1 記憶喪失少女
気がつくと、いつの間にか見知らぬ天井を見つめていた。
(ここ、どこ?)
私は何がどうなっているのか分からない状態に困惑していた。
考える間もなく、酷い頭痛が私を襲った。その痛さに、私は思わず「うぅ……」と呻いていると、天蓋の外から足音と水の音が聞こえる。
黒一色に染められた天蓋のカーテンは隙間なく閉められているため、ベッドの外の様子が全く見えない。
「お目覚めですか? お嬢様」
(誰だろう? それよりも、頭がすごく痛すぎて、返事ができそうにないよ……)
さらに頭痛が酷くなり、頭を片手から両手へと抱えるようになった。
「頭が痛いようですね。岩から落ちましたからね。仕方ありません」
少し冷たい口調のように感じた。あまり感情が籠ってないような、どうでもいいような、そう思ってしまう。
それでも、頭が痛くてそれどころではないのだが、少し優しめに言って欲しい、と思う。頭がガンガンする。
「お嬢様、開けますよ」
「は、はい」
天蓋を開いたのはシワシワな細身のおばさんだった。紫の三角ナプキンを頭に巻いており、はみ出した髪は紫色に、紫の瞳。紫を基調とした服に黒の帯をしたおばさんが私を見下ろしていた。
顔のシワから見て、たくさん怒ったんだろうな、と容易に想像できる。
「額に濡れた布を当てます、寝ててくださいませ」
「お願いします」
私がそんな言葉を発すると、少し目が見開いた。動きも一瞬ピクリと止まり、また忙しなく動き出す。
(なんだろう? 変じゃないよね?)
そんな不安を抱くも、その女性は額に畳んだ水に濡れた布を置いて、脈を測ったり、首元に手を当てて熱を確認している。
「お嬢様はもう大丈夫みたいですが、頭だけが痛いようですね、コブができてるところを見せていただきます」
私の体の背中を支えながら起こしてくれる。
とても手馴れているようで、手先が優しい。その優しい手つきで、私のうなじから頭のてっぺんまで指を滑らせた。
「ここですね」
今触れられてるところは、後頭部だった。人差し指と中指で、その場所を抑えている。少し膨らんでいるのだろうか。
「痛みはありますか?」
「あ、ありません」
「分かりました、仰向けにならずに横になり、後頭部を触らず、あまり刺激なさらないように、分かりましたか?」
「はい、わかりました」
相変わらず、冷めた口調に鋭い目をしている。だが、一応心配はしているのだろう。じゃなきゃ、ここまで看病しないと思う。
(でも、喋るごとに眉間に皺を寄せている……こわい。)
普段から怒っているんだろうシワには、先程よりも深くなっている。
それでも、彼女からは特に問い詰められることなく「失礼しました」と言って、扉の閉まる音を響かせてどこかに行ってしまった。
「そういえば、なぜ頭が痛いんだろう」
私の思っていたことが口に出てしまった。だが、眠る前までの記憶が全くない。
さっきの女性の様子や手つきから察するに、前からここにいるように思えた。
手を視界に捉え、目の前で掌を眺めてみる。何も感じない。自分の手だと思う。
(自分の名前も分からない、言葉は通じる。)
でも、何も分からないようで、物はわかる。天蓋もそうだし、ベッドもわかる。ただ単純に人や自分に関することが真っ暗な感じだ。
そう考えてみたが、段々と瞼が重くなってきた。目をぱちぱちさせ、少しでも起きようと逆らってみるが逆らうことができずに、そのまま意識を失ってしまった。
次に目が覚めた時は、紫のおばさんと他の女性二人がお湯を持ってきていた。
「お嬢様、湯浴みを。その後はお食事を食べていただきます」
そう言いながら私を立たせ、手馴れた手つきで服を剥ぎ取られた。
他女性二人も、ベッドの奥にある衝立で仕切られた場所で、桶を挟んで左右にわかれて跪いている。手には白い布らしきものを持っている。
「あの、お嬢様、お湯加減はこれぐらいでよろしいでしょうか?」
そう尋ねてきたのは、桶の右側にいた、赤髪の茶色の瞳をした少女だった。少し、おどおどしている変わった女性だった。
右手に持っていた白い布をそっと両手に乗せ、頭より高く上げた。
(触るべき?)
恐る恐るその白い布に触れてみると、熱くなりすぎずちょうどいい温度で濡れていた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
お礼を言うと二人して、口をポカンと開いたままずっと私を見つめていた。
(やっぱり、おかしいこと言ってないはず……)
左にいた緑の髪をした三つ編みを天使の輪っかのようにぐるっと結われている。
茶色の瞳の女性が、左手で優しく私の手を引き、桶の中に入れてくれた。
(とっても気持ちいい)
体をゴシゴシされて、優しく丁寧に髪も洗ってくれている。
「お嬢様は、記憶を失っているのですか?」
ハッと我に返り、聞こえた方に目を向けると、右に居た女性がものすごい笑顔でそう尋ねてきていた。
「はい、わたしはあなた達のこと、何一つわかっていません。すいません」
そういうと、その女性は安心したように目を下に向けたあと、まっすぐと私を見据えた。
「わたしは、カリーレと申します。記憶、戻りましたか?」
「い、いえ、やっぱり分からないです」
カリーレは安心したように小さく微笑んでくれた。私もその姿を見て、少し安心していた。
「わたしはマミーユと申します」
左にいたマミーユから自己紹介され、そちらの方に顔を向ける。
マミーユも小さく微笑んでいるが、二人の手は常に動き続けている。
「二人とも、よろしくお願いします。わたしは……」
(そうだ、自分の名前も分からないから、自己紹介のしようがない、どうしよう……)
そう思いながら、俯いてしまった。二人からは「大丈夫ですよ、少しづつ教えていきます」と返ってきた。なんて頼もしいのでしょう。
「お嬢様の名前はメルディーラですよ。黄金のように輝く髪に、瞳。外を知らぬような白い肌にふっくらとした、可愛い顔立ちをしています」
「ちょっと、褒めすぎではないですか……」
私は頬に両手を当て、少しばかり照れてしまった。そんな様子を見て、二人はクスクスと小さく笑っている。
笑い終わると同時に湯浴みは終わった。
「お二人とも、ありがとうございます。メルディーラお嬢様、お洋服はこちらです」
「あの、あなたの名前は?」
服を着せられながら、私は紫のおばさんに質問してみた。帯を結ぶ手をとめずに、答えてくれる。
「私はレオネットです、メルディーラお嬢様。貴方の筆頭侍女です」
「そうなのですね、わたしは……」
「いけませんよ、メルディーラお嬢様。貴方の一人称は『わたくし』でお願いします。淑女たるもの、気品あるお姿を身につけていただきたいです」
「あ、はい!」
急に怒られて、少しぴょんっと飛び跳ねてしまった。なんだか、この人は少し怖く感じるけれど、しっかり教えてくれるようだ。
そこまで、偉い人なのかな、私は。
「よろしいでしょう。お着替えは終わりました。鏡でご確認を」
そう言われ、等身大の鏡に移動して、自分の姿を映らせた。
確かに、さっき湯浴みをしてくれた二人の言うとおり、輝くような金髪に、愛くるしいほどのタレ目な瞳。整った眉に長いまつげ。
男の子は一目見たら惚れ惚れするだろう美貌がそこにはあった。
(自分の美的感覚は覚えてるみたい)
「わたくしは、今何歳ですか?」
ふと思ったことを聞いてみた。明らかに身長が低いのだ。この服は金色を基調としたドレスに、ふわっとしたスカート。それに、白色の帯が結ばれていて、刺繍や花の飾りが所々添えられている。
そんな子供用の服が似合うぐらいに身長が低い。
「メルディーラお嬢様は五歳です。朝食の後、五歳の集まるお披露目お茶会に行きます」
(なにそれ!? 初耳……)
そう思うのは当然だ、記憶喪失を自覚したのは昨日で、そのまま眠って今日の朝に起きてしまったらしい。昨日の晩御飯は抜きだったようだ。
「あの、作法とか忘れてるかもしれないので、お食事はレオネットと一緒に食べるのはよろしくて?」
自然と気品のある言葉を話していた。
あとは作法だけ、他の方々に変に思われないような作法をすればいいのだ。
「元よりそのつもりでした。今回だけですが、数刻の間に叩き込みたいと思っています」
目だけが笑ってない笑顔を向けられて、少し冷や汗がヒヤヒヤと背中を伝う。お手柔らかにしたいと言いたい。切実に。
服を着たあとは自室を出て、レオネットを先頭に私、後ろにはカリーレとマミーユが二人並んでついてきている。カリーレはコソッと私に声をかけてきた。
「お嬢様は記憶を失う前より、ものすごく落ち着きがありますね、とっても驚きました」
「そうですね、一昨日だったら、今頃の時間は泥遊びをなさっていると思います」
「わたくし、そんな汚いことをしていたのですか?」
二人は少し俯いて、どう反応すればいいのか困ってしまった。
馬鹿正直に「はい、汚いです」なんて言える訳もなく、嘘ついたとしても、五歳に普通って思われるのも困る。と、言ったところだろう。目が泳ぎまくっている。
「お嬢様、移動の際の会話は前をまっすぐ向き、俯かず振り向いたりせずにしてください」
「あ、はい」
ここでレオネットの叱責が飛んできた。知らなかったとしても怒られるようだ。
そんな会話をしながら歩いていると、すぐに食事の間に到着した。マミーユとカリーレが扉を開き、レオネットと私が開いた扉をくぐる。
椅子はレオネットに補助されながら座った。ほぼ持ち上げられたに近かったけれど、気品はあったと思う。きっと。
私は食卓の一番奥の方に座り、レオネットは私のすぐ側にある席に座った。
「では、はじめましょうか」
「他のみんなは? 両親はよろしいの?」
「すみません、メルディーラお嬢様。貴方のご家族は遠く旅立っておられるため、帰っていただくことは叶いません」
つまり、もう亡くなっている。ということだろう。
昨日や今日では、遠回しな言い方は控えめにしていたことが分かる。
席に着いたところから、気品試験はもう始まっているようだ。
家族のことは記憶が無いので、あまり悲しさや寂しさは感じなかった。
「そう。では、わたくしはいつも一人でお食事をいただいているのですか?」
言葉がスラスラ出てくる。こんなことは昨日今日で学んですらも、考えてもいなかった。この体はものすごく礼儀が正しかったのだろう。多分。
レオネットの口角が上がったような気がして、私も微笑んでみる。
「その通りでございます。さすがメルディーラお嬢様でございます」
なるほど、私はいつも、ひとりでご飯を食べているようだ。
こんなことを話しているうちにご飯が運ばれてくる。スープを綺麗に飲み、綺麗にパンをちぎり、食べる。
それの繰り返しであり、体が覚えているのかすぐにできた。
「非の打ち所がない、所作でございます。昔もこうであれば、わたくしなりに、穏やかにご教授申し上げられたのではないかと存じます」
「ホホホ……」
これは、記憶を失う前の私は乱暴に食べていたようだ。その都度、叱られていたと言う。
(容赦なく、遠回しに叱られている気分……)
一瞬頬が引きつって、笑顔が崩れそうになるが、すぐに立て直す。そして、ご飯を食べ終え、最後にお茶を飲む時がやってきた。
「お茶の時間が最も、相手のことを見る時間となります。少しの隙すらも見せぬよう、お気をつけくださいませ」
「分かりました」
そう返事をして、カリーレにお茶を運んできてもらった。私の前に置き、次にレオネットの前に置く。
「身分が下のわたくしからお茶を飲み、その後に身分の上のメルディーラお嬢様が飲むのです」
そう言い、お茶を飲むレオネット。一息ついたのを確認した後、私もお茶を飲んだ。
茶器を持つ指も安定しており、重たくて持ち上がらないということはないようだ。
お茶を飲む順番、ご飯を先に食べる順番。これらは毒味を先に下の身分にさせて、上の身分の者を安心させるための作法だそうだ。とても細かい。
「一通り問題が無さそうです。会話なども、もっと優雅に話すとよろしいかと存じます。」
つまり、もっと遠回しに言葉を選びなさいということだ。最も良くなかったのは、食卓につき、両親のことを聞くために素直に聞いてしまったところだそうだ。
(仕方ないよ、まだ気品試験が始まっていないのかと思ってたし……)
そんなこんなでお茶の時間を終え、自室へ戻ることになった。
自室から扉ひとつ通り過ぎて、食事の間がある。私の足が五歳の足なので、少し遠く感じる。
自室に入ると、最終確認をするそうだ。馬車がやってくる時間まで、私以外の者たちが慌ただしく動き続ける。その間、私は勉強机に置いてあった大きな本を読んで、みんなの準備が終わるのを待つことにした。
この本は歴史に関することだった。
この国の王族は魔族と呼ばれる人間と手を取りあって、建国したと言われる。魔人建国時代など、魔族は長命で、初代から変わっていないこと。
領主の傍にも必ず、魔族がいるということも、この本には書かれている。
どのように建国し、どのようにまとめたのかとか書かれてあり、それを一目見ただけで、全て覚えてしまった自分の脳みそにも驚いてしまった。
「メルディーラお嬢様、準備が終わりました。本を読み始めてから一刻が過ぎていますよ」
「もう!? 急がなくては!」
「いけません。淑女たるもの、いついかなる時も優雅さを欠いてはなりません」
ここでも私は、叱られてしまった。




