第四章:沈黙の記録と、泡の子ら(後編)
「……君、またここに戻ってきたの……?」
カリスが見つめたその先にいたのは、
淡い紫の髪に、曇りのないまなざしを宿した少女だった。
その名は——リセル。
彼女の瞳が、まっすぐにカリスを射抜く。
「忘れたふりを、しないで。あなたは、わたしを“忘れた”んじゃない。
“記録から消して”逃げたのよ、カリス」
アークとセラが同時に息をのむ。
フィオナがそっと視線を伏せた。
「……どういうことだ?」
アークの問いに、カリスは一歩、後ずさる。
「……僕は、リセルを……“守るため”に記録を封じたんだよ。
彼女の記録は、“神の監視リスト”に入っていた。
このままだと、“泡ごと消去”されるって知ってたから……!」
「守った? 本当に?」
リセルの声は、静かだった。
「でも、あなたは私に何も言わず、“記録から切り離した”。
そのせいで、私は“誰からも存在を認識されない”記録の幽霊になったの」
セラが、カリスに一歩近づく。
「それが……あなたの“明るさ”の裏にあった過去……?」
カリスは、ゆっくりと顔を上げた。
「僕は……間違ってたんだと思う。
でも、あのときは……どうしても、君を守りたかった。
記録に残すより、“忘れることで生き延びる”って、信じてしまった……!」
リセルの目に、涙が浮かぶ。
「私は……ずっと、一人だった。
声をかけても、触れても、誰にも“気づかれない”世界で……」
「気づいてたよ」
その言葉を、カリスは震えながら絞り出した。
「僕の中に、ずっと“君の声”が残ってた。
誰にも言えなかった。でも、忘れてなかった……ずっと、君を想ってた……!」
リセルが、わずかに目を見開く。
次の瞬間、泡の空間がひび割れたように光を放つ。
「記録の統合反応が起きている!」
フィオナが警告を発する。
「リセルの“切り離された記録”と、カリスの“記録破片”が共鳴してる。
このままでは、泡の子ら全員に記録の波紋が——」
「止める……!」
アークが、泡の中心へ駆け出す。
セラが追う。
「アーク……このままじゃ、セラの“記憶”にも影響が……!」
「構わない。だって俺は、“全部を守る”って決めたんだ!」
アークの刻印が、泡の床に刻まれる。
その瞬間、泡の都市全体に“音”が鳴った。
ポロン……と、壊れた風鈴のような、優しい音。
それは確かに、“音楽”だった。
泡の子らが、耳を澄ます。
「なに……この音……」
「聞こえる……心が、動く音……?」
リセルの輪郭が安定し、カリスの記録が“過去のまま”として復元される。
二人の記録が、重なることなく、並んで存在するようになった。
「アーク……」
「これが、俺の“選択”だ。
記録を書き換えるんじゃない。選べなかった過去すら、残して生きていく。
それが、俺の戦い方だ」
セラがそっと寄り添う。
「……わたしも、その戦い方、好きだよ」
リセルがそっとカリスの手を取る。
「……次は、ちゃんと手を繋いでくれたね」
「うん……もう、君を一人にはしないよ」
泡の都市の空に、かすかな旋律が流れはじめる。
記録の底に沈んでいた“感情”が、音楽として泡に刻まれていく。
それはきっと、この世界に生まれた、**最初の“歌”**だった。
第四章:沈黙の記録と、泡の子ら(後編) 完