赤き魔物
巨大国家レグリアナ王国の謁見室で、リガルナの情報を得た女王――エレニアが酷く落胆したように深い溜息を零した。
「また一つ消えたか……」
手にした扇を逆手のひらに叩きつけ勢い良く閉じた音が張り詰めた空気の漂う静かな空間に響き渡る。
「このところ、続いておりますな」
傍に控えていた大臣、グルータスは顎髭を撫でつけながら固い表情で答えた。
エレニアはゆっくりと、しかし強めに手にした扇を掌を打ち続けながら目の前にこうべを垂れている兵士を見つめている。
「この一件も赤き魔物の仕業と思うか?」
「まず間違いはないでしょう」
エレニアは不機嫌そうに眉根を寄せ、後方の座席を横目に見る。そこには、言葉を発することなく、静かに俯いているマーナリアが座っていた。
「マーナリア。この結果、お前はどう思う?」
「……っ」
その問いかけにマーナリアは答える事はなかった。その代わり、僅かに唇を噛んで瞬間的に息を殺した。その様子にエレニアは嘆息を漏らし目の前の兵士を見やる。
「ご苦労だった。もう下がって良い」
兵士はこの空気から逃れるように、そそくさとその場を立ち去った。
「あれをここへ」
兵士が立ち去ったのを確認し、エレニアはある人物を呼び寄せる。
グルータスは一度腰を折ってその場を離れすぐにその人物を連れて現れた。
静かな広間に衣擦れの音が近づき、現れたのは騎士団長として君臨するセトンヌと呼ばれる男だ。
「お呼びでしょうか」
「朗報だ。セトンヌ」
含み笑いを浮かべるエレニアに、セトンヌは目を細めた。
「お前の仇が現れた」
仇……。
その言葉でセトンヌの眼差しは一層鋭く、野心に光る。
「……赤き魔物が?」
重たい空気の中、身を焼くような熱が微かに滲んだ。
その熱に引っ張られるようにエレニアは密かに身の内が高揚し、無意識に口角が上がる。
「先ほどの報告では、たった一晩で町を崩落させたらしい」
愉悦を含ませたエレニアのその言葉に、十二年前の事件が鮮明に蘇った。
轟々と燃え上がる家と材木の焼ける臭いと、身を焼くような熱波の中に助けを求める声を今でもハッキリ覚えている。
姉は逃げることが出来ないまま、無残にも劫火に焼かれて死んだ……。
助けたくても助けらなかった無力感と喪失感。そして燃え盛る劫火の傍で、静かに見上げるリガルナの赤い髪が不気味に揺れていた。揺らめく深紅……それはどの色よりもおぞましく脳裏に焼き付いて離れない。
セトンヌは拳をきつく握り締め俄かに振るえていた。
「……忘れた事は一度としてありません」
エレニアは彼の当時と何ら変わらないその眼光と思いに、満足したように微笑を浮かべる。
「お前に命じよう。赤き魔物、リガルナの討伐を」
「お母様!」
エレニアの言葉が終わるのと同時に、マーナリアは椅子から立ち上がった。
「これ以上、まだリガルナを追い詰めるつもりですか?」
エレニアの口から、うんざりとした深いため息が零れる。
これから面白くなる。そう確信を得た瞬間にさされる冷や水にエレニアの身体から僅かに力が抜けた。
「あの日、彼はただ助けを求めていただけです」
マーナリアの静かなその言葉に、エレニアは短く笑い冷めた目を向ける。
「……助けを求めていた? 人を殺めたあいつがか?」
エレニアは嘲笑に細めた視線を、セトンヌに向けた。
「これについて、どう思う?」
「私の目の前で姉は死に、そしてそこに奴がいた。それが全てです」
「だ、そうだ」
エレニアは冷ややかな眼差しを娘に戻した。
彼の言葉もまた事実と分かっているマーナリアは、咄嗟に言い返せず悔しさを滲ませ、固く握りしめた。
「いい加減、現実を見ろマーナリア。お前のその思想では誰も救えない」
否定された事にマーナリアは眉根を寄せて目を伏せ、短く息を吐く。
「……お母様の思想なら、確かに救える人は多いのでしょう。国の為、民の為、当然の事です。でも、その為に誰かを犠牲にして良いだなんて、私は考えられません」
「……」
苦し気に声を押し出すように言ったマーナリアのその言葉に一瞬、シン……とその場が静まり返る。
エレニアは驚いたように目を見開くが、すぐに肩を震わせ声高らかに笑い出した。
緊張感に包まれ、冷え切っていた謁見の真に響くエレニアの笑い声。だが、次の瞬間にはエレニアの表情はいつになく冷たく厳しい顔つきになり、マーナリアを睨んだ。
「話にならんな」
真っ向から切り捨てるような言葉に、再びその場の空気がひりつく。
「お前と私では価値基準はおろか、責任の重さも違う」
「しかし、彼をここまで追い詰めたのは私達のせいです。あの日、彼を理解していれば、こんなにも大勢の人間に手を出す事は……」
「終わった話をするな」
エレニアは苛立ちから額に手を当て、彼女の言葉を遮って切り捨てた。
それ以上の発言は認めない。そんな空気にマーナリアは視線を落とし、悔しさと無力感に顔を歪めた。




