第19話:無自覚聖女の魔法陣と、動き出す大国
「私の実家、表向きはしがない中級貴族って言っていたのに、実質公爵とかお父様怖すぎるでしょーーーっ!!」
ブラックスタードが前代未聞の国家機密を置き土産に去っていった直後、私は大樹の根元にがっくりと膝をつき、両手で頭を抱えて一人で絶叫していた。隣ではブルーコーラルが「シーリン、大丈夫かい?」と心配そうに覗き込んでいるが、それどころではない。
(シーリン、裏社会のボスの娘みたいなヘビーすぎる設定だったの!? 次にお父様に会う時、私どんな顔すればいいのよ……!)
私が一人で悶絶していると、木々の隙間を縫ってアズパープルとグリーンタールが息を切らせて戻ってきた。二人に、ついさっきまでここにブラックスタードがいたこと、そしてダクワール子爵が王子を洗脳している可能性があるという不穏な話を聞かせると、アズパープルが周囲を警戒しながら、懐から布に包まれた「ある物」を慎重に取り出した。
「……やはり、そうでしたか。ブラックスタード殿下のその疑いで、全てのパズルが繋がりました。……これは先ほど、私が命がけで殿下の私室の奥から密かに持ち出してきた、怪しげな魔術具です」
アズパープルが布を開くと、そこには赤黒い不気味な光を放つ、禍々しい魔法陣が刻まれた小さな香炉があった。これこそが、王子を少しずつ狂わせていた洗脳の呪具だ。
◇
――そう、これこそが、数年前にダクワール子爵と黒魔女が結託して作り上げた、最悪の呪詛の結晶であった。
かつてホワイト公爵に罪を暴かれ、爵位を落とされたダクワールが、復讐のために黒魔女の元へこの話を持ち込んだあの日。
黒魔女は最初、「自分に利がないことには何もしないよ」と冷酷に突っぱねた。しかし、ダクワールから「もし、この国を裏からお前の思い通りに自由に動かせるとしたらどうだ?」と持ちかけられた瞬間、黒魔女の口元にニヤリと邪悪な笑みが浮かんだのだ。
自分の容姿を自在に変えることができる黒魔女は、ダクワールと共謀し、ダクワールの架空の娘へと擬態。
ダクワールは「他国から手に入れた珍しい魔石を見せたい」と言葉巧みに若いグレイスタード王子を自らの屋敷へと招待し、酒に深く酔わせた。
そして王子が朦朧としたその隙を狙い、美しき娘に化けた黒魔女が、王子を意のままに操る禁忌の精神魔法をかけたのだ。
『お前は学園でシーリンに出会った瞬間、彼女に狂信的な一目惚れをする。そして、ダクワールを常に一番近くに置き、その言葉を全て信じる従順な犬となるのだ』
さらに黒魔女は、意識を失った王子を王宮へと送り返す際、隣国から密輸した危険な魔石の香炉に、「絶対に第三者には解けない、洗脳を永続させる術式」を深く描き込み、これを王子の私室の奥に隠して常に呪詛の煙を吸わせ続けるよう、ダクワールに指示したのだった。
すべては、ホワイト家とブラウン家を共倒れさせ、狂った王子を操って国を裏から乗っ取るための、完璧な悪魔の計画。
◇
「ダクワールの動かぬ物証は、これで完全に掴めましたね! 黒幕は、あの男だわ!」
私が叫ぶと、グリーンタールが激しい怒りに拳を握りしめた。
「あのダクワール、そこまでしてデールを、そしてシーリン嬢を陥れようとしていたのか……! だが、これは禁忌の魔術ではないか?…やはり黒魔女を使ってこれを書いたのか…。この術式を解くのは容易ではないな」
グリーンタールが香炉の魔法陣を覗き込み、難解な呪詛の配列に苦々しく眉をひそめる。アズパープルも、ブルーコーラルも、解除の手がかりを掴めず話し合いは難航していた。男たちが三人で頭を抱えているその時――。
「……あの、ちょっと見せていただけますか?」
私が恐る恐る香炉に近づき、その魔法陣をじっと見つめた、その瞬間。
シーリンの肉体に宿る、ゲーム内一のチート級魔術スペック(ヒロイン補正)が、私の脳内に直接「答え」を弾き出してきた。
(あれ? この呪いの配列、なんかすごく非効率的じゃない? ここをこうして、この線をこっちに繋げば……)
「あの、ここをこう書き直してみて、この部分の魔力の流れを反転させてみたらどうかしら?」
私は落ちていた尖った小枝を拾うと、香炉の表面の赤黒い魔力線を、迷いなくササッと書き換えた。
「なっ、シーリン嬢、危ない……!」とアズパープルが静止しようとした、次の瞬間。
キィィィン……!
香炉から放たれていたドロドロとした不気味な気配が、一瞬にして眩い純白の光へと霧散し、あっという間に洗脳の術式が完全に消滅してしまったのだ。
「……え?」
「嘘だろ……黒魔女の呪詛を、一瞬で上書きして解除した……!?」
グリーンタールとアズパープルが、あり得ないものを見る目で私を凝視し、顎が外れそうなほど驚愕している。
そして私の隣で、それまで余裕を崩さなかったブルーコーラルもまた、息を呑んで完全に言葉を失っていた。誰もが頭を抱える禁忌の術式を、まるで子供の落書きを直すかのように笑顔で一瞬にしてひっくり返してみせた彼女。
(……やはり、彼女は『聖女』と言われてもおかしくない……)
ブルーコーラル様の青い瞳の奥に、かつてないほどの激しい衝撃と、そして「この特別な女性を絶対に手放したくない」という狂おしいほどの独占欲の光が、ドクドクと燃え上がっていく。無自覚な私の天才的な魔術の才に、その場にいた三人の男たちの瞳の色が一瞬にして変わった。
そんな中、ブルーコーラルはフッと青い瞳を鋭く細め、香炉の底を指先でなぞった。
「……この魔術具に使われている希少な鉱石、私の国(スペーシング王国)の特産品だ。ダクワールめ、我が国から裏ルートでこれを密輸していたな」
ブルーコーラルは私の手を取り、その手の甲に熱い視線を落としながら、不敵にニヤリと微笑んだ。
「シーリン、私も本格的に本腰を入れさせてもらうよ。ダクワールが裏で密輸している怪しい魔術具のルートを、我が国の情報網を使って徹底的に叩き潰してあげる。……まさか、私の国の中に、ダクワールを手助けしているような不届きな裏切り者はいないだろうね?」
愛するシーリンを守るため、そして自国の名誉のために黒幕の逃げ道を全て塞ぐという、冷徹なやる気の炎がブルーコーラルの青い瞳にメラメラと燃え上がっていた。




