55話・きみは俺の心を翻弄する(第三章・完結)
「あら。こちらの方は?」
「私の婚約者です」
「え?」
「可愛い子だな。おまえには勿体ない。どうだ? 僕の恋人にならないか?」
ノアールが私を婚約者だと言うと、アドリーヌ王女は驚いた表情を見せ、逆にウベルト王子は胡散臭い笑みを浮かべて私を見た。
「断る」
私の代わりに応えたのはノアールで、その彼を見て王子が一瞬、不快そうに眉根を寄せたがはっははと乾いた笑みを漏らした。
「おまえは誰に向かって発言している?」
「目の前のあなた様にですが」
「な──っ」
王子は唇を戦慄かせ、ノアールは澄ました態度でいた。それを私はハラハラした気持ちで見守っていた。王子の誘いをはっきり断ってくれたのは有難いが、ノアールの毅然とした態度に、王子が逆上したら……と、気が気でなかった。王子は市井では人気があるが、本人を目の前にしたら好感どころか嫌悪の気持ちしか湧かなかった。
「生意気だぞ。ノアール。僕は──」
「一応、あなたさまがこの国の王子殿下であることは認識しております。王子ならばそれに相応しい行動をお取りなさいませ。そうでないと私のところまで、いらぬスズメどもが押し寄せて来て、あることないこと囀るので煩くて敵いません」
「……!」
「自覚はおありのようですね。ならばこんなところで油を売っている暇などないはず。さっさと教師のもとへ戻り、本日の課題を終えられては?」
「おまえなどに言われなくても……。おい、行くぞ」
「は、はい。お兄さま」
ノアールの言葉に気分を害した様子のウベルト殿下は、アドリーヌ王女を連れて足早に歩き出した。王女はこちらを何度か振り返りながら頭を下げていく。彼らが行ってしまうとノアールが謝ってきた。
「不快な思いをさせてしまって済まなかった。サーラ」
「ノアールさまのせいではありませんから。気にしないで」
「サーラは優しいな」
「でも、驚きました。市井に人気者の王子さまが、あんな御方とは思いもしませんでした」
あの王子に好感はもてないと言えば、ノアールがため息を漏らした。
「サーラには何となく分かったかと思うけど、あいつは国民の前では聖人君子の顔をしているが、傲慢で思考が幼稚だ。その上、勉強嫌いでいつもさぼることしか考えていない。元々は政略結婚で結ばれた許嫁に、自分のやるべきことを丸投げしているようで、王宮では許婚になった令嬢が不憫すぎると声が上がっている」
「とんでもないですね」
「あいつは何もしなくても、自分が次の王になるのは当然で、難しいことは有能な誰かがやってくれると本気で思っているからな」
「どうしてそんなことに?」
「初めは良かった。王宮に迎え入れられてからあいつも真面目に学んでいた。ところが社交界でちやほやされるようになって、自分に都合の良い言葉ばかりを並べるおべっか使い達を、側に置くようになってから変わってしまった」
「他人を見る目がないのですね」
ウベルト殿下に対して失望しか湧かない。その殿下の妹であるアドリーヌ王女の方はどうなのだろう?
「アドリーヌ殿下は?」
「彼女は優秀ではあるが、性格が大人しすぎる。兄があんなだし、母親の影響もあるだろうな」
ウベルト殿下に振り回されているせいか、自己主張が弱いとノアールは言った。
「殿下たちの母親って……、いまは修道院にいらっしゃる?」
「数年前に亡くなっている。最期まで気にかけていたのは兄の方で、妹には何もなかったらしい。生前からウベルトの殿下を贔屓していたらしく、妹のアドリーヌには全く関心を持っていなかったと聞いている」
「アドリーヌ殿下は、きっと寂しかったでしょうね」
「今は世話好きの女官達がついているから問題ない」
殿下達の母親がどのような人なのかは分からないが、兄妹差別は良くないと思う。ウベルト殿下が、妹のアドリーヌ王女に向けた視線は温かいものではなかった。見下すような色があった気がする。しかも実妹を「おい」と、呼ぶだなんて。あり得ない。
でも、そこは陛下が気にかけているようだ。陛下が手配した女官なら、王女も蔑ろにされることはないだろう。
「あとはアドリーヌ殿下が、自信を持ってくれれば──、母さんの願いも叶う日は近いのだろうけど。こればかりはどうなるか分からないからな」
お茶会の話で、陛下は退位を望んでいるように感じられた。個人的には一日も早く、次代へとその座を譲り渡し、愛する人が鎮座するノースデン山に戻りたいのだろう。そしてアイオライト公爵も、長いことそれを待ちわびているような気がした。
二人は人間と竜人でありながら、相手の意見を尊重し合って対等に立っている気がした。共にありたいと願いながらも、二人の立場的になかなか報われない部分もあるが、お互いの妥協線が、陛下の寝室にあると言うノースデン山へと繋ぐ扉であり、その扉一枚がお互いの世界を繋ぐ境界線となっている。
その扉によってもしかしたら、別れることになったかもしれない二人が、適度な距離を置きながらも離れられない距離で、お互いを思いあって来たのに違いなかった。
「あなたのご両親は素晴らしい方たちね」
「俺にとっては厄介な時もある」
「あら。どうして?」
「あの二人は、一緒にいるといつも仲が良すぎて直視できなくなるから」
「仕方ないわ。竜人は一途でしかも番には弱いのでしょう?」
「そうだよ。だから俺はきみに弱くて、何でも叶えたくなる」
陛下の話にもあったけど、竜人であるアイオライト公爵にとって陛下は番という存在らしく運命の相手らしい。そこまで思われている陛下に羨ましいものを感じていたけれど、ノアールの言葉に思考が止まった。
「それって……?」
「そんな顔しちゃ駄目だよ。俺の理性が保てなくなる気がする」
「へっ?」
そんな顔ってどんな顔と聞き返そうとしたら、ノアールの整った顔が近づいてきて頬に柔らかいものが触れていた。
「──!?」
彼が頬にキスしたと分かった時には、彼の顔が離れていた。
「初めて会った時から、きみは俺の心を翻弄する。困ったお姫さまだな」
「の、ノアール……」
彼の唇が触れた頬を手で押さえて、彼を見ると照れくさそうな顔をしていた。頬に熱が集まってくるのを感じる。今、私の顔は熟したトマトのように真っ赤になっていることだろう。それを見られたくなくて俯くと手を引かれた。貴方の言う私がお姫さまなら、あなたは王子さまだよ。なんて恥ずかしすぎて口に出しては言えないけど。
「帰るぞ」
「うん」
私の前に手を差し出す彼の耳が赤くなっている気がした。ここは王宮の廊下。誰かに見られてないかと気になったが、幸い誰の姿もなくホッとした。来た時には気にしていなかった足元が妙に気になった。彼の堂々とした歩みに支えられて歩く私は、廊下に響く彼の靴音が頼もしく思われて、馬車止めに向かうまで耳を澄ましていた。




