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第八章 第四節

 緑なす丘の向こうから射し込んできた曙光(しょこう)が樹木の間を抜け、奥へ奥へとゆるやかに、しかし、確実に進んでいく。

 朝露に濡れた草葉が小さく輝きだし、明滅の合図を受けた生命がいっせいに動きだす。

 光の胎動は強く、大きかった。

 夜明けだ。

 それは新しい世界の始まりと同時に、人々の新しい別れをも意味している。豊かな森の端で、人間と翼人の風変わりな集団がたむろしていた。

「じゃあ、ベアトリーチェ。ヴァイクたちにはよろしく伝えて」

「ヴァイクはわかってくれると思うんですが、セヴェルスさんは……」

「うぅむ」

 ジャンが深刻な表情で、腕組みしてうつむいた。

 村へ帰らなかったことで、ただでさえセヴェルスは不機嫌だ。そのうえ、得体の知れない翼人の集団に残ったとなれば、彼の怒りは最高潮に達するだろう。

 その憤怒の形相が目に浮かび、ジャンはひとり震えた。

「ま、まあ、うまくごまかしといてよ。とにかく、こっちは大丈夫だと」

「はあ」

 ごまかしがきく相手とはとても思えないが、真実を正直に話すしかないだろう。意外と頑固なジャンが、今さら決めたことを曲げるとも思えなかった。

 会話が途切れたところを見計らって、ヨアヒムが割って入った。

「もう行こう、ベアトリーチェ殿。私も急ぐ理由あるんだ。それも、かなり危急の」

「わかりました」

「待て」

 別れを告げようとした二人を止める硬質な声があった。

 振り返ると右手に、黒い翼の少年がいた。

「アーベル」

「最後に……どうしても聞いておきたいことがある」

 相も変わらず不機嫌な顔のまま、しかし瞳には真摯な輝きをたたえて言った。

「あんたは、なんで翼人と一緒にいるんだ。何が目的なんだ。結局、それを聞いてなかった」

 シンプルだが根源的な問い。

 その答えも簡潔なものだった。

「わからないわ」

「わからない? あんたは、自分でわかってないのに翼人と一緒にいるのか?」

「そうよ。というより私自身、その答えを見つけるためにヴァイクたちと行動してるのかもしれない」

「だが、それは変だ。当たり前のことならともかく、普通じゃないことをたいした理由もなくできるわけがない」

「たいした理由はあるの」

「……なんだ?」

「その答えを求めたい、自分でも明確な答えが欲しい。だから、動きつづけてる。周りからおかしいって思われても」

 眉間のしわがさらに深くなったアーベルに向き直った。

「アーベル、それはあなたも同じじゃない。だから、ジャンや私をここへ連れてきて、そしてマリーアの世話をしてるんじゃないの?」

「…………」

「自分の求める答えがいつ得られるかは、私もわからない。ううん、ひょっとしたら一生得られないかもしれない。けど、私は立ち止まることだけはしたくないって思ってる。昔の自分があまりにも……駄目だったから」

「でも」

「アーベル、あなたもきっと――」

「わからない」

 その声は頑なで、どこか苛立ちを含んでいた。

「僕には、明確な理由もないのに必死になって動くなんてできない。だって、おかしいじゃないか! 人が行動するのは、何か目的があってするはずだ。目的がないのに頑張るなんて、水の中で意味もなくもがくのと一緒だ!」

「そう、だからそれが――」

「自分の答えも見つけてない奴が偉そうに語るなッ!」

「!」

 ベアトリーチェの動きが止まった。

「自分だって迷っているくせに、僕のことだけ悪く言うな! 僕は、僕は、少なくとも答えが見えかかった人の意見を聞きたいんだ……」

 ――それはそうだ。

 あしざまに罵られたというのに、ベアトリーチェは至極納得していた。

 自分の存在理由をうっすらとさえ自覚できていないというのに、なぜ他者にそのことを語れるというのか。アーベルの指摘は、まったくもってそのとおりだった。

 だが、反駁の声が意外なところから上がった。

「アーベル、お前の言っていることは半分正しいが、半分勘違いしている」

 はっとして顔を上げると、奥の陰から紅い翼の男が歩いてくるところだった。

「アセルスタン……」

「お前は答えが欲しいという。だが、『なんのために生きるか』という問いに、明確な答えを見出した奴なんて存在しない」

「…………」

「いるとしたら、それは死者だけだろう。もっとも、それは考えなくなる、理由を求めなくなるという意味でしかないがな」

 アセルスタンは、アーベルの前で静かに立ち止まった。

「みんな迷いながら生きている。苦しんでいるのはお前だけじゃない」

「――でも、僕は明確な答えが欲しい。自分がぶれずにすむ生きる指針が欲しい」

「その思いも、みんな一緒だ。だが、得ようとして得られるもんじゃない」

「…………」

「少なくとも、答えがわからないからって、苛立って周りに不満をぶつけるのは間違いだ。そうじゃなくて、ひたむきに生きてみるんだな、そこの女のように」

 そう告げたアセルスタンは、なぜか自嘲気味に(わら)った。

「もっとも、本当はこの俺にそんなことを言う資格なんてないんだが」

 かつての自分は迷うどころか慢心におぼれ、ヴァイクやこのアーベルのようにみずからを振り返ることすらなかった。

 その、いかに滑稽なことか。内心、赤面しそうな部分さえあった。

「…………」

「アーベル、思い悩んで足を止めるのは愚かなことだとは思わんか?」

「僕は、迷いながら進めるほど強くない……」

「だったら強くなれ」

「…………」

「弱い自分を肯定したら先がなくなる。お前はまだまだ鍛練が足らないようだからな、ここで俺が鍛え直してやる」

「なんであんたなんかに……」

「一度はこてんぱんにされた相手にやり返したいとは思わんのか? それとも、そういう気持ちが起きないほどお前は弱いのか」

「――その偉そうな減らず口、僕が力ずくで塞いでやる」

「それでいい」

 アーベルがその身に不似合いな大剣を抜き、すでに準備ができたアセルスタンに正対した。

「どうせ、お前だって答えを見出せてないんだろう! お前らの言うことは全部詭弁だって、体でわからせてやる」

「なんだ、威勢だけはあるじゃないか」

 二人が正面から剣を打ち合わせた。激しい火花が散り、特有の甲高い音が森閑(しんかん)とした朝の空間に響き渡る。

「おいおい……」

 ベアトリーチェたちの見送りに来たはずが妙なことになった、とジャンは頭を抱えた。

 アセルスタンとアーベルの二人にやめようとする様子はまるでなく、かえって戦いの激しさが増していく。稽古などという次元の代物ではない。もはや、ほとんど実戦だった。

 しかし、その優劣は誰の目にも明らかだ。アーベルがやっきになって襲いかかっても軽くいなされ、力業(ちからわざ)でも簡単に押し返される。

 まさに、大人と子供の戦いだった。

 ――アーベルも、本当は強いんだろうけど。

 アセルスタンが圧倒的すぎるのだ。片方の翼がないというのに、体のバランスが崩れることはまったくなく、それどころか片手のみで相手の攻撃すべてに対応している。

 にもかかわらず、その軸足の立ち位置はまったく変わっていなかった。

 あのヴァイクが一目置くのもわかるというものだ。

「アーベルだったか、貴様は剣術の基本さえなってない。よくそれで今まで生きてこられたものだ」

「うるさいっ! 僕だって、僕だって、それでも必死になって戦ってきた!」

「これからもそうとは限らない」

「くっ……!」

「本当に生きたいなら、答えを求めつづけたいなら――それに仲間を守りたいなら、もっと強くなることだ。そのためにもっとも手っ取り早いのが、俺の言うことを聞くことなんだよ」

 アセルスタンの物言いはぞんざいだが、なぜか不快な印象はない。

「自分の弱さを自覚しろ。お前は己の自尊心を守る前に、人に教えを請う素直さを身につけることだな」

「…………」

「俺だって、先達に教えてもらわなければこの技量を得ることはできなかった。昔の傲慢だった頃でさえ、それくらいはわかっていたぞ」

 剣を一振りしたアセルスタンが切っ先を下げると、突然アーベルが突っ込んでいった。

「おいおい、アーベル!」

 ジャンは驚くものの、当の赤い翼は薄い笑みを顔に浮かべていた。

 ――そう来ると思っていた。

 昔の自分が同じ立場なら、かならずそうしていた。

 ――そう、族長メイヴに対して。

 この程度やられたくらいで泣き寝入りするくらいなら、かえって見込みが薄いというもの。

 剣と剣とが打ち合わされた瞬間、互いの鍔の近くでピシッと細い木の枝が折れるような異音が響いた。

「!?」

 敏感に反応したアーベルが、さっと飛びのいた。

「どうして……」

「自分でわからないのか? 柄が壊れたんだ、それに刀身を固定する留め金も」

「…………」

「今までろくに手入れをしてこなかったな。無茶苦茶な奴だ」

 あまり人のことは言えないことを自覚しつつ、ふと剣のことで思い出したことがあった。

 ――そういえば、ヴァイクのほうは大丈夫だろうか。

 リベルタス。

 かつての、己の分身たる愛剣。今は〝剣違(つるぎたが)え〟をしてヴァイクの得物となっている。

 ――だが、あの頃の俺は自暴自棄になっていた。

 戦いに負け、翼を失い、部族を追放されて何もかもどうでもよくなった。無論、剣の手入れなど一切していない。

 逆算して考えれば、そろそろガタが来てもおかしくない頃合いだった。

 ――まあいい。あいつのことだ、自分でなんとかするだろう。

 不思議と、彼の周りには仲間がいる。たとえ自分でどうにかできなくとも、自然と誰かから救いの手が差し伸べられるはずだった。

「いつから使いつづけているんだ?」

「……一カ月前」

「何? どういうことだ?」

「僕は、自分の剣なんて持ったことはない。成人儀礼の前に部族が滅んだ――ヴォルグ族のせいで」

「――――」

 そうか、そういうことか。

 この未熟さ、その裏面である激しさに納得がいった。ほとんどまともに稽古を受けていないのなら、すべて我流になっても無理はなかった。

 否、むしろ我流で今まで生き残ってこられただけでも驚嘆すべきことであった。

 ――そして、こいつはヴォルグ族の犠牲者。

 ならば、なおのこと自分がその責任の一端を負わなければならない。

 アセルスタンは、このアーベルが自立するまで見届ける覚悟を決めつつあった。

「じゃあ、今まで倒した相手の剣にその都度変えていったのか。感心せんな」

「でも、僕が生きていくためには剣が――」

「そういう意味じゃない。剣というものは、振るっていくうちにだんだんとその持ち主の手になじんでいくものだ。いや、使い手のほうが剣に少しずつ合わせていくといったほうが正確だな。お前は、できるだけひとつの剣を長く使いつづけるべきだった。そうしていれば、自分に合った本当の剣が今頃はっきりとわかっていただろう」

「…………」

 ――だが、驚嘆すべきはその順応性。

 通常なら、己の得物をまったく別の剣に変えたら、それに慣れるまで長い月日が必要になる。というのに、このアーベルという少年はほとんど苦もなくあらゆる剣を使いこなしてきた。とにもかくにも、これまでなんとか生き残ってきたことが、それを如実に物語っていた。

「しょうがない、しばらくこれを使っていろ」

「え?」

 鞘に収められた〝レア・シルヴィア〟が、ぞんざいに投げつけられた。あわててそれを受け取ったアーベルが目を丸くしている。

「……いいのか?」

「お前は、これからも戦いをやめるつもりはないんだろう? だったら、剣が必要なはずだ」

 言いつつ、アセルスタンはアーベルが使っていた剣を持ち上げた。

「こっちは、俺が直しておいてやる」

「なんでそんなことを……」

「部族にいた頃、伯父の刀鍛冶に基本は叩き込まれた。さすがに新しい剣を鍛えることはできないが、修理くらいなら俺でもできる」

「そうじゃない。なんで僕に……そこまでしてくれるんだ」

 不意の問いかけに、アセルスタンはしばらく間を置いてから答えた。

「ただの気まぐれだ」

 そう言って、森の奥へと向かっていく。

 アーベルはレア・シルヴィアを両手で握りしめたまま、その後ろ姿を見つめていた。

「あっ、そうだ」

 一緒になって考え事をしていたジャンが、弾かれたように振り返った。

「ベアトリーチェたちは、もう出発したほうがいいと思うよ。あの調子だと、いつまでつづけるかわからないし」

 それに答えたのは、ヨアヒムだった。

「ああ、もういい加減に行こう、神官様。どうやら、彼らのことはジャンやあの翼人に任せておけば問題ないようだ」

「はい。――ああ、そうだ。伝えるのが遅れましたが、私はもう神官の職を辞しました」

「辞めた?」

「ええ、話すと長くなりますが、これまでとは違った形で信仰の道を進むことにしたんです」

「そうか、それもいいだろう。実は、私も似たようなものなんだ」

「ヨアヒムさん?」

「ノイシュタットの騎士を辞した、あの帝都騒乱のあと。だから、今は放浪の身で――」

 と、そこまで言ってから、はっとした。

「そうだ、そのノイシュタットがこれから大変なことになるかもしれない。そのために、急ぎ私は戻ってきたんだ。事情については追々お話ししよう」

「わかりました」

 ヨアヒムの態度に尋常ならざるものを感じ、ベアトリーチェも表情を真剣なものに変えた。

 だが、そんな彼らにまるで気がつかない様子で、アーベルはただ紅色の翼が消えていった森の奥を見つめつづけるのだった。

 その手には、未だ女神の剣が握られている。

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