185 休校日の冒険
数日後、エルメルアリアが天外界に飛び立った。戻ってきたのは、翌朝である。
「〈穴〉が観測されたってよ」
エルメルアリアは朝の挨拶の後、朝食の献立を言うような調子で告げた。身支度中にそれを聞いたヒワは、櫛を取る。
「場所は?」
「シルエラ周辺」
「あ、今回は近い」
「飛んでいけば今日中に帰れるかもな」
「えええ……二日くらいかけない? 休みだし……」
「宿題終わらなくても知らねえぞ」
からかい交じりの会話をしながら、服を整え、髪留めを差す。その勢いのまま鞄に手を伸ばそうとしたヒワは、しかし思いとどまった。扉の向こうから、珈琲の香りが漂ってくる。
「朝ごはん食べてから考えよう」
呟いて、ヒワは自室の扉を開ける。エルメルアリアが、後ろから当然のようについてきた。
ヒワはひとまず、朝食の席で家族にシルエラ行を伝えた。最近、次女の『精霊指揮士活動』に慣れてきた母と長女は、あっけらかんとして「いってらっしゃい」と答えた。
ヒワたちは、超特急で荷造りをし、家を飛び出す。
すっかり目覚めた朝の町は、色彩豊かだ。窓辺や軒先の植物たちが日光浴をしているかと思えば、あちこちから子供たちの笑い声が聞こえてくる。
「ロレンスたちに、知らせにいこっか」
ヒワが何気なく呟くと、腕の中のエルメルアリアが首をひねった。
「あいつ、今日から課外研究じゃなかったか?」
「あ、そうだった。今頃列車の中かな」
「フラムリーヴェもついていくって言ってたし……」
「ってことは、今回はわたしたちだけかあ」
ヒワはつい、うめき声を漏らす。よその家の軒先で丸まる猫の視線を感じて、肩をすくめた。
大通りに出たとき、エルメルアリアが身を乗り出す。同時、正面から明るい声がかかった。
「はぁい! ヒワ、エラちゃん。お出かけかしら?」
桜色の傘を差した少女が、歩道の端で手を振っている。今日は、ほどよくリボンがあしらわれた防寒着、紺色のズボンにブーツといういでたちだ。
「カティ! こんな朝早くから、どうしたの?」
「うふふ、仕事から帰ったところ」
ヒワが駆け寄ると、カトリーヌ・フィオローネは悪戯っぽく笑う。
特定の組織に属さない、フリーの精霊指揮士である彼女は、わけあってジラソーレに身を寄せていた。しばらくは市内で頼まれごとをこなすに留めていたが、最近は以前のように、様々な場所で仕事を請け負っている。
「朝帰りって……相当大変だったんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。移動の関係で朝になっちゃっただけだから。それで? ヒワたちの方は?」
会話が初めに戻った。尋ねられたヒワは、背筋を伸ばす。
「今から任務。シルエラのあたりで、〈穴〉が観測されたって」
「あら、そうなの?」
カトリーヌが目を丸くした。傘を傾ける。
「なら、私もついていっちゃおうかしら」
「え!? 助かるけど……大丈夫? 仕事、終わったばっかりでしょ?」
「いいのよ、気にしないで。手先ばっかり使う仕事だったから、運動したい気分なの」
うろたえるヒワをよそに、カトリーヌは笑いながら傘を畳んでいる。ヒワは少し考えた末、その場で頭を下げた。
「一緒に来てくれると、嬉しいです」
「よろしくな」
お辞儀によって揺らされたエルメルアリアが、軽く手を振る。カトリーヌは「任せてちょうだい」と指を鳴らした。
二人の精霊指揮士と一人の精霊人は、ジラソーレ郊外から飛び立つ。淡い青と、白と灰色が入り乱れる空を突っ切って、シルエラの町近くの木立に突っ込んだ。
精霊人の飛行にいつまでも慣れないヒワは「寒い、頭がぐわぐわする」などと文句を言いながら、木立を脱出する。同行するカトリーヌは、最初こそ疲れた様子だったものの、途中からヒワをなだめる側になっていた。
シルエラの城壁を臨める平野に出る。エルメルアリアが高度を上げた。
「〈穴〉の魔力が流れてきてるのは……あっちか」
小さな指が指し示したのは、南東だ。ヒワたちは、エルメルアリアの導きに従って進む。そうして、気づけば見知らぬ渓流沿いを歩いていた。普段は風と川と緑の合奏、鳥のさえずりや獣の足音が響く場所なのだろうが、今は気が立った魔物たちが暴れ回っている。
凄惨な状況をものともしない、娘の笑声が響いた。
「ちょっとした冒険ね!――『ベラータ・コード』『バム・バム』!」
渓流から飛び出してきた魔物たちが、生き物のように動いた土に足を取られる。動きが鈍った彼らを、爆炎がのみこんだ。そのそばでは、エルメルアリアが別の魔物を蹴り飛ばし、光弾を叩き込む。空気が震え、そこらじゅうの木々が軋んだ。
「ふ、二人とも! 爆風はほどほどに!」
ヒワは思わず木にしがみつき、悲鳴を上げる。勾配と凹凸が激しい道を、どうにかこうにか進んでいたところだった。エルメルアリアが「無茶言うなよ」と叫び返す。
そこへ、羽の生えた蛇の群れが突っ込んできた。
「ああもう――『ウィスカラ・ゼスタ』『枝よ枝よ、通せんぼ』!」
水の弾丸によって押し返された羽蛇たちのまわりに、木々の枝葉が伸びてゆく。彼らが戸惑っている間に、エルメルアリアが起こした風が、蛇の体を切り裂いた。
一部始終を見ていたカトリーヌが、歓声を上げる。
「あら、ヒワ。いつの間に、植物に干渉する術なんて使えるようになったの?」
「最近、やっと……。ロレンスのまねっこだし、複雑なことはできないけど……」
ヒワは肩で息をしながら、杖を振る。伸びた枝がずるずると元の長さに戻っていった。
「それでもすごいわよ。あの系統の術、難しいのに」
「ありがと。……学校の勉強って、大事だねえ」
遠い目をしたヒワを見て、カトリーヌは「生物学と数学あたり、復習したのかしら。地理もかしら」などと考えて、ほほ笑んだ。もちろん、ヒワはあずかり知らぬことである。
「〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する。門よ開け、魔の者どもを彼方へ還したまえ」
和やかなやり取りを、手拍子と、厳粛なことばが止める。エルメルアリアの声に応じて現れた門が、倒れ伏した魔物たちを淡々と吸い込んだ。
門が消えたのち、取り残された魔物がいないかを確認する。そのさなか、エルメルアリアの耳がぴくりと動いた。
「何かいるな。……魔物同士が、戦ってる?」
少女たちは、〈天地の繋ぎ手〉の言葉に顔を見合わせる。
「なんだろう。また、苦しんでる魔物でもいるのかな」
「そういう雰囲気ではなさそうなんだけどな」
「とりあえず、行ってみましょうか」
カトリーヌが、杖を手元で回す。彼女の提案にうなずいて、ヒワは慎重に踏み出した。
時折魔物を送還しながら進むこと、十分。ヒワたちの目に、奇妙な光景が飛び込んできた。
荒々しく攻撃を繰り返す魔物たち。応戦しているのは、空を泳ぐ魚だ。透き通った体を器用にくねらせて攻撃をかわし、自分の体そっくりの針を敵に浴びせかける。魚が動くたび、雫のようなものが飛び散った。
「きれいなお魚……だけど、初めて見た」
「私はなんとなく、見たことがある気がするわ」
思わず見入っていたヒワの隣で、カトリーヌが呟く。ヒワは思わず彼女を振り返ってしまった。
エルメルアリアが、飛びながらゆっくりと腕を持ち上げる。
「ひとまず、あれをなんとかするか」
指を鳴らす。次の瞬間、吹き荒れた風が暴れ狂う魔物たちを吹き飛ばした。透き通った魚は少しのあおりも受けておらず、不思議そうに体をくねらせている。
ややあって、遠くで轟音と魔物の悲鳴が響いた。気持ちよさそうに額をぬぐうエルメルアリア。ますます不思議そうにする魚。苦笑するしかないヒワ。奇妙な状況の中で、カトリーヌが魚をまじまじと見つめた。
「あら? あなた、ひょっとして、使い魔?」
「みたいだな。契約による繋がりがある」
エルメルアリアが魚に向かって手を振る。相手は、尾びれを揺らして応えた。
契約を交わした精霊指揮士に従う魔物、使い魔。目の前の魚がそうだというのなら、どこかに主がいるはずだ。ヒワがきょろきょろしていたとき、川向こうから声がした。
「クリュス!」
透き通った魚が、嬉しそうに飛び跳ねる。水と宙をかわるがわる泳いでいった。
「無事でよかった。でも、一体何が――」
魚を迎え入れたのは、汚れたローブをまとった女性だ。彼女はヒワたちの存在に気づくと、目を丸くする。
「あなたたち……精霊指揮士ですか?」
声を張った質問に、ヒワはとっさに答えられない。再び、カトリーヌと顔を見合わせてしまった。




