後編
俺は翌日、学校中を走り回って緑川夏を探したが、無駄に終わった。
そんな名前の生徒は、校内に存在しなかった。
「どんな女の子?」そう問われることも多かった。
言葉だけでは説明できず焦っていたときに、俺たちの写真を撮った友人を思い出す。
走り寄って友人に掴みかかると、友人は苦笑いでこう答えた。
「あ、ごめん。まだ消してないや」
「消してないんだな?」
俺はよほど怖い顔をしていたんだろう。友人はぎょっとして頭を下げる。
「ほんと、ごめん。すぐに消すから! 今すぐに!」
「いや、消すな! 俺によこせ!」
「は?」
鬼気迫る俺の形相に恐れをなした友人は勘違いしたようだったが、勘違いで消されたら困る。
俺は友人を宥め賺して、写真データを俺のスマホに転送させた。
今度は写真を見せて回るが、やっぱり夏は見つからない。
まるで狐に騙されたようだ。緑川夏という少女はその痕跡すらなくて、俺は途方に暮れていた。
そして、いつの間にか、俺が幽霊みたいな不可視の女子を探していると、学校中の噂になっていた。
「おい、小林」
声をかけてきたのは、担任だった。
俺は持っていたスマホの画面を消して、「はい」とだけ答える。
ここ数日、俺の機嫌は底辺をさまよっていたけど、その勢いで担任に喧嘩をふっかけるわけにもいかない。
焦る気持ちを押しとどめるものの、俺は無意味に担任を睨みつけ、顎で先を促した。
「おまえな……。仮にも教師にその態度はないだろう?」
「何すか? 説教ならまた今度……」
「説教もしたいところだが……。最近、変な話を聞いてな。おまえが女の子を捜してるって」
「それが?」
俺の低く響く声に、担任は後ずさったが、何とか踏みとどまった。
「緑川夏って名前に聞き覚えがあってな」
「何だって?」
俺は思わず、担任の胸ぐらを掴んだ。
今度こそ怯える担任は悲鳴を上げて逃げ出し職員室に籠城。
学年主任に呼び出された俺は平身低頭謝り倒して、とある情報を手に入れたのだった。
北海道の四月はまだ雪の残る季節だ。
場合によっては吹雪くこともある。
だが、この日、空は真っ青に晴れ渡り、キャンパスは新一年生で溢れていた。
「あれ? 小林はどこに行くんだ?」
「大事な約束があってな」
手を振って友人を振り切ると、木陰に残る雪を横目に見つつ、俺は一目散にあるところに向かった。
敷地内の施設の位置は、ホームページで確認済みだ。
俺は人でごった返すその中でまずは建物内の見取り図を確認する。
エスカレーターを走るように登り、居合わせた他の人たちに頭を下げながら、それでも足を止めない。
「ちょっと、ここは……」
「すみません!」
競歩の選手と彼女に言われたほどの早歩きに切り替え、辺りの部屋の番号をつぶさに見て回る。
「あった! ここか!」
俺は廊下と部屋を区切るパーテーションを乱暴に開く。
居合わせた人達が皆、非難がましく見返してくる中、一人だけ、こっちを見ようとせず、窓の外に顔を向け続ける女がいた。
俺はほくそ笑み、叫んだ。
「見つけたぞ、緑川夏!」
「非常識でしょう! 病院で!」
誰かが抗議の声を上げたが、俺はそれよりも、向けたままの背を強ばらせて慌てて布団の中に潜った女が気になっていた。
「すみません。そこの彼女に用事があるんです」
俺はずかずかと部屋の中に歩み寄ると、がばっと布団を取り上げた。
「夏、顔を貸せ。俺が不審者で通報されて、除籍されてもいいのか?」
唸るように言うと、パジャマで丸まっていた彼女は眉をハの字にして、のろのろと起きあがった。
「小林君……」
「談話室で待ってるぞ。この部屋の人たちにはおまえから謝っておけよ、いいな」
俺はほっそりとした彼女の手をぎゅっと握りしめる。
怯えた目で俺を見返す夏は、それでも、こくりと頷いてくれた。
二十分ほども待っただろうか。
ようやく談話室に現れた夏は、俺の姿を認めるなり、大きなため息をついた。
「随分と失礼じゃないか、緑川夏。いや、佐々木夏と呼んだ方がいいのか?
どっちも夏にはかわりないけどな」
夏は俺の前のイスに腰を落ち着けると、机に打ち付けられた額から火花が散りそうな勢いで頭を下げた。
「本っ当に、ごめんなさい」
「それは何に対しての謝罪だ?」
俺は腕を組んで夏を睨みつける。
夏は頭を下げたまま、くぐもった声で言葉を続ける。
「その……偽名を使っていたこととか……」
「在学中に両親離婚して、名字がかわったんだってな?」
今、その名の生徒はいないはずだが、何年か前に受け持った生徒に同名がいた、と担任が教えてくれた。俺よりも二個上の先輩。
「でも、俺はそんなことで怒っていない。そっちの名前の方が、とっさに出てくるくらい、愛着のある名前だったんだろう?」
旋毛が見える頭がこくんと頷く。
「他に、夏が謝ることはないのか? ないと思ってるなら、俺は本気で怒る」
本気でという部分に力を込めて言うと、夏の肩がビクン、と震えた。
「あの……もしかして……」
「何だ?」
夏は随分と長い間逡巡して、ようやく言葉を継いだ。
「私が……三十日の約束を反故したから?」
俺の拳が、テーブルを叩く。
夏はぶるんと震え、追ってゆるゆると顔を上げて俺を見つめた。
目尻に涙が溜まっている。
俺は、無意識のうちに手をのばして涙を拭いそうになり、慌てて頭をがしがしと掻いた。
「たったメモ一枚で消えやがって! 電話かけたら繋がらない! おまえは俺を何だと思ってるんだ? 感情のないロボットか? 一ヶ月も一緒にいた女の子がどうなろうと何とも思わない冷血漢か?」
夏の涙が、頬にこぼれ落ちる。
「おまえが、優しい優しい、って言っていた男は、そういう男だったのか?」
涙が、溢れる。
「俺が、一緒にいる間ずっと楽しんでいるフリができる、そんな男だと思っていたのか?」
こみ上げる思いのままに、俺はテーブル越しに夏をかき抱いた。
「ずっと、ずっと……探してたんだぞ、バカ。
OBやOGにも話聞いて。俺が大学落ちていたら、おまえ、大変なことになっていたぞ」
「小林……君……」
「○大、入った。今日、オリエンテーリングだったんだ。夏の後輩になった」
「でも、私……」
「入院してるんだってな。でも、治らない病気じゃないってお袋さん言ってたぞ」
「え? お母さんにもあったの?」
夏の声が飛び上がる。俺は、夏の首筋に顔を埋め、しっかりと頷いた。
「大学デビューに失敗して、バカな男に捕まって、ボロボロになってたって聞いた」
そう、夏が言った大学生活に失敗した先輩は、自分のことだった。
大学にも満足に通えなくなって、自宅に引きこもっていたらしい。
その冬に、夏は俺を見かけた。
お袋さんは詳細を知らなかったが、夏はその辺りを境に、また大学へ通うようになったのだという。でも、引きこもっていた頃の不摂生と精神状態が、彼女の体から力を奪っていた。
夏は休学し、付属病院に入院する羽目になった。去年の十一月、その決心をしたのだという。以来、入退院を繰り返しているらしい。
「俺は、甘い言葉とか、甘い態度とか絶対無理だ。夏を甘やかせない。
夏が好きだった男とは全然違う。
だから、夏、俺にしろ」
俺は夏から体を引き剥がし、驚きに固まったままの夏を睨みつけた。
「文句があるならすぐに俺に言え。俺は正面から受けて立ってやる。
俺も、言葉の出し惜しみはしない。ちゃんと説明の努力をするから……」
俺は言葉を切り、頭を下げた。
「無期限で俺とつき合ってください」
なかなか返事がない。
俺は息を詰めて待っていたが、さすがに呼吸せずにはいられない。
そう思ったとき、ぽたたっとテーブルの上に滴が落ちてきた。
恐る恐る顔を上げる。
夏は溢れる涙を拭おうともせず、口元を押さえながら、ただひたすら頷いていた。
俺はもう一度、今度はテーブルを回って彼女の隣に座り、そっと抱き寄せた。
あらがうことなく、夏の小柄な体は俺の腕の中にすっぽり収まる。
「早く治せ、夏。
俺の先輩でいられるか、同輩になるのか、夏次第だ」
夏は俺を見上げて、へにゃっと笑った。
「小林君が一番、私に本当に優しくて甘いよ? だから……」
背伸びした彼女の甘い息が、俺の耳にかかる。
「末永く、よろしくお願いします」




