十 一番槍
十 一番槍
小姓衆の中でも乱丸と二、三の者のみは実戦の経験があった。
天真正香取神道流の槍さばきで甲冑の隙間を狙う。入り乱れて堂の外に出て戦う者もいる。
乱丸は槍侍と太刀侍に向かい合った。槍持ちは先ほどの乱丸を見知っている武士だ。太刀侍は彼の配下のようだ。乱丸の必死の立ち回りに、鎧武者と言えどもなかなか傷を負わせられない。乱丸は突きだされた鍵槍を寸前にかわすと柄を掴み脇に抱え込んだ。
他の小姓たちは既に討たれたものが多く、敵の配下が髻を掴み、首に刀をあてているのが見えた。板間は血の海。弟の坊丸、力丸たちはどうしただろうか!
手が空いた者どもが板戸に駆け寄り、木槌でついに厚い板を破って、人一人入れる穴を空けた。我先に中に入ろうとして争ったが、一人入ると叫びとともに押し戻されて来た。中から槍で突き通され、鎧の背中から穂槍が突き出て血飛沫が飛んだ。それとともに油の燃える臭いが中からした。
突き刺された武士の体で中がよく見えぬが、肩の隙間より炎が見える。
一人の甲冑武士が気合を出して、穴の横に二間の素槍(鈎、鎌などが付いていない槍)を突きとおした。槍はずぶと戸板のうちに入った。
手応えあり!
武士が槍を引くと穂先が血にまみれている。武士は狂喜して槍を両手で掲げ、大音声にわめいた。
「安田作兵衛国継、右府殿に一番槍を仕った!」
他の侍どもが口々にまたわめいた!
「まだまだ一番槍とは申さず!」
「右府殿とは限らぬ!」
と次々に戸板に槍を突き刺し引き出す。しかし引き出した穂先に血は付いていない。ますます猛り狂って突き出し始める。血糊で滑って手を怪我する者も出た。
数々の槍の穴から煙が噴出てきた。既にこときれた武士の体が板戸の穴から転げ落ちた。
中に入ろうとした武士が、穴から射す火炎の熱に手を掲げて目を細めた。見ると床の板の隙間からも黒い煙が立ち始めていた。
乱丸はそれを見て、
「御屋形様!乱もすぐ参ります!」
相手の槍を抱え込んだまま武士の首に十文字槍を突き通し、鍵槍を奪って、太刀を八艘に担いで襲いかかってくる足軽の目を突いた。血飛沫がかかる。とどめを刺すと自分の槍を引き抜き、戸板の前に駆け寄った。
「おのれ作兵衛とやら、百姓侍め!お前の槍など御屋形様への汚れじゃ!」
と槍を繰り出した。
他の者は信長の首を狙いなんとか戸板の向こうに入ろうとして、彼らの戦いには加わって来ない。
作兵衛は乱丸の槍の鍵にとっさに槍の柄を合わせ勢いを削いだが、鎧の胴に切っ先を当てられ押されて行った。怒り狂った乱丸は力任せに突き進み、遂に板間の外の濡れ縁まで作兵衛を追い出した。
「うわあ!」
作兵衛は縁の段差に足を取られ、宿坊の外の溝の中にどうと倒れてしまった。乱丸は縁から飛び作兵衛を串刺しにしようとした。
作兵衛が必死に乱丸の槍の矛先を自分の槍の柄で下に逸らした。乱丸の槍はそれでも作兵衛の下腹をずぶりと刺した。
「ぐわっ!」
槍は作兵衛の片方の睾丸を刺していた。乱丸が体を預けてさらに突き刺す。作兵衛は槍の刃に陰嚢の半分が切り取られたことを感じた。
「下郎!思い知ったか!」
隣の本坊の炎に乱丸の怒りに充ちた顔が見える。
前髪が汗と返り血で頬に張り付き、半開きにした口からきりと結んだ白い歯が見える。
興福寺の阿修羅が正に降臨したか!
なんという神とも見紛う者との邂逅!
屈強な作兵衛の鎧に包まれた胸の中から、熱い震えが湧いてきた。作兵衛の髭面が笑った。
そして呟いた。
「・・・美しい」
作兵衛の思わぬ反応に乱丸がはっと手を緩めた。そのとき作兵衛の両手に持っていた槍が右に回転し、乱丸の頭を打った。
「信長殿一番槍と森乱殿討ち取った!安田作兵衛国継也!」
既に宿坊及び他の堂塔に火の手が上がり、早暁の空に幾条もの黒煙を上げていた。
了