匿名希望 その1
トルーズの町は乾季を迎えた。空は高く、澄んだ青に染められる。千切れ雲が所在なさげに漂い、緩やかに流れる午前の時間を若い男は欠伸交じりに過ごしていた。
幾つもの武具が飾られた店内で店番をする彼、イニアスは鍛冶師見習いであった。平和な時代に需要も薄れてきた鍛冶屋であるが、彼は人魔大戦時の歴戦の兵士たちを支えた鍛冶師という職人に強い憧れを持っており、この町唯一の鍛冶師であるヨルゴに弟子入りしたのだった。
募集もしていないのにやって来たイニアスを一度は断ったヨルゴではあったが、懸命に頼み込む彼の熱意に負け、今ではこうして店番を任されるほどになっていた。
「暇だなぁ」
一つ伸びをして退屈しのぎをしようとすると、不意に彼の頭を何者かが叩く。
「あいたっ」
「こら、イニアス。仕事中にだらしないわよ」
「いてて。なんだ、グレースか」
「なんだとは何よ」
腰に手を当て、頬を膨らませた女性、グレースはイニアスの素っ気ない態度に抗議する。
「脅かすなよ。師匠かと思ったじゃないか」
「お父さんじゃなくてよかったじゃない。店番をサボってたのがばれたらこんなんじゃすまなかったわよ?」
「サボってないよ。少し眠気を覚ましていたんだよ」
「それをサボってるって言うのよ」
「そうか?」
この日は整備に預かっている武具もないので取り立ててやるべきこともなく、イニアスは退屈だったのだ。
「そりゃ、俺だってやることがあるならこんなだらけはしないけどさ、仕事がないんじゃ仕方ないだろう?」
「やることがないだって? 随分と余裕じゃねえか」
イニアスの言葉に見せの奥から男が出てくる。少し髭を蓄えた彼は首下げたタオルで額の汗を拭いながらニヤリと爽やかな笑顔を見せる。
「アドルフ兄貴」
「明日が何の日か分かってるか? 俺とお前、どちらがこの店を継ぐかを決める勝負の比なんだぜ?」
「分かってるよ、兄貴」
兄弟子であるアドルフに肩を竦めながら返事をする。
「でも、店番を頼まれたんだ。それを放って練習するわけにもいかないでしょう?」
「ふっ、お前は真面目だな。この大事な時期に、呑気に店番なんて。そんなもの、今日は休みですって言えばいいだけだろうに」
「あら、いいのかしら、アドルフ? お父さんに言いつけちゃうわよ?」
「おいおい、勘弁してくれよ。冗談だぜ、冗談」
グレースの言葉にアドルフはわざとらしく情けない顔をして、弁明する。それが可笑しくて、三人は一緒になって笑い声を上げた。
そうしていると、ドアに付けられたベルが誰かの来店を告げる。
「いらっしゃい」
アドルフが向き直ると、そこには黒いコート姿で杖を持った男と、使用人の姿をした少女の二人の客がいた。
「ああ、ヨシノさんに、リタちゃん」
「こんにちは、イニアスさん」
「げっ」
アドルフはそこに現れた二人の嫌われ者に心底嫌そうな顔をした。そして、二人を避けるように店の奥に戻っていく。そんなあからさまな振る舞いに、グレースは少し苦言を呈した。
「こら、アドルフ。失礼でしょ!」
「ああ、私は気にしていないのでそう声を荒げなくても結構ですよ」
「でも……」
「人は誰しも好き嫌いがある者です。相容れないなら極力交わらない。アドルフさんの選択は賢いものだと私は理解しますよ」
「そうですか。それならよかったです」
「ヨシノさん、今日はどういったご用件で?」
気を遣うグレースとは対照的に、イニアスはヨシノの性格を知ってか知らないでかすぐさま本題に入っていく。
「ええ。先日、スライムを討伐したんですが、そいつが少し厄介でしてね。人の魔力を多分に取り込んでいまして、刃に体液がこびり付いたまま取れないんですよ」
「どれどれ、拝見しますね」
イニアスはヨシノから杖を受け取る。そして、持ち手の部分を強く引き抜き、そこに仕込まれていたレイピアを取り出した。
「ああ、これは確かに厄介ですね。刃に魔力が馴染んで取り除きにくくなってる。このままだと切れ味が悪くなるだけでなく、耐久性に問題が出てきますよ」
「そうでしょう。私では打ち直すこともできませんから、今日はこうして伺ったのです。どうでしょう」
「ええと、そうですね。これくらいなら一日あれば大丈夫でしょう。お代は銀貨2枚ですね」
「思ったより安いですね。打ち直すなら、銀貨5枚くらいは必要だと思っていましたよ」
「いや、ヨシノさんのレイピアは物が良いですからね。本格的に打ち直す必要もなくて、部分的な叩き直しで十分事足りるので、その分の値引きですね」
「なるほど。では、差額でアクセサリーを頼みましょうか」
ヨシノが頼んだのは鍛冶師の持つ鉱石の加工技術を使って作成する装飾品であった。
「アクセサリーですか?」
「ええ。リタに似合うネックレスなどを作っていただけるといいですね」
「わ、私ですか?」
「いりませんか?」
「い、いえ。嬉しいです……」
町では不気味だと石を投げられるリタであるが、こうして見せる照れた顔などは年相応の少女のようで、イニアスには二人を忌避することはできなかった。
「リタちゃん、希望の色はあるかな?」
「どす黒い赤色」
「……え~と」
「滴る血を想起させるような赤色がいいです」
「いいですね! とても似合うと思いますよ、リタ」
「え、えへへ」
「あ、はい」
けれど、彼らが変わった人間であるということだけは、偏見の持たないイニアスも同意するのだった。
◇ ◇ ◇
夕暮れに空が染まり、イニアスは扉に鍵をかけた。受け取ったレイピアと共に鍛冶場に向かう。
熱気がイニアスを迎えると、奥ではアドルフが熱心に剣を打っていた。一心不乱に件に向き合うその背中はまさに尊敬できる兄弟子の姿であった。
「お、イニアス。ようやく店じまいか」
「そうだよ。兄貴は朝からずっとここに?」
「ああ。なんたって明日だからな。一秒だって無駄にできねえよ」
「相変わらず兄貴は凄いなあ」
感心して見せるイニアスだったが、アドルフはあまり嬉しそうではなかった。
「そういうお前はなんだ、それ」
「ああ、これはヨシノさんのレイピアだよ。手入れを頼まれてね、明日までには仕上げようかと思って」
「はあ? お前、明日は勝負の日だぞ?」
「だからって、蔑ろにはできないからさ」
けれど、アドルフはそれが気に入らないようで、苛立ちを隠せなくなっていた。
「お前は、俺との勝負がそんなに余裕だって言いたいのか!」
大声を上げたアドルフに驚いた顔をするイニアスであったが、すぐに表情を戻す。
「そうじゃないよ、兄貴。確かに、俺は鍛冶師になりたい。けど、それはすごい剣が打てるようになりたいとかじゃないんだ。誰かの生活を陰ながら支える、そんな匿名の希望に成りたいんだよ」
けれど、イニアスの弁にアドルフは納得しない。自分がその嫌われ者のレイピアよりも取るに足らない存在であると言われているようで不快なのだ。
「ちっ」
「兄貴!」
「明日が楽しみだな、イニアス」
吐き捨てるように言い放つと、アドルフは鍛冶場から去っていく。その背中をイニアスはどこか悲しげに見送る。
「兄貴……」
初めからああではなかったのだ。イニアスが弟子入りし、右も左も分からない頃は兄弟子として時に厳しく、時に優しく、鍛冶に対して真摯なアドルフの姿がそこにはあったのだ。
けれど、いつからだろうか。そう、イニアスが人並みに刀を打てるようになり、ヨルゴに褒められることが多くなり始めた頃からだろうか、時にアドルフは激情に任せるように大声を上げるようになったのだ。
「俺が悪いんだよな……」
問題は自分にあるのだろう、と。イニアスはレイピアを打ちながらぼそりと呟く。明日はこの店を継ぐ者を決める大事な日だというのに研鑽にもならない手入れに勤しむ。鍛冶に対して真剣に取り組むアドルフが怒るのも無理はない、と彼は考えるのだ。
「よし、綺麗になった」
火に照らされてレイピアは鋭く光る。その完成度に満足して、イニアスは頷く。
「ああ、そうだ。アクセサリーも作らないと」
名声なんて必要ない、作品なんて打ちたくない。イニアスが望むのはたった一つ、誰かの明日を支える一振り。それが彼の生活に根差した鍛冶師の心であった。




