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幼馴染は触手の姫  作者: もっしゃん
第四章:化け物の生きる世界
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クズルヒ


『カエデ。きみの名前は、カエデだ。それでいい?』

『…うんっ!』


 幽霊のように死んだ顔をしていた彼女が、初めて笑顔を俺に見せてくれたのは、その名前をつけたときだった。彼女のその笑顔を、父さんが生きた証を、生涯をかけて守ると俺は誓った。


『戻りたい。人間に戻りたいよ、兄様……!』


 逃げ込んだ山小屋で、彼女は泣きじゃくりながら、心の底からの願いを叫んでいた。だから必ず彼女の願いを叶えてみせると、俺も決意を新たにした。


 そして、その彼女が……今、変わり果てた冷酷な顔つきで俺のことを見下ろしている。


「カエデ……」


 真っ先に動いたのはセイメイだった。

 陸蛸の母船の壁に嵌め込まれた聖玉に手をかざす。すると壁のあちこちから何本もの青い光線が意思を持っているかのように伸び、カエデの四肢に巻きついた。


「これは……っ!」


 カエデは光線を振り解くため、触手を伸ばそうとする。しかしその動きに呼応して、光線がより強く輝くと、カエデは苦しそうに呻き、触手の動きを鈍らせた。


「何をしたの、クソババア」

「かつて、この部屋には陸蛸の生殖個体が居ついておった。だが彼は身内に少々乱暴だったようでな、大人しくさせるための”拘束具”が残されておったのじゃ」

「そんなもので、このわたしを……っ!」

「父と同じ道具で縛られた気分はどうじゃ」


 カエデは完全に動きを封じられたわけではなく、触手で振り回してセイメイをなぎ払おうとする。しかし動作は緩慢になっており、避けるのは容易かった。


 スイレンが警戒しながらセイメイの隣に立つ。


「セイメイさんは分かっていたの? カエデちゃんの記憶が戻ってしまうって」

「最悪の予測じゃ。儂とて、こうなって欲しくはなかった」


 セイメイがカエデの過去についてなかなか話そうとせず、遠く離れたこの母船へわざわざ俺たちを招いた理由が、ようやく分かった。セイメイはこの状況を予期していたから、カエデを無力化できる準備の整った場所に連れてきたに違いない。

 だから、過去のことを話す前に、カエデに語りかけていたのだろう。「お主にとって一番大切なものはなんじゃ?」と。

 あれはカエデにカエデとしての自我を保つよう念押ししていたのだ。


「セイメイさんは……カエデを殺すつもりなのか」


 さっきは恐ろしくて口に出せなかった疑問を、俺はセイメイに投げかける。


「本気なのか」

「……その覚悟ならば、とうの昔にできておる」


 セイメイは静かに答え、母船の床に手をかざす。すると床から円柱状の柱が自動的に伸びてきて、セイメイの手元で止まった。

 円柱の上に乗っているものは、先端が鎌のように曲がった短剣だ。


「その短剣、確か、陸蛸に効くっていう……」

「ああ、呪い(まじない)が施されておる」


 セイメイは短剣を握り、拘束されたカエデへと歩みを進める。


「悪く思うな。カエデ……いや、クズルヒ」

「セイメイ……っ!」

「今のお主が”どちら側”かは、火を見るよりも明らかじゃ。慈悲はかけぬ」


 このまま黙って見ていれば、カエデはセイメイに殺されてしまう。

 そんなことがあっていいはずがない。俺はまだ何も納得できていない。

 迷っている暇はなかった。俺は二人の間に割って入り、セイメイと向かい合う。


「セイメイさん、待ってくれ」

「……ジンよ、お主の気持ちはよくわかる。だが、どいてくれ」


 セイメイは憐むような表情で俺に語りかける。


「もう、クズルヒは人類の敵なんじゃ」

「カエデはカエデだ。その名前で呼ぶな!」

「そやつはもう、陸蛸としての人格に支配されてしまった。本当はお主も分かっておろうに!」

「分からないね! まだ助けられるかもしれないだろ!」

「どうやって助けると言うんじゃ!」

「俺がカエデを説得する。たとえ陸蛸としての記憶が戻っても、人として生きてきた10年間がなくなったわけじゃないんだ。俺はカエデを信じる。きっと人の心を取り戻してくれる」

「――説得? 面白いこと考えるね」


 その冷たい言葉は、目の前のセイメイではなく、背後から聞こえた。

 振り向きざま、強い力で背中を突き飛ばされ、俺は全身を強かに床に打ちつける。


「ゴホッ……!」

「ジン!」


 姉さんが倒れた俺のそばに駆け寄る。

 咳き込みながら顔を上げると、揺れる視界の中、俺を突き飛ばした触手を見せつけながら、カエデが俺を見下ろしていた。


「兄様は勘違いしているようだから教えてあげる。記憶が戻る前から、わたしは”人の心”なんて失くしていた。兄様を助けようとして変身した、あの時から、ずっとね。他人を痛めつけても心は全く痛まないし、殺すのだって躊躇はない」

「カエデ……」

「そして、そんなわたしこそが本当のわたし。むしろ、この10年間の方がずっと心の病気みたいなものだった。だから、記憶を取り戻した今、やっと全部がしっくり来てる」


 カエデは口元に尊大な笑みを浮かべ、言い放つ。


「わたしは陸蛸の女王。人類の敵よ。そのババアが言う通りね」

「嘘だ……!」

「嘘なんかじゃない。わたしはお母様から託された使命を果たす。陸蛸の子どもたちを産んで、地球の病に免疫をつけた彼らを世に放つ。病で死ななくなった子どもたちは、あなたたち人類を蹂躙するわ」


 視界が歪むようだった。他ならないカエデ自身の口から、冒涜的な計画の全貌が語られている。ひどい悪夢を見ている気分だが、しかしカエデに殴られた背中の痛みは紛れもなく現実だった。


「だけどカエデ! 人間に戻りたいって言ったじゃないか! 俺とお前の望みは同じだと思っていた。また一緒に里で暮らす日常に戻りたいって。カエデにとって、”お母様”と”計画”は、俺と過ごす時間よりも大事なのか!?」

「…………」

「答えろ、カエデ!」


 卑怯な聞き方だとは分かっていた。カエデが俺を慕う気持ちを引き合いに出す、ずるい質問。

 ただの親愛ではなく、恋慕の感情を向けていると姉さんから聞かされてしまっていたからなおさら罪悪感を覚えるが、カエデに訴えかけるとしたら、これしかない。


「そうだね。確かに、人間になりたいと思ってしまった。……ああ、なんて罪深い。申し訳なくて、死んだお母様に顔を向けられない」

「カエデ……」

「兄様のことなんて、もうどうでもいい。知らなかった? 鈍感すぎる男には、女の子は興味をなくしちゃうんだよ」

「ぁ…………」

「そういうことだから、もう構わないでね。鬱陶しいから」


 これ以上ないくらいの悪意が込められた、カエデからの拒絶の言葉。

 自分でも信じられないほど痛みを伴って胸に突き刺さり、二の句を継ぐことができなかった。


「ジン、立って。もうカエデちゃんはカエデちゃんじゃない……分かったでしょ?」

「気は済んだかの、ジン。もう待たぬぞ」


 姉さんが、セイメイが、諦めろと語りかけてくる。

 しかし俺は二人の声に反応することさえできない。全身をひどい虚脱感が覆っている。脳が凍ってしまったみたいに、何も考えられない。

 俺はカエデを助けたかった、それだけなのに、どうしてこんなことになってしまったんだ。


「セイメイこそ悠長に構えていてもいいの? ほら、わたし、もう拘束を解いちゃうよ」

「なっ!?」


 カエデは触手を少しずつだが着実に伸ばし、彼女を縛っている青い光線の出元へと届かせようとしていた。そこには小さな聖玉が埋まっているのが見える。壁と聖玉の隙間へ器用に触手の先端を入り込ませ、聖玉を外そうとしているのだ。


「殺るなら早くしないと。情けをかけて外しちゃダメよ。生きていたら、わたし、ここにいるみんなを皆殺しにしちゃうから」

「この期に及んでっ……!」


 挑発的に煽るカエデ。短剣を振りかぶるセイメイ。

 そんな二人を、俺は茫然と眺めていることしかできない。

 短剣がカエデの胸元に振り下ろされようとした……その寸前。

 突如として、重い金属音とともに、宇宙船全体が大きく揺れた。


「なんじゃ!?」


 セイメイが叫び、周囲を見回す。直後、再び轟音。今度は音の出所がはっきりと聞こえた。

 この母船の入り口の方だ。全員の視線が一斉に音の方向へ注がれる。


「キシシシ……なるほど、なるほど、間に合ったみたいじゃねえか。間一髪か?」


 母船に乗り込んできたのは、気味の悪い笑い方をする、痩せぎすの男。ムナガラだった。

 ムナガラは後ろに何体もの触手憑きを従えており、すでに臨戦態勢だ。


「最高のタイミングよ、ムナガラ」


 カエデが褒めると、ムナガラはますます笑みを大きくする。


「もしかしてよ、クズルヒ、記憶を取り戻したか?」

「待たせたちゃったね。迎えにきてくれたあなたを、やっと受け入れてあげられる」

「シシ、キシシシシシシシ……だったら話は早え!」


 触手憑きの一斉攻撃が、カエデを拘束する光線を発していた部屋の壁を乱雑に叩きつける。

 聖玉が壁からこぼれ落ちる。そうして拘束を解かれたカエデは、悠然と触手を広げ、立ち上がった。


「ジン、セイメイ、てめえらはここで終わりだ!」

「兄様、最後の戦いと行きましょう」


 二人は息を揃え、高らかに宣戦布告をしたのだった。



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