敵の名は九頭龍教団
九頭龍教団。
その名の通り、陸蛸の親玉である九頭龍を神として崇めている邪悪な宗教だ。
その存在が明るみになったのは二年前。森で鹿狩りをしていた貴族が、信者たちの活動を偶然目撃したことがきっかけだった。
農民に扮した信者たちが、若い人間の死体を、触手憑きに食わせていたのである。
現在、九頭龍教団についてわかっている事実は三つ。
九頭龍を信奉していること。
触手憑きを手なずけていること。
そして、布教活動などはせず、秘密裏に動いていること。
発見から二年経った今でも、わかっていることはたったそれだけ。
彼らの目的も、規模も、リーダーも、ベールの向こう側にある危険な邪教だ。
「数日前、九頭龍教団が潜伏している場所の情報を得られたの」
屋敷の天井裏にある隠し部屋には、俺と姉さんの二人しかいない。
ろうそくの小さな灯りの下で、姉さんは広げた地図の一箇所を指した。
『コウガの里』と『ケフの都』と中間地点にある山の麓だ。
「ここに小さくて平凡な村があるわ。いくつかの証言から連中の居場所を絞りこんだ結果、この村がアジトの一つである可能性が高いと判明したの」
「村全体が信者の隠れ蓑になってるってことか」
「たぶんね。そこであたしたちの任務は、村に潜入し、教団に関する情報をなるべくたくさん持ち帰ること」
「アジトを潰すことじゃないのか。……って、まあ、当たり前か。敵の規模もわかってないんだもんな。尻尾を切られたらマズい」
「ジンが少しは大人になってくれて嬉しいわ」
姉さんに皮肉を言われ、苦笑する。
ひと昔前の俺は、触手憑きを憎むあまり、他のことが見えなくなっていた。触手を殺す力ばかりを求めていた。九頭龍教団の存在を知ったときにははらわたが煮えくりかえったものだ。
しかし、触手憑きを憎む気持ちだけではカエデを守れないと、あるとき気がついた。
そして忍にとって最も大切な冷静さを得たことで、ようやく一年前に朝廷直属の忍としての資格を授かったのである。
「今回支給された聖玉はこのくらい。大盤振る舞いよ」
姉さんが巾着袋を逆さにすると、玉虫色に光る丸い玉がいくつも転がった。
聖玉は聖術を使うために欠かせないものだ。
核となる聖玉をクナイなどの道具に埋め込み、用途に応じた術式をその周囲に刻むことによって、聖術の発動ができるようになる。
聖術の術式はジパング語ではなく、複雑な幾何学模様で描かれている。使っている俺たちでさえもこの模様を意味として解読できるわけではない。
しかしそれで不都合があるわけではなく、たとえば見本の”火遁”の術式を見よう見まねで複写すれば、あとは念じるだけで”火遁”が使えるようになるのだ。もっとも、実戦で使うためにはさらに練度を上げるための訓練が必要だが。
聖玉は朝廷によって厳重に管理され、配下の忍や侍に分け与えられる。
ある程度使い込むとただの石に変わってしまうので、数は多いほどありがたい。
「聖術、どんな原理なんだろな。不思議だよなあ」
俺は聖玉をつまみ、ろうそくの灯りに透かしてみる。虹色の光が妖しく乱反射する。
「神の御業に決まっているでしょう」
聖玉は九頭龍戦争の最中、帝が天に祈りを請うたときに、ジパングの神々から授けられたのだという。
俺は神の存在をあまり信じていない。それでも、炎や雷を自由自在に起こせる聖術は、人知を超えた神業であるとしか言いようがない。
俺にとっては、聖術を使えるようになることが、朝廷直属の忍になる何よりのメリットだった。
一方、姉さんは九頭龍を退けた帝を英雄視しているフシがある。
聖術欲しさに朝廷に入った俺とは違い、心から朝廷に忠誠を誓っている。
姉さんだけではない。聖術の力はあまりにも強大かつ神秘的で、帝が人々の支持を集めるためには十分すぎた。
それゆえ九頭龍戦争終結後、ジパングを治める実権が幕府から朝廷に移ったのも、ごく自然な流れだった。
「とにかく、このくらいあれば任務に支障はないわ。あとはあたしたちの腕次第ね。出発は三日後の朝。しっかり準備しておきなさい」
「承知」
父さんを殺した触手憑きの元凶に迫れるかもしれない。
俺の心は静かに昂ぶっていた。
***
早朝、出発する俺たちをカエデが見送りに来てくれていた。
しょげた表情のカエデは、肩を寄せてきて、俺の服のすそをつまんでいる。
「兄様、どのくらいで帰ってこれるの?」
「二十日ほどを見てるよ」
「……うぅ、長い。大丈夫?」
「まあ、心配するな」
心配するなと言ったものの、実のところ、内心では俺の方こそカエデを心配していたりする。
コウガの里は山賊に襲われることが多い。里には優秀な忍たちがいるからカエデのことを守ってくれるだろうが、それでも万が一ということもある。できるだけ俺がそばについていたい。
ただ、だからといって里に居座り続けていてはただ飯食らいになってしまうし、任務にカエデを連れて行くわけにもいかない。
結局、任務のたび、断腸の思いでカエデを里に残していくことになる。
「帰ってきたらご馳走を用意してるからね!」
「ああ、楽しみにしてるよ」
頭を撫でてやると「えへへ」と笑うカエデを、そっと引き離してから、いつものようにジト目で睨んでくる姉さんに「じゃ、行こうか」と促す。
俺はこうして里を後にしたのだった。
***
兄様がいなくなってから最初の夜が明けた。
わたしは眠い目をこすり、井戸で顔を洗い、寝巻きから着替え、朝食のしたくにのっそりと取りかかる。
食べさせてあげたい人がいないから、料理にもなかなか身が入らない。
それにしても、と米を研ぎながらため息をつく。
いつからだろう。兄様がわたしを家族のように想ってくれることは嬉しいけれど、それだけでは物足りなくなってしまったのは。
ずっとそばにいたい。
もっと肌に触れ合いたい。
任務の先で他の女を作っていないか気になる。
ここのところ、そんな自分勝手な欲望ばかりを募らせてしまっている。
だけどわたしは記憶喪失の身。記憶が戻るまで面倒を見てもらっているだけ。
いつ里を離れることになるかわからないのに、”そういう”関係を望んでしまっていいのだろうか。
以前、思い切って、おばさまにそんな胸の内を相談してみた。
するとおばさまは愉快そうに笑いながら「気にすることないわよ。自由恋愛なんて若いうちの特権なんだから。できるときにしておいたらいいの」とおっしゃってくれた。
付け加えて「ジンはあれで視野の狭い子だからね。あなたを守るのに精一杯で、まだあなたの想いに気づいていないだけ。積極的に攻めてみたらいいわ」とも。
だからちょっと勇気を出して、楓のかんざしを作ってみたり、他にもちょっと言えないようなアレやソレやでアピールしてみたりしているのだけど……。
まあ、なかなか上手くいかないわけで。
「って、アレコレ考えてもしかたないんだけどね」
朝食の仕込みが終わったので、気分転換も兼ねて洗濯に取りかかることにする。
衣服の入った洗濯カゴ、洗濯板、それからさっき出たばかりの米のとぎ汁をかついで、屋敷から少し離れたところの小川へ向かう。
「うん、いい洗濯日和」
青い空に鳥が踊り、小川の水は澄んでいる。
わたしは洗濯カゴから一枚目の服を取り出して……はたと手を止めた。
あ、これって……
「……兄様のだ」
兄様の汗が染みついた麻の修行着。
男の人の匂いが鼻をくすぐる。朝から引きずっていた寂しさにつけ込んで誘惑してくる。
……ごくり。
自分が生唾を飲み込む音が聞こえた。
いやいやいや……わたしそんな変態じゃないし……健全な女の子だし……。
……でも、まあ……ちょっとくらいなら……。
わたしは兄様の服に顔をうずめようとして──
「お嬢さん、ちょっといいかい?」
「うひゃあぁあい!!!?!?!??!?!?!」
突然、背後から声をかけられて、死にそうになった。
「なななななななななななんですか!?」
兄様の服をぶん投げ、裏返った声で返事をする。心臓がバクバク鳴っている。
こんなことをしていたなんて里の人に知られたら大恥だ。明日からどんな顔をして生きていけばいいの!?
ところが幸いにというべきか、わたしに声をかけてきたのは、知らない男の人だった。
長身で瘦せぎすの青年だ。見るからに重そうな荷物を担ぎ、人の良さそうな笑みを浮かべている。
腰にそろばんをぶら下げているから、商人だろうか。
……兄様に似ているな。
なぜそう感じたのか自分でもわからないが、青年の姿はなんとなく兄様と重なって見えた。
「えーと……お嬢さん、話して大丈夫?」
「アッハイ。問題ないです。何も。どちら様でしょうか」
「自分、エドから来た薬売りだけれども。コウガの里はここで合ってる?」
「ええ、ええ、そうですよ」
このコウガの里は表向きには薬草文化が発展していることで有名だ。
全国各地の薬売りたちが仕入れや勉学のために里を訪れることは珍しくない。
「ああ良かった。いや、ずいぶん道に迷ってしまったものでね」
「お疲れだったでしょう。長に取り次ぎましょうか?」
来客はまず里の長であるお爺様の屋敷でもてなすことになっている。
だからいつものようにそう提案したのだが、青年はやんわりと首を横に振った。
「いや、それには及ばないよ」
「え?」
「なぜなら──」
そのとき、青年の瞳に、邪な色が浮かんだ。
「──お嬢さんに用があるのだから」
その言葉と同時に、頭上から、異様な気配を感じた。
とっさに顔を上げると、大きなワシが一匹、わたしめがけて急降下してきていた。
違う……ただのワシじゃない。
だって、腹から触手が生えている!!
「触手憑────────」
叫ぶこともできなかった。
伸びてきた触手が顔に巻きつき、口と目を塞がれてしまう。
そのまま腕を、肢を、胴体を、首を、粘液まみれの触手に強い力で拘束されていく。
やだ、気持ち悪い、痛い、苦しい。
首に巻きついた触手を手でほどこうとするが、まるでビクともしない。
そうこうしているうちに、足が地面からふわりと離れた。
ああ、わたし、今、持ち上げられてるんだ。
「やっと見つけたよ。キシシ、キシシシシシシシシ……」
青年の笑い声がうっすらと聞こえた。およそ常人のものとは思えない気味の悪い声。
頭に血が回らなくなり、意識が遠のいていく。
「(助け……て……にいさ……ま……)」
そう祈ったのを最後に、わたしの意識は暗闇へ堕ちた。




