55 父さんのところに帰るんだ
階段を急いで降りて、廊下に出るドアの前で荒い息を潜めた。そしてこれからするべきこと、してはいけないことを考えた。少なくとも、あいつらに捕まるようなことは最悪だな、とティムは言った。
その通りだ。捕まったら自殺は難しい。舌を噛みきることは痛くてできそうもなかった。きっと時間も掛かるし、捕まったら途方にくれてそんな余裕もないだろう。くそ、と僕は思った。もっと時間がほしい。一人でくつろげる空間が……。
「ある」とティムは間延びした声で言った。
「どこに? 」
「父さんのところに帰るんだ」
「なるほど」と僕は呟いた。「……部屋に戻るのか」
ティムはこくりと頷いた。それから羽を震わせ、赤い目をすりすりと前足で擦った。彼は眠いのかもしれない。
「はやく行こう」と僕は言った。
しかし、ティムはそれに同意はしてくれなかった。ぴたりと肩に停まっているだけだ。彼はドアの隙間からじっと廊下の先を覗いていた。
「まずいぜ、兄弟」とティムは言った。「あの女の私立探偵がやって来る。エレベーターを使ったらしい。歩幅からして、あと20秒後には対面しちまう」
「一人か? 」と僕は訊いた。
「ああ」と彼はくつくつと笑って、気が狂ったように羽を上下に振った。「あいつはいつも一人だ」
「これはチャンスかな? それとも――」
「チャンスさ。あいつを利用してやれ」
「でも、どうやって? 」
「さあ? 」と彼は言った。「そいつはわからねえ。俺にわかることは兄弟があいつを利用できるってことだけさ。その結果だけが、直感的にわかるんだ」
彼はため息をつくように言った。
「まあ、兄弟。俺みたいなちっぽけな蝿に頼らず、じっくり考えてみろや。そのでっかい脳ミソはなんのためにあるんだよ? 」
僕は顎に手をやって、メイのことを考えた。彼女は何が好きで、何が嫌いか。年齢や国籍、性別、外見的特徴。全ての彼女についての情報を再確認しようとした。彼女は僕を嫌ってない。(少なくとも、根来と比べてだが)そして男の僕よりも力は劣るだろう。なにかあっても真正面から闘わず、こちらから不意打ちで攻めれば、さすがに打つ手はないはずだ。この二つは利用できる気がした。もっとも、後者の方が僕にとって魅力的だった。それからそれをどのように活用するかを検討した。
僕は答えを得た。
あいつを人質にするべきなのだ。
「兄弟」とティムは言った。「さすがだ」




