14条 グランディール公爵
リヒトベルク伯爵邸での会議を終えたクルーガー・グランディールが公爵邸へ戻った頃には、既に日付が変わっていた。
夜のグランディール公爵邸は静まり返っている。
廊下には等間隔で燭台の火が灯され、赤い絨毯の上へ長い影を落としていた。
だが、その静けさとは裏腹に、屋敷の奥では王国の未来を揺るがす陰謀が動いている。
クルーガーは外套を翻すことなく、そのまま当主執務室へ向かった。
扉の前には近衛騎士が二名立っていたが、彼の姿を見ると無言で敬礼し、道を開ける。
「公爵閣下がお待ちです」
重厚な黒檀の扉がゆっくりと開いた。
室内は薄暗い。壁一面を埋める本棚、古い地図、各国の情勢を示す駒付きの戦略盤。
そして部屋の中央では、巨大な机に向かった男が静かに書類へ目を通していた。
グランディール公爵。
この王国で最も強い権力を持つ貴族の一人。
冷徹で合理主義者。必要とあれば味方すら切り捨てると言われる男だった。
クルーガーは片膝をつく。
「父上。ただいま戻りました」
公爵は視線を上げない。
「報告を」
短い一言。
だが、それだけで空気が張り詰める。
クルーガーは淡々と口を開いた。
「リヒトベルク伯爵、アシュレイ第一皇子、フランシスコ枢機卿との会談は問題なく終了しました」
「アシュレイの様子は?」
「完全に我々を信用しております。エーデルシュタイン家への敵意も順調に育っています」
そこで公爵の手が止まった。
「……セドリックは?」
「殿下の中では既に王位を奪う敵です」
その瞬間、公爵の口元が僅かに吊り上がる。
「結構」
低く、満足げな声。
クルーガーは続けた。
「こちらが何も言わずとも、アシュレイ殿下は勝手に疑念を膨らませています。セドリック殿下が軍部や貴族から支持を集めていることに強い焦りを感じているようでした」
「器の差だな」
公爵は椅子へ深く腰掛けた。
「セドリックは王族として厳しく育てられた。だがアシュレイは違う。勉学から逃げ出し剣の鍛錬もサボっていた。第一皇子という立場から周囲に持ち上げられるだけで、自ら盤面を読む力がない」
そして冷笑する。
「だからこそ扱いやすい」
暖炉の火が揺れる。
クルーガーは父を見上げた。
「……本当に、最後までアシュレイ殿下を利用するおつもりですか?」
静寂が2人の間を流れた。
その問いに、公爵はゆっくり顔を上げる。
「利用?」
灰色の瞳が冷たく細められる。
「勘違いするな、クルーガー。あれは利用する価値がある駒でしかない」
空気が凍りつく。
「王位に就かせる気など、最初からない」
クルーガーは沈黙したまま続きを待った。
公爵は立ち上がると、窓辺へ歩み寄る。
分厚いカーテンの隙間から月明かりが差し込み、その横顔を照らした。
「この国は今、均衡の上に成り立っている」
静かな声だった。
「王家。大貴族。教会。軍部。それぞれが互いを牽制し合うことで秩序を保っている」
公爵は振り返る。
「だが均衡とは脆い。たった一つ、大きな疑念を落とすだけで崩壊する」
「……王位継承問題」
「ああ」
公爵は頷く。
「アシュレイを焚き付けることで王族同士を争わせる。貴族を二派に分断する。教会には王家の腐敗を囁かせる」
そして低く笑った。
「混乱が深まれば深まるほど、民は強い統治者を求め始める」
クルーガーは目を細めた。
「そこで国王陛下の弟君を擁立する、と」
「そうだ」
公爵は机の引き出しから一枚の肖像画を取り出した。
そこに描かれていたのは、現国王よりも若い、一人の男。
穏やかな表情。柔和な雰囲気。
だが、その瞳には王族特有の威厳があった。
「先王陛下の第二王子。王位継承争いから外れ、今は地方で静かに暮らしている」
「表舞台にはほとんど出ておりませんね」
「だからこそ都合が良い」
公爵は言った。
「権力欲がない。敵も少ない。民衆人気も高い。そして何より――」
そこで公爵の声が僅かに低くなる。
「私の妹を妻に迎えている」
クルーガーの瞳が細められた。
「つまり、その子は……」
「王家とグランディール家、両方の血を継ぐ」
暖炉の火が大きく揺れた。
「王家を表から支配するのではない。内側から取り込む」
公爵の瞳には、もはや隠す気すらない野望が宿っていた。
「次代の王に流れる血の半分をグランディールへ変える」
クルーガーは静かに息を吐く。
「そのためのアシュレイ殿下ですか」
「ああ」
公爵は笑う。
「愚かな男ほど扱いやすいものはない」
「ですが、エーデルシュタイン家が動けば厄介です。それにセドリック殿下もかなり優秀です」
その瞬間、公爵の表情から笑みが消えた。
「……分かっている」
初めて見せる警戒。
「セドリックは危険だ。感情ではなく理性で動く。だからこそこちらの誘導に乗りにくい」
そして静かに続ける。
「だから排除する」
冷たい一言。
クルーガーは父の瞳を見つめた。
「事故。暗殺。失脚。方法は問わない、と」
「王になる資格がある者ほど、早く死ぬものだ」
公爵は平然と言い放つ。
その言葉に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
やがてクルーガーは立ち上がる。
「では、次の段階へ移行します」
「リヒトベルク伯爵には引き続き貴族派閥の分断を任せろ。教会側には異端の噂を流させる」
「かしこまりました」
クルーガーが一礼し、扉へ向かったその時だった。
「クルーガー」
父が呼び止める。
「決して情を持つな」
振り返った先。
暖炉の炎を背にしたグランディール公爵の姿は、まるで闇そのもののようだった。
「王になる者に必要なのは、慈悲ではない」
ゆっくりと告げられる。
「勝利だ」
その声だけが、静かな執務室に重く響いていた。
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