第0話 初めて海賊に襲われた
これは旅に出てから少し先の、僕の話だ。
僕は怖がりだ。
波の音も少し怖い。夜の海なんてもっと怖い。
それなのに今の僕は、見渡す限りの海のど真ん中にいる。
十五歳の誕生日に、魔物に襲われた。その日から僕には、変な力が宿った。
初めて体験したことを力に変えられる。【経験変換】という力だ。船酔いも、死にかけた恐怖も、全部。
けれど、その力が目を覚ますのは、いつも決まって怖いことの真ん中だった。だから僕は、怖がりなのになぜか毎回、怖いことの真ん中に立たされる。
今は行方の分からない父さんの手帳を頼りに、旅の途中だった。
「ノアー! 見て見て、ここ、すっごく高い!」
頭の上から元気な声が降ってきた。
見上げると、帆柱のてっぺんにある見張り台から、金色の髪の少女がぶんぶんと手を振っている。
島で出会った僕の相棒のリーナだ。強気で無鉄砲で、いざという時は誰よりも頼りになる。
「リーナ! 景色ばっかり見てちゃ駄目だよ! 見張りなんだから!」
「分かってるってば!」
「見張りは、目を離すな」
舵のそばで、ハーゲン船長がぼそりと言った。
「居眠りしたら、下ろすぞ」
「しませんってば! 船長、私のことなんだと思ってるの!」
甲板の船乗りたちが、どっと笑った。
僕も笑いながら、手元のロープに目を戻した。ルナリア島を出たのは昨日のことだ。港で毎日やっていたロープの手入れは、船の上でも手が勝手に動いてくれる。
腰には、港の親方が編んでくれた縄の鞭と母さんの小刀。胸元には、ミナがくれた貝殻のお守り。
それに、最初の船酔いで覚えた【平衡感覚】のおかげで、揺れる甲板の上でももう平気だった。
そんなのどかな昼下がりだった。
「ノア!」
不意に頭の上から、リーナの声が鋭く飛んできた。さっきまでの、のんびりした声とはまるで違う。
「後ろの海に、船が二つ! 前の黒い帆の船を、白い旗の船が追いかけてる!」
僕ははっと顔を上げて、船の後ろを振り返った。
水平線の近くに、確かに二つの船影が見えた。
一つは、不気味な黒い帆を張った細長い船。もう一つは、少し離れた後ろから白い帆をいっぱいに張って追っている、旗を掲げた大きな船だ。
ハーゲン船長が舵を握ったまま、目を細めた。
「……白い旗は、王国軍だ。追われているのは、前の黒帆か」
船長の顔がみるみる険しくなった。
「海賊だ。……しかも、こっちへ向かってくる」
黒い帆の船は、必死に波を切ってこちらへ向かってくる。
けれど、その後ろの王国軍の船はさらに速かった。見ているだけで、じりじりと距離が詰まっていくのが分かる。
「黒帆は、軍に追いつかれる」
ハーゲン船長が短く言った。
「だから逃げ場を探してる。……この船に、横付けする気だ」
「え、どうして僕たちの船に……?」
「軍が手を出せなくなるように、手近な船を盾にするつもりだろう」
船長は舵を握る手に、ぐっと力を込めた。
「こっちは荷を積んでる。黒帆からは逃げ切れん」
船長は甲板の船乗りたちを、ぐるりと見渡した。
「荷は渡してもいい。だが、人は渡すな。軍が来るまで持ちこたえろ。……船は、壊すなよ」
「はい!」
船乗りたちが太い木の棒を手に、一斉に身構えた。
僕も、腰の鞭に手をかけた。
心臓がどくどくと暴れている。喉がからからに渇いていく。魔物なら、怖がる暇もなく襲ってくる。
けれど、人間は違う。笑って近づいてきて、武器を構えて、目を合わせてくる。それが魔物よりずっと怖かった。
それでも足は、少しも震えなかった。
怖いまま、僕は甲板の真ん中に立っていた。
次の瞬間、轟音とともに黒い帆の船が僕たちの船の横に、がつんとぶつかってきた。
ひゅん、ひゅんと風を切る音がして、先に鉄のかぎが付いた綱が何本も船べりに食い込んだ。
「乗り込め!」
野太い声が響き、綱を伝って海賊たちが甲板になだれ込んできた。
十人ほどだろうか。日に焼けた肌に汚れた服。誰もがぎらぎらした目で、剣や短い棒を握っている。
最後に、ひときわ大きな男がどんと甲板に降り立った。
赤いひげを生やした熊みたいな大男。手には、刃が三日月みたいに反り返った大きな剣。
「船ごと人質だ!」
赤ひげの男が吠えた。
「軍が一歩でも近づいたら、この船の連中を海に沈めるぞ!」
「親玉、積み荷はどうする」
手下の一人が甲板の籠の蓋を開けて、中をのぞき込んだ。
「……うげ。干した魚と、果物だ」
「そんなもんどうでもいい! 人質だ、人質!」
あんまりな扱いに、思わず肩の力が少しだけ抜けた。
けれど、笑っている場合じゃなかった。
海賊たちが一斉にこちらへ向かってきたのだ。
甲板はあっという間に乱戦になった。
最初に襲いかかってきた二人のうち、一人に向かって僕は鞭を振った。縄が足首にくるりと巻きつく。思いきり引くと、海賊はひっくり返って甲板をずるずると滑った。そのまま船べりの隙間から、ざぶんと海へ落ちていく。
「あ、ノアに先越された!」
頭の上から、声が降ってきた。
リーナだ。リーナは【跳躍】で僕の頭上をひょいと飛び越えて、帆柱の横木を蹴ってさらに高く跳んだ。金色の髪が風にふわりと広がる。
「私は、二人目から数えるね!」
そのまま海賊たちの頭の上から、島の漁で使っていた銛を構えて降ってきた。
「せいっ、せいっ、せいっ!」
銛が目にも止まらない速さで何度も突き出される。【連突き】だ。三人の海賊がまとめて船べりの外へ押し出されていった。
「二人目、三人目、四人目! 海に落ちる人は、順番に並んでねー!」
「リーナ、数えてる場合!?」
「だって、数えたほうが楽しいじゃない!」
船乗りたちも太い棒を振り回して頑張っていた。けれど、海賊の数のほうが多い。
甲板の奥で、一番年上の船乗りのおじいさんが二人の海賊に追い詰められているのが見えた。
助けに行かなきゃ。でも、甲板の真ん中は海賊で埋まっている。
僕は、上を見た。
かぎ付きの綱が、海賊船から船尾の近くまでぴんと張られている。
ちょうど海賊たちの頭の上を、まっすぐ渡る形だ。あれなら、甲板を踏まずにおじいさんのところまで行ける。
でも、その綱は僕の手首ほどの太さしかない。
僕は腰の小刀を抜いて、近くの別の綱をぷつりと切った。綱にぶら下がって乗り込もうとしていた海賊が、「うわあああ!」と叫びながら海へ落ちていく。
母さんの小刀は、縄を切るのにもちょうどいい。
それから僕は、深く息を吸って張られた綱に飛び乗った。
足の裏が、細い綱をとらえる。
その瞬間、綱がぐらりと大きく揺れた。
「うわっ……!」
船の揺れと綱のたわみが重なって、体が左へ傾く。足が綱から滑り落ちかけた。
下には、海賊たちの剣が、ずらりと並んでいる。
その時、視界の端に赤い光が浮かび上がった。
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◆ 経験変換 ◆
【平衡感覚】が育ちました
Lv1 → Lv2
追加効果:細い足場や不安定な場所でも、走れるようになる
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船酔いで倒れた日に生まれた力が、今、船の上で育った。
足の裏から、綱の揺れが手に取るように伝わってくる。
次にどちらへ傾くのか。どこに体を置けばいいのか。
僕は綱の上を、走り出した。
海賊たちの頭の上を風みたいに駆け抜ける。下で「綱の上を走ってるぞ!?」と、驚く声が上がった。
そのまま、おじいさんを追い詰めていた二人の海賊の背中に、綱の上からどんと蹴りを食らわせる。二人はばたばたと転んで、そこへ船乗りたちが棒を振り下ろした。
「ありがとうよ、坊主!」
「いえ!」
僕は綱の上に戻りながら、息を弾ませた。
気づけば、甲板の海賊は、ほとんどいなくなっていた。
リーナと船乗りたちと僕で、一人、また一人と海へ落としていったのだ。
「九人目、十人目! ……あれ、もう残り、親玉だけ?」
リーナが息を切らしながら、銛を構えた。
甲板の真ん中に、赤ひげの親玉が一人で立っていた。
「……使えねえ連中だ」
親玉は反り返った剣を、ゆっくりと肩に担いだ。
「ガキが二人で、えらく粘るじゃねえか。だが、海の上で俺に勝てると思うなよ」
親玉の強さは一目で分かった。立ち姿だけで、さっきまでの海賊たちとはまるで違う。
僕たちより、ずっと上だ。
「ノア、一緒に行く?」
「うん。僕が動きを止めるから、リーナは隙を狙って」
僕は綱から甲板に飛び降りて、鞭を構えた。
けれど親玉は速かった。
僕が鞭を振るより早く、大きな剣が横から風を切って襲ってきた。鞭は剣の腹に弾かれて、あっけなく宙を舞う。
慌てて引き戻した時には、もう親玉は目の前にいた。
背中が、船べりにぶつかる。
三日月みたいに反り返った刃が、僕の顔の前できらりと光った。
人に、刃を向けられた。
初めてのことだった。
心臓が壊れそうなほど暴れる。それなのに、足はやっぱり震えなかった。
その時、赤い光が視界いっぱいに浮かび上がった。
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◆ 経験変換 ◆
「初めての、海賊の襲撃」を検知
力に変えますか?
① 【武器絡め】 鞭で、相手の武器を絡め取って、手から奪える
② 【船上戦闘】 船の上や高い足場での戦いで、動きが鋭くなる
③ 【背中合わせ】 仲間と背中を合わせると、互いの守りが固くなる
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時間が止まったみたいに、親玉の剣が僕の目の前でぴたりと止まって見えた。
【船上戦闘】なら、今みたいな戦いできっと強くなれる。【背中合わせ】は、リーナとこれからも一緒に戦うなら役に立つはずだ。
でも、僕の鞭は誰かを傷つける道具じゃない。止めるための道具だ。
親玉の剣を、止めたい。
「……①だ」
選んだ瞬間、腕の中に鞭の感覚がぐんと研ぎ澄まされた。
どこに縄を巻きつければ剣を絡め取れるのか。どう引けば握る指が緩むのか。それが手に取るように分かった。
僕は、迫る刃めがけて、鞭を振るった。
縄が剣の根元にぐるりと巻きつく。そのまま手首をひねって、思いきり引いた。
「なっ……!?」
親玉の手から大きな剣がすっぽ抜けた。
剣は鞭に絡んだまま、くるくると宙を回って僕の手元へ飛んでくる。僕はそれを受け止めると、迷わず船べりの外へ放り投げた。
ざぶん、と遠くで水音がした。
「俺の剣が!?」
丸腰になった親玉が目を丸くした、その時だった。
「ノア、どいてー! いっただきー!」
上から、リーナの声が降ってきた。
僕は、とっさに横へ飛びのいた。
帆柱の横木から【跳躍】で飛び降りたリーナが、親玉の背中に両足で思いきり蹴りを叩き込む。
「うおおおお!?」
大きな体が、前へ吹き飛んだ。
そのまま船べりを越えて、ざぶんと海へ落ちていった。
「十一人目! 全員、海に落ちましたー!」
リーナが両手を上げて、くるりと回った。
「……リーナ、最後まで数えてたんだ」
「当たり前でしょ!」
その時、遠くから、角笛の音が響いた。
振り返ると、白い帆の王国軍の船が、すぐそこまで迫っていた。
軍の兵士たちが船べりから大きな網を次々と投げ入れる。海の中でぷかぷかと浮かんでいた海賊たちが、一人残らず網に絡め取られて引き上げられていった。
「放せー! 俺は海の親玉だぞー!」
網にくるまれた赤ひげの親玉が、ぶら下がったままじたばたと暴れている。
軍の船から、鎧を着た隊長らしい人がこちらへ向かって声を張り上げた。
「協力に感謝する! 海賊は全員、我々が捕らえた!」
ハーゲン船長は舵を握ったまま、そっけなく手を振った。
「礼はいらん。聞き取りは手短にしろ」
それから、ぼそりと付け加えた。
「……荷が傷む」
「荷って、干した魚と果物ですよね……?」
僕が小声で言うと、船長はじろりと僕をにらんだ。
こうして軍の人たちは、あっという間に海賊を連れて去っていった。
甲板に静けさが戻ると、ハーゲン船長が舵を離れて、僕とリーナのところへ歩いてきた。
船長は、しばらく黙って、僕の顔を見ていた。
「……お前の親父は、船の上じゃ桶を抱えて座り込んでたってのにな」
ぼそりとそう言った。
「え?」
「何でもない」
船長はそっぽを向いて、懐から小さな袋を取り出した。
「ほら、受け取れ。船を守った礼だ」
袋の中には、銀貨が五枚入っていた。
「えっ、いいんですか!?」
「やった! 海賊退治の報酬だ!」
リーナが、飛び上がって喜んだ。
「ただし」
船長が、低い声で言った。
「船に乗せる時の約束は別だ。明日から、見張りも綱の手入れも手を抜くなよ」
「えっ」
「居眠りしたら、下ろす」
「えー! 海賊を倒したのにー!」
リーナが、がっくりと肩を落とした。
「それはそれ、なんだね……」
僕は苦笑いしながら、銀貨の袋を島のみんながくれた銀貨の袋の隣に、そっとしまった。
甲板に、船乗りたちの笑い声が広がった。
怖かった。本当に、怖かった。
でも、足は最後まで震えなかった。
――この話は、三週間前の誕生日の朝、ただの怖がりな荷運びだった僕の、少し先の出来事だ。
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