第7話
はっ!
ずっとごろごろテレビを見ていたが気付けばもう二十二時を過ぎていた。
エキセルはうつらうつらまぶたを重そうにしている。まんま子供だ。想像以上に見た目とリンクしていて苦笑する。
「お風呂わかしてきますね」
「あ、もうやっておきましたよ」
家はスイッチ一つでお湯を張れるのだが、ペンシルさんは早速家事をこなしてくれていた。電子レンジの件が嘘のようだ。別に文明の利器を使いこなせないわけではないらしい。
「どうもです。それじゃ先に入ってきてください。バスタオルとかは洗面所のところに積んでありますんで、それ使ってください」
「いいんですか? それではお言葉に甘えちゃいます」
鼻歌を歌いながら消えていくペンシルさんを見送ってから、エキセルに目をやると完全に意識を失っていた。
起こすのは気が引けたが昨日も風呂に入っていないだろうし、というか今まで風呂とかどうしてたんだろう? 特に臭いということもないし、いやむしろそれどころかいい匂い――うわあああぁあああああああああああああああああああ! 何をやっているんだ俺は! 外見が完全にいたいけな女の子であるエキセルに! クンカクンカ! 匂いをかぐ! 犯罪だ……犯罪の臭いがする……! 自重しろ俺!
心の中で自分の不浄な部分と戦いながらエキセルの肩を揺する。
案外眠りが浅かったのか、すぐに気がついたエキセルは眠たげに目をこすりながら口を開いた。
「どうしたの……?」
「風呂。入るだろ? もうすぐしたら空くから、それまでに起きといた方がいい」
「……いい。入らない」
「昨日入ってなかっただろ。女の子なんだから、入っといた方がいいだろ」
「……一緒に入ってくれるなら入る。そうじゃないなら入らない」
「ば、何言ってんだお前!? それはさすがに……って言ってるそばから寝るな!」
「…………」
もうなんなのこの娘!? 風呂嫌いってことなのか。
身動ぎ一つせずに眠りに落ちたエキセルに半ば諦観の念を抱きつつ、俺も横になる。
ペンシルさんが出てくるまで待って、それから起こした方が早いか。彼女の支援があった方が入ってくれるかもしれない。
「……さん」
知らない人の声がする。
「……とさん、起きてください」
「――うーん……」
いつの間にやら俺も眠りに落ちていたのか、鈍る思考の中でペンシルさんの胸部が目に入る。一瞬で完全に覚醒した。
「すんません! 寝てました……」
「あの、起こすのは気が引けたんですけど、そのままというのもどうかと思いまして」
「いやありがたいです。ほら、エキセル風呂だぞ」
困ったように笑うペンシルさんに頭を下げながら、ぴくりとも動かないエキセルを揺さぶる。
「……一緒に入るの?」
「入らんわ!」
まだそんなこと言ってるのか。よく覚えてたな。
「あらあら……エキセルは明人さんと一緒にお風呂に入りたいの?」
「うん」
「なら、一緒にお風呂に入ってみてはいかがです?」
えー……何を言ってるんですかペンシルさん?
まさかこの人からそんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
「いや、それはさすがに――」
「エキセルは見た目だけなら現代で言う小学生と何ら変わりませんし、明人さんは彼女の裸で欲情したりしないでしょう?」
「まあ、それはそうですね」
たぶん。
だからなんなの? 万が一俺の股間がバベルの塔を模しちゃったりしたら、その時点で社会的地位を失っちゃいますよ?
そんな疑問は数あれど、だったら大丈夫ですよね、とにこやかに笑うペンシルさんに半ば強引に風呂場に連れてこられた俺とエキセルは脱衣場で見つめ合っていた。
何この状況……。
「欲情しちゃうの?」
黙々と衣服を脱いでいくエキセルは、幾許の間もなく素っ裸になった。
まじまじと見てみると、やはりというか何というか子供にしか見えない。体の起伏とか、子供特有の綺麗な肌とか。実際そうなんだけど。
「しませんよ」
「ならどうしてじっと見てるの?」
恥じらうように頬を染めたエキセルを見て自分の失態に気が付いた。
うわあああぁあああああああああああああああああああ!
確かに! 自分は! 彼女の幼い肢体をまじまじと見ておりました! しかし弁解させていただきたい! 俺は……俺は……弁解できる要素が見当たらねえ。
完全にアウトだよ……。
「と、特に意味はないって。さ、先に入っててくれ」
「そう? 判った」
中に入っていくのを見届けてから安堵の溜息を吐く。大丈夫だ。興奮していない。俺は大丈夫。股間は正常だ。
自分に言い聞かせながら服を脱いで厳重に下半身をタオルという名の装甲で隠して突撃した。
「神野木明人、参る!」
威勢がいいのは声だけだ。幼い女の子と風呂に入るなんて、従姉妹が突撃してきたときぐらいだ。それでももう何年も前の話。エキセルだって言ってみれば外見が幼いだけの大人だろうに。そういうところの感覚は常人のそれと少し違うのかもしれない。それだけ長く生きていればどうでもいいことになるのかね。
どうして俺と一緒に入りたがったのかはよく判らないが。
まあ、ただの気紛れだろうな。
「どうやって洗うの?」
椅子に座ったエキセルが首だけを振り向かせて言った。
鏡から前が見える。咄嗟に顔を背けた。
「いや、どうやってって……風呂くらい入ったことあるだろ?」
「あるけど……普段入らないから」
「本気で言って……るんだろうな。汚れとか気にならないのか?」
「汚れたりしたら一度全部脱ぎ捨てて再構成してるから問題ない」
「脱皮みたいなもんか。吸血鬼っていうのはみんなそんな感じなのか?」
「たぶんそう。でも、他の子たちのことはよく知らない」
「ふーん。ま、洗い方だなんだって言っても、そこにあるシャンプーを髪につけてわしゃわしゃと洗うだけだし、そこにかけてある体洗いタオルに石鹸つけて体をごしごしこするだけだよ。簡単だろ?」
「よく判らない。洗って」
自分で洗う気なしかこいつは。
「はいはい。お姫様じゃねーんだから、次からは自分でやれよ」
「うん」
内心で溜息を吐きながらシャンプーを手に取りエキセルの髪につける。
こんな経験滅多にないんだろうなと思う。実際に女の子の髪をさわることなんて日常的にあることじゃない。
ふれてみるとあまりに手触りのいい感覚にちょっとだけ感銘を受けた。
「風呂に入ってないって割にはすごいさらさらで綺麗だな、髪」
「……そう?」
心なしか、少しだけ嬉しそうな声色だった。
「ああ、みんなこうってわけじゃないだろうし、普段手入れしてるってわけでもないんだったら世の女に嫉妬されまくりだな」
はっきり言って女の子の髪の洗い方なんて判りません。だから適当に、普段俺が自分の髪を洗うような感覚で洗っているのだがこれでいいのか不安になってくる。というか、髪が長すぎて洗いにくい。
「ん……」
「……………………」
不意に背中をなでるようにさわってしまったら思いの外エッチな声が飛び出した。これはまずい。いやこの状況が既にまずいのだが。
慎重に髪だけをさらって丁寧に毛先まで洗い終えて一息吐き、お湯をかけて洗い流していく。
「体も洗って」
「ごふっ」
「どうしたの?」
「な、なんでもない……」
しまった……ここまできたらそりゃそうなるよな。ただでさえ女性なれしていない俺が女の子の柔肌をなめ回すように洗うことなど――冷静になれなめ回すとかそんな表現はいらん!
とにかくだ、前は絶対無理。これだけは無理。
「後ろだけは俺が洗ってやってもいい。だが前は無理だ。死ぬ。社会的に死ぬ。頼む」
「……判った」
なんとか譲歩してくれたようだった。
首回りから腕、腰までを白い泡で隠すようにこすった。まるで全身の神経がこの行為のためだけに研ぎ澄まされたかのように、エキセルの息づかいや微かな仕草が目に入った。特別意識しているという自覚はなかったのだが、どうにも調子が狂う。
エキセルが立ち上がったのを見て、露わになった臀部から足までを洗う。くすぐったいのか、またしても喘ぐような声がもれるが無視。
ようやく洗い終えた俺は張り詰めた緊張がほぐれるのを感じて脱力した。ついに俺はやり遂げたのだ……!
「ありがとう」
「……別に礼はいいって。さっさと洗って湯船につかっちまえ」
「うん」
一通り洗い終えたエキセルが湯船につかるのを見届けてから今度は俺が頭を洗った。
ついで体を洗うのだが、
「頼むから見つめるのはやめてくれないか?」
「どうして?」
どうしてじゃねえよ!? そりゃそうだよ、俺はむしろお前の感覚が判らないよ。このままいけば俺の下半身がさらされてしまうわけで。それをエキセルはまじまじと見てしまうわけで。その絵面は世間に反響を呼ぶどころの騒ぎではない。
「どうしても何も、この世の中好き好んで女の子に裸をさらすなんて普通じゃないんだよ。普通は恥ずかしがって隠すの。判ったら目を背けろ。いいか、絶対に見るなよ?」
「……そういえば、昔はそうだったかも。うん、判った。アキトは恥ずかしいんだね」
「そ、そういうこと」
静かに湯船に顔をつけたエキセルはそのまま沈んでしまった。
そこまでする必要はないのだが、俺としては困らないのでそのまま一気に体を洗ってしまう。洗い終えて湯船につかるかとそっちを見やるとエキセルはまだ沈んだままだった。もう二分くらいは経ってるんだけど……。
「……おい、エキセル?」
気泡一つ上がってこない。いやいや、溺れてるってことはないんだろうけどこれはさすがに引き上げた方がいい。
そう判断した俺は迅速にエキセルの身体を引っ張り上げた。
「エキセル! おい! 大丈夫か? しっかりしろ!」
「……ん? どうしたの?」
「どうしたも何も、お前溺れて……!」
「ああ、ごめんなさい。寝てた」
……ああ、そうですか。さすがエキセルさんです。いつも俺の予想の斜め上を平然と全力疾走してくださる。
「まあ、溺れてなかったんならいいんだよ」
心配して損をした。
俺は空いているスペースに足を踏み入れて腰を下ろした。まだ人一人分以上入浴できる程度には余裕がある。元々、家族揃って風呂を入るために作られた浴槽だ。当然と言えば当然か。
「エキセル――ってお前なあ」
視線を向けると、ずっと俺の方を見ていたのかエキセルと目が合った。
「何でいつも俺の方を見てるんだよ?」
「他に見るものがないもの」
「ああ、そうかい」
特に会話の種があるでもなく、ぼうと湯船に顔を埋めて微かに漂う湯気を目で追う。
ふと思う。どうして俺はあんなに意識してしまっていたのにも関わらず、まるでそれが当たり前のようにエキセルの隣で湯につかっているのだろうかと。思い当たる節はあった。しかし、変に意識しても仕方ないと思考を切り捨てる。
何か特別なことがあるわけでもない、普通の時間。それだって、エキセルが究血姫であるということに目をつむれば本当に何もない。ただそういった俺たち人間とは違う存在というだけで、その危険性とかは今一つ共感しづらい部分がある。
けれどもこいつらは人間の血を吸い、殺してしまう。
それが純然たる事実だと、会長や秋桜は言っていた。
エキセルは俺を殺したいんだろうか? いや、彼女の言葉を鵜呑みにするなら、従順な僕へと成り下がるのだろう。ならば必ず死ぬというわけでもないだろうに。ならなぜ会長や秋桜は単純にエキセルを殺人鬼だと断定した?
今更な疑問だ。
もっと前に気付いておくべきだった。
それに、万が一を考えるならばエキセルの弱点も知っておく必要がある。どう転ぶにせよ、知っておいて損はないだろう。
弱点と言えばなんだろう? ニンニクとか十字架とか、そんなものしか思いつかない。
一度調べてみるか。親父の書斎に何かしらの資料があるだろ。
「アキトは学校が楽しいって言ってたよね? じゃあ、今の日常は大切? 失いたくないと思う?」
「ああ」
「もしも、大切なものを脅かすものがあったらどうする?」
「排除する。それについて、俺がぶれることはない」
事実だ。そのためにあのときから積み重ねてきたものがある。無力に泣くような弱い自分とはもう決別したのだ。
「そっか。それが私だったら、アキトはどうするの?」
「……そんなこと聞いてどうする? つまんないこと言うな」
動揺した自分がいた。はっきり言うと、俺はどうでもいい奴は果てしなくどうでもいい。だからそんな奴らがどうなろうと知ったことじゃないし、そんなものと大切なものが秤にかけられたのならば迷いなく大切なものを選び取る自信がある。
だが、エキセルはどうだ?
判らない……いや、とっくに答えは出ているはずだ。
エキセルがまだ俺の前にいるという事実は、決定的に俺の中にある天秤がどちらか片方に傾いてしまっているという証でもある。
「俺はもう出る。判るところにバスタオルを置いておくからそれで体を拭いてペンシルさんにでも頭を乾かしてもらえ」
じっと俺を見るエキセルに背を向けて浴室から出た。
どうにももやもやする。
どうしたいのかなんてエキセルを家に迎え入れることを決めてから、あるいはもっと前から決まっていたはずなのだ。見定める期間なんて言い訳に過ぎない。確定的に明らかな不穏分子を引き入れるほどに俺は甘くないはずだ。
……それもこれも子供の考えか。
矛盾している。指摘されれば一瞬で崩壊してしまいそうなほどに。
割と適当な性格であるというのは自覚している。たぶん、だからなのだ。気に入れば諸手を挙げて受け入れる。気に入らなければどこまでいってもそいつとの距離は平行線だ。交わることなどない。
俺の直感が間違えれば、これまで積み上げてきたものはそこで終わる。
今回起きるかもしれないのはそういう事態だ。
「結局適当なままなのか俺は……」
今の高校生活で築いた関係ですら、意識してのことではない。……普通の人間はみんなそうか。一々こいつとは仲良くならない方がいい。こいつとは仲良くなっておいた方がいい。そんな風に計算尽くで生きていられるやつの方が稀なのかもしれない。
中途半端に考えているから、中途半端に迷う。
「寝るか」
取り敢えず寝る。
それでもまだ悩むようなら考えよう。
忘れてしまったならそれはそれで大したことはなかったということなのだから。
ペンシルさんに寝床を案内してから、自分の部屋に籠もる。
そのままベッドに突っ伏した。
プロット見直しを考えており、次回更新遅くなりそうです




