第26話 問われる覚悟
ルミナスタワー。
ルミナ市の中心に聳え立つ、全長五〇〇メートルの電波塔。
着工は十一年前。マレフィシアの襲来で工事は中断し、鉄骨だけの姿で戦火の空に立ち尽くした。それでも終戦後、市民の寄付を集めて工事は再開。二年前の完成式典では、夜空を埋め尽くさんばかりの花火に誰もが竣工を祝った。
激しい戦火を耐え抜いた、復興と平和の象徴。
その頂上。ヘリポートから悪夢は放送された。
『ごきげんよう。みなさん』
日本中の画面をジャックした、二足歩行の狐――ラポゾ・ムエルテ。
その周囲を髑髏にも似た魔道具が旋回している。虫の複眼を思わせる漆黒のレンズが、ヘリポートの光景を全国へと中継していた。
『私の名はラポゾ・ムエルテ。ご覧の通り、【魔骸】です』
四本の尾が、恭しく一礼する。
『こちらは皆様ご存知、魔法少女。ああ、ご安心を。まだ生きております』
その一本が掲げていた。力なく項垂れる智代を。
『さて。本日はひとつ、お願いがございます』
声は慇懃に。どこまでも愉しげに。
『知恵揺子。本日正午までに、ここへ来なさい。この子を死なせたくなければ』
市内が凍りついた。
『そして皆様、どうか賢明なご判断を。知恵揺子以外の者が塔に近づいた場合、あるいは妨害を試みた場合も結果は同じです。魔法少女も、警察も、約束を破った瞬間、この子の命はありません。どうか手を出さず、席にお着きください』
クフフ、と。
『それが、この観劇の作法ですので』
嗤い声を最後に、放送は途切れた。
直後、ルミナ市は恐慌に包まれる。
タワー周辺から逃げ出す人の波。鳴り止まないクラクション。政府は直ちに緊急対策本部を設置し、タワーを中心とした半径一キロメートルを封鎖。上空では魔法結社TVのドローンが群れをなして旋回する。
『繰り返しお伝えします。ルミナスタワーが【魔骸】に占拠され――』
実況の声が震えていた。
正午まで、あと三時間。
◇ ◇ ◇
同時刻。ルミナ市立中央病院。
「揺子、落ち着いて!」
「落ち着いてるわよ!」
病室で揺子は着替えていた。ワイシャツに袖を通し、ジーンズを穿く。動くたび、全身の傷が悲鳴をあげた。構ってはいられない。
「どこが!? 全治三週間なの忘れた!?」
「忘れてない」
「なら――」
「六花」
ボタンを留める手は止めない。
「アイツは私を呼んでる。行かなきゃ、智代ちゃんが死ぬ」
脅しじゃない。ラポゾは、本当にやる。
六年前、嫌というほど思い知らされた。
だから行く。行かねば、また失うから。
ベッドの上で幼い声がした。
「揺子。僕も行くっシュ」
「メムシュ……」
泣き腫らした瞳。それでも、目は力強く。
「智代は僕の家族だから。今度こそ守るって決めたっシュ」
「危険な戦いよ。それでも行くの?」
「うん。妖精に二言はないっシュ!」
昨夜と同じ、震える声。だが不屈の意志を感じさせた。
揺子はメムシュの頭に、そっと手を置いて頷いた。
「わかった。一緒に行こう」
「シュ!」
「ユリコ」
戸口に立つオリビアが、静かに指摘する。
「罠よ。どう見ても」
「わかっています」
「行けば、あなたも死ぬかもしれない」
「それでも」
果たすべき使命がある。
「あの子は、私の生徒です」
オリビアは何も言わなかった。ただ揺子を見つめて首肯した。
語らない優しさはいつも通りに。不安な背中を後押しする。
さらには小さな仲間。いるだけで、何よりも心強かった。
オリビアと六花も連れて病院を出る――その刹那。
正面口のロータリーに黒塗りの車が滑り込んできた。一台ではない。何台もが行く手を遮るように前方を埋め尽くしていく。
開かれたドアから降り立つ、神官服の使者たち。
そして最後の一台から、礼装姿の老女が現れた。
「星見会長」
「知恵揺子」
星見ノヴァが、靴音を鳴らして歩み寄る。
「どこへ行くつもり?」
「わかってるでしょう」
「ええ。だから来たのよ」
使者たちが揺子を取り囲んだ。
「行かせるわけにはいかない」
ノヴァの声は、氷のように冷ややかだった。
「【魔骸】の目的はアナタ。素直に出向けば、殺されるだけ。わかって行くのなら、それは勇気ではなく蛮勇よ」
「なら、どうしろって言うんですか。私が行かなきゃ、あの子が殺される!」
「その必要はないわ。我々魔法少女協会は、【魔骸】との交渉には応じない」
「まさか、見過ごせと!?」
「対処はランキング上位の魔法少女に任せます。アナタの出る幕はない」
「アイツは接近も妨害も許さないと言った! それじゃ智代ちゃんが――」
「仕方のない事だわ」
「……は?」
あまりにも理解を超えた回答に、愕然とする。
「惜しいとは思うわよ。籠目智代にかけた時間も、労力も。対【魔骸】の切り札を失うのは、協会にとっても大きな損失」
この老女は、なぜそんな惨い事が言えるのか。
「けど、それだけのこと。素体はまた探せばいい。適性のある子供を集めて、新しい "希望" として仕立てれば」
「こ、の……ッ!」
平然とした物言いが、抑えようのない憤怒を抱かせる。
あの子の人生を、ただ〝素体〟とだけで切り捨てる非情。
「――ふざけるな!!」
揺子はノヴァに掴みかかろうとした。
だが、左右から伸びた腕に阻まれた。使者たちに両脇を固められ、あっという間に組み伏せられる。杖を召喚するも、突き出された使者の杖に脅された。
「離せ、離せぇぇぇッ!!」
それでも揺子は屈しない。
基礎的な魔力操作であろうと身体強化には事足りる。体内の魔力を四肢に巡らせ、筋繊維を肥大化。痛みに歯噛みしながらも、使者の拘束を押し退ける。
「おおおぉぉぉッ!!」
「……なぜなの、知恵揺子」
揺子の気迫に、ノヴァが目を細めた。
「なぜそこまで、あの子に拘るの」
「――――」
なぜ。そんなもの、考えたこともなかった。
「罪滅ぼし? 六年前の埋め合わせ?」
「違う」
「では、名誉の回復? あの子を救えば、世間が許すとでも――」
「違う!!」
吠えた。抗う腕が、ミシリと軋む。
「贖罪でも、許してほしいわけでもない‼」
「なら、何のために」
「私があの子の先生だから!!」
脳裏を、智代と過ごした日々が駆け巡る。
塩コーヒー。シナモンロールの笑顔。魔法の杖に輝いた目。頑固で、無鉄砲で、どこまでもまっすぐで――揺子先生と呼ぶ、あの声が。
「あの子の笑顔を見るたびに、私は生きてるって思えたの! 誰かのためなんかじゃない! 教師として生徒を導く喜びを、絶えず実感していたいから‼」
沈黙がロータリーに落ちた。
ノヴァは、茫然とした顔で。
「……そう。やはりアナタは――」
何かを言いかけ、視線を冷たく切った。
「連れていきなさい」
そこへ――凛とした詠唱が紡がれる。
「〈セルン・ネルン・ガルヴァロン〉―― "花火よ、爆ぜよ" 」
直後、虚空に咲き乱れる色とりどりの燃焼。立て続けに打ち上がる花火が爆弾にも似た衝撃と轟音を撒き散らし、使者たちの視界と聴覚を塗り潰していく。
季節外れの風物詩。その大輪を見つめる余裕は、誰にも残されていなかった。
「オリビア……ッ!?」
「ごめんなさいね、ノヴァ」
いつの間にかオリビアが、手に杖を掲げていた。
「教師が生徒を迎えに行くのを、止める道理はないもの」
閃光と爆音に拘束が緩む。揺子は使者の腕を振り払った。
「行きなさい、ユリコ!!」
「こっち!」
六花が揺子の腕を引く。車列の隙間へと。
「六花……っ!?」
「いいから走る! 智代ちゃん、連れて帰ってきてよ!?」
「ありがとう。――メムシュ!」
「シュゥ!」
六花に背中を押され、揺子はメムシュとともに走った。
背後で咲き続ける花火の音だけが、いつまでも追いかけてくる。
社長、六花。この借りは、必ず。
智代を連れて帰る!
◇ ◇ ◇
花火の残響が消えたロータリーで、ノヴァは深々と息を吐いた。
「……やってくれたわね」
「ふふ」
杖を仕舞いながら、オリビアは悪びれもせずに微笑んだ。
「年甲斐もなく張り切っちゃったわ」
「協会への妨害よ。反逆と取られても文句は言えない」
「ええ、どうぞ。老婆ひとり裁いたところで、ユリコはもう止まらないけれど」
「…………」
「あなたも見たでしょう、ノヴァ。あの目は、もう六年前とは違う」
ノヴァは答えなかった。
代わりに、と言うべきか。使者の一人がノヴァに歩み寄る。耳に当てたスマホを手で覆い、声を潜めて報告した。
「会長。ランカー魔法少女が出動要請を求めています」
「なりません」
使者に振り向きもせず、眼光を鋭く。
「現場には誰も近づけないで。各企業にも通達を。手出し無用よ」
「はっ」
使者が一礼し、下がっていく。
ノヴァは背筋を伸ばし、遠くを見上げた。
ビルの狭間。晴れた空を貫くように白亜の塔がそびえている。
「お手並み拝見といこうじゃない」
皺の刻まれた口元に、僅かばかりの微笑が浮かんだ。
◇ ◇ ◇
揺子たちが向かったのは、ルミナスタワーではなかった。
自宅のマンション。丸腰のままラポゾに挑むほど、揺子も無策ではない。
鍵を開け、部屋に駆け込む。時計の針は午前十時。正午まで残り二時間。
クローゼットの奥から、遠征用のベルトポーチを引っ張り出す。
防護呪符。栄養剤の薬瓶。使えるものは、片端から詰めていく。
「……よし」
装備は整えた。が、それでも足りない。
相手はあのラポゾ・ムエルテだ。人の身で勝つには、力が要る。
「メムシュ、少し廊下で待ってもらえる?」
「わかったっシュ」
メムシュが玄関扉を開けて廊下に出た。
ここから先は――二人きりで話したい。
揺子は部屋の隅を見た。
ベルベットのシーツは、もう掛けていない。
ガラスのショーケースの中で、純白のケープが浮遊している。
かつての相棒。そして、あの日から一言も話さなくなった魔道具。
きっとまた無視されるだろう。でも他に頼れるのは、彼女しかいなかった。
「暁星王妃」
揺子はショーケースの前に立った。
「智代ちゃんが、私の生徒が攫われた。ラポゾよ。あの狐に」
返事はない。
「お願い。力を貸して」
返事はない。
「あの日、私は誓いを破った。ぜんぶ捨てて逃げた。今さら虫のいい話なのは、わかってる。でも、お願い。あの子を助けるためには、あなたの力が必要なの」
返事はなかった。この六年、そうだったように。
「……っ!」
気がつけば揺子は、ショーケースの錠を外していた。
ガラス戸を開け放ち、ケープを鷲掴みにすると、
「いい加減に――してよッ!!」
床に叩きつけた。
「無視すんな! 聞いてんでしょ!?」
バサリ、と。純白の布が床に広がる。
「私が悪かった! 私が弱かった! エマを死なせて、大勢の人を巻き込んだ!」
膝をつき、ケープへと顔を近づける。
「でも――それでも行くの! こんな私でも智代ちゃんは救ってくれた! 赦してくれた! だから今度は私の番! 罪も後悔も全部背負って、あの子を助ける‼」
返事はない。
「なんとか言えぇッ!!」
振り上げた拳を、ケープへと振り下ろした。
刹那、煌めく銀河の裏地から半透明の手が伸びる。
白く、細く、それでいて鋼のような強さで、揺子の拳を受け止めた。
「――――」
目の前に "彼女" が立っていた。
純白のケープを、その肩に羽織って。
肩まで流れる白銀の髪。陶器のように白い肌。恐ろしく整った目鼻立ち。
そして髪の隙間から伸びる、長く尖った両耳。
エルファール族――人がエルフと呼ぶ、異世界の民。
古のアースノールで栄華を極めたと伝わる国。その王妃の名を冠した精霊。
見た目は二十代の女性。されどその実、数千年を生きたとされる長命種。
「エレン、ミア……」
六年ぶりに見る、相棒の姿だった。
エレンミアは立ち上がって、掴んだ拳をゆっくりと離す。
虹色の瞳が、まっすぐ揺子を見下ろした。
『知恵揺子。汝に、信念はあるか』
鈴を震わせたような、それでいて玉座から響くような声。
『一度は折れ、一度は手放した其の誓いを、再び掲げる覚悟はあるか』
「……っ!」
『幾万の声に責められようと、己を偽らず、救いたい者へ手を伸ばせるか』
試す問いでは、なかった。
祈るような、問いだった。
『――答えよ、揺子。汝が信念を抱く限り、我は再び、汝の光とならん』
――答えはもう、決まっていた。
この手に誓った生き様が、誰かのためになるならば。
私は喜んでこの身を投じ、あまねく人々を救いたい。
「そんなの――決まってるッ!」
理想を胸に。決意を形に。揺るがぬ意志を遂げるべく。
ただ前を見て、揺子は道を定めた。




