26. 伊藤達也(2)
ベッドから上体を起こした。となりにいる彼女はまだ吐息を立てて寝ていた。
僕は喉が渇いたので、ダイニングにある冷蔵庫を開けた。ペットボトルに入ったミネラルウォーターを手に取って、コップに並々注いだ。
水がいつも以上に美味しく感じ、渇いた喉を潤した。
水を飲み終え、洗面所に行こうとした時、少しふらついてしまった。
いつもあの夢を見た時は、なぜかからだが異様に気だるい。夢をみている時は、眠りが浅いということが以前みたテレビ番組で言っていたことを思いだした。
今日は何曜日だっけ。画家という職業は一日中、アトリエに篭って絵を描くことが多く、筆が止まらない時は気付いたら、朝になっていることもあったりした。今は絵画教室が忙しいので、以前に比べそういったことは少なくなったが、長年染み付いた不規則な生活から抜けられてはいなかった。今日が何曜日だったかなんて、絵画教室を始める前まではほとんど気にすることなんてなかった。
不思議な夢を見始めたときはこんなにもはっきりと覚えているものだろうかと、疑問に思うこともあるのだが、あまり深く考えるのはやめていた。画家として何かしたらの絵の材料になるかもしれない。夢のような話を現実的にしたくなかったというのもあったからだ。
それにしても先ほどの夢の中で上條くんのこと話を聞いた時は、度肝を抜かれた。
現実の世界で葵ちゃんに会ったという、さらに河内さんまでが、葵ちゃんと間接的ではあるが、お互いに関係があったのだ。
ということは何かしら僕もあの夢の中で出会ったひとたちと何らかの関わりがあるのではないか。
でも僕は何かしらの関わりがあるなんて、想像ができなかっが、なぜか胸の奥に何かがつっかえているような感覚だけはあった。
時計を見ると、まだ朝の七時前だった。顔を洗い、歯を磨いた。着替えをすませるとそのまま、玄関を出た。
外はまだ、朝方なので日中に比べるとだいぶ涼しかった。僕は家を出て、いつもの散歩コースを歩いた。
駅前のコンビニで朝食を買い、河川敷に向かった。河川敷をランニングしている人や犬を散歩している人をちらほらみる。
そういえばあの犬はどうしているだろうか。まだ一人で散歩をしているのだろうか。
僕は近くに見える野球場やサッカーグラウンドを見渡した。朝早いせいか、野球少年やサッカー少年の姿はみえなかった。
もしかしたら、その辺をうろついているかもしれない。そんな期待を持ちながら、あたりをもう一度、見渡してみたが、ベンチで寝ているお年寄りがいるくらいだった。
僕は犬を探すのをやめて、土手に向かって斜面になっている地面に腰を下ろした。
コンビニで買ってきたおにぎりを食べた。二口目の食べよとした時、後ろから何か気配を感じた。
はっ、はっ、はっという生暖かい息遣いが僕の首の後ろあたりに感じた。
振り向くと、あの時の犬だ。
「びっくしたなもう、いつのまにいたんだよ」僕は犬が来てくれたことに嬉しかったのか、にやにやしてしまった。
「わんわん」犬はうれしそうに尻尾を横に振っている。
「わかったわかった」といいながら、僕はコンビニ袋に入ったちくわを取り出した。
もしかしたらこの犬に会えるかと思って、買っておいたものだ。
「わん」犬はちくわの袋みただけで、目の色を変えて、ちくわに鼻を近づけた。
ちくわが入った袋を開けて、三本入っているうちの一本を与えた。
すると犬は、僕が地面に置いた一本のちくわの方ではなく、二本ちくわが入った袋の方に飛びついた。
「わっ」僕は驚いて、後ろに倒れこんだ。
犬はそんな僕のことを気にすることなく、夢中でそのちくわを食べていた。
「こいつ、食い意地張りすぎだな」といいながら、体についた土と草を手で払った。
うまそうにちくわを頬張る犬の頭を撫でた。
「お前のご主人さまはいったいなにしてるんだろうな」
僕はこの犬が放置されているのではないかと心配していた。
からだに傷がないことから、虐待されていることはないだろう。からだもやせ細ったようには見えないし、単にこいつが飼い主にだまって外をうろついてるだけの可能性だってある。それはそれで、不安ではあるが。
何か事情があるのかもしれない。ぼくはこの飼い主に興味が湧いて、会ってみたいと思った。
「わんわん」ちくわを食べ終えたようだ。すると今度は僕が手に持っていた、食べかけのおにぎりに向かって飛び込んできた。
僕はその拍子でまた、後ろに倒れてしまった。
「お、おい、ちょっと落ち着けよ」
「はっ、はっ、はっ」犬のよだれが僕の顔に付きそうだ。
「わかった、わかったから」ぼくはそう言って残り一本のちくわを差し出した。興奮するほど、腹が減っているのだろう。
最後のちくわを食べたら、犬は突然走りだした。
「あ、おい」僕は犬を呼び止めた。
犬は少し離れた場所で急に立ち止まり、僕の方を振り向いた
付いてこいと言っているように見える。
僕は犬の後を追った。僕が近づくとまた犬は走りだした。しばらくしたらまた立ち止まった。二十メートルぐらいだろうか、僕が見失わない程度の距離を保っていた。僕と犬の距離が二メートルぐらいに近づくとまた走りだす。
そういったことの繰り返しを何度ぐらいだろう。数えきれなほどであったことだけはたしかだ。
周りを見渡すを見慣れない場所だった。
やたらと広い家が目立つ。大きな庭を持つ家があちらこちらにあった。いわゆる高級住宅街というところだろうか。このへんの土地のことに付いては分からなかった。
高級住宅街をしばらく歩いていると、犬はある一軒家の門の前に止まった。
門扉の片側の扉は半分開いた状態になっていた。
「ここがお前のうちなのかい?」
木津と書いてある表札があった。金持ちが住んでいるところの犬だとは意外なことで少し驚いた。もっと一般的な家、いやすこし古い民家にでも飼われている犬だと思い込んでいた。
「なんだお前こんなお金持ちの犬だったんだな」
僕は拍子抜けした。何か事情があったのだと思ったが、こんな家の飼い犬なら心配する必要もなかった。
門の扉の隙間に入ってた犬を先に、六十歳ぐらいのご婦人がいた。
麦わらぼうしをかぶり、手に軍手をはめていた。花壇に咲いている花の手入れをしているようだ。
ご婦人は犬がそばにいたことに気づいた。
「あらあら、どこにいったかと思えば、心配したのよ」
「わん」
「あまり一人で出歩いてはだめよ」
「わんわん」
ご婦人の言い方から想像すると、やはりこの犬はたびたび家から抜け出していたようだ。
「お腹すいたの? 少しまってね。今持ってきてあげるから」ご婦人はそう言って、立ち上がった。
その時、僕の存在に気づいたようだ。




