34.おとぎ話なんて嫌いだけれど(クロエ視点)
「クロエ、どうかしら」
エラがクリームの乗ったケーキのような、プリンセスラインのドレスの裾を持ってくるりと回った。
――今日は、エラの結婚式だ。
「――似合っているわ。お姫様ね」
私は微笑むと、彼女の母親であるアイリス夫人の青い宝石のついた髪飾りをエラに挿した。
アイリス夫人は直接会ったことも、話したこともない。
けれど、長くシモンズ伯爵家に仕えていた使用人のマーサから、アイリス夫人はエラの名前をおとぎ話にちなんでつけたと聞いた。
ジャックと結婚したばかりの頃だ。
『必ずいつか幸せを掴めるように』――そんな想いを込めたのではないだろうかと、マーサは言っていたけれど、私はその話を聞いたときにこう思った。
「アイリス夫人はお花畑だったのね」
――だって、彼女の夫は借金まみれのあげく、彼女を殺したのだから。
私と結婚するために。
――私は、おとぎ話なんて大嫌い。
現実は、お話みたいにうまくなんていかない。
ジャックと結婚したときのことを思い出す。
王子様のような外見の男だった。
私のことを、いつも『綺麗だ』と褒めて、贈り物をくれた。
『私に相応しいのは、君のような女性だったのに』とよくこぼしていた。
『妻は地味でつまらない女だ』とも。
……文句の多い男だ、とは思っていた。
けれど、娘のことを『とても可愛い』と褒めていたのは、好感が持てた。
そのときは、エラの外見だけを褒めていたとは、思っていなかった。
ジャックと結婚した頃、私には他に上客がいた。
ルチアン辺境伯――地方貴族で、年に数回、王都にやってくるときに私を指名してくれた。
彼が私に、領地に屋敷を用意してやるから愛人として来てくれないかと声をかけてくれていた。
私は二十代の終わりで、身の置き方に迷っていた。
そろそろ、どこかで安定した暮らしをしたいと思っていた。
ルチアン辺境伯の申し出は、悪い話ではなかったので、受けようと思った。
――その矢先、ジャックの妻――アイリス夫人が亡くなった。
ジャックは私に『正妻にならないか』と声をかけた。
そして、『娘に新しい母親が欲しい。毎日泣いていて、可哀想だ』とも。
私は一人で泣く、八歳の女の子を想像した。
記憶の中の幼い自分と、その子が重なって見えた。
私の母親は、私を八歳で『銀月の大広間』に預けて去って行った。
貧民街で娼婦をしていた女だった。父親はわからない。
私に少しでもいい暮らしをさせたいと、不相応な持参金を持たせて預けたのだ。
今思えば、母なりの愛情だったとは思うけれど、当時は毎日、突然いなくなった母親を呼んで『ママ!』と泣き叫び、女主人に頭をたたかれた記憶がある。
もしかしたら。
頭にそんな考えがよぎってしまったのだ。
もしかしたら、私は、ジャックの娘の母親になれるかもしれない。
――いなくなった母親を求めて、悲しんでいる可哀想な女の子。
私はその子に寄り添って、ジャックの正妻として、正式な家族になれるかもしれない。
そうね。私は絵本を読んであげられるわ。
お客に詩を読んであげると、好評だったもの。きっと絵本だって上手に読める。
正式な夫人としてその子とお揃いのドレスを着て、家族で観劇に行くの。
そんな夢みたいなことを考えて、私は柄にもなく舞い上がっていたのだろう。
女主人に相談して、お金持ちの子どもへのプレゼントの定番だという、王女も持っている王室御用達の玩具屋の兎のぬいぐるみまで買って、私はジャックからの申し出を受けた。
『君を妻にするため、アイリスを殺した』
婚姻の届けを出した夜、ジャックにそう言われた。
『先祖から家に残されていた、毒を飲ませた』
そう言って、ジャックは私を抱きすくめて言った。
『君が届けてくれたワインに毒を入れたんだ。君も共犯だよ』
確かに、私はジャックに頼まれて、荷物をシモンズの屋敷に送ったことがあった。
『娘の誕生日プレゼントを届けてほしいんだ。付き合いでしばらく家に帰れなくて』
そう言われた言葉を真に受けてしまった。
誕生日に父親からのプレゼントがあった方が、彼の娘も喜ぶと思った。
ジャックは硬直する私にキスをして、呟いた。
『君が辺境伯のところへ行こうとするから悪いんだ。君がアイリスを殺したんだよ』
身がすくんだ。
世間は私が何を言っても信じないだろう。
私はただの娼婦で、ジャックは貴族なのだから。
私は、心の中で幼い頃別れた母親に向かって呟いた。
“ママ、あたし、男選び失敗しちゃったみたい”
女主人として屋敷へ行くと、彼の娘――エラが兎のぬいぐるみを抱いて、私を扉の影から睨んでいた。私が贈ろうとしたものと、同じ型のぬいぐるみは、ずっと抱かれていたのだろう。顔が少し凹んで、涎のあとのような染みもあった。
そこで私は悟った。兎を贈ろうとしていた私は、なんて愚かだったのだろう。
エラには、アイリス夫人が贈ったぬいぐるみがもうあるのに。
エラが生まれた時から、きっとすぐ横にあったぬいぐるみ。
アイリス夫人がエラを想って選んだ兎。
私はエラから、母親を奪ってしまった――。
私は、そう思い込んだ。
エラから母親を奪ったのは、自分なのだと。
私が買った兎は《銀月の大広間》へ持って行き、箱に入れたまま置いてきた。
私は自分自身へ発破をかけた。
それは、《銀月の大広間》へ私を預けたママが、別れるときに言った言葉だった。
『いいこと? クロエ、あんたは、やればできる子よ。ここで幸福を掴みなさい』
私はジャックの妻としてどうにかできないかと、模索した。
――けれど、帳簿を見れば赤字だらけ。
ジャックは散財を止めなかった。
『貴族の時代は終わった。だから、私は、最後の“シモンズ伯爵”として、貴族らしく楽しみ尽くしてやるんだ』
ジャックはよくそう言った。
『最後まで楽しみ尽くして、一緒に果てよう、クロエ』
そんなことまで。
私は睡眠薬を飲まないと眠れなくなった。
こんなことは初めてだった。
今までだって、なんとかやってきたのに。
今度こそ、もうお終いかもしれない。
『ここで、幸福なんか掴めるわけないわ、ママ』
夜に独り言ちて、それからはっとした。
ママが私を《銀月の大広間》へ預けたとき。
きっと、ママも同じ気持ちだったのかもしれない。
私の頭に、アイリス夫人の兎を抱いて扉の影から私を睨みつけるエラの姿が浮かんだ。
負けん気の強い幼い瞳。
まるで小さい頃、母に店に置いて行かれた時の私みたいな。
私はエラに心の中で呼びかけた。
『エラ、あんたはきっと――やればできる子よ。幸福を掴みなさい』
私は、伯爵家がなくなってもエラがどうにか生きていける方法を考えることにした。
エラはきっと美人に育つだろうけれど、《銀月の大広間》のような場所に行くのは駄目だ。
裕福な家の奥様付の使用人――そうね。そこを目指したらどうかしら。
私は、エラが独り立ちできるまで伯爵家を持たせようと、できる範囲で支出を削った。使用人も辞めさせた。
――唯一、ベテランの使用人であるマーサだけを残して。
マーサに、「エラがあなたのできることを全部できるようにして」と頼んだ。
マーサはとても優秀な使用人で、彼女と同じようにできれば、困ることはないと思ったから。そして、高額だった家庭教師を辞めさせて、代わりに私が教えることにした。
――《銀月の大広間》で私がやらされたように教えることしかできなかったけれど。
エラは思った通り、負けず嫌いで気が強くて、私が何を言っても反抗してくる子どもだった。
――当たり前だ。私は彼女から母親を奪ったのだから。
けれど「わからないの?」と言えば、必ず「わかるもん!」と唇を噛みしめて同じ返しをする。――あまりにこちらの予想通りに毎回同じ顔をするので、だんだんとそれが可愛らしく思えてきて、わざと「わからないの?」と言う自分に気づいて、私はぞっとした。
――エラを可愛らしいだなんて、私が思ってはいけないのに。
そして、エラが十を過ぎた頃。
ジャックがエラを見つめて言い出した。
『ずいぶん美しく育ったな』
その言い方に、私はぞっとした。
それは、娘を愛情から褒める父親の言い方ではなかった。
――かつて、私に同じ言い方をした男がいた。
ヴァレンティン公爵。私の最初の客。最低の客。
彼はたびたび《銀月の大広間》を訪れていた。
私が十歳くらいの頃から、会えば私に菓子をくれる男だった。
そして、十五歳になったとき、公爵は私を見つめて、『ずいぶん美しく育ったな』と呟き、私の最初の客になった。
私は少女趣味のレースだらけの白い綿のドレスを着せられて、公爵邸に行った。
公爵は私を楽しむと、その場で寝室に画家を呼んだ。
私は乱された髪を整えることもできないまま、シーツを巻いた姿で絵を描かれた。
――それからのことは思い出したくもない。
公爵邸には数か月いた。
公爵は『高い金で買ったのだから』と何をしてもいいと考えていた。
館には他にも何人か少女がいた。
――私以外はみんな金髪だった。
ある日、私は娼館へ帰されることになった。
『金髪だったら手元に置きたかったが』
と公爵は言った。
私だけが返されることを知った少女の一人は、私の髪を掴んで、『黒髪をよこしなさい!』と半狂乱になった。彼女のその反応が、公爵が私たちにしたことの証明だった。
私は、自分が黒髪だったことに、感謝した。
だから、帳簿に『ヴァレンティン公爵』の名前が出てきたとき私は戦慄した。
問い詰めると、ジャックは笑って言った。
『公爵が、エラの将来に“投資”してもいいって言ったんだ。今度、会わせて欲しいと』
私は即座にエラの金髪を切った。
ジャックの客に会うことも禁じた。
エラを公爵のところなどへ、行かせるものか。
けれど、エラが十五歳になったとき、ジャックは言った。
『公爵にエラを渡す約束をした』
もう、私が止めることはできない。
私はグレイ夫妻に、シモンズ伯爵家に何かあったときはエラを引き取ってもらえるように手紙を書いた。
《銀月の大広間》にいたアルバート・グレイは、エラを任せられる人だと思った。
公爵邸から戻された時、身籠っていた私を気遣ってくれた人だから。
私は、かつてジャックが私に見せた、アイリス夫人に使ったという『秘伝の毒』を、今度はジャック自身に飲ませた。
――そして、私は逃げた。
ジャックとの結婚前にルチアン辺境伯にもらった宝石を売って、髪を切り、男装して街に紛れた。
私は母の葬られた共同墓地がある王都から離れた街に着いた。
母は私が十歳のときに、病気で死んだ。
当時は私はまだ見習いだったし、お墓は作れなくて、母は死んだ街の共同墓地に葬られた。
八歳で別れてから、死ぬまで一度も会わなかった。墓参りに来たこともない。
けれど最後くらい挨拶しておいた方がいいかと思って、私はそこに行った。
安宿に泊まり、墓地を訪れた。ジャックを殺した毒を使って、自分も死のうと思った。けれど結局できなかった。
共同墓地の縁石に腰かけ、母が飲んでいた安酒を墓場に注ぎ、自分の口にも流し込んだ。
安酒はとにかくアルコールが強く、頭をぼんやりさせてくれた。
「ママがこのお酒ばっか飲んでた理由、わかったわあ。これ飲んでると、何も考えなくていいもんねえ」
そうぼやくとアルコールで馬鹿になった頭にママの声がした。
『あんたも、その味がわかるようになった? 人生終わったわね』
「ママ!?」
思わず周りを見回したけれど、誰もいなかった。
『アタシより年増の女に、”ママ”だなんて言われると気持ち悪いわ』
また、頭の中で声がする。
母は今の私より若くして死んだ。
「……そりゃそうよね。あたし、ママより年上になっちゃった」
そう呟いてから、私はけらけら笑った。
「でも“年増”だなんて、ママってば、口が悪いわね」
私はそれから母と話すため、毎日墓地で酒盛りをした。
酒をたくさん飲めば、母は私と話してくれた。
私の頭の中の一人芝居かもしれなかったけれど、それでよかった。
「ママ、あたし、ルチアン辺境伯を選んでおけばよかったわ。屋敷にね、図書館みたいな部屋も用意してくれるって言ってくれてたのよ。――まあ愛人だけど」
普段は「私」「ですわ」なんて取り繕って話してるけど、頭の中の母と話すときは「あたし」って小さいころみたいな口調に戻ってしまう。
『あんた、エラに”後から騙されたってわかっても、悪いのはあんたよ”って言ったのよね』
「そうよ。ママ。あれってあたしのこと。あたしが悪かったの。あたしって本当、馬鹿よね」
けれど、酔いが冷めてくると、どこにも母はいない。
毒を飲もうと、空を見上げて、そこで毎日、私は『また明日』にしてしまっていた。
だって、空には、星が輝いていたから。
手に重さを感じた気がした。
生まれた夜に一度だけ抱いた、私の男の子。
首に星のような黒子があった。
――あの子は、どうしているだろう。
私はしばらく空を見つめて、酒を飲んで、また安宿に戻る。
――そんな日々を過ごしていたときに、王都の新聞の記事が一カ月ほど遅れて、街に届いた。そこには、エラのインタビューが載っていた。
【私には二人の母がいます】
二匹の兎を抱いたエラの写真を見つめて、私は硬直した。
「馬鹿じゃないの……」
私は墓場で酒を飲んだ。またママの声が聞こえた。
『エラも、あんたがアタシと話すみたいに、あんたと話したいことがあるんじゃない』
ママは珍しく、私の返事を待たずに言った。
『これ以上飲むと、あんた本当に逝っちゃうわよ』
「あ――」
手から酒瓶が落ちて、地面に転がった。
『行きなさい。あんたはまだ、素面でエラと直接、話せるんだから』
酒は地面に流れて、全部なくなってしまった。
「ママ?」
私は宙を見つめた。ママはどこにもいなかった。
私は駆け出した。
――そのまま、その足で、私は王都警察に出頭した。
◇◇◇
「クロエ、髪型はこれでいいかしら?」
エラの声で私ははっと現実に戻った。
アイリス夫人の青い宝石飾りの髪飾りを挿したウェディングドレス姿のエラが私を見つめている。
「ええ、アスターもあなたが綺麗すぎて、きっと驚くはずよ」
エラは立ち上がると、私の手を引いて式場へ向かった。
教会の赤い絨毯の先で、緊張した面持ちで、首に星座の黒子を持つ青年がエラを待っている。
おとぎ話なんて、大嫌い。
けれど――
私の大切なお姫様と王子様。
ステンドグラスから差し込む淡い光の中、誓いのキスをする二人を見つめて、私は胸の前で手を組んだ。
――二人がどうか、この先もずっと、幸せに暮らし続けますように。
《了》
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