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幼馴染は触手の姫  作者: もっしゃん
第三章:変わりゆく果てに
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一つの決着

 夜の森。大きな壺を脇に抱えた装束姿の忍たちが、その中身を山小屋の周囲に撒いていく。あたりに油の匂いが立ち込める。

 

「ひひ、放火とは容赦ないですねぇ」

「この程度で死ぬ相手じゃないわ。炙り出してからが本番よ」


 緊張感を欠いた部下の言葉に、スイレンは眉をひそめた。

 手練れの忍に、理性のある触手憑き。どれほど警戒しても足りない標的だ。

 事実、スイレンの手には毒針の仕込まれた長い糸が握られている。さっきまで小屋周辺の木々に張り巡らされていたものだ。

 弟の手口を知り尽くした姉でなければ、この罠を見破ることはできなかっただろう。

 だからこそ寝込みを狙い、火を放ち、その上で十を超える忍で包囲して叩くという万全の体制をスイレンは整えた。


「(そう、この程度じゃ死なないわよね、ジン)」


 二人が火に追われて小屋の外に出てしまいさえすれば、指揮官であるスイレンの判断でジンの安全は確保できる。

 そんな下心も隠しつつ、スイレンは任務に臨んでいたのだが……。


「ん?」


 油を撒いていた忍の一人が、おもむろに立ち止まると、足元に目を向けた。


「どうしたの」


 スイレンが遠巻きに尋ねる。


「いや、何かを踏んじまったみたいで。ぐに、って感触が」

「ぐに?」


 忍が足を上げると、その下に横たわっていたのは、ブルブルと蠕動する赤紫色の細長い肉塊。


「触手……!?」


 気づいたときにはもう遅く。

 次の瞬間、忍の身体は高々と吊り上げられていた。




***




 騒がしい物音で、俺は藁布団から跳ね起きた。

 男女入り混じった人々の怒声が小屋の外で飛び交い、壁の隙間からは松明の光が漏れ入ってきている。

 そして、隣で眠っていたはずのカエデの姿が見当たらない。この状況が意味するところは一つ。


「敵襲……!」


 俺はほぞを噛んだ。

 闇討ちを予期していなかったわけではない。それを見越して毒針の罠も仕掛けてあったのだが、こうなっている以上、突破されてしまったと見て間違いないだろう。

 襲撃者は朝廷か教団か。いずれにせよ思考を巡らせている暇はない。

 どういうわけかカエデは先に起きていて、今も外で交戦しているに違いないのだ。


「間に合ってくれよ」


 取り返しのつかない事態になる前に――カエデが負ける前に、あるいはカエデが触手で人を殺めてしまう前に――絶対に止めなければならない。

 そう決意した俺は、脇腹の痛みをこらえながら立ち上がる。

 壁伝いに歩き、小屋の引き戸を開けると、すぐそこに立っていたのは。


「あっ、兄様、おはよ!」


 まったくの無傷で、屈託のない笑顔を向けてきたカエデだった。

 そして、カエデの外套の裾からは無数の触手が背後に伸びている。その先に視線を移し……目に入ってきた光景に、俺は絶句した。


 何人もの朝廷の忍たちが、宙に浮いている。否、カエデの触手に宙吊りにされている。

 クナイや松明などの得物もすべて巻き取られ、もはや彼らに抵抗する術など残っていないことは一目瞭然。

 ある者は胴体を巻かれて仰向けにされ、またある者は四肢をすべて拘束され、そして皆一様に怨嗟の声を上げていた。


 煌々とした月光の下、悠々と忍たちを退け、まるでこの空間の支配者かのように立つカエデの姿に、突然、俺は未知の感情を呼び起こされる。

 それは親愛でもなく、恐怖でもない、言うなれば……”畏れ”。

 「人を殺めるかもしれない」などという懸念すらおこがましい。

 たった一人で忍の軍団を相手取って、無血の勝利を成し遂げてしまえるほどに、カエデの力は人智を圧倒していた。


「くひひ、すごいでしょ」

「あ……ああ、そうだな。でも、どうやって敵襲に気づいたんだ?」

「触手を外に出しっぱなし・・・・・・にして眠っていたの。もしも誰かが来たら、踏んでくれると思って。わたしなりに考えた罠」

「そんなことができるのか……いや、ありがとう」


 人間に戻りたいと、戻したいと、同じ願いを二人で共有したばかりなのに。

 目の前の幼馴染がどんどんヒトから離れて行ってしまっているような、そんな気がしてならない。


「ジン!」


 俺の名前を呼ぶ声がして、俺はその方向に目を向けた。

 ――姉さんだ。くノ一の装束姿で、やはり触手に全身を緊縛された姉さんが、大声で呼びかけている。


「兄様」

「大丈夫、一緒に行こう」


 俺はカエデの手を取って、姉さんの前に歩み寄った。


「よ、久しぶり」

「この触手、ヌルヌルして気持ち悪いし身体が火照っちゃうのよね。ねえジン、助けてくれない……?」

「弟に色を仕掛けるなよ。(ほど)いたら姉さんはカエデを殺すだろ」

「あとわたしの触手にそんな効果ないですからね!」


 姉さんらしくもない馬鹿正直な交渉に、俺たちはマジレスで返してしまう。

 姉さんは「つまんないの」とこぼし、媚びた上目遣いから真剣な表情になった。


「あなた、まだカエデちゃんを人に戻すつもりでいるの」

「でなけりゃここに立ってないさ」

「あたしから見て、この子はもう手遅れの化け物だけれど……それなのに?」


 俺は返答に詰まり、同時に鼻白む。

 「手遅れ」と、これまで封印してきた言葉を、姉さんが本人の前で口にしたからだ。


「……手遅れなんかじゃない。人間に戻りたいって、カエデ自身も望んでる。今、一番苦しんでいるのはこいつだ。理由なんてそれで十分だろ」

「兄様……」

「その割には、触手憑きとしての力を躊躇なく使っているようだけれど」


 姉さんは自分に巻き付いた触手に目を落とした。


「こ、この力は兄様のためのもの。普通の触手憑きと一緒にしないでください!」

「そも、カエデの触手がなければとっくに死んでる。俺たちはセイメイに会いたいだけなのに、どこぞの連中が邪魔してくるからな」

「ジンはそうやって、カエデちゃんの人殺しを言い訳するのね」

「なんだって?」


 俺は耳を疑った。確かにカエデは心身ともに人間でなくなりつつあるが、俺の知っている限り、罪のない人を傷つけたことはないはずだ。

 いや、俺が傷を負って眠っていた間に、まさか。

 動悸が激しくなる。姉さんは何かを知っているのだろうか。

 隣のカエデに目を向けると、血の付いた外套が否が応でも視界に入ってしまう。しかしカエデは必死の形相で首を横に振っている。


「道中、ヒトの触手憑きと戦ったわね? 同じ場所に、手配書を持った侍の死体もあった。明らかに触手が致命傷だったわ」

「ああ、それのことか」


 俺は内心で胸をなでおろした。


「姉さん、誤解だよ。犯人は九頭龍教団のムナガラだ。カエデは人を殺してない」

「嘘じゃなくて?」

「言うもんか」

「兄様に誓って、絶対」


 姉さんは見定めるように俺たちの目をじっと見つめていたが、やがてホッとため息をついた。


「……そう、ちょっとだけ安心した」


 同感だ、とは口に出さない。

 今のカエデは存在を危険視されているだけで、立場としては純粋に教団の被害者だ。だから人間に戻ることができれば殺される理由はなくなるし、俺はその未来(ハッピーエンド)を目指している。

 しかし罪を犯してしまえば話は別。一般人や朝廷の忍に手をかければ、人間に戻れたとしても、平和な生活は期待できないだろう。

 カエデが人を殺していないかどうか俺が過敏に気にしていた理由の一つがそれだった。


「まあ、だからといってカエデちゃんの暗殺をやめる理由にはならないけど」

「くひひ、姉様ってば面白いことを言いますね」


 姉さんが厳しい口調で言い、そして、カエデが不敵に笑った。

 姉さんに巻き付いていた触手の先端がぬるりと動き、頬を優しく撫でる。姉さんの身体がビクリと跳ねる。


「まだわたしを殺せると思ってるんですか? そんな無様な格好になっても、まだ?」

「――ッ!」


 姉さんの息を呑む音が聞こえた。カエデらしくない不遜な言葉遣いに俺も面食らう。

 他の捕まっている忍たちがカエデを睨み、この場の殺気が急激に膨れ上がる。

 良くない雰囲気だ。俺は剣呑な空気を変えるために、気になっていた別の話題を振ることにした。


「……話は変わるけど、姉さんに聞きたいことがある」

「な、何かしら?」

「九頭龍教団のことだ」


 あの戦いの後、ムナガラがどうなったのかは重要な問題だ。

 姉さんが現場に足を運んでいたのならば、何かしらの手掛かりが得られるかもしれない。


「教団の生き残りを見なかったか? ムナガラに手傷を負わせるところまでは行ったんだが、色々あってトドメを刺せないまま置いていったんだ」

「会ってはいないわ。ただ、あの場から離れていく血痕は二つあった」

「二つ」

「その一つを追跡して見つけたのが、この小屋。ジンの話が本当なら、もう一つの血痕の先にはムナガラがいるのかしらね」

「可能性は高い。ムナガラの傷も俺と同じくらい深かった。遠くへは行けないはずだ」

「そっちは部下の忍たちに追わせているわ。知っての通り、教団を潰すのも大事な任務だから。後で合流する手はずだったけれど、あたしたちがこのザマじゃ、それも叶わないかしらね」


 姉さんは肩をすくめた。一方、俺はその情報を聞いてとある考えが頭に浮かんだ。

 ムナガラの行き先を姉さんが掴んでいるのならば好都合だ。これからの方針を立てやすい。


「だったら、一つ提案がある」

「提案?」

「教団を潰したいのは俺たちも同じだ。次にどんな手で襲ってくるかもわからないから、先手を打てるときに打っておきたい。連中がどんな理由でカエデを狙っているのかも調べたい。だから……」


 俺は姉さんにまっすぐ向き合って言う。


「一時休戦して、俺たちをムナガラのところへ案内してくれないか」

「ば……馬鹿言わないで! あたしたちは敵同士なのよ!」

「えっ兄様!?」


 姉さんとカエデは揃って目を丸くした。しかし俺は本気だ。


「つれないこと言うなよ、姉弟の仲だろ。それに教団の連中は触手憑きを操ることができるし、何より手口が悪辣だ。いくら聖術があっても忍だけで相手にするのは厳しい。その点、カエデの力は普通の触手憑きを圧倒してる」

「確かにそうかもしれないけれど……」

「姉さんたちにとっても、このまま小屋に縛り付けられて、誰かが見つけてくれるのを待つよりも百倍マシだと思うけどな。お互い悪くない提案だろ」

「……もしも断ったら?」

「そのときは寄り道せずにセイメイのところへ行くだけだ。どうしてもってわけじゃない」

「あたしたちを解いたら、ジンがどう言おうがカエデちゃんを殺すわよ」

「まあ、手首くらいは縛らせてもらうし、武器も没収する。それでも俺たちにリスクが増えることには変わりはない。ただ」


 俺がカエデと目を合わせると、カエデは自信たっぷりに頷き、言葉を継ぐ。


「殺せるといいですね、頑張ってください」

「……ということだ」


 姉さんはしばらく考え込んでいたが、他の縛られている忍たちをぐるりと見回してから、観念したように口を開いた。


「わかったわ。ジンの提案に乗りましょう」

「よし、共同戦線成立だな」


 今までやられっぱなしだった九頭龍教団に、これでようやく反撃できる可能性が生まれた。

 あれほど執念深くカエデを追ってきている相手だ。逃げ続けているだけではいずれ喰われると直感が言っている。向き合う時が来たのだ。


「それにしても」


 姉さんがわざとらしい苦笑を浮かべながら、しかし目だけは真剣な光を帯びて、一言。


「あなたたち、ちょっと見ない間にだいぶヤバく(・・・)なったわね」

 


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