戸惑い
「セトンヌ!」
セトンヌは謁見の間を離れ、リガルナ討伐に出る準備に取り掛かろうとしていた。
靴音が響くほど静かな廊下に背後から誰かが駆けて来る足音が聞こえ、セトンヌはそちらを振り返った。
「マーナリア様?」
驚くセトンヌに、駆け寄ったマーナリアは胸に手を当て呼吸を整える。
「あの……本当に、討伐に向かうのですか?」
「……」
セトンヌはふいに口をつぐんで視線を逸らす。
何かリガルナが関係するような事件が起きる度に、マーナリアはいつも気もそぞろだ。
謁見の間にいる時もそうだった。
あの男の名前が出るたびに彼女の瞳が揺れる。その意味だけはどうしても理解できない。
冷めた眼差しは、目の前のマーナリアではなく中庭に向けられる。
「またそれですか……」
ため息交じりにそう呟く。
一般兵として城に上がってから、これまでの功績が認められ、現在二人は婚約者同士となっている。彼女の事は心から愛しているが、だからこそ自分の仇である男の事ばかり気にかけられては、当然面白くない。
「もう、これ以上失望させないで下さい」
お互いの間に、短い沈黙が落ちる。
その間に、夕闇が迫り始めた中庭から差し込むこの日最後の夕日が、じわりとした暖かさを持って二人の顔を照らし出した。
「あなたをそんな風にさせているのは、私のせいですね」
ふと呟いたマーナリアの言葉に、セトンヌは違うと言えなかった。
自責に駆られて出た言葉のように聞こえるが、マーナリアはそんな節を一つも見せていない。彼女はただ真っすぐに、目の前のセトンヌを見つめ続けている。
「分かっているならなぜ……」
「私は、私の信念を曲げるわけにはいかないからです」
その言葉に、セトンヌはこめかみの辺りが一瞬反応を示す。
「信念……? それは、あの男を守る事ですか?」
セトンヌの強い言葉に、マーナリアはゆるゆると首を横に振る。
「違うわ。でも、彼は守られるべき人でした」
何度訴えても揺るがない彼女の思考に、どうしても苛立ちを感じてしまう。そこにあるのは”なぜ分かってくれないのか”と言うもどかしさだった。
彼女は、リガルナに対して強い理解を示そうとするのに、なぜ、こちら側の言葉には理解を示そうとしないのだろうと言う思いが、いつまでもセトンヌの心に引っかかる。
セトンヌは喉の奥から搾り出すように低く呟いた。
「私は大切にしている物をこれ以上あいつに奪われたくない。この気持ちが、あなたには理解できないとでも?」
「……あなたの想いは、痛いほど分かるの」
「あいつは世界の災厄だ。もうあなたが知る男じゃない」
セトンヌの僅かに力が籠ったその言葉が、真っすぐにマーナリアに向けられる。
「……そうかもしれない。でも、私が言いたいのはもっと根本的な事です」
「根本的な事?」
「私たちは完璧じゃない。だから相手を追い詰める事もある。追い詰められたリガルナがこうなる原因を作ったのは、誰なのか。そこから目を逸らして欲しくないんです」
マーナリアの初めて見せる挑むような眼差しに、セトンヌは思わず目を見張った。
「セトンヌ。私たちは本来、立場の弱い人達を助ける為にいるんじゃないの?」
「そ、それは……」
セトンヌは初めて彼女の言葉に言い淀んだ。
彼女の言葉は、セトンヌ自身も身の内に刻んでいた信念だからだ。自分の信念として掲げていた物を突かれては反論の余地がない。
「私は、ただ分かって欲しいだけです。私たちが犯した過ちを……」
マーナリアは挑戦的な視線を緩め、真っすぐにセトンヌの目を見てそう呟いた。
「……それでも、大事なものを奪われた私の傷は消えない」
セトンヌはそう言うと踵を返した。
その彼の背を見送ったマーナリアは、肩から力を抜いて目を閉じる。
窓から差し込む残陽に、残されたマーナリアの陰が後方へ長く伸びていた。




