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死者の恋  作者: 泉野ジュール
第三章 あなたがいるから
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口づけ 1



 木々の一本、一本にいたるまで知り尽くしている森が、その夜だけはまるで未知の場所のように思えた。

 冷たい大地を踏みしめながら、ゆっくりと静かに森の奥へ。


 デラールフと繋いだ手は温かく、彼の炎に包まれた体は寒さを知らない。

 それでも北風が吹き抜けるとローサシアの髪は寒々しく揺れた。デラールフの白髪も肩ほどの長さになっている。白い流れが風に揺れるのを、彼の炎の光が照らすのに、ローサシアは見惚れた。彼の髪の色を、怖がったり侮蔑したりする者もいるが……ローサシアにとってこれほど美しい髪色はなかった。


 彼の隣を歩けることに幸せを感じながら、ローサシアは歩を進めた。

 しばらく行くと、ふたりがよく夏に水浴びをした小さな泉にたどり着いていた。デラールフが足を止め、ランタン代わりの炎を宿していた手をすーっと左右に動かす。


 すると、魔法がかかった。


 泉の表面に、まるで蓮の花のように炎が花咲く。

 晩夏のホタルさながらの小さなきらめきがあちこちに舞って、辺りに光を放った。すべて、デラールフの火だ。


「わあ……」


 夜でなければ見ることのできないスペクタクルだ。こんな美しい光景をローサシアは見たことがなかった。

 光は舞い、揺れ、あちこちで弾けたり消えたりしながら、また新しくデラールフの手から飛び立って、ローサシアの目を楽しませる。


 子供の頃、こうやってデラールフの作ってくれた火で遊ぶのが大好きだったのを覚えている。あの時のデラールフはまだ、単純な球形の火の玉をひとつ浮かべてくれるだけだった。でもこれは違う。


 泉の水面に白鳥の形をした火が泳いでいると思うと、それが不死鳥のように大きな羽を広げて漆黒の空に飛んでいった。

 ホタルのようだと思っていた小さな光が一斉に蝶になる。不規則だったその動きが群れの渡り鳥のように一ヶ所に集まり、そして素早くあちこちを飛んだ。


「すごい……。デラ、すごいわ……綺麗」


 デラールフがローサシアのために見せてくれた冬の光のショーは、そのままローサシアが笑い疲れるまで続いた。

 こんな……。

 こんな素敵な夜を用意してくれた彼に対する感謝と。愛と。


 そして、こんなことができてしまう彼の《能力》に対する驚きと……わずかな恐れを感じた。デラールフの力は本当にすごいところまできている。こんな田舎の片隅の森の中で、十六歳の小娘の誕生日のためにだけ存在していい《能力》ではない。


 ずっと感嘆の声を上げ続けていたローサシアが静かになってくると、デラールフは手元を照らす篝火だけ残して、周囲を暗闇に戻した。


「お前が生まれた夜を覚えているよ、ローサ」

 デラールフがつぶやくと、白い息が宙に浮かぶ。


 彼の目は夜空のどこか遠いところを見つめていた。まるで、そこに彼の求める答えがそこにあるみたいだった。暗い冬空の向こう。


「十六年も前なのに?」

「俺には昨日のことのように感じられる。あの日、俺の人生は変わった。白と黒だけだった世界に色が溢れて……すべてが違って見えるようになった」


 でも今、デラールフが見つめている先には、真っ黒な闇しかない。

 寂しくて、ローサシアは彼の手を引いた。デラールフはもちろん、すぐにローサシアを見下ろしてくれた。そして微笑む。


「どうした?」

「それは……いいこと?」

「さあ。どう思う?」

「そうね、うーん……白と黒がたくさんの色に変わったなら、きっと素敵なことだと思うわ」

「じゃあ、そうなんだろう」


 デラールフは言葉では答えなかったけれど、彼の微笑みはなによりも雄弁にローサシアへの愛情を物語ってくれている。

 その愛情の種類が、ただ兄から妹に対するものであったとしても。


「ローサシア」

 デラールフは彼女に向き直った。

 急にぐっと両肩を掴まれ、ローサシアは息を呑んで彼の瞳をのぞき込む。


「デラ……」

「あの日、イーアンは俺に言った。俺にはお前の兄になって欲しいと」


 デラールフのかすれた声低い声が、鼓膜を通してローサシアの胸に突き刺さる。兄。もうとっくに知っていることなのに、彼の口から宣言されるとまた新たな重みをもってローサシアの心を押しつぶす。


「わたし……わたしは、デラと一緒にいたいだけ。ずっと」

「ローサシア、俺はイーアンとの約束を破るつもりはない。俺たちは家族だ。それを忘れないでくれ。お前にはいつか、ふさわしい相手が現れる」


 キスを……。

 じゃあ、キスをして。そんなふうにわたしを他のひとに渡してしまうつもりなら、せめて、はじめてのキスはあなたにして。


 そんなローサシアの願いをすくいとるように、デラールフの両手が彼女のほおを包んだ。

 ふっと篝火が消えた。

 ローサシアを囲んでいた炎の膜も消えて、本物の闇が訪れる。


 デラールフはその長身をかがめて、ローサシアに顔を近づけた。息がかかるくらい近くに彼の顔がきて、ローサシアも首を反らして彼の動きに応える。

 ふたりの唇が静かに重なった。


 ローサシアのはじめてのキス。


 ゆっくりと唇を離すと、デラールフはローサシアの体をすっぽりと彼の外套に包んだ。炎はすべて消えてしまっていて、あたりは闇しかない。冬の夜空の月と星は心許なく、明かりと呼ぶほどの光は与えてくれなかった。


 なにも見えない、なにも聞こえない無明の世界で、ふたりはいつまでも抱き合っていた。



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