第五章 第五節
シュラインシュタットに着いてから二日目の朝は、恐ろしく慌ただしいものになった。
ベアトリーチェがいない。さらに、捕らえたアーベルの姿まで消えていた。
「彼女がこんなじゃじゃ馬だとは思わなかったな」
「セヴェルスさん、そんな言い方は……」
口が過ぎる弓使いを、メルがたしなめた。
「ベアトリーチェのせいじゃない! あのアーベルが騙したんだ!」
ヴァイクは昨日の夜、彼女の姿が見えなくなったときから悪い予感はしていた。朝になってからどうしたのか本人に聞こうと思っていたのだが、結果的には遅かった。
「町の周辺はどうだった」
「いなかった。アーベルが連れ出したんだから、この辺に留まってるはずがない」
「そりゃそうだ」
「気軽に言うな! ベアトリーチェの命がかかってるかもしれないんだぞ!?」
「落ち着け。もしあの黒い翼の奴が彼女を用済みだと判断したなら、牢を出たその時点で殺していたはずだ。そうしなかったということは、別の目的があるんだろう」
「それがベアトリーチェの安全を保障してるわけじゃない!」
それはそうだと思いつつも、セヴェルスは内心、取り乱すヴァイクを面白がって眺めていた。
この男が冷静さを失うのは日常茶飯事だが、ここまでおかしくなっているのはなかなかの見ものだった。
「まあいい。とにかく、すぐに捜すぞ。どっちみちジャンを見つけ出さなきゃいけなかったんだ」
「待て」
「なんだ」
「むやみに捜しても無駄だと言ったのはお前のはずだ。ここは、新部族の連中の手を借りたほうがいい」
まだ仲間になるとも決めていない組織に頼るのは癪だったが、もはやなり振り構ってはいられなくなった。セヴェルスの言うとおりにするしかない。
地下アジトを出ていこうとしたとき、ちょうどその新部族のメンバーが中に入ってくるところであった。
心境の変化でもあったか、なぜかアーデの前を進むユーグがヴァイクに問われる前に答えた。
「こっちも駄目だった。少なくとも侯都の中にはいない」
「あの男が連れていったんだ。こうなったら、しらみ潰しにでも捜すしかない」
というヴァイクの意気込みに答えたのは、女の声だった。
「そうね。私たちも、できるかぎり協力する。でも、どこまで可能かはわからない」
「なぜだ!?」
「……南方で、また反乱が起きたのよ」
アーデが暗い顔のまま答えた。
「しかもそれだけじゃなくて、その地域の翼人の動きが何かおかしい」
「翼人?」
「うん、部族なのかはぐれ翼人なのかはまだわからないけど、どうも何かを狙ってるみたい」
「それで、我々はそちらの調査にも出向かなければならない。フェリクス様――ノイシュタット侯が御みずから出陣することにもなったくらいだからな」
アーデが落ち込むのも無理はないと、ユーグはちらりと隣に目を向けた。
絶好調に思われたノイシュタットも今や無数の問題を抱え、舵取りが極めて難しくなっている。そこへ、今回の一件だ。対応を誤れば、侯領の根幹に打撃を与えかねなかった。
「もういい。俺はすぐに出る」
「定期的にここへ帰ってきて。お互いに情報交換しながらやったほうが、効率はいいはず」
「わかってる」
吐き捨てるように言って、ヴァイクは憤懣やるかたない様子で外へさっさと出ていった。
「じゃあ、俺も行く。メルのこと、よろしく頼む」
セヴェルスも荷物を抱え上げた。
「ええ、任せておいて。とにかく落ち着いたら、研究所のほうへかならず連れていくから」
「メル、ここでお別れだ」
「セヴェルスさん……」
悲しみさえ宿った目を、メルは男に向けた。
「そんな顔をするな。どうせ、また戻ってくる」
「はい」
少女の見送りを受けて、セヴェルスはヴァイクのあとを追った。
「一気に慌ただしくなってしまいましたね」
「ユーグ、それは今に始まったことじゃないでしょ。少なくともカセル侯が動き出してから、ずっと世の中は落ち着いてなんかいない」
否、この帝国の発祥より真に平和だった時代などないのかもしれない。今、ついにそのすべてのつけが表面に出はじめただけだ。
――お兄様。
先のフィズベクでの暴動、そして帝都騒乱でも紙一重だったと聞く。今度もうまく切り抜けられるかどうかは誰にもわからなかった。
――もう、ただ待つだけなんて嫌。
「ユーグ、南への手配は?」
「すでに斥候を送ってありますよ、もちろん人間と翼人の両方を。私も、今回はフェリクス様に同道します」
「そう。じゃあ、あとは具体的な策を練るだけね」
アーデの瞳が輝いた。陰ながら支援する方法ならいくらでもある。今回ばかりは最大限、新部族の力を活用するつもりだった。
なんの皮肉か、アジトの外は晴れ渡っている。天から下る光のゆく先はどこか。




