荒野だった。遠くには鬱蒼とした森が見え、空には見たこともない二つの月が浮かんでいる。本当に異世界に来てしまったらしい。
だが、ファンタジーの感慨に浸る余裕など、彼には一秒たりとも与えられなかった。
――グルルルルルッ!!
背後から、血生臭い息遣いが聞こえた。
振り返ると、そこにいたのは「異常なサイズの獣」だった。
体長は3メートル近くあり、全身を岩のように硬そうな毛皮で覆われた巨大な狼のような魔獣。その口からは、春太を獲物と定めた凶悪な涎がポタポタと垂れている。
「……嘘だろ。剣も魔法の使い方も、何の説明も受けてないぞ」
春太は無意識に後ずさった。
スキル『マンション』? そんなものをどう使えというのか。頭の中で念じてみても、火の玉が出るわけでも、身体能力が上がるわけでもない。
魔獣が後ろ足に力を込め、アスファルトならぬ乾いた大地を蹴り砕くのが見えた。
飛びかかってくる。殺される。
転生して数分で、再び理不尽な死が訪れようとしていた。
その瞬間――。
神城春太の中で、何かがプツンと弾けた。
72時間の残業。理不尽な顧客のクレーム。本社の無謀なノルマ。終わらない棚入れ。そして、女神の顔面キック。
なぜ、俺ばかりがこんな目に遭わなければならないのか。
(ふざけるな……ふざけるなッ!!)
気弱で、争い事を好まない平和主義者の青年。
しかし、彼の心は決して弱くはなかった。理不尽な暴力(ブラック環境)に耐え抜いてきた彼の内なる魂が、ここで完全に「社畜覚悟モード」へと反転したのだ。春太の目から、光が消え失せた。
「……俺はもう、退勤したんだよッ!!」
春太は逃げることをやめ、飛びかかってくる巨大魔獣を真っ直ぐに睨みつけたまま、天に向かって絶叫した。
「残業は終わりだ! 俺を休ませろ! 俺の『家』を出せェェェッ!!」
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
春太の叫びに応えるように、空間が歪み、上空から「巨大な質量」が落下してきた。
それは、魔法の炎でも、伝説の剣でもなかった。
凄まじい地響きと共に、春太の目の前わずか数メートルの位置に「それ」は顕現した。
飛びかかって空中にいた巨大魔獣は、上空から降ってきた「謎の巨大建造物」の下敷きになり、断末魔を上げる暇すらなく、文字通り物理的に圧殺されてペシャンコになっていた。
もうもうと立ち込める土煙。
それが晴れた後、春太の目の前にそびえ立っていたのは――。
「……は?」
破壊不可能の堅牢さを誇る、10階建ての鉄骨コンクリート造の巨大な『マンション』だった。
外壁は真新しく、上層階の居住エリアには煌々と明かりが灯っている。
そして何より、春太の目を釘付けにしたのは、マンションの1階部分を丸ごと占拠している、見慣れた巨大な店舗スペースだった。
『あなたの暮らしをサポート! ホームセンター・タローマン』
煌びやかなネオンサインが、異世界の荒野に場違いな光を放っている。
ウィーン、という機械音と共に、1階の自動ドアが勝手に開き、涼しい空調の風と共に「タローマンのテーマソング」がオルゴール調で流れてきた。
「……なるほど。これが、俺のスキル」
春太はひしゃげた箱から折れ曲がったセブンスターを取り出し、口に咥えて火をつけた。
紫煙を深く吸い込み、魔獣がひしゃげているコンクリートの基礎部分を一瞥する。
彼には分かっていた。
あの中には、セメントがあり、チェーンソーがあり、発電機があり、スコップがあり、大量の非常食がある。剣や魔法がなくても、一つの村を近代要塞に作り変えることのできる「現代文明の結晶」が全て揃っているのだ。
「……悪くない。これなら、俺の『定時退社(平和な暮らし)』を死守できる」
過労死した元社畜の店長が、異世界で最強のインフラを武器に反撃の狼煙を上げた瞬間だった。
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