それぞれの思惑
ジンとの一騎打ちに敗れたスイレンは、都から飛び立つ風遁の光をなすすべなく見送るしかなかった。
しびれが残る身体を引きずりながら御殿に戻り、コノエ左大臣にすべてを報告する。報告を聞いている間、左大臣は険しい顔のままだった。
「ジンの離反を止めることはできませんでした。これもすべて私の不徳の致すところ。いかなる処罰も受けましょう」
スイレンは冷たい床に額をこすりつけた。しばらく沈黙が広間を支配したのち、やがて左大臣がポツリとつぶやいた。
「見通しが甘かったか」
「……」
「面を上げよ、スイレン。ジンを逃したことを咎めはせぬ」
「……え?」
顔を上げたスイレンが目にしたのは、眉間に皺を作り、自罰的な表情を浮かべている左大臣だった。
「正直に申せば、そなたとジンが戦った場合、ジンが勝つことは目に見えていた。本人に自覚があるかわからぬが、ジンはたぐいまれな聖術の使い手だ。素の格闘能力も高い。これは奴の離反を見抜けず、そなたと二人きりにさせてしまった私の不手際だ」
「私の実力が至らなかったばかりに……」
スイレンは拳を握り締めるが、左大臣は首を横に振った。
「恥じることではない。本来、正面きっての戦闘は忍の領分ではないのだから。潜入や暗殺ならばそなたの方が優秀だ」
「もったいないお言葉です」
「触手憑きへの憎しみで己を鍛えてきたジンが特殊なのだ。もっともそれゆえに、近しい人が触手憑きになったとしても、彼ならば賢明な判断を下せるだろうと誤解してしまったが」
左大臣は深いため息をつき、スイレンもその言葉に同意した。
触手憑きの脅威を、ジンは過去のトラウマから身をもって知っている。もしもの話ではあるが、カエデを救う解決策が何も出ないまま暗殺が決まっていたら、ジンも暗殺を黙認していた可能性はあったと思う。
ジンに謀反を決意させたきっかけは明白だ。
カエデを普通の人間に戻せるかもしれないという、甘い希望を与えられたからだ。
「ジンたちの行き先はセイメイという者のところでしょう」
「間違いないだろうな。目的地がわかっているのは不幸中の幸いだ」
確かに触手の研究者であるセイメイならばカエデを人間に戻せるかもしれない。
しかしセイメイの居場所はフジの樹海だという。ここケフの都からは遠く離れている。ジンが全速力で駆けたとしても一週間は要するだろう。カエデを連れているのだからなおさら時間はかかる。
そしてその道中にどんなトラブルが起こるのかは未知数だ。
特にカエデが触手憑きとして目覚めてしまったらどれだけの被害が出てしまうのか、スイレンは想像するだけで恐ろしかった。
「追っ手を放ってジンとカエデの捜索をかける。これは時間の問題だ」
「私はどういたしましょうか」
「スイレン、そなたには捜索の先頭に立ってもらう。そして二人を発見した場合、カエデは問答無用で抹殺せよ。ジンはなるべく捕らえたいが、最悪、生死は問わぬ」
「……かしこまりました」
スイレンが無表情で頭を下げると、左大臣は「それからもう一つ」と付け加えた。
「途中、九頭龍教団と遭遇することがあるやもしれん。奴らもカエデに関わりがあるだろうからな。そうなった場合、奴らのことも暗殺の対象に含めてほしい。なるべく多く教徒の数を減らしたい」
「私はかまいませんが……いささか性急ではありませんか。尾行するなり捕らえるなりすれば、彼らの動向を知るチャンスになるでしょうに」
「これを見てほしい」
左大臣は袖の下から何か小さなものを取り出した。指先ほどの大きさの鈍色の球体だ。
スイレンは目を細める。その球体には見覚えがあった。
「力を使い切った聖玉、ですか?」
「うむ。先の潜入捜査で教徒たちを捕らえただろう。尋問にかけようとしていた教徒の一人が、懐にこれを隠し持っていたのだ」
「なんですって!?」
スイレンは思わず大声で叫んでしまった。
「聖玉は帝が神から賜った神聖なるもの! 邪悪な連中が持ってるなんてありえません!」
「ああ、まあ……そこはあまり問題ではないのだ。聖玉を賊に奪われ、彼らに流れ着いたのかもしれん」
左大臣はなぜか言い淀み、スイレンはその反応をいぶかしんだ。
聖玉は朝廷によって厳重に管理されている。任務ごとに使った数を報告し、使い終えた聖玉でも必ず返却する決まりになっている。そして万が一、賊に奪われるようなことがあれば重大な案件として対応する。「問題ない」と言えてしまうような事態ではないはずだ。
スイレンの頭に疑問が浮かぶ中、左大臣は言葉を続ける。
「問題は、この聖玉がすでに使用済みという点だ。にも関わらず、その教徒は聖術の起動術式を刻んだ武器を身につけていなかった。これが何を意味しているかわかるか?」
「起動術式がないのに使われていた!?」
スイレンはますます混乱する。
聖術の起動には、用途に応じた術式が必要だ。たとえば雷遁のクナイには雷遁の術式が柄に刻まれている。術式なしで聖術を使うことはできない。それが聖術の大原則のはずだ。
その原則から外れているということは、考えられる可能性は一つしかない。
「聖玉には、我々の知らない使い道があるかもしれないということですか? そして九頭龍教団はそれを知っている──」
左大臣は重々しく頷いた。
「由々しき事態だ。九頭龍教団がどんな用途で聖玉を使っているのかはわからぬ。しかしまともな目的ではないということだけは断言できる。これ以上聖玉を使わせるわけにはいかない。悠長ではいられないのだ。奴らは殲滅しなければならない」
「はっ!」
”殲滅”などと物々しい言葉を左大臣が発するところをスイレンは初めて見たが、それだけ事態を重く見ているということだろう。
そもそもカエデが触手憑きになってしまった原因も九頭龍教団にある。そして、その目的さえもまだ明らかになっていないのだ。
スイレンは今、自分たちが何か得体の知れない闇を相手にしていることを、肌で感じ取りはじめていた。
***
「や、大変なことになってしまったね」
左大臣との謁見を終え、御殿から出てきたスイレンに、声をかける男がいた。
ニジョウ右大臣である。
「カエデちゃんに九頭龍教団。問題は山積みだ」
わざとらしい困り顔を作る右大臣を、スイレンは鋭く睨みつける。
「ええ。どこぞの誰かがセイメイの情報を漏らしたおかげで、愚かな弟はまんまと乗せられてしまいましたね」
「僕が余計なことを言っちゃったせいだね。ごめんよ」
「お戯れを。ジンがカエデを逃すことをあなたは期待していたのではないですか?」
抱いていた疑念を、スイレンは思いきって右大臣にぶつけてみる。
「カエデが触手を操れるようになった」と報告したとき、右大臣の目にははっきりと好奇心の色が浮かんでいた。
警戒心ではない。あれは状況を利用しようとする者の目だ。
ジンはカエデを守る方法を考えるのに必死で気付かなかったのだろうが、スイレンは見逃していなかった。
左大臣はリスクを回避する現状維持的な考えの持ち主で、右大臣はリスクを恐れない進歩的な考えの持ち主。
二人の政治的方針が対極にあることは、朝廷内の人間ならば誰でも知っている。
今回の場合、右大臣は何らかの己の都合のためにカエデをまだ死なせたくなかった。だからジンに逃げ道を用意したのではないかと、スイレンは推測していた。
「あはは、まさか。ただ一つの選択肢を提案しただけだよ。罪のない女の子が殺されるのを見過ごすわけにはいかないだろ」
「……そういうことにしておきましょう」
「顔が曇ったね。やっぱり、カエデちゃんを殺すことに抵抗はあるの?」
スイレンは内心で舌打ちをした。こちらから攻めたつもりだったのに、不意に痛いところを切り返された。
仮面をかぶる技術には自信があるから本当に表情を読まれたわけではないだろうが、その質問自体が答えにくいのだ。
「まさか。任務ですから」
「いいや、ジン君ほどじゃないとはいえ、君もカエデちゃんとは親しかったはずだ。一緒に暮らしていたんだろ。何も思わなかったはずがない。なのに一言も反論せず、素直に命令に従ったのはなぜだい?」
「忍とはそういうものです。私はジンとは違う」
「違う違う、僕が聞きたいのは上っ面じゃない。僕は君の信念を知りたいんだ」
「信念、ですか」
「そう。情よりも任務を優先できる土台となっている君の個人的な信念だ」
探りを入れてくる右大臣の視線を、スイレンはまっすぐに見つめ返した。
大臣から直々に問い詰められては答えをはぐらかすことはできない。その上で、打ち明けても問題ない情報と、内に秘めておくべき情報を整理する。
「九頭龍戦争で陸蛸を打ち倒した帝に憧れ、私は朝廷に入りました。国のため、帝のため、民のために、私を滅して奉公する。それが私の信念です」
「優等生な答えだね。左大臣が気に入るわけだ」
「ただ、カエデ暗殺の命に従った理由はそれだけではありません」
「ほう?」
「これは誰にも話していないことなので御内密に願いたいのですが」
スイレンはもったいぶって、右大臣の興味を引きつける。
「村から都へ戻る途中のことでした。カエデの意識がすでに触手に乗っ取られつつある、その決定的証拠となる状況を私は目撃してしまいました。だからこそカエデは殺さなければならないと、私自身も判断したのです」
「それはどんな状況だったんだい?」
「……自慰です」
「は?」
右大臣は間抜けな声を上げた。そりゃそういう反応になるわよねと心の中で笑いながら、スイレンは真顔を崩さない。
「宿屋の貸切風呂で、触手を使って自分を慰めていたんです。とても激しく。わかりますか?」
「あー、つまり……なんだ……僕の想像が間違いでなければ……」
「間違っていませんよ。彼女は自分の性欲を制御できなくなりつつある。一緒に暮らしていたからこそ、そういうことをするカエデが普通の状態じゃないとわかるんです」
「そ、そのことをジン君には……」
「しゃべってませんよ。当たり前でしょう。カエデにも名誉がある。特にジンには知られたくないはずです。だからこの秘密は私が墓場まで持っていくつもりだったのに」
スイレンが右大臣をジト目で睨むと、右大臣はバツが悪そうに視線を逸らした。
「う、うむ、なんだか無粋なことを聞いてしまったような気がしてきた。悪かったね、問い詰めてしまって」
「いえ、ご理解いただけたのなら何よりです」
「ではこれで失礼するよ。仕事が山積みだからね……」
ふらふらとした足取りで右大臣が去って行くのを見届けてから、スイレンは大きく息を吐き出した。
「(切り抜けた)」
嘘は言っていない。
帝に憧れ、朝廷に心から忠誠を誓っていることは本当だ。幼い頃からスイレンをずっと支えてきた信念だ。九頭龍教団が聖玉を使っていると知ったときなど、はらわたが煮えくり返ったものだ。
カエデが触手遊びをしていたことも本当だ。あの乱れっぷりは尋常ではなかった。まだ人の姿をしているからといって、情けをかけてはならないと決意した瞬間だった。
だが、それらすべてを建前にしてでも、決して他人には明かしたくない本音がスイレンにはあった。
「ジン……」
スイレンは弟の名前をこぼす。無表情を崩し、寂しげな笑いを仮面の下から覗かせる。
「あのバカ。いっつも、いっつも、無茶ばっかりして」
スイレンは溢れかけた涙をぬぐう。そして顔を上げると、任務を遂行すべく走り出した。
***
フジの樹海──
ジパング最高峰の山『フジヤマ』北方の麓に、その大森林は広がっている。
うっそうとした森がどこまでも続き、一度足を踏み入れれば二度と抜け出すことはかなわない。
そんな噂が広まれば、世を儚んで自ら命を絶とうする者たちが引き寄せられるのもまた必然。
しゃれこうべと化した亡者たちの怨念があちらこちらに漂い、まともな人間ならば決して近づこうとしない。
そんな樹海の一画にある湖のほとりに、ボロな木造の小屋が一軒。
いま、全身から触手を生やした動物たちが、二十を超える群れを成し、小屋を囲い込んでいる。
そして群れの中心には、白い絹の衣を羽織った男が立っていた。
「かかれ」
男が静かに右腕を上げる。それが合図となって、触手憑きたちが四方八方から小屋へと殺到する。
壁がひしゃげ、柱が折れ、屋根が飛び、小屋は一瞬にして木屑となった。
「……やったか?」
そう呟いた男は、しかし、上空から凄まじい圧を察知し、とっさに宙を見上げた。
空中であぐらをかきながら浮かんでいたのは……
「ふあ〜〜〜〜〜〜〜あぁ〜〜〜〜〜〜………………」
しごく退屈そうにあくびをする、一人の幼い女だった。
巫女のような衣装に、黄金色の長い髪。そして奇怪なことに頭からは獣のような耳が生え、後ろにはフサフサの尻尾が伸びている。
つまり、どう見ても、ただの人間ではなかった。
「ぁあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……ふう」
幼子は長いあくびをようやく終えると、冷ややかな視線を眼下の男に向けた。
「儂の寝床を壊しおってからに……」
男はたじろぎ、一歩退こうとするが、木の根につまづき転んでしまう。
その無様な様子を見て、幼子は喉の奥で笑った。
「ククク、まさかこの程度で儂を殺せるとでも思うとったか。おぬしの首領様はずいぶんと儂のことを見くびってくれたものじゃのう」
「やっ……やれえ! かかれえ!」
小屋の残骸から触手憑きたちが踊り出し、幼子に向かって一斉に触手を伸ばす。
ところが幼子は避けようとする素振りをまるで見せない。
細い足を、華奢な胴体を、ヌラヌラとした触手に一瞬にして絡めとられた。
「やれやれ、相変わらず助平な触手じゃのう。戯れてやるのも一興じゃが……儂は寝起きでちと機嫌が悪い」
顔に巻きつかれた触手の隙間から、幼子は男を冷ややかに見つめ続ける。その瞳には一点の動揺もない。
「アベノ・セイメイの陰陽術。目に焼き付ける暇もあるまいて」
そして次の瞬間、幼子の周囲の空気が膨れ──
「……ふう」
幼子は尻尾から地面に降り立った。
額の汗を腕でぬぐうと、腰に手を当て、あたり一面をぐるりと見渡す。
そこには動かなくなった幾多の触手憑きが、まったくの無傷で転がっていた。
まるで今この瞬間に寿命を迎えたかのように、痕跡のただ一つもなく、すべての触手憑きが息絶えている。
そして、白い絹の男の末路も同じだった。この場所で幼子以外の命はすべて失われた。
「うむ、サイコーの活け〆じゃ」
幼子はそんな光景からすぐに目を離し、壊れた小屋の残骸の中に腹這いで潜っていく。
「おお無事か。よきかなよきかな」
幼子は残骸の下に、金属の取っ手を発見した。その取っ手は地面に埋まっている。
取っ手がぐるりと回ると、ガチャンと金属音が響き、地面に四角い穴が生まれた。
幼子はその穴に身を滑らせ、地下へと続く金属の階段を下りていく。
下りていった先には、巨大で頑丈な扉が一つ。
ジパングの技術の粋を集めたとしても到底作れそうにないほど、堅牢な金属の扉だ。
幼子が扉に手をかざすと、扉の中央に亀裂が入り、そのまま滑らかに左右に開いた。
扉の先の部屋に明かりが灯る。
そこにあるのは、触手、触手、触手、触手、触手、触手、触手、触手──整理された無数の触手だった。
触手の切れ端が、緑色の液体で満たされた透明な瓶の中に浮かんでいる。
そして、そんな多種多様な触手の瓶詰めがずらりと棚に陳列されている。さながら触手の博物館のようだ。
「今日は思いがけず試料が手に入ったのう。豊作じゃ」
幼子はホクホクした笑顔で独り言をつぶやく。
部屋の隅にある物置へ行き、試料を回収するための空き瓶やら包丁やらを引っ張り出していく。
「それにしても……教団が動いたということは、ついに彼女が見つかってしまったのかのう」
幼子は手を止め、棚の一番高いところにある小瓶に目を向けた。
小瓶の中には、この部屋で唯一、触手ではないものが保管されている。
それは、小さな人間の手のひら。
「運命が儂らをどこへ導くのか……。まったく興味が尽きんわい。のう、クズルヒ」
その手のひらをじっと見つめる幼子は、眉を険しく寄せ、憎悪とも憐れみともつかない複雑な表情を浮かべていた。
「カエデの触手遊び」のシーン。
エロメインのお話になりますので、ノクターンノベルズの方で「触手が生えた少女の性活」というタイトルで投稿してみました。気が向いたらそちらも読んでみてください。




