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幼馴染は触手の姫  作者: もっしゃん
第二章:逃げる者 追う者
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逃避行の始まり

 ケフの都から風遁で飛び立ってから、およそ四半刻しはんとき(約30分)。

 俺が頭痛に耐えられなくなるよりも先に聖玉の力が尽きてしまったので、都から西へ五里(約20km)のあたりで、俺たちは山の中へ着陸した。


 我ながら予想以上の長時間風遁を維持できたものの、これ以上は徒歩で進んでいくしかない。すでにクナイなどに仕込んである聖玉を除くと、予備の聖玉はもう残っていないからだ。

 そうして半日ほどかけて峠をいくつも越えて……ようやく最初の目的地にたどり着こうとしていた。


「それでその、セイメイさん? っていう人のところを今は目指してるの?」


 となりを歩くカエデが俺に尋ねた。カエデの暗殺が決定するまでの、大臣たちとのやり取りを話し終えたところだった。


「ああ、もしかしたらカエデが普通の人間に戻れるかもしれない」

「ねえ兄様」

「ん?」

「わたしの触手って、殺されなきゃいけないくらい危ないものなのかな」


 カエデは右腕を触手に変化させ、ニョロニョロ動かしながら、納得いかないような顔をしている。自分が朝廷から命を狙われているという事実をまだ飲み込めていないようだ。

 そう考えてしまうのも無理はない。本人にしてみれば人に危害を加えるつもりなんてないし、触手を安全に操れているのだから。しかし──


「殺されなきゃいけないなんてことはないさ。でも、その触手は良くない力だって俺も感じてる。そこを誤魔化すのはやっぱりダメなんじゃないか」

「そっか……。兄様がそう言うなら」


 カエデはしょぼくれたように触手を引っ込めた。

 カエデが一抹の寂しさをのぞかせたのが気になったが、今はこのことについて議論しても仕方ない。


「それより、そろそろヨッカイチって港町に着く。そこで色々買い物をして旅に備えよう」


 ヨッカイチが最初の目的地だった。なにせ手ぶらのまま逃げてきたので、食糧を手に入れなければこの先の旅を続けることなどできない。


「町に入るの? 追っ手がいない?」

「風遁で急いできたから、まだ追いつかれることはないと思う。むしろこの機会を逃したら、行く先々でお尋ね者になってるだろうさ。飛脚が先回りするはずだからな」


 飛脚とは朝廷に仕える輸送業者たちの呼び名だ。飛脚は主要な町ごとに待機しており、リレー方式で便りを運ぶ。

 休憩する必要のある俺たちと違って昼夜を問わずに走り続けるから、追い抜かされて俺たちの手配書が国中に行き渡るのは時間の問題だ。

 そうなれば主要な街道を使えなくなるし、関所も避けなければならなくなる。大きな町に滞在できる最後の機会だと思っておいたほうがいい。


「ほら、ヨッカイチが見えたぞ」


 森を抜け、小高い丘に出たところから、瓦屋根の町並みが見えた。

 カエデは顔を明るくし、とたとたと駆け出した。




***




「ふへえ、いっぱい買ったねえ」


 買い物を終え、大きく膨らんだ麻袋の中を覗き込んで、カエデが目を見張った。

 食糧には日持ちのする干し肉、干し魚、強飯、漬物、発酵調味料。雨風を避けるための大きな油紙。新しい丈夫な草履。顔を隠すための頭巾。その他雑具諸々。

 旅に必要なものが一式詰まったかばんを、カエデは重たそうに背負う。

 

「……これ、わたしが持たなきゃダメ?」

「かばんは防具にもなる。背後から襲われたとき助かる確率を上げるためだ」

「はぁーい」

「それじゃ、今晩の飯処と寝床を探そうか。腹も減ったしな」


 そう言ってから、俺は思案する。

 今晩の寝床だが、大きな宿屋を利用するのは避けるべきだ。眠っている間に追っ手がこの町に来た場合、まず宿屋に探りを入れるだろうからだ。

 かといって野宿も避けたいところだ。今後、フジに着くまではずっと野宿をする羽目になるだろう。俺は慣れているからかまわないが、カエデには体力も経験もない。町にいられる今晩くらいは快適な寝床で休ませてやりたい。

 追っ手に見つからず、かつ快適な、そんな都合の良い宿がありはしないだろうか……。


 そんなことを考えていると、カエデに袖を引っ張られた。


「ね、ね、兄様。わたしあれ食べたい!」


 カエデが指差した先にあるのは、出店の並んだ市場の一角の、小さな屋台。

 その暖簾には見慣れない文字列が並んでいた。


エドマエ寿司・・・・・・……?」

「珍しいよね。わたし食べたことない」

「俺もないなあ。港町ならではって感じだし、食ってみようか」

「やったあ! 兄様大好き!」


 エドマエ寿司は新鮮な刺身を酢飯に乗せた料理である。

 つい一年ほど前にエドで発明されたばかりで、手軽に食べられるファストフードとしてエドっ子の間で一躍大人気になったのだそうだ。

 俺も話には聞いたことがあったが、コウガの里やケフの都は内陸にあるからお目にかかるのは初めてだ。


「おじさん、お寿司ちょうだい!」


 カエデが屋台の前に立ち、元気よく店主に声をかけた。

 寿司屋の店主は三十代くらいの痩せた男だ。職人らしく白い和帽子を被っている。愛想よく笑顔を作っているが、目の下に隈ができており、どこかやつれているような印象を受けた。

 

「エドマエ寿司は初めてかい? 好きなタネを選んでくれよ」


 店主はそう言って、手元の木箱を指し示した。箱の中には手のひらサイズに揃った魚介がずらりと並んでいる。


「じゃあ、これとこれ!」

「俺も同じのを頼む」

「おっ、鯛に初鰹だね」


 店主は手際よく酢飯と刺身を握りあわせ、手のひら大ほどの寿司をあっという間に完成させた。

 確かにこれはせっかちなエドっ子に売れるわけだ。


「いただきまーす!」

「いただきます」


 俺たちは寿司をおにぎりのように両手で持ち、かぶりついた。

 寿司を半分あたりのところで食いちぎり、酢飯と一緒に口の中で嚙みしめる。酢締めされた魚の新鮮な旨味が酢飯と合わさって、口の中に広がる。俺は夢中になって二貫ともすぐに食べ終えた。


「大将、こりゃ美味いよ。町に来て早々こんなご馳走にありつけるなんて、俺たちも運がいい。イカも追加してくれ」

「へへ、お世辞でも褒めてもらえると嬉しいね。こんなナリでも一応エドで修行してきた身なもんで」


 せっかく心の底から美味しいと思ったのに、店主はヘラヘラと及び腰で笑っている。もっと堂々とすればいいのに。


「お世辞じゃないって。自信持ちなよ、大将」

「いやあ、実はちょっと事情があってな。この寿司は今のままでいいのかと悩んでるんだ」

「あっやっぱり?」


 カエデのその一言に、俺と店主は同時にギョッと目をむいた。

 二人の視線に気づいたカエデは、あわててその場の空気を取り繕おうとする。


「ご、ゴメンなさい! 変なこと言っちゃって……」

「いやお嬢ちゃん、詳しく聞かせちゃあくれねえか」


 前のめりになった店主の目には真剣な光が宿っていた。


「エドマエ寿司ってのはこの辺でもまだ珍しいんだ。だから味の違いがわかる客は滅多にいねえ。素直な感想を聞きたいんだ」

「そ、そうですね……」


 カエデは躊躇っていたが、俺が頷くと、言葉を選びながらゆっくりと喋り始めた。


「確かにお寿司は美味しいです。でも、調理方法を改良すれば、もっともっと美味しくなれる素質を秘めている……って直感で思ってしまったんです。言ってしまえば、エドマエ寿司という料理は未完成、というか」

「なんてこった」


 店主は宙を仰いだ。


「大名様とまったく同じことを……。俺にはてんで分からなかったのに」

「この子は料理の天才だからな。こいつより腕の良い料理人は都にも滅多にいない」

「ちょっと兄様、恥ずかしいってば」


 カエデはまんざらでもなさそうに俺の肩を叩く。そして、心配そうな表情になって店主を見つめた。


「なぜそんなに思い詰めているんですか? 確かに未完成なんて言ってしまいましたけど、大将の腕が悪いと言いたいわけじゃないんです。魚の仕込みも丁寧ですし、今のままでも十分美味しいですよ」


 カエデは慰めるように言ったが、店主は首を横に振る。


「実はな、ヨッカイチを治めている大名の城で、専属の料理人にならないかと城の大臣から打診を受けたんだ。寿司を握る腕を見込まれてな。一週間前のことだ」

「すごいじゃないですか!」

「ところがいざ大名様に寿司を献上したら、お気に召すどころかご立腹されちまった。うちの大名様はグルメで有名なんだ。お嬢ちゃんの感想とまさに同じことを言われて、『このような不完全なものを出すとは何事か!』ってな」

「向こうから誘ってきたのに逆ギレされたのか? 理不尽すぎるだろ」

「ああ、俺も理不尽だと思ったさ! でもお上の意向にゃ逆らえねえ。このままだと大名様の機嫌を損ねた罰で店を潰されるだろうし、そうなりゃ家族も養えなくなる! もう一度寿司を献上する機会を与えられたんだが、俺にはまったく改良案が思い浮かばなくて、途方にくれてたってわけだ」


 店主はほとんど泣き出しそうな声で堰を切ったように事情を吐露した。

 なるほど……。グルメな大名の舌を唸らせる寿司を作らければならないプレッシャーを背負っているとなれば、やつれてしまうのも当然だし、自信も失ってしまうわけだ。


「その、もう一度寿司を食わせる機会っていうのは、いつなんだ?」

「……明日だ」

「明日!?」

「すぐじゃないですか!」


 俺とカエデが口を揃えて突っ込むと、店主は苦しそうにうめいた。そしておもむろに和帽子を取り、カエデに向かって深々と頭を下げた。


「お嬢ちゃん! この俺に寿司を美味しくする方法を教えてくれ!」

「えっ……えええええええええ!?」

「礼はなんだってする! 頼む!」


 店主のあまりにも必死な懇願に、カエデはしどろもどろになる。手のひらを顔の前でぱたぱたと振り、キョロキョロと目線をあちこちに動かす。


「そ、そう言われても、わたしお寿司作りは素人だし……生き物を捌くのも苦手だし……! それに兄様、そもそもわたしたち──」


 カエデは助けを求めるように俺を見上げてきた。「そもそもわたしたち逃亡中だよね!?」と言いたいんだろう。

 まったくその通りではあるのだが、こと今回に限っては、俺にはこの店主に協力したい理由があった。

 渡りに船とはまさにこのことだ。カエデにはちょっと悪いけど……。


「いいじゃないか、寿司作りを手伝ってやれよ」

「兄様!?」

「ただし大将、代わりに今晩あんたの家に俺たちを泊めてくれないか。旅の途中でね、なるべく節約したいところなんだ」

「それくらいならお安い御用さ! いやあ、話のわかる兄ちゃんで嬉しいね」


 店主はホクホクした笑顔になって、早くも店じまいの準備を始めた。

 俺も寝床の問題が思いがけず解決してホッとしていると、カエデがとなりで頬を膨らませていた。


「にいさまぁ……」

「悪い悪い。それに、俺もカエデが握った寿司を食べてみたいしさ」


 そう小声でなだめると、カエデは「しょうがないなぁ」と視線をそらしながらぼやいた。

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