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第九章 第十一節

 壮麗なるシュラインシュタットの裏手に屹立する山、その頂上付近は〝彼ら〟の領域だった。いくつもの翼がそこかしこに入り乱れ、何を話すわけでもなく、ただ静かに時が経つのを待っている。

 元より、彼らは無駄な言葉を使うことが少ない。不安があれば、しゃべらずにはいられない人間との大きな差であった。

 時間を気にしないこともそのひとつだ。待つことを嫌う者は少ないが、それでも今は本来やるべきことがあった。

 にもかかわらず動かないのは、ここにいつもいるはずの肝心な人物がいないからだ。

「まぁた、お嬢は来てねえのか」

 苛立たしげにゼークは、腰に()いたままの自身の剣を片手で揺り動かした。

 翼人の世界でも、いつも余計な一言の多い者もいる。これに関しては、人間の世界とまったく一緒だった。

 やや非難のこもった彼の言葉に、萌葱色の翼をしたナータンが反論した。

「仕方がないよ。侯妹(こうまい)としても忙しいんだし」

「そんなのさっさとやめちまえ」

「無茶苦茶言うな」

 硬質な女の声に一同が振り返る。

 明らかに怒った様子で、赤毛のレベッカが立っていた。その内面を体現するかのように、秀麗なはずの眉がひそめられている。

「アーデは、こことノイシュタットの板挟みにあって苦しんでいる。二度とそんなことは言うな」

「はいはい」

 相も変わらず仲が悪いなぁと一同がなかば呆れているものの、当のゼークはたいして気にした様子もなく周囲を見回した。

「レーオの野郎は?」

「〝向こう〟へ行ってる。ユーグがノイシュタット侯と一緒に出陣したからね」

「ひとりでできねえとは軟弱な野郎だ」

 またしてもレベッカの目が厳しくなったことに他の面々が冷や冷やする中、下方からの人の気配に一同は静かになった。

「やっと来やがったか」

「どうかな、なんか歩幅が大きいけど」

「どうせユーグ――は、いねえのか」

「兵士の誰かかな? アーデの伝令で来たのかも」

 こんなところに一般の人間が来るはずもない。かといって、翼人がいちいち地面を歩くとも思えなかった。

 しばらくそのまま待つと、よりはっきりと足音が聞こえてきた。

「鎧を着込んでるぞ」

「じゃあ、兵士なんだよ。ティーロもいないから、他の人だろうね」

 ナータンと同じように周りの者たちも気楽に構えていたが、その姿が見えてきたとき、驚愕に顔色を変えることになった。

 見たことのない顔。

 予想どおりその人物は人間ではあったが、思いもしない展開に場にわずかな緊張が走った。

 遠目は翼人のほうがきく。向こうはまだこちらを認識していない様子だった。

「あれ? 彼は――」

「なんだ? 知り合いか」

「というか、前に助けてもらったんだけど」

「情けねえ奴だ、人間なんかに戦いで助けられたのか」

 と言いつつ、万が一のことを考え、一同は最低限の警戒だけはすることにした。軽口を叩いているゼークも、すでに利き腕で剣の柄を握っている。

 互いの距離がかなり近づいてから、相手もようやく気づいた様子だった。

「!?」

 つかの間の沈黙。

「なっ……翼人?」

 驚きのあまり動けなくなった巨躯の男は、間の抜けた顔で幾度となく口を開け閉めした。

「やあ、また会ったね」

「お、お前は……確か」

 気軽に話しかけるナータンに、男は驚いて目をむいた。

「どうしてここにいるんだ? それも、翼人の集団が」

「ええと……」

 周囲に助けを求めて目を向けても、自分でどうにかしろとばかりに思いっきり無視された。

 困り果てて視線をさまよわせていると、さらに後方から近づく気配を感じた。

「あ――」

 助かったとばかりに、離れた位置に見える女性を待つことにした。

 未だ答えを待っている男は、怪訝な顔でナータンの視線を追った。

 そして、硬直した。

「どうしたの、ナータン。尻尾を摑まれた犬みたいな顔をして」

「ひどい表現だ」

「実際、そうじゃない。尻尾を摑まれてたんでしょ」

 やってきたのは、いつもより動きやすい服装をしたアーデだった。

『ひとを悪人みたいに……』などとぶつぶつ文句を言っているナータンは放っておいて、動けないでいる男の隣を、そうすることがさも当然そうに通り過ぎた。

「あっ、アーデ様!?」

 それまで硬直していた男が、弾かれたように叫んだ。

「なんだ、ヨアヒムか」

 横目で見やるだけでほとんど相手にしようとせず、そのまま進もうとした。

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「何?」

「どういうことですか! どうして姫がここにいるのです!?」

「あなたこそ、どうしてここに?」

「私のことなどどうでもいいのです! おかしいではないですか、アーデ様が翼人と一緒にいるなんて!」

「おかしくなんかないわ。普通のことよ」

「なっ……!」

「なんでいちゃいけないって思うの?」

「なぜって、姫は侯妹であって――」

「あなたもオトマルと同じことを言うのね」

 嘆息しつつ言うアーデの態度よりも、ヨアヒムはその内容に重ねて驚いた。

「同じこととは……オトマル卿もこのことを知っているということですか!?」

「そうよ。そこにいるレベッカともすでに友達よ。ね?」

 朱色の翼をしたレベッカが、小さく頷いた。

 声にならない悲鳴を上げつつ、それでも気丈に元騎士はぎりぎりのところでこらえた。

「あ、う……フェリクス様はどこまでご存じなのです!?」

「何も」

 今度もきっぱりと言い切り、さすがのヨアヒムも地団駄を踏みそうになった。

「アーデ様はいったい――」

「今度は私の質問に答えて。ヨアヒムは、どうしてこんなところにわざわざ来たの?」

「あ、ああ、話せば長くなるのですが――」

「短くして」

「……端的に言うと、旅の途中、翼人と協力する者たちと出会ったのです。それでノイシュタットへ急ぐと言ったら、とりあえずここへ行ったほうがいいと……」

「うちの連中かしら?」

「いえ、ここにはおりません。あとから、遅れてやってくるはずです」

「どんな――あ」

 ひとつの足音が聞こえてくるのを、耳はいいアーデが察知した。他の翼人たちはすでに気づいていたようだった。

 梢の向こうに見えるその姿は、驚くべきことに捜し求めていた人物のそれだった。

「ベアトリーチェ!」

 疲れた様子ではあったが、特に怪我をした様子もなく無事なようだ。

 相手もアーデのほうを認識し、力なく微笑んだ。

「すみません、ご心配をおかけしました」

「もう! どうしてアーベルと消えたの!?」

「彼のためによかれと思って……」

 とはいえ、どんな言い訳をしようと、無断の離脱、しかも捕らえた人物を解放することなど本来許されることではない。ベアトリーチェは、こころの底から申し訳なさを感じ、うつむいた。

「まあ、いいじゃない、アーデ。無事だったんだし」

「ナータンは黙ってて。ずっと心配してたんだから」

 さみしがりやの猫のような顔をするアーデは、ベアトリーチェの顔色を見て、さらにその表情を険しくした。

「だいぶ疲れてるんじゃない? 〝(イーリス)〟の連中にひどいことされなかった?」

「ああ、これは急いで来たので……」

 汗をかいているだけではない、その様子からして明らかに疲労が蓄積しているように見えた。

 原因は明らかだった。

「申し訳ない、私が急ぎすぎたか」

「もう、ヨアヒム! あなた、騎士のくせに女性を急かすなんてどういうことなの!? まったく、ノイシュタットの騎士は淑女(レディ)の気持ちがわからない唐変木ばかり。ユーグの奴も――」

 ぶつぶつと文句を言いだしたアーデに、それでも騎士らしい騎士であったヨアヒムは律義に応えた。

「いえ、早急にフェリクス閣下にお伝えしなければならないことがあって……面目しだいもございません」

「それで、伝えたいことって?」

「……ここでは申し上げられません。フェリクス様に直接」

「お兄様ならいないわ」

「はい?」

「もう出陣された。共和国との戦よ」

 戦、という言葉に、ヨアヒムのいかつい肩がわずかに揺れた。

「もう、そこまで……!」

「そこまで?」

「実は、わたくしは共和国へ行っていたのです。そこで不穏な話を耳にし、ノイシュタットの皆へ注意を促そうと」

「無駄足だったようね。でも、私にはちょうどいい。あなたにも手伝ってもらうわ」

「は?」

「ナータン、説明してやって」

 めんどくさいからこっちに投げたな、と相手の本音を察知しつつ、あえて余計な言葉はのみ込んで、引き受けた萌葱色の翼は口を開いた。

「ヨアヒム、だったかな? 君が考えているよりもずっと、人間と僕たち翼人の協力関係は進んでる」

「…………」

「僕たちは、ひとつにまとまっているんだ。〝新部族〟としてね」

 有り得ない手品でも見せられたかのような顔で、ヨアヒムは立ち尽くしていた。

 すぐに理解しろというほうが無理だ。それは周囲もわかっている。

 だが、ヨアヒムは驚いた様子は見せず、かつて主君と仰いだ男の実妹に向き直った。

「――アーデ様、では、私に何をやれと?」

「今にわかるはずよ。ひょっとしたら、すぐにでも動いてもらうかもしれない」

 要領を得ない回答にかえって困惑の度合いを深め、ヨアヒムとしては頭を抱えるしかなかった。

「つまり、私もここに残れということでしょうか」

「物分かりがいいじゃない、ヨアヒム。そういうことよ」

 低くうなったきりうつむいてしまった元騎士を放っておいて、アーデはベアトリーチェのほうに向き直った。

「とにかく無事でよかった」

「それで、ヴァイクは――?」

「ああ、彼なら前に出ていったきり、まだ帰ってないけど」

「そう、ですか」

 ヴァイクにこそ、一番心配をかけてしまった。謝らなければならないが、この場にいないという現実に不可解なほどの悪い予感が胸をよぎった。

 ちょうど会話が途切れた一同に、三度、近づいてくる影があった。この辺りでは珍しい(ひづめ)の音を耳にしてそちらを見やると、一頭の馬が見えた。

 その上にはフードをかぶった少女の姿、そして手綱を引いているのはしかめっ面の男だった。

「あ、セヴェルスさん」

 当の男とメルはベアトリーチェの姿を認め、表情を変えた。

「戻ってこれたのか」

「はい、〝(イーリス)〟の皆さんはけっして悪い人たちじゃありませんでした。みずから解放してくれたんです」

「それで、ジャンは?」

「実は……」

 わずかに言いよどんでから口にした内容に、セヴェルスはいつもの通り激昂した。

「なんだと!?」

「どうしてもイーリスに残りたいということだったので」

「あいつは何を考えてるんだッ!」

 怒りたくなる気持ちもわかる。だが、ジャンの思いも理解しているだけに擁護に回らざるをえなかった。

「セヴェルスさん、ジャンさんの気持ちも察してあげてください。どうもアーベルに――黒い翼の子に可能性を感じたようなんです」

「そんな問題か! あいつ、自分が殺されかかったくせにどういうことなんだ」

「アーベルは迷っています」

 ベアトリーチェの一言に、セヴェルスだけでなく新部族の面々も反応した。

「というか、もがいているんです。自分でも現状をどうにかしたいけど、どうしたらいいかわからない。それで苦しくて、つらくて暴れてるんです」

「それは、あのガキの問題であってジャンの問題ではないだろう!」

「でも、セヴェルスさん。そういう時期って誰にでもあるんじゃないですか?」

 自分の手のひらを見る。

 何もしてこなかった手。

 何もしてあげられなかった手。

 周りから受け取るばかりで与えたことがなかった。

〝母〟にも周囲にも、自分は甘えてばかりだった。

 挙げ句に、幼い子にさえ何もしてあげられず、その命の灯火が消えていくのをただ見ていることしかできなかった。

 ただ無力で、弱かった。

「私も、ついこの間まではそんな感じでした。いいえ、もっとひどい。大事なことに気づきもしないから、悩みもせずに毎日をのうのうと生きてた」

「…………」

「アルスフェルトが襲撃されてからこれまでのことはつらいことばかりだったけれど、それを乗り越えたら、やっと自分自身が見えてきた気がするんです」

 自分の行く先が見えないから不安と不満で荒れて、周りもみずからも傷つけていく。セヴェルスにも、確実にそういった経験はあった。

「きっと放っておけないと思うんです、アーベルを。無茶で、危なっかしくて、それでもあきらめずにがんばってる。私には、ジャンさんの気持ちがわかります」

「しかし」

 セヴェルスを遮るようにして声を発したのは、馬上のメルだった。

「ジャンさんを信じましょう」

「メル……」

「セヴェルスさんが信じてあげなきゃ、ジャンさんがかわいそうです」

「そういう問題か!?」

「はい、ジャンさんのことを一番よくわかっているのはセヴェルスさんじゃないんですか? 一番近しい人に認めてもらえないなんて、悲しすぎます」

 少女の真摯な物言いに、男は返す言葉がなかった。

 一連の成り行きを見守っていたアーデは、人の悪い笑みを浮かべて、ベアトリーチェに耳打ちした――わざとセヴェルスに聞こえるように。

「彼のことはメルに任せておけばいいようね」

「そうですね」

 そんな風に小声で話す二人の様子を見て、ナータンがやや不思議そうな顔で独りごちるようにして言った。

「そうしていると、なんだか姉妹みたいだね」

「え? そう?」

 なぜかアーデは嬉しそうに微笑んだが、ベアトリーチェとの会話が確実に聞こえていたセヴェルスはひどく不機嫌だった。

「ちっ、どいつもこいつも。そういうことなら、俺たちはもう行く」

「行くってどこへ?」

 と、アーデ。

「ヴィトーリオとかいう奴のところだ。メルの足を今度こそ診てもらう」

「そっか。じゃあナータン、案内してあげて」

「いい。余計に目立つ」

「いや、駄目なんだ」

 理由を説明したのは、当のナータンだった。

「それが、ノイシュタット侯にも知られていない秘密の研究所だから、わかりづらい位置にあるんだよ」

「アーデ様、いったいそれは……」

「ヨアヒムはちょっと黙ってて。セヴェルスさん、ここは私たちに従って。万が一にもあそこの位置がばれたら、みんなが困るの」

「――わかった。元からこっちに選択権なんてない」

 未だ不機嫌を体現する彼に、アーデは苦笑した。

「それから、ジャンさんの安否をなんとか確認してみる。心配しないで」

「あいつのことなんて、もうどうでもいい。愛想が尽きた。行くぞ」

「あ、待ってよ!」

 不機嫌なままのセヴェルスは、周囲の確認もとらず勝手に歩きだした。ナータンなど、存在しないものとして扱われている。

 突如として、不穏なまでの低く大きな音が轟いたのはそのときだった。

「何……?」

 アーデが驚きを隠せないままに音のした方向を見やると、土煙が上がっていた。あれは、明らかに街区のほうだ。

 すぐさま翼人たちが上空へ舞い上がったものの、中空を漂う砂塵のせいではっきりとは確認できない。

 辺り一帯をなぶるような風が行き過ぎたとき、状況がようやくわかった。

 街の一画が燃えている。

 ぽっ、ぽっ、と炎の数が確実に増え、見る間に拡散していく。

「これは……!」

 目を凝らしてみると、方々(ほうぼう)で無数の人々が行き交い、数多(あまた)の叫声が重なり合ってひとつの巨大な波となって押し寄せてくる。

 加えて剣戟(けんげき)の音が響きだし、混乱の度合いはいやおうもなく増していく。

 それは見まごうこともない、戦いの様相であった。

「なんで、こんな……!」

 さすがのアーデも驚きを禁じ得なかった。

 ――こんなの、想定してない!

 自分はてっきり、あの者たち(、、、、、)を単純に利用するのだと思っていた。

 だが、フィズベクでの一件を思い起こせば、この状況は十分に考えられることだった。

 ――私はまたミスを。

 下唇を噛みつつ、自身の浅はかさを呪う。しかし、後悔なんてすべてが終わったあとでいい。

「例の〝(やぐら)〟は!?」

「つくってあるよ、こっちだ」

「ナータン、このほうが(はえ)えだろ」

 と言ってアーデを軽々と持ち上げたのは、黒翼のゼークだった。

 ふだんなら徹底的に抗うところだが、今がそんな状況ではないことは重々承知していた。

 高くまで上がったアーデが街区を見下ろすと、混乱はすでにその全域にまで広がっていることがわかった。

 それだけではない、各通りは人々で埋め尽くされ、もはや暴徒と市民を見分けることさえできない。

「数が尋常じゃねえぞ」

「衛兵と軍は!?」

「まだ動いてねえ。こりゃ現場が混乱してるというより、指揮官が戸惑ってやがるな」

「…………」

 ――オトマル。

 おそらくこの状況をまったく予想していなかったであろう老将を思う。今頃、事態の把握で精いっぱいで、この裏に潜む本質を疑うことすらできていないはずだった。

 アーデが空中で対応を思案する中、ゼークは山の頂上付近にある一本の大木へ向かった。そこに到着するとすぐに、真上から枝葉の広がる外部から内部へと入っていった。

 そこには、外からは見えないようにうまく擬装された櫓がしつらえられていた。いざというときのためにアーデが以前から準備させておいたものだ。

 ゼークに離してもらったアーデは軽快な足音を立ててさっと降り立ち、改めて周囲を見回してみた。

 紛糾した状況はほぼ市内の全域にまで広がり、さらに状況は悪化している。にもかかわらず、未だ軍などが動いている気配はなかった。

「アーデさん、どういうこと!?」

 あとから地上を追いかけてきたベアトリーチェらが階段を上ってきた。

「共和国の兵士がここまで入り込めるはずがない……でも、この数……」

「本当にただの暴徒なのか、これは」

「ゼーク?」

「やけに統率がとれてやがる。間違いなく、明確な目的を持って動いてる感じだな」

 言われてみれば、確かに不自然だった。無茶苦茶に暴れているように見えながら、その実、特定の箇所のみを狙っているようにも見える。

 それは――

「館……?」

 その言葉に反応したのはナータンだった。

「あれって商館じゃないの?」

「商館?」

「たぶん、そうだったはずだけど」

「そいつの言ってることは正しい」

 いつの間にか、背後にセヴェルスがいた。

「あのうちのいくつかに行ったことがある。ある商人に少し世話になったからな。自分が実際に見たところは憶えている」

「なんで商館を……」

 その疑問に、セヴェルスの顔が呆れたようになった。

「あんたは侯妹なのにそんなことも知らないのか。ノイシュタットは、商人のやりすぎでいろんなことが狂ってる。メルの村もそれで大変なんだよ。途中、村人全員が自害したところもあった。ひょっとしたらリファーフの村だって、それが最初の原因かもな」

 ――そうだった。

 一連のことについては、ヴィトーリオからすでに報告を受けていた。

 行き過ぎた交易によって全体の均衡が崩壊。

 結果、大もうけする商人がいる一方、貧民が爆発的に増え、彼らの鬱屈した思いはつのりにつのっていた。

 兄フェリクスもそのことに苦しんでいる。フィズベクの反乱も、半分はそういった共和国以外の要因が引き金になった。

 ――どうする? 自分たちが動くべきなのか――

 考え込むアーデの隣に、腕組みをしたゼークが立った。

「俺たちじゃ手を出せねえぞ。あくまで人間同士でやり合ってんだからな」

「ダスクが裏で糸を引いているのは間違いない。でも、原因がノイシュタット側にもあるなら、暴れている彼らを悪と断ずることもできない……」

「難儀なものだな。お嬢はこうなることを予想してなかったのか?」

「してない。私はてっきり――」

 だが、言い訳などできなかった。フィズベクの暴動を裏で操っていたのが共和国ならば、似たような事態を想定できたはずだ。

 今は打つ手がなかった。城であわてふためいているであろうオトマルの姿が目に浮かんだ。

 ――お願い、オトマル。的確に動いて。

「アーデ様」

 それまで黙って付き従っていたヨアヒムが、おもむろに口を開いた。

「私は城へ行ってみます。ともかく、またのちほど」

「ヨアヒム、大事なことはすでにオトマルには伝えてある。だけど、この状況は想定を超えているとだけ言っておいて」

「わかりました」

 新部族のことにすべて納得したわけではないが、今は迷っているときではなかった。

 ヨアヒムは身を翻すと、櫓を降りて駆け去った。

 眼下における状勢は、時を追うごとにその混乱の度合いを増していく。人々が逃げ惑い、罪なき民まで倒されていくのがわかっていながら、何もできない。

 ――また見ていることしかできないの?

 ただただ、己の無力さに打ちひしがれる。

 今、新部族は、人間同士の戦いには介入できないという根本的な課題に直面していた。

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