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異世界ネクロフィリア  作者: かきな
第一話 花は誰かの死体に咲く
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その9 花は誰かの死体に咲く

第一話完結です。


「は、早くナイフを……」


 土に塗れたナイフを拾い上げようとする。しかし、そうして屈めた私の体は強い衝撃によって吹き飛ばされた。


「きゃあっ!」


 内臓が圧迫される。肺に残っていた空気の一切を無理やり吐きだされ、息苦しさに視界がチカチカと眩む。


「ぐぅ……」


 痛みに身もだえる。身体のあちこちが痛い痛いと叫びを上げる。今の衝撃はなに? 何が起きたの?

 そう思い何とか顔を上げると、そこには視界を覆うように迫る赤い、巨大なスライムの姿があった。


「い、いや……」


 胸に宿っていた激情は一瞬のうちに冷めていく。目の前にあるのはお姉ちゃんの死。意識は迫りくる恐怖によって塗り替えられる。勇んで出て行った私の足は竦み上がり、逃げようと力を入れ様にも虚しく地面を掻くだけ。立ち上がることもできず、距離を詰めてくるスライムが私を這い上がってくる。


「ひぃっ⁉」


 粘液のこびり付いた表皮が肌に張り付く。スカートを巻き込みながらスライムは這い上がってくる。抵抗しようと腕を振り回してみても、弾力のあるその体には弾かれるばかりで、怯む様子も見せない。


「こ、来ないで……いやっ!」


 けれど、そんな私の懇願をスライムは聞き入れてはくれなかった。


「う、うぶっ⁉」


 冷たい表皮が顔を覆いつくす。荒い呼吸をしていた口を塞がれ、私はパニックを起こす。足をバタバタと暴れさせ、全身をくねらせてどうにか抜け出そうとするも、スライムの重さを押しのけるほどの力を私は持っていなかった。


「ごぼっ、ごぼっ!」


 スライムの体が私の口の中に侵入してくる。それに思わず嗚咽を漏らせば、肺の中にわずかに残っていた空気の一切を吐きだしてしまい、私は意識がぼんやりとしていくのを感じた。

 心拍数が上がる。身体が空気を求めて暴れ始める。私の混濁する意識に反して、私の四肢は激しくもがき、地面に打ち付け血を流す。全身が強張ってきて、それを無理やりこじ開けるようにスライムが侵入してきて、私はもはや自分の体が自分のモノであることすら疑わしくなってきていた。

 ああ、お姉ちゃんもこうやって死んでいったのね。気持ち悪くて、苦しくて、必死で逃れようとするのに放してくれなくて。いつしか苦しんでる身体がどこか他人事のように思えてきて、そうして抵抗する気のなくなった意識は天に昇っていくのね。

 でも、何だが今はそれでいいような気がするの。だって、このまま諦めたら、お姉ちゃんと同じところに行けるんでしょう? それなら、私は……少し嬉しいなって……。


「醜い死にざまですね」


 けれど、私の喉元に手をかけていた『死』は今、目の前で弾ける様に消えていった。

 ベタベタとした体液が流れ出し、私の全身を濡らす。その不快感に顔をしかめていると、視界の端からハンカチが差し出される。


「間一髪でしたね。お姉さんに挨拶はできましたか?」

「貴方は……」


 そこに居たのは青白い肌に薄気味悪い笑顔。死神のように黒いコートを羽織り、右手にハンカチ、左手にレイピアを握った探偵さんであった。


◇   ◇   ◇


 ヨシノはコートがスライムの体液で汚れることも厭わずエリザを背負い、足元に気を付けながら森の中を歩いていた。その後ろを付いて行くリタは少し妬ましそうにエリザの背中を睨む。


「どうして……助けてくれたんですか」

「ああ、それは朝早くに修道院の方がやってきて、貴方が居なくなったから探して欲しいと依頼に来たからですよ。なぜ私たちなのかと思いましたけど、他の孤児の子たちが貴方が依頼に言った事を打ち明けたみたいですね。それで、私なら心当たりがあるのだろうと頼み込んできたのです」


 ヨシノはこうなることが分かっていたのだろう。リタに昨晩から支度をしておくように言っており、朝はいつもより早く事務所を開けるという指示を出していた。自分で蒔いた種を収穫する。そんなヨシノの周到さにリタは感心していた。


「間に合うかは五分五分でしたが、よかったですね」


 少しでも発見が遅れていればエリザの命はなかっただろう。しかし、彼女が道中に殺して回ったスライム、その体液のおかげで二人は彼女の足取りを掴むことができたのだった。


「そうじゃなくて……」


 けれど、エリザが疑問に思っているのはそこではないようだった。


「はい? 過程ではないとすれば、貴女は何を聞きたいのでしょう?」

「だって、貴方は死体が好きなんですよね」

「ええ。それは否定することのない事実ですね」

「ならどうして、私が死ぬのを止めてくれたんですか?」


 リタはエルザの言い方に一抹の苛立ちを覚えた。彼女は『殺されるのを』ではなく、『死ぬのを』と言った。それは『死』に少なからず彼女の意思が含まれていることを意味している。


「貴方は、死のうとしてたの?」


 リタは静かに、けれど、非難するような口調でエリザに問いかけた。


「心のどこかで思ってたんです。お姉ちゃんの仇討ちをしたって、お姉ちゃんは帰ってこない。でも、もしお姉ちゃんと同じように死ぬことができたら……そしたら、私はお姉ちゃんと同じところに、行けるんじゃないかって」

「そんなこと、許されない」

「えっ」

「貴女の命は、貴女だけのものじゃない。誰かの命と引き換えに生まれ、誰かの血潮で生かされ、誰かの死によって守られている。死者を悼んでも、死者を想っても構わない。けど、死者に近づこうとするなんて、貴女の一存で許されることではないわ」

「止めなさい、リタ」

「っ!」


 ヨシノの鋭い口調によって咎められ、リタは口をつぐむ。そして、後悔する。


「私もリタと同じ考えです。けれど、それを押し付けるように説教するのは間違ってますよ」

「……ごめんなさい」

「分かってくれればいいんです。リタは素直でいい子ですね」


 ヨシノが微笑むので、リタは安堵する。


「エリザさん、私はね、死体が好きなわけではないんですよ」

「え?」

「ああ、いえ、好きではないというと語弊がありますね。もちろん、死体は好きですよ。けれど、それは最後まで抗い続けた死者の死に様が好きという意味です」

「それは、どういう意味ですか」

「死に様とは、人生の最期の肯定なんですよ」

「肯定……?」


 理解できないヨシノの言葉にエリザは戸惑うような声を漏らす。


「どんな人間にも等しく訪れる『死』というのはその人生を締めくくります。どれだけ栄華を極めた人生でも、どれだけ無様に地べたを這いずった人生でも、死ぬ時と言うのは無力です。ですが、だからこそ、その死に際にはそれまで積み重ねてきたその生命の全てが振るわれます。全身全霊で、迫りくるしに抗い、もがき、時に無様で、時に醜く見えるかもしれません」


 けれど、それにヨシノは肯定という言葉を使う。苦痛に満ちた死に様に恋情を抱く。


「潔く死ぬなどという言葉がありますが、あれは生者の創り出した卑怯な言葉です。生者は死を恐れ、遠ざける。できれば触れたくないし、できれば忘れてしまいたい。だから、凄惨な死に様からは反射的に目を背けてしまう。だって、忘れられないでしょう、そんな強烈な光景は。ですが、死んだ方は忘れられては困るのです。どうして、今までそこに居たのにいなかったことにされるのか。今までの人生はなんだったのかと、疑わしく思えてしまうのです」


 人は死後、葬式で送られ、墓で覆われ、次第に忘れ去られる。誰も足を運ばなくなった墓所には草が生し、いずれ刻まれた名さえも風化していく。


「だからこそ、死に抗い続けた無様はその者の人生を肯定するのです。何を想い、何を抱き、どう苦悩していたか。それを後世に刻みつけ、生きた証を残す。それこそが人の死に与えられた醜くも美しい、悲しくも愛おしい意義なのですよ」

「生きた証……」

「ええ。シスターベアトルスは確かに凄惨で無様な死でした。ですが、そこに遺された生きた証は何よりも美しく、何よりも愛おしいものでしたよ」


 そう言ってヨシノはコートのポケットあるものを取り出し、背負うエリザの頭にそっと乗せた。


「これは?」

「花冠でしょうね」

「花冠……?」

「シスターベアトルスの死体はどういうわけか左手の甲の損傷が激しかったのです。何度も地面に強く叩きつけたような傷がいくつもありました。それで、左手の先の草むらを少し探してみますと、その花冠が八つ、バスケットと一緒に散らばっていたんです。大きさもバラバラでしたが、その中でも一番大きなモノがそれです」

「八つ……。っ!」


 その数字にエリザは思わず嗚咽を漏らした。それは孤児院にいる彼女たち、孤児の人数と一致していた。


「生に縋る者は浅ましく、死に抗うものは美しい。ですが、生を捨てる者は醜く、死を受け入れる者はもっと醜いのです。あのまま死んでいたら貴女はシスターベアトルスと同じ死ではなかったでしょうね。彼女は最期まで貴女たちのことを想い、懸命に死に抗っていたのですから」

「うっ……うぅ! うわあああああん!」


 エリザは涙を流す。人の死は生者の記憶から消えた時だとヨシノは言った。それならば、シスターベアトルスはこれから数十年、生き続けるのだろうとリタは思った。なぜなら、彼女の死をこれほどまでに想う人間がいるのだから。彼女が生き続ける限り、その生に刻まれたシスターベアトルスの名が風化してしまうことはないのだろう。

 それを羨ましいと思うのか、寂しいと思うのか、リタにはまだ分からない。自分が死んだときにヨシノの胸に自分が強く刻まれるならそれは喜ばしいことなのだろう。


「……」


 少し寂しくなってリタはヨシノの隣を歩いてみる。それに気づいた彼が微笑んでくれるので、彼女は胸の奥が温かくなった。この温もりを感じれなくなる。それは少し、寂しいことだと思う、彼女なのであった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

引き続き、第二話の更新も頑張ります。

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